2024年3月の日誌
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3 月 28 日 (木)  




場違い

仙台藩志会伊達学塾4月27日は、J・F・モリス東北大学災害科学国際研究所客員教授の
「モリス著「伊達家仙台藩」の裏話を著者がかたる」です。

著者から「28日東北大学歴史資料科学研究会例会で講演します。どうぞ」
とご案内を頂きました。

通常の講演会と思い行きましたら、違いました。
日本・近世史を主に研究する在仙の有名な大先生方の勉強会でした。

その発表は、あかとんぼが理解出来るものから難解なものまで3時間でした。

当然のこと。

研究者の発言・発表の場は、武士の戦いの場と同じ 戦場です。
難解であることもあります。

許しを頂き 仙台藩志会伊達学塾モリス講師のチラシを配らさせて頂きました。
先生達 お出で頂ければ幸いですが、欠席でも結構です。

講座開講と多数の聴講があったかが、あかとんぼの戦場での働きの評価となります。




3 月 27 日 (水)  



一筆書き

本年 2回のガイド

お客様は東北学院大学文学部史学科菊池慶子教授ゼミの学生。

「卒業にあたり 定年退職する教授と共に 今一度 卒業式の翌日に経ヶ峯を散策したい」
とのお話。それぞれの人生の節目の記念にと。

誠に有難い 歓喜涙流 です。

仙台駅前から路線バス利用との事で、同時刻・同バスで 「一筆書きコース」で共に楽しみました。

ガイドポイント

1.霊屋橋 袂 橋由来書
2.廣瀬川中 メタセコイヤ化石
3.鹿落坂遠望 敗者伊達慶邦江戸移送路

4.経ヶ峯入口 「虎口」構造
5.穴蔵稲荷神社

6.伊達家最後の老女の奥津城
7.瑞鳳寺山門・下馬石碑

8.公子公女廟.斉義側室墓碑
9.三原良吉古道

10望青葉山(騎馬像・崩落崖・竜口渓谷口)
11感仙殿・妙運界廟(倒木通行止で善応殿遥拝)

12新修先廟記碑
13感仙殿広場石垣

14西参道
15西討戦没之碑

16東参道
17創建時植林杉伐採根

18再建時寄付芳名録
19涅槃門

20高石段・奉納灯篭・満咲臥龍梅・拝殿扁額
21瑞鳳殿本殿外観・発掘時写真・歴々御尊像

22宝篋印塔
23戊辰の役弔魂碑

24廟守石田家屋敷
25鹿落観音堂

この間 伊達家・政宗公・地形・石材等と 普段のガイドでは語れない事を含め 
克 前回の語りと重複しない様に気を付け 語りました。


仙台駅前で昼食(ランチ)会で懇談しました。

あかとんぼが何故 瑞鳳殿ボラガイドを始めたのか聞かれました。

人生現役を失意で卒業し 濡れ落ち葉族になった。
これでは駄目だと講座等に参加に努める内 自然に瑞鳳殿ガイドを始め、
そのため勉強する過程で、菊池慶子先生等のご指導を頂き今日に至りました。


仙台市公文書館に学芸員として勤務が決めている方いました。
過日 佐々木伸地元学応援団長と仙台市公文書館開館にあたり 優秀な学芸員を期待すると語りました。
それが実現することになりました。嬉しい限りです。
「よろしくお願いいたします」と。


ご質問として、
1.序列が厳しい江戸時代にあって 瑞鳳殿奉納灯篭 片倉小十郎奉納灯篭が下居にあるのは何故か?
2.涅槃門の透かし彫り 参拝者が理解することを期待したものか?
3.小4年生から宝篋印塔とは?


昨日は、公式3cm 非公式10cmの濡大雪でした。
朝までに完全に溶け快晴でした。後生の良い方は?

臥龍梅 満咲。
 



3 月 26 日 (火)  




あかとんぼ家の 梅 満咲です。

瑞鳳殿の臥龍梅の開花状況は 明日確認して参ります。

ある10年来のプロジェクト 明日 卒業式あります。



3 月 25 日 (月)  




黄金の政宗公騎馬像


岩沼の竹駒神社 馬事博物館蔵 を「政宗公銅像」著者 地元学応援団 佐々木伸様のお誘いで見学しました。

拝見した騎馬像は 猛烈・凄い迫力です。 

仙臺城址の政宗公騎馬像、しばた郷土館の騎馬像型枠と伊澤平一宅騎馬像と数々拝見して来ましたが、是の騎馬像は超越しています。圧倒されます。

初午大祭行事の一環として馬事博物館が特別に本日迄開館している。この機会を逃がすと・・・
確かに黄金の政宗公騎馬像が所蔵されているは知っていました。拝見の機会を失っていました。
千載一遇の機会です。

博物館ホール正面にデンと飾られ、渡辺学芸員、しばた郷土館岡山学芸員が出迎えて頂き、
「騎馬像の作者 小室達が馬の最終姿を決めた石膏原型である。劣化・地震による損傷を修復した最初の公開である」の説明を頂き拝見。

撮影とあかとんぼ日誌に掲載のお許しを頂き 撮影しまくりました。
全体像、政宗公と馬との笑顔のツーショット、雄馬である証拠等を表紙に掲載しました。


この馬事博物館は、この騎馬像を保管・展示する目的で
1938年に和洋折衷の近代建築で、2021年に国登録有形文化財に指定に
建物整備調査が行われ 2023年9月報告書が刊行された。
(220頁の厚い報告書1冊頂きました)

騎馬像と博物館を永久保存するには「文化財」に指定しなければならない、と渡辺学芸員は力説していました。
あかとんぼ 思うに 仙台城址の騎馬像を管理する仙台市と石膏像を保管する柴田町の行政と現場管理者の志向の一致が必要です。
冒頭に発声する人は大海に放り出された感じでしょう。

太刀、台座の修復、尾の付け根の亀裂は搬入時のもの、
兜の縛り方、扇子の握りの狭さなど、
あらためて確認できて良かった佐々木伸様は申しておりました。


数々の素晴らしい展示物に、ひっそりと

「鐙及び冑」が「豊臣秀吉が着用したもの伝えられ、伊達政宗が慶長元年(1596)に大坂城で秀吉に謁し、従四位下に叙された頃下賜されたと思われる。
後に古内家(岩沼領主)が伊達家から賜り奉納された」との説明文で展示されています。
重要文化財でないでしょうか?

建物も収蔵物も 素晴らしい逸品です。
竹駒神社 何度も参拝していますが 初めて その素晴らしい逸品に触れました。感激です。


初午大祭奉祝 第67回竹駒神社全国銘菓奉献祭が開催され、北は北海道帯広市から九州は熊本市迄の数えきれない銘菓展示していました。   
67回連続奉納は5社。意外は 羊羹の虎屋 がありませんでした。


御守り? お札所で 白衣の母と娘の狐の鶏卵大の御神籤付きを頒布していました。
何かご神託がありそうで 思わず求めました。めったにない事です。
今日から 物価上昇に負けず 家運が隆盛するでしょう。


帰路 名取市増田邑の多賀神社を参拝、

明治期 伊達家の家政相談員を務められた 増田?幸公徳碑を拝見しました。
碑の頭部文字 「忠誠貫日月」のを読めませんでした。

鳥居の額 石に刻みした珍しいもので、揮毫は 高橋實 と合わせてお知らせがありました。


ご案内頂きました 佐々木伸様 お陰様で学がつきました。
ありがとうございました。感謝申し上げます。






3 月 24 日 (日)  




昨23日の日誌です。


講演会 2本

その1
演題 城下町・仙台の謎に迫る
講師 菅野正道先生
主催 一社芭蕉の辻まちづくりの会
会場 せんだいメデアテーク7階

内容
定説となっている芭蕉の辻 四隅の建物・大町から大手門を見通せる・寺町の移転・大橋・茶畑について 果たしてそうか 解説されました。

新寺小路の寺は、元寺小路の寺院が移転した。故に 地名が新寺・元寺小路になったと解説されて、そうかと素直に受け入れていました。
ただ、移転した寺は 何寺かは 詮索せずにいました。勉強になりました。

今回、新寺小路の寺院群として、
新寺小路の北側と南側に分け各寺院創建時期
新寺小路周辺で移転の所伝を持つ寺院

東九番丁〜連坊小路の寺院群
初期の仙台城下
を語られました。


本講座(芭蕉の辻講演会)は、木村浩二氏と交互に講師を務め11回目 です。

対象が限定されての講演 同じ話を2回しても3度は出来ません。
先生は工夫されました。新鮮でした。故に先生のフアンが多いのでしょう。


31日 青葉山公園仙臺緑彩館で「仙台開府からのまちづくり」と題して、
13時から14時30分迄の菅野正道先生講演の案内を頂きました。

同日14時30分から 「四ッ谷の水を街並みに!市民の会」主催 講演会

演題 伊達政宗と温泉
講師 宮城学院女子大学 高橋陽一准教授
会場 仙台市民活動サポートセンター 6階
で 開催されます。

同会とは20数年来 種々世話になっていて所謂 義理があります。
時間的に競合しました。
菅野正道先生には欠席する旨 ご挨拶しました。



講演 その2
演題 続 仙台城と大手門 石垣復旧と大手門発掘
講師 長島栄一氏 仙台市文化財課仙台城史跡調査室
主催 仙台藩志会伊達学塾
会場 せんだいメデアテーク7階

内容
昨年の講演以後の発見と発掘調査の前倒しついて語られました。

感想
長島栄一先生は、講演中 世年を洩らされました。
役所には定年退職の制度があります。この春 卒業されるのか?聴き洩らしました。


最後に
午前と午後 同じ会場です。
天候 午前は快晴 午後は雨天で寒冷です。
聴講者数 午前120名 午後70名 この差50名。原因は何か?



3 月 23 日 (土)  




官尊民卑

高知で櫻が咲いた。日本一早いと報じられました。

16日(土)昼 宇和島で開花宣言を宇和島市長がしています。
1週間遅い 高知を日本一と報じた事に「官尊民卑?かな」と思いました。

何故? 宇和島は測候所を退職したOBが主体になり観測しています。
高知は気象台現役職員が観測しています。
この差 全国マスコミの意識の格差か 官尊民卑となり現れた???

日本一のタイトルを無視された 愛媛県知事、宇和島市長、愛媛新聞始め愛媛のマスコミは、如何なる反撃にでるか 楽しみです。



3 月 22 日 (金)  




講座
演題 二つの名取を結ぶ道
講師 菅野正道先生
主催 二つの名取を結ぶ会
会場 名取市市民活動支援センター
日時 2024.03.20.14:00-16:00


事の発端は、数年前に河北新報に
仙臺伊達家領内と伊予宇和島伊達家領内に「名取」の地名がある。
交流を深める様とする団体がある 旨の記事が有ました。

「聴講如何でしょうか」 と菅野正道先生からご案内を頂きました。

講演会冒頭、大橋信彦代表から、

3011.03.11.大震災の際 愛媛県佐田岬端「伊予の名取」から義援金が2回寄せられた。
2015年(二つの名取を結ぶ会)を立ち上げた。

仙台藩志会は大きい団体では、交流があるが当会はない。
会員を募集し大きい会にして交流したい。

菅野正道先生は、

陸奥・宮城の名取は、名取郷として古来(天平神護2(766)12月)からの地名である。
伊予の名取は、宇和島伊達家始祖伊達秀宗が10万石で入部した際、57騎の家臣に付随した軍夫等が移住し、馬の飼育をしたのでないか。

口伝を証拠づける歴史的資料は未発見である

と、
@秀宗公生誕から宇和島入部迄の経過
A宇和島に移った名取の関係者
B名取郡と海運
C名取と馬
について 丁寧に語られました。


補足
1.秀宗公は、米沢から岩出山に移動の途中 村田で生まれた。現地に大標識がある。
2.以来、陸奥の国伊達領内に再訪した事は無いと先生は洩らされました。

秀宗公は、寛永13年6月23日の葬儀に参列されています、
行列6番と7番の間に惣之御牽馬之次第、1番伊達遠江守(秀宗公)殿、2番伊達三河殿 3番伊達左京亮(宇和島次男 宗時)以下・・・11馬

3.寒冷降雨の中 聴講者60余人 仙台から10余人。我が最北端から。
X1氏の姿 見えず 如何されたか? 彼岸故佛事かな?



3 月 19 日 (火)  




故事祭事 78
平将門 抗争経て東北へ勢力

「平将門の首塚」から平将門の名前は知っていました。

若い頃、記憶は曖昧ですが 
「此処は国有地である。田中総理の指示でも処分できない土地である。
それは平将門の首塚であり 平将門の怨霊で 手を加える等をすると怨霊の祟りで 不幸な事が起こる故」
と、現地での研修か?何かで聞かされました。

平将門は、桓武天皇の6世代曾孫の孫で天慶3年2月14日(940.03.25.)討ち取られ、
4月25日首が献上されました(講談社刊日本全史)

東京大手町の首塚は、幕府大老酒井忠清の屋敷跡にあり、寛文事件(原田甲斐刃傷事件)現場です。

首塚を訪れた際は 未だ若年で勉強不足で 寛文事件まで 思考が至りませんでした。

比丘尼坂(将門戦死後 将門の妹が隠棲した地?)は 踏破しておりません。
甘酒・湯豆腐・おぼろ豆腐・今市おこしが名物と知りましたが 
時は流れ訪れる機会を失しました。

之しか 書けませんでしたが、再確認に聊か難儀しました。勉強になりました。



3 月 18 日 (月)  



経ヶ峯 伊達家廟守 石田家旧家屋

瑞鳳殿創建以来と伝えられる伊達家廟守石田家の家屋の解体撤去作業は順調に進み、
昨17日 跡地に土盛りが始まり、1階に相当する高さになったと ガイドのX1さんから
情報がありました。情報提供に感謝申し上げます。

作業全体が未知です。今後の推移は如何なるか 期待満々です。


夜来から暴風雪です。手元の記録では 2022.23年も暴風雪です。荒れる特異日?



3 月 17 日 (日)  



櫻 開花宣言 宇和島市   日本一早い


16日11時30分 岡原文彰 宇和島市長は 櫻 開花を宣言しプレートを設置しました。

平年より3日早く 昨年より1日 遅いと愛媛新聞は報じています。

あかとんぼが開花観測隊に参加した年2009年は3月8日に開花宣言しました。
当時 お世話頂きました方々と 今も交流があり、早速 祝辞を送りました。

7〜10日程で満開になるそうです。お出かけください。


瑞鳳殿の臥龍梅も開花したそうです。




3 月 13 日 (水)  




紅梅・白梅 あかとんぼ邑で10日開花しました。
瑞鳳殿の臥龍梅は未だです。

9日大分県中津市の方々をガイドした際、臥龍梅を指して「これ ナンノ木?」と訊ねれました。
櫻と思い問いたのに「梅」の答えに 「1ケ月以上遅い」と驚いていました。
その由緒を語りましたら「さすがに伊達様」と返って来ました。


地球の温暖化と騒がれました。
あかとんぼ が開花観測に招かれた2009年には、3月8日に宇和島市長が参列 開花宣言をしました。
2020年3月11日には、全国一早い櫻の開花宣言をしました。
今年は10日 櫻開花観測隊の観測開始式がありました。
さて、何日に 開花宣言をするでしょうか?
仙台の 櫻開花宣言は いつ 何日でしょか?



3 月 12 日 (火)  




セミナー 街の誘客促進と個店の売上アップにむけて

主催   仙台商工会議所・仙台観光国際協会
日時   03月8日(金)14:30〜18;00-
会場   仙台国際センター 櫻の間

演題・講師
1.海外から選ばれる国際観光都市をめざして・・・(株)JTB 山下真輝 氏
2.データーから見るインバウンド・・・公財仙台観光国際協会 川口順弘 氏
3.街の誘客と売上アップのポイント
  (株)ライフブリッジ 櫻井遼太郎 氏
  一社まちくる仙台 石井光二 氏
  (株)門間箪笥店 門間一泰 氏
  大人の焼肉Momo 佐々木康 氏


内容 印象・記憶に残った事項

1.インバウンドは輸出産業。輸送コストを要しない効率的な輸出ビジネス
2.日本は超高齢超少子化社会

3.2023年来日外国人旅行者消費額5兆2923億円
4.日本旅行中 困った事 @WI-FI環境 A施設要員とコミニケションが取れない

5.必要な対応@持帰り容易な商品(軽量化・少量化)A価格・内容に松竹梅の設定Bキャッレス対応C積極的接客対応
6.来仙客の54%が臺灣。

7.男女比 6;4 20〜40代が多
8.仙台初めて」82% 来日5〜6回目で仙台に

9.訪問スポット 1位仙台城址 2位商店街 3位瑞鳳殿

その他
1.講演会後 交流会(会費5000円、1時間限り)の案内があったが不参加。
2.行政と業界の共催 業界実務者は参考になったか?

3.ガイドの参加 幾程か? 我は勉強になった。




3 月 11 日 (月)  





2011.03.11.  13年経過。

記憶はどの位残っているか?思い起しました。

夕餉の食材調達人のお供で、あかとんぼ邑の交差点に差し掛かると
突然 足元 地面が揺れだしました。左右前後に。
辛うじて 立っている状態です。

電柱と電線 頭上で 揺れに揺れ 波を打っています。

北方向からのバス 停留所に停車した直後です。揺れています。
扉を開きましたら乗客 一斉に飛び出しました。

西方向。生協のワゴン車 大きく左右に揺れ 倒れそうです。
運転手が支えますが敵いません。倒れれば 下敷きになります。
諦めて 避難しました。結果的に車は転倒しませんでした。

その先の秋保石の塀 大きい塊が基礎から上 全てバラバラ崩れ 路上に散乱して通行止めです。
重いのに なぜ崩れたのでしょうか?

前後するブロック塀は 揺れましたが崩れませんでした。鉄筋が効いたのでしょうか?

長い時間 揺れた感じですが、どの位の時間でしたしょうか?
永く感じられました。

拙宅玄関を開けると 下足箱の飾り物等 落下散乱。
書斎の南に面した書架から図書が落下散乱。パソコンは動いて居ませんでした。

西に面した 南北に長い食器棚等は 落下物皆無でした。

これらのことから、地震の揺れ 南北の方向であった の結論に。

水道 まだ出ます。薬缶・鍋等に、浴槽に 貯めました。間もなく断水。
電気もガスも止まりました。

被害状況 情報ストップです。
仏壇の蝋燭の灯りで夕餉。

する事、出来る事ありません。布団に入りました。

真夜中12時頃 電話が鳴りました。黒電話時代の回線です。停電でも通じたのです。
関東圏からの安否確認でした。被害状況の概要を教えて貰いました。

日出と共に起床、指定避難所 市民センター体育館に 河北新報朝刊を貰いに。
被災規模が分かりました。河北新報の懸命の努力に感謝でした。

灯油ストーブで煮炊き 朝食後 瑞鳳殿に。
瑞鳳殿の状況は 2011.03.11からの日誌をご覧ください。



3 月 9 日 (土)  





瑞鳳殿ガイド 2024年初
2023年8月3日以来8ケ月振り。

お客様は、大分県中津市 中津商工会議所御一行様25名。

到着が、松島から仙台に向かう途中 渋滞に巻き込まれ90分遅れ、先が詰まり45分ガイド。
松島・仙台城に瑞鳳殿と仙台宮城三大名所必見の旅で、明日は平泉だそうです。


先ずは、62石段でハアーハアーに、「62段です。なぜ62段か」その意をガイド。

寄付芳名録板前で「1979年再建時の寄付者名簿です。
45年経過した現在、企業の盛衰が見えます」に、早速 お取引先を探す方 数人いました。


最近 お見せしていなかった 発掘調査直後の墓室内部写真を。それに、
殿内の御尊像の写真(創建時・再建時・現在)をお見せ致しました。


殿の左右の殉死者供養碑(宝篋印塔) 特に左側奥から3番目を詳しくガイドしました。

この人は、桑折豊後網長で 政宗公の御側で仕え 生前に殉死の許しを得、6月20日越路路地町大満寺で殉死 時66歳 香華院の瑞鳳寺に祀られています。


「本日の取次役 桑折秀彦様は御子孫で、桑折コンサルタント社長、仙台藩志会副会長を務められています」と 事前了解を頂き 紹介しました。


資料館で、復元され 豊臣(桐)・徳川(葵)紋入りの太刀、頭骨等に、綱村公甕棺を 小声でガイド。


最後、戊辰の役弔魂碑の由来と未来、桑折様から「石田家y来」を説明し、感仙殿・善応殿を参拝。
一行は 次の目的地に向かわれました。
短時間ですが 要点 取りこぼし無く ガイドをしました。


8ケ月振りのガイドで 口の滑りと足腰を心配しましたが、途中から口も滑らかに 足腰も軽くなりました、
健康保持から ガイドはするべき と思いました。

高齢者に見えます。

「お歳は?」のお尋ねが 何人からかありました。

今更 若振り必要はありません。正直に 実年齢(88歳)を申し上げました。
予想が外れたらしく「ヒー」の反応。



一番町藤崎前でバス乗換です。市バス12時台運行ゼロでループルバスに乗りました。
満員ながら3人漸う乗れました。身動き出来ません。観光の気分ではありません。


瑞鳳殿で9割方下車しました。帯となり 瑞鳳殿に至る坂道を登っています。
バス乗車の行列 10mでしょうか?20mでしょうか?長い列です。

乗り切れるでしょうか?
この状態 昼 数時間続くのでは?

続行便直ぐ出す様に出来ないものでしょうか?
寒空に立って20分 30分待たされると 仙台観光に嫌悪感を持たれます。


非公認情報では、瑞鳳殿参拝者 コロナ前の年間最高27万を超え 11ケ月で30万人を超えたそうです。
凄い 人波です。



90分の待機時間を生じました。
境内を一巡しました。工事が3件 施工されていました。

1.瑞鳳殿本殿透かし塀塗装工事です。
瑞鳳殿HPで、左側 黒色 右側 朱色の写真公開していました。
撮影もと期待しましたが 全部  黒色になっていました。
作業は、瑞鳳殿再建時の躯体を担当した松井建設(株)の施工でした。


2.石田家家屋解体工事です。
東側コンクリート塀を撤去 重機が入れる様にして 東側 壁面が撤去された状態です。

解体跡地の利用計画は定まっているでしょうが公開されていません。
ガイドの会新春集いで あかとんぼの希望を発表した所です。

本日 仙台の政財界に精通している 桑折秀彦様に所見(参拝・観光客の為の施設(休憩・トイレ等 併せてガイドの休憩と学習のスペースが欲しい)を申し上げました。
何れ、どんな形でか 芽を出し実現するでしょう。


3.西峰風倒木撤去工事です。
感仙殿の裏山(杉山)の立木が年末からの強風で倒れ 感仙殿壁面に被害を及ぼす状態となり、枝払い・伐採作業が行われています。
杉花粉症対策もあるのか?視界が広がりました。

整備員殿から「ガイドさん あれ 見ました? 気つきました?」と声掛けを。
指を指す先のの景 異様と言うか 初めて見る景色です。
整備員殿の解説 「杉の枝が伐採され 光が御霊屋を直射 反射した結果です」
写真を 表紙に掲載しました。ご覧ください。


4.表参道 杉大木 伐採
62段終わる所 左側の大木 切り倒され 切り株が 露わにあります。
1636年瑞鳳殿創建の前後に植えられた杉 樹齢390から400年と推定されます。

この坂を登り下りした人々を見てきました。その情景を語る口があれば 如何に語るでしょうか?
菅野正道先生の故事祭事「旧中野小切株」を即 思いました。

この残された切り株の保存・活用策を渡部学芸員に尋ねようと思いましたが お休みでした。
日をあらためます。


5.瑞鳳殿だより 経ヶ峯の四季 20号が発刊されました。

本日は充実した日でした。



3 月 7 日 (木)  




快晴なれど気温上がらず ストーブを焚く

経ケ峯 西峰をポイントに散策する計画がありました。
でも、昨日は迄の積雪で中止しました。

正解です。
陽光あれば暖房を使用しませんが 今日は駄目です。寒いです。

5日の故事祭事を読んでいます。
旧中野小の杉 地域見守り年輪刻む

正に歴史を語っている ハナシです。
1947年に伐採された杉に320本の年輪が確認された。

という事は、1627年に芽生えたわけで市史年表を拾い読みすると
1626年 政宗公・忠宗公、宗高を伴い徳川秀忠上洛の先駆けとして京都に。
1637年 若林城 築城許可・5月27日普請開始
1658年 政宗公 若林城に。幕府 江戸芝口日比谷舛形石垣普請命じられる
1629年 四谷用水普請成る
1631年 9月大雨 廣瀬川氾濫 人馬溺死
1632年 1月 徳川秀忠 逝去


この頃 政宗公の晩年期に 伊達家家臣の屋敷に芽生え、
1972年迄中野小の校庭で学童を見守り、伐根が3.11災で発掘され 
現在 宮城野区「蒲生なかの郷愁館」に展示されている。

人生100年の時代と言われるに それよりも長生きの樹齢400年の杉の木を 先生は語っていますす。
 



3 月 3 日 (日)  




仙台名所図会(昭和前期)仙台市博物館蔵

ファイルになりました。図書1,000円以上購入すると1枚贈呈されます。

過日の吉成市民センターでの市史講座の際、「仙台市史」活用資料集VOL7を購入して頂きました。

本日 仙台藩志会理事会に書類を挟み持参したら
あかとんぼさん 「チョット見せて」と。

Aさん 「これ、わが家」
bさん「これです。隣は この図面の通り タンボ」

Cさん「ここ、叔母の家、根白石からの荷馬相手の茶店でした」

くちくち
に7〜80年前 馬車の時代を 皆で語りだしました。

「4月2日に博物館が開館したら 早速買いにいくぞう」の叫び。

仙台藩志会の理事の方々は ・・・・・・



3 月 2 日 (土)  




速報

「経ケ峯 伊達家御廟守 石田家屋敷の解体が始まった」と X1様から速報がありました。
あかとんぼ 8日現地に行く予定です。



3 月 1 日 (金)  



図書

「戊辰戦後の仙台藩(家老)一族 坂家のファミリーヒストリー」

佐藤和賀子 著
吉川弘文館2024.03.01.刊

東北学院大学文学部史学科菊池慶子教授から
「坂英力と母・妻・子女の人生を近代史のなかでたどり、塩竈市に坂病院を開業し地域医療と福祉事業に尽力した
坂一族の歴史を丹念に掘り起こした、誠に読み応えのある書籍です。

私は第一部の「坂英力の生涯」の最終ページで目がウルウル状態になりました。

坂英力の戊辰戦争時の役割、切腹拒否の心情、母と妻の覚悟などは、
従来ほとんど知られていない事実を盛り込んでいます」
とご推薦を頂きました。


坂英力は、明治2年5月19日(1869.06.26.)麻布の伊達家下屋敷で斬刑されました。

毎年10月10日戊辰の役慰霊祭に御子孫の方が見えますが、何も語りません。


「切腹拒否の心情」が記載されているとの事、「負ければ賊軍」政権闘争の敗れ
 全責任を負わされた悔しさがあったと思います。

今迄 語り伝えられて居ない様です。非常に興味のある一項です。


店頭は未だです。即2月28日、通販で購入しました。午前中に注文すると翌日昼 送料込で届きました。
早く、安く手元に届きます。本の購入手段として邪道でしょうが年寄りには助かります。


坂英力の生涯

戊辰戦争の責を負う・・・坂英力の捕縛・斬首の項 16頁 その項目は、

@但木土佐と坂英力/奥羽鎮撫軍、
A仙台に駐屯/奥羽越列藩同盟の会津藩赦免運動/鎮撫総督仙台を去る

B京都への弁明叶わずB/新政府軍との戦闘

C仙台藩の降伏/母、
D英力に自刃を勧める

E英力捕縛される/英力ら東京に護送/獄中の英力
F但木土佐・坂英力、斬首される

G英力が自刃しなかった理由
H遺された家族。

特に、D、E、F、Gの項は、平重道著「戊辰戦争」にも書かれていない 非情な事柄を詳細、赤裸々に記しています。

「目がウルウル状態になった」と菊池慶子先生が語られたのは、この項でしょう。、

戦争は人を狂わし非情になる事を知らしめる記事です。


坂家のファミリーヒストリー

英力の娘の義父(葦名靱負)は、伊達伯爵家の家扶を務め明治29年58歳で亡くなっています。
塩釜に総合病院を設立しています。


坂英力の曾孫 坂和夫氏とは いささかの御縁があります。

伊達家御廟大年寺会の役員をされております。

また、「大年寺山・伊達家 無尽灯廟の墓碑・石灯篭等調査」2018年に報告書を刊行されました。
非常優れた貴重な内容の報告書です。
が非売品で 配布が限定されています。残念です。

毎年10月10日仙台藩志会有志主催の「戊辰の役殉難者慰霊祭」に殉難者末裔で出席頂いております。


読解力が低下し 読み終えるに時間を要しました。

今年の10月10日戊辰の役慰霊祭には、単に慰霊祭で終わることなく 著者佐藤和賀子先生を講師に
講演会を、戊辰の役殉難者慰霊祭仙台藩志会有志会主催か、仙台藩志会伊達学塾主催で開催したいと切に思いました。


本書をご紹介・ご推薦下さいました 東北学院大学文学部史学科菊池慶子教授に感謝申し上げます。
ありがとうございました。





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