2017年10月の日誌
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10 月 31 日 (火)  



宇和島伊達家13代ご当主様

河北新報 特集 独眼竜挑んだ道 に 「今も生きる親子の絆」と題して 語れれています。

何回か 拝謁・謦咳に接しています。その時 感じた お人柄で 生い立ち 宇和島と仙台に対する想いを語れています。

朝 snsに その旨を掲載しました。即 ご夫人さまから 御礼を頂き 恐縮しております。

是非 河北新報記事を 紙か デジタル でご覧ください。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201710/20171031_13033.html



10 月 30 日 (月)  



瑞鳳殿ガイドを募集しています

仙台観光国際協会では、瑞鳳殿ガイドの希望者を募集しています。

講習と実地研修を受講後、来春4月から 瑞鳳殿等でガイドを行う人。

我こそ と思われる方

1.住所
2.氏名(フリガナ)
3.電話・FAX番号
4.年齢
5.応募動機

を記載 仙台観光国際協会 宛

郵便 980-0804 青葉区大町2-2-10
FAX 268-6252
mail info@sentia-sandai.jp

御問合せは 268-9568


本企画は 瑞鳳殿ガイドの会が 仙台観光国際協会にお願いしたもので、座学・実技の お手伝いを致します。

受講後 共に 瑞鳳殿でガイドをしましょう。
三喜 (1.お客様に喜ばれる 2.地域・施設に喜ばれる 3、自分自身の喜び)を 味合いましょう。



政宗の人物像

仙台市政だより は 伊達政宗生誕450年シリーズ として 連載してきました。
今月は 第8回で、仙台市教育委員会文化財課長 長島栄一先生が 書かれています。

先生ならではの記述は、

多くの副葬品が出土しました。
遺体は仙台城下を一望する方向に向け、参拝者に背を向ける形で埋葬されていました。

それは なぜか? あかとんぼ のガイドを聞いてください。



10 月 29 日 (日)  



仙台藩志会「田村家墓所と居館跡を訪ねる」

本日 開催しました。
行程は
1.大慈山祥雲寺・・・田村家墓所、長谷観音堂、田村記念館、保性院廟、伊達兵部関連墓石、輪転一切経蔵 参拝・見学
2.白馬山願成寺・・・伊達兵部関連墓石(1985年再建)
3.講話 ・・・伊達家と田村家の関り 前一関市博物館長大島晃一氏 (藩物語 一関藩 著者)
4.旧沼田家武家住宅(一関市指定文化財) 見学
5.田村家居館跡  遺跡(土塁・心ケ池)見学
6.一関城址(釣山公園)・・・降雨激しく 落葉で滑り易く 脚に自信のある方 数名のみ 田村神社を参拝。
7.一関博物館・・・展示 見学
8.講話 ・・・一関から見た寛文事件 一関市博物館相馬学芸員

車中で 2016年10月5日実施 瑞鳳殿ガイド会研修 資料で あかとんぼ 「田村家墓所と居館跡」の概略を説明。

一関から
田村家56世16代 田村護顕(モリアキ)様御夫妻
一関藩志会会長 小山眞様御夫妻
一関藩志会事務局長 赤塚喜恵子様
一関市文化財課長 佐藤武生 様

仙台・東京から
田村家血脈の方

が、出席され 案内・説明をして頂きました。
ご配慮に厚く御礼申し上げます。

総括
雨で .大慈山祥雲寺での参拝・見学が あかとんぼの計画以下で有ったのが残念。



10 月 28 日 (土)  



行楽の秋

お客様 大団体、小団体、家族一団、友人同士等 怒涛の如く お見えになりました。
感謝です。

英語圏のお客様にガイド出来る仲間 2人 待機していました。が、何故か それらしきお客様に お見えになりませんでした。
あかとんぼ 2組 5人で終わりました。
原因はJTB当番です。約40分の待機中に お客様をガイドする機会のツキが 落ちてしまうにあります。

特記事項

路線バス 向山で下車 瑞鳳殿の裏口 職員駐車場を経由し参拝に 山口市から見えました。
この後 愛宕神社を参拝する との事。思わず 「なぜ?」 お客様も 「なぜ?」

「通常の観光コースではありません。古刹 で由緒あります。お詣りしてください。路線バスで2停留所から 500m位歩きます」
「では まず 瑞鳳寺を参拝して それから」  健脚です。


午後 仙台市博物館に

伊達政宗生誕450年記念 記念講演会

演題 伊達政宗と親族
講師 淑徳大学 人文学部准教授 遠藤ゆり子 氏

内容 親族(一門・家族)の動向から 家権力としてのに注目
    詳細は 前例に倣い記載しません。

感想 先生の講義拝聴は 2回目 始めては 白石市での(遠藤家文書)講義でした。
    先生は 東北の中世史 伊達氏と戦国争乱 吉川弘文館刊 に 論文「戦国時代の東北」東北と統一権力」を発表 全体編集をしています。


演題 伊達政宗と奥羽の大名たち
講師 福島県立博物館学芸員 高橋充 先生

内容 1584(天正12)年10月政宗公が家督を継いだ頃の南奥羽16家の変遷
    詳細は前例に倣い記載しません。

感想 (博物館展示で古文書を読まず見て楽しむコツ) これは今迄 誰も教えてくれなかった秘策 有難い
    先生は 東北の中世史 東北近世の胎動 吉川弘文館刊 に 論文「転換する東北」「奥羽仕置」を発表 全体編集をしています。


両先生 40代の若手で新鮮です。
仙台市博物館企画展 見直しします。



10 月 26 日 (木)  



明治青年大学史学部

講師 東北学院大学文学部歴史学科 菊池慶子教授
演題 歴史のなかの老いと看取り

内容 前例に倣い記載しません。
    レジュメは 高齢者を意識した読みやすい編集。別冊 史料4頁9点


感想

先生の切々と 105分の講義。情感が籠り 先生泣き出すのではと懸念する位でした。

日本は 高齢化が進行しており 2017年 人口の5分の1が高齢者である。
歴史学の視点では? 看取り 看取られ の関係性は 時代の構造がある。


死は 肉体が滅ぶ 物理的問題。 霊 となる 不滅の始りである。 先祖の位置づけ
あかとんぼ 極老となり 両親・先祖の墓詣り 段々 行けなくなる事に 先祖の位置づけ から どの様に認識すべきか悩みます。


江戸時代250年 現在70年 戦争が無い・・・長命化の進行
仙台藩の年齢規定 65歳以上の 男を (老男) 60歳以上の 女を (老女)  
80歳以上を (極老){ゴクロウ}  まさに (ご苦労様でした) と 敬ったのでしょうか。


定年退職の制度は無い  ただし 隠居の年齢基準は 幕府70歳 伊達家65歳.
現在 年金支給年齢が後ずさりし 実質 定年退職制度は崩れ始めているのは 江戸時代に逆行しているのでしょうか?


看取りは 子供 兄弟 親戚 地域 職場が連携して行った。
あかとんぼ の親兄弟全て旅立ちました。あかとんぼ も 施設の世話になり 旅立ち する事になるでしょう。 
江戸時代に比較し 寂しい限りです。然し それが 現実。


先生は 極老の父親を看取った状況を切々と語りました。
古文書を 読む年代(経験加味)で 理解内容が 変わると申しました。


あかとんぼ 極老に なり 昔の老人の言動を 理解できるようになりました。
只 理解していない事は 政宗公が 臨終間際に 正室愛姫の面会(最後の別れ)を 断ったその心情です。



10 月 25 日 (水)  



陸奥国分寺

741(天平13)年 聖武天皇の命で創建されました。
869(貞観11)年 地震・津波の復旧工事で堂塔の瓦が葺き替え、鮮やかの彩色をされました。
戦国時代 國分氏の庇護を最後に荒廃を強めていました。
1607(慶長12)年 政宗公は、この寺の中心となる薬師堂を完成させました。

1922(大正11)年 国史跡に指定されました。
仙台市文化財課は、長年 発掘調査を行い、史跡を案内するガイドを養成して来ました。
その団体が 「陸奥国分寺薬師堂ボランティアガイド会」です。
瑞鳳殿ガイドの会と異なり、廃寺跡の礎石と発掘された瓦で 陸奥国分寺址をガイドをしております。
そのガイド技法・能力に 敬服しております。

この会の勉強会が本日 催されました。

主題  瓦と瓦窯跡 を訪る
訪先
 涌谷町     追戸・中野横穴墓群、 天平産金遺跡 (天平ろまん館 黄金山神社)
 大崎市田尻  木戸瓦窯跡
 栗原市築館  伊治(コレハリ)城址 栗原市出土文化財管理センター
 加美町     城生柵址、菜切谷廃寺跡
 色麻町     日の出山瓦窯跡 農業伝習館(瓦保存施設)


参加は18名で、その中には 陸奥国分寺薬師堂以外(北山ガイドボランティア、仙台市博物館ガイド三の丸会、仙台駅東口ガイド会)で 主力で活躍している方 いまして 官製ネットワーク会議では無い 意見交換を行いました。

先祖の偉大 を実感しました。紙上 教科書の知識は 現地で確認すれば 初めて理解できる を実感しました。
之を 瑞鳳殿ガイドに如何に 役立てるか?



10 月 23 日 (月)  



台風一過?

台風のヒソが朝方 宮城県東部を通過しました。
東北大学講義棟が閉鎖になり、「古文書講座 本日の講座 休講します」と 講師の高橋陽一先生からmailがありました。

200人を越す 受講生に 連絡は 矢張りmailでしょう。
はて、交通機関 相次いで 運休になっており 先生は どの様にして 登校できたのでしょうか?


「瑞鳳殿 に お客様 沢山 参拝に見えている」と ガイド仲間のUさんから 連絡が ありました。
交通手段 どのようにして お出でになられたか?
有難いことです。


大香炉

本殿前 左右に 奉納されています。
土・日・祝日 左側 香炉のみ 火種があり 献香出来ます。

之を奉納したのは市内の 株式会社タゼンで 前社長の時代です。
銅器職人で 副社長の田中善氏が 仙臺暖簾を守る会 の全面広告で 次の様に語っています。

タゼンの初代は 伊達政宗公に招致された御銅師(おんあかがねし/銅の彫金工)と言う職人です。
私は 直感的に御銅師の道を選び、15歳からひたすら銅を叩き続けました。
最近では、伊達政宗公生誕450年を記念して、瑞鳳殿の銅製大香炉の改修工事を会社の若い世代と共に取り組みました


大香炉は 3.11地震で 打撲傷を負いました。
見事に 傷は癒え 全体が 銅(アカガネ)特有の輝き ピカピカになり 帰ってきました。
あかとんぼは ありのまま タゼンと明言し ガイドをしています。



10 月 22 日 (日)  



大型台風21号

この台風の影響でしょうか?大雨です。
ボラガイド支援機構から「この大雨でもガイドに行くの? お客様 来るの?」

お客様は 2.3月前から ホテル・航空券を手配されいます。降る 降らないは 運です。来ます。
伊達政宗公生誕450年記念 観光ガイドと行く 伊達な名所巡り 2日目です。責任があります。


来ました。
9時 20余人の団体。

「どちらからのお客様ですか? どんな団体ですか?」
「個人情報です。云われません」 その様に言われれば それまでです。

伊達家関連等 話題を求め 興味深いガイドを目指す 策は断たれました。それなりに ガイドをしました。
幹事 兎に角 せわしい方です。ガイド中途から 口を出します。


続いて 関東圏の10人程
「9時開門なので 先に仙台城を見学して来ました」との事
拝殿で フアイルを広げ 説明をしました。政宗公フアンでしょうか。満足された様子。気持ちに余裕のある方々でした。


宮北バス(本社 気仙沼市) バスガイド嬢 ほ 模範生です。拝殿まで 同行し、お客さを見守っています。
同業他社のガイド嬢は 涅槃門で お客を放り出すのが ほぼ全てです。

担当ガイはドは S嬢です。 ガイドの調子 登り調子です。バスガイド嬢 心配になった様子。
「サインを出すと ピタリ合わせます」に 頃合いを図り サイン(後5分)を。

「どちらからお客様ですか?熱心に聞いていますネ」
今日もアメだったの 長崎です」 なかなかの 切り返し。

所で 台風の影響 飛行機 飛んだでしょうか?


静岡からの御夫妻二組に 金沢市からの御夫妻と連続。

金沢のお客様 始め 難しい顔をしていました。

「金沢ですか? 前田家の墓所参拝しました。自衛隊駐屯地から 更に奥地 野田山の山頂に前田家の墓所。
加賀100万石 62万石以上と 期待しましたが?麓 中腹には 家臣の墓所。 無縁墓地化でしょうか?草茫々が数ありました」

「そうです。そして 熊が出ます。注意してください。
御正室のは 別にあり 豪華五重塔で 現在 国宝に申請中です。詳しい事はWEBで検索してください。

今日はガイドをして貰い 一別一見 では 分からない事 教えて貰い 楽しかった。
全国を旅行しているが 予約無し 無料で マンツーマンでのガイドは 初めてです」  (有難いお言葉)


南米コロンビア国の 30代(日本人換算)のお嬢さんとオトモダチ?になりました。
拝殿を中心に四方を撮影していました。 本殿 全景 あかとんぼが最良と思う位置を案内したら 喜んで 連写 話かけて来ました。

コロンビア国の方 2004.10.24. 2006.10.08.と 月日忘れましたが或日 3回ガイドをしています。
コロンビアの硬貨(日本の10円玉相当)を 記念に頂いた事があります。


本日 答られなかった 質問

此処の補修工事の経歴と工事費を。

2000年に 1ケ年 1億円 要した工事をしております。それ以外は。


12時頃 うす暗く と言うより 暗黒に なって来ました。
「照明 点灯 必要かな」と 事務室から聞こえてきました。

午前 大雨なので 四阿で 待機していました。暗くて お客様からは ガイドが居る と見えません。
頭上の ライト(電球)2ケあります。「点灯なりませんか?」に 

「ライトアップ時のもので 系統が異なり」で 素直に引き去り 拝殿での 待機に切り替えました。



10 月 21 日 (土)  



伊達な名所めぐりクイズスタンプラリー 開始

主催 公益財団法人仙台観光国際協会
期日 2017年10月21日〜11月12日迄の土日祝日9日間

瑞鳳殿で クイズに答え スタンプ(NO1)を貰い 仙台市博物館等で 同様に クイズに答え スタンプを貰い 東日本鉄道株式会社 仙台駅構内の公益財団法人仙台観光国際協会窓口に持参すると 先着200人が賞品を貰えるものです。

9時前 瑞鳳殿職員と最終打合せ。
1.ラリー用紙 所定欄に(NO1)印をスタンプする
2..スタンプ 1個は ガイドの会 今1個は 瑞鳳殿で 管理する
3.(NO1)印のスタンプが無い用紙を持参し 求められたら それぞれが対応する
4.ガイドの会会員は お客様に 積極的に スタンプ押印済用紙を配布し 且 クイズの答えを教える

9時 開門と同時に 配布を開始しました。

間もなく、公益財団法人仙台観光国際協会の担当者2名 状況確認に 見えました。


三世代5人等 3組をガイドしました。3組目11時は 本殿前で雨が降り始め (拝殿に下がりましょう)の提案を受け入れて頂けませんでした 政宗公尊像写真を見る事無く散会しました。


母娘 
母親は語ります。
群馬から 夜行バスで来 仙台市内1日乗り放題バス券を購入しました。
真っ先に 目的の瑞鳳殿に。午前中を 此処で。

、午後 仙台市博物館での政宗展と仙台城に政宗公を探り、夜行バスで帰るゼロ泊2日の行程です。

娘のカメラ 素晴らしいでしょう。今日 政宗公を撮影するため ボーナス全額を投入したもの。(大口経、長尺 高価そう)

娘に「満足しただろ。良い婿見つけて結婚して。最早 20代後半でしょう」 と 大きい声で 呟いています。

「ハー」のあかとんぼの声にハタと
「政宗公に夢中の娘には 政宗公の墓前でなければ 親の気持ちを 素直に伝えられないのよ」

「政宗公の様な 伊達男の婿様 捕まえられると いいですね」 


資料館 企画展 「政宗公の文具」が 始まりました。
展示品に 政宗公墓室から発見された「竜頭模様」の文鎮があります。
レプリカ 現在も 販売中です。



10 月 20 日 (金)  



瑞鳳殿「推移に注意」

河北新報朝刊に 二段抜き 大文字

記事の概要
仙台市の28外郭団体の経営評価を公表した。
その結果、公益財団法人瑞鳳殿の財務状況を4段階の下から2番目の「経営状況の推移に注意が必要」と判断した。
15年振りに実施した大規模修繕の費用が増加した。
修繕費を除けば経営状況が悪化しているとは言えないが、老朽化に伴う修繕費の発生状況を注視する必要がある。


一市民として 年間100余日 18年間 訪れている目からして 妥当 な評価と思います。

震災での被害 木造建築でない故の深層被害が 又 経年劣化による被害が これらが表面化し 莫大な修繕費の発生に なるでしょう。
大変な事です。

公益財団法人理事皆様の 有効適切な対応を 見守るのみです。



10 月 17 日 (火)  





仙台市博物館企画展 「伊達政宗 生誕450年記念」展
総力を結集され 政宗公中心に (これもか?)と言う位の展示です。


あかとんぼ 大好きの「紫羅背板地五色乱星模様陣羽織」は、政宗公所用と伝えられていたが、18世紀頃と判明したと、図録解説に 佐々木徹学芸員が記載しています。

故に、「山形文様陣羽織」は 展示されていますが、「紫羅背板地五色乱星模様陣羽織」は展示されていません。

刀剣は、
@太刀 宇佐美長光 伊達市教育委員会
A太刀 片倉小十郎景綱・重綱所用 仙台市博物館

の 2刀の刀のみ展示されていました。鍔は 見当たりませんでした。

図録解説にAには 「よしたけん丸」の透かしのある鍔 付属する」と解説にありました。



宇和島伊達博物館では10月29日迄、秋の企画展「伊達×刀剣」展を開催しています。
宇和島伊達家歴代当主の甲冑10領が一堂に展示されている。
宇和島出身の日本一の鍔作家 山下秀文さんの作品が展示されています。また、11日19日制作の実演が行われました。

この項は 宇和島伊達家13代伊達宗信夫人(藤原実紀)が Facebook に鍔の写真と共に 紹介されています。

鍔 見事とです。あまりの見事に圧倒されました。(写真転載の技能が無くできません。ご勘弁を)


宇和島伊達家始祖伊達秀宗公の父親は、伊達政宗公です。
でも、政宗公生誕450年記念 の字句・催事が 見当たりません。何故でしょうか?



10 月 16 日 (月)  



お客様

お客様は 全世界からお出でになります。
あかとんぼは 日本語専門です。

日本語が通ずるお客様でも 性別・年齢・生活体験・趣味嗜好 等々 十人十色です。

10人以下を もっぱらガイドをしています。対話形式 反応を確認しながらガイドをしております。
ガイド内容の9割はご理解頂けると思っています。

昨日の愛宕中学卒業生の場合の様に 時間を忘れて ガイドをしました。 ガイド冥利 欣快であります。
全てが こうでないのが現実です。それも ガイドの楽しみでもあります。


数日前 会員から葉書がありました。
「実地研修資料入りの記名封筒 ベンチに置いて ガイドをしたら 開封され 一般的有価物が抜かれた。
置いた不注意もあるが、嘆かわしい」 と。


あかとんぼの経験として 手持資料ファイル 持ちされがあります。

ベンチに置いて お客様と話をいて 振り返ったら ありません。券売口と反対方向に 持ち歩いている人を発見し返して貰いました。
置くのが悪い と云われました。

確かに そうかもしれません。



10 月 15 日 (日)  



参拝のお客様の出足は早いです。

9時10分 三々五々 登って来ました。
「案内人が居る 案内して貰おうー」 全員 「オー」
「どちらから お越しですか?」
「八王子です」 
「その先に あきる野市があります。伊達家と関係が深いです」

「天正18(1590)年4月7日 弟 小次郎を切ったと伝えられていますが、最近の研究では (大悲願寺の僧侶になり 政宗公と再会してのでは?)と 伝えられています。」と ガイドしました。 しっかりとメモをしていました。 訪れるでしょう。

仙台の人では無いと申しながら ガイドを聞かないで 色々 語る方がいました。
1952年生れ 愛宕中学校卒業生。同級会を 経ケ峯中腹の温泉旅館天龍閣で催し 有志が参拝に来たと 問わず語りました。

「私は幼少期 霊屋下に住まいしており、お寺は 瑞鳳寺です。母親は よく瑞鳳殿を参拝したものだ。その際 柏手を打つと 全山に木魂したと語っていました」

「ご健在ですか?お会いして 70年前 焼失する前 国宝時代の瑞鳳殿の様子をお聞きしたいですが?」
「今は 瑞鳳寺の境内 終の棲家で休んでいます」 そうかも。

「瑞鳳殿が再建される前 幼少期 此処が遊び場であった。
裏(現在 仙台市公園課が土留工事現場)から登った。
木柱 一本あるだけで 何もなかった。最後 裏の急傾斜を尻で滑り降りた。懐かしい」
と 口々に。

国宝時代と再建前の全景写真(手持資料) を 皆様 交互に撮影されました。

久々に 満開上人供養碑も 案内しました。
黒沼伝説を語りましたが 予想した反応は ありませんでした。

幼少期 は5歳前後でしょうか? 60年前の世界です。愛宕中学の校舎は建て替えられて居たでしょう。
懐かしい の想いを感じて居たようです

ガイド後 時計をみたら 90分経過していました。

この後 3回の出番。

感仙殿地区に。14時からの 奉納 能 の準備完了していました。
鑑賞のお誘いを頂いておりましたが、午後 仙台藩志会用務があり 惜泪の想いで 失礼しました。



10 月 14 日 (土)  



仙台藩志会 伊達学塾

講師 東北大学大学院文学研究科准教授 籠橋俊光先生
演題 伊達様の贈り物

内容は 前例に倣い記載しません。
之までの講座とは 視点が異なり非常に新鮮でした。

プロジェクトター設営ミスから パワーポイント使用前提でしたが 急遽 無しになりました。
レジュメの外 史料編(6頁)で 110分 熱心に講義を頂きました。
先生の見事な対応に 感謝です。それでも 非難した人がいました。

散会後 出席者から 籠橋俊光先生の講演を 再度 企画して欲しいの感想を頂きました。
企画した者として 有難い お言葉です。

仙台市博物館菅野正道先生にご紹介頂き、お願いに参上して際 

「何を講演すれば よろしいでしょうか?
直前の7月 市史講座で 「伊達政宗と百姓・村」と題して講演します。

専門は、日本近世史 特に 村落史・地域社会史を研究しています。内容が 重複すれば マズイですネ」に

「聴講者が 全員 重複しませんから 大丈夫です。先生にご一任しますので 宜しくお願い致します」

で決まりましたのが 本日の演題です。

大名にとって 贈り物 とはなにか?
政治的なもの、組織、民・地域振興から、 見れば・・・ 命がかかっている。

当然ながら 我々のご中元・お歳暮 の発想を超越したものです。



時代考証学会 第4回フォーラムIN仙台(2014年開催)に 菅野正道先生、菊池慶子先生のお世話で 市民の立場(瑞鳳殿ガイド)として あかとんぼ 語らせて頂きました。

「このIN仙台を 仙台に誘致したのは 私です。あかとんぼ みています」と 名乗れました方 時代考証学会会員の齋藤敦子様です。

籠橋俊光先生が前任の東北歴史博物館で勤務した際 共に働いてとの事で 籠橋先生のご了解を得 講師を囲む会に参加して頂きました。


人生100%の出来でなくとも有意義な日でした。、



10 月 12 日 (木)  



政宗公生誕地の学童に

仙台藩志会では、
今夏 仙台市博物館が刊行した「よくわかる伊達政宗」 (A4版 16頁 400円 仙台市内小学5・6年生仙台市図書館に配布)を 
昨11日 米沢市立南原小学校に持参し  5・6年生対象に 同地区出身 推野健作氏が講師となり課外授業を 行いました。

米沢市では 政宗公が 1567年9月5日(永禄10年8月3日) 出羽國置賜郡長井荘米澤で生誕した事 今年が450年である事を 
米沢市長初めて市民が よく認識していない事が 分かり 今回の催事に至りました。

仙台藩志会鈴木総務部長、大槻広報部長は、
米沢市立南原小学校のほか館山城保存会、館山寺、小野川温泉組合、米沢商工会議所を訪問 広報しました。

その際 「政宗公は経ケ峯 瑞鳳殿に祀られている。仙台藩志会会員がガイドをしている」と 付言されたかが 定かでありません。



10 月 11 日 (水)  



石母田宗頼と石母田正

7日日誌に 石母田宗頼 について記載しました

「石母田宗頼とは石母田正さんと関係ありますか?中世性的世界の形成という歴史の本を書いた人です」と 読者からお訊ねを頂きました。


石母田大膳宗頼(1584-1647)は、
戦国大名朝倉家の旧臣の家に生まれ、豊臣秀吉甥・小早川秀秋の客臣となり、政宗公に引抜かれ、伊達氏重臣石母田家の婿養子になった。

1600年白石城攻めの際、16歳ながら戦功をあげた。以後 大坂夏の陣でも 武名を高めた。
これが評価されて 北端要衝の地 水澤城・岩ケ崎城を任された。
数千石の禄ながら 1万石以上の大名が配される格の城を任されたのは 政宗公の評価 なみなみならぬを示している。

石母田宗頼の真骨頂は武人としての素質よりも優れた行政官と云う点にある。
政宗公晩年から忠宗公治世初期にかけて約20年間 筆頭奉行として仙台藩を支えた。

と、菅野正道先生は、仙台闊歩 11月号で 紹介されています。


石母田正 について あかとんぼ は全く知識皆無です。


石母田 正(1912年9月9日 - 1986年1月18日)は、日本史学者。専攻は古代史および中世史で、多数の著作・論文がある。唯物史観の観点から多くの論文・著作を発表、戦後の歴史学に多大な影響を与えた。
歴史学を志した人々の多くが石母田の著書(特に「中世的世界の形成」)を読んだことにより、歴史学を専攻する道を選んだと述べている。

父正輔は旧仙台藩出身で、石巻の町長・市長を長く務め二高を経て、東京帝国大学文学部西洋哲学科に入学

とウイキペデイアで 紹介しています。


石母田家は 子孫繁栄 歴代 別家を立て それぞれ現在に至っています。

仙台藩歴史事典によれば、

一家 5000石 高清水村(要害)  石母田勘解由
一族 1000石 栗原郡櫻目村    石母田滝口
召出 一番座 651石 (在郷屋敷・名不明)
召出 一番座 231石 (在郷屋敷・名不明)
召出 一番座 250石 (在郷屋敷・名不明)

大番組に
230石 石母田鉄五郎
 48石 石母田宇左衛門
650石 石母田権兵衛
 69石 石母田勘十郎
250石 石母田平太郎
 54石 石母田左右平


石母田正の石母田家の始祖は、
伊達家始祖 朝宗が伊達郡に移住した際、伊達郡石母田城に居住した 石母田安房守光頼です。
光頼の末裔 三郎左衛門に始まる 宮城郡芋沢村の石母田家が 石母田正の本家です。

幕末に200石程度が任命される勘定奉行を務めています。
明治時代 別家となり 初代石巻市長 石母田正助輔の次男が 石母田正 です。

宮城県姓氏大辞典に依りました。 


あかとんぼ の結論

石母田家 一族であるが 血は 繋がって 居ない になりました。

お訊ねくださいました 読者様に 感謝致します。



10 月 10 日 (火)  



戊辰の役149年慰霊祭

経ケ峯 弔魂碑前で 9時55分から 仙台藩志会有志で催されました。

村井嘉浩宮城県知事が参列  殉難者1260余名に 謝辞を述べられました。

日本人 宮城県住民として 正鵠を得ていると 感じました。
全文を掲載出来ないのが残念です。

一関藩志会赤塚喜恵子事務局長が 初めて参列されました。
赤塚喜恵子氏は、戊辰の役に於ける田村家の事柄、越後長岡の牧野家家臣が田村家領まで逃避した事柄を仔細に調べています。
なぜ 今まで出席され無かったか 不思議です。

主な出席者

1.伊達家18代御当主 
2.宮城県知事
3.宮城県観光課課長補佐
4.仙台市観光課課
5.仙台市市議会議長
6.土井前衆議院議員代理
7.中沢宮城県議会議員
8.戊辰の役殉難者後裔会代表


終了後 ガイド

小学生とその両親に祖父母2組の3世代 8人
孫の 期末休みを利用して 祖父母が 仙台に集結し 仙台市内観光です。

他県からです。念の為 
政宗公の生年月日 生誕地 最後の戦国武将で 時の最高権力者との交流 没年月日 歿地 を語り、ここに 葬られています

を語り 桃山様式の建築美 彫刻の美(透かし彫) 拝殿扁額の色材・・・と。

本殿参拝後 本殿について 語る前  赤とんぼは お客様の最年長と見れる方を ある場所に誘導します。
新年拝礼式、遠忌法要の際 御当主 お立ちになる位置です。

なぜ 此処を案内したか 説明すると 皆様 喜ばれ 真剣に聞いて頂いております。
本日も 「御高齢の方 こちらに どうぞ」 と 案内したら 爺様 二人 譲りあっていました。その心理 駆け引きは?

このガイド 60分要しました。

先般のある団体 20分でガイドしての ご依頼でした。 依頼に答えました。
内容は 当然 三分に一になります。

お客様にも 不完全燃焼の方 居たらしく 反省会で その旨の発言があったと 風の噂で 流れて来ました。 



10 月 9 日 (月)  



和太鼓演奏

和太鼓演奏(族 -tamara- with friends)の演奏会が 感仙殿地区広場で13時から 篝火を焚き 催されています。

昨日から 大型トラックで 太鼓が運び込まれ、今朝早くから 経ケ峯全山に 練習での太鼓の音が響いていました。

あかとんぼ 聞きたいと思いながら 第二駐車場からの登り10分と 連続60分ガイド3本で 気力体力ゼロベースになり 後30分待てが出来ず断念しました。

Facebookでの zuihodenさんの動画を期待しています。
即 発信されました。


1番のお客様 東京からの御夫妻
ガイドを頼まれた際 お客様 海軍スタイルで 依頼されました。驚き あかとんぼも 起立・礼 で お引き受けしました。

ガイド 折々の反応から 政宗公のについて 知識がおありで 故に 墓所参拝をされた様子。
御尊顔の説明で 独眼に至った時 御夫人から「ウチは眼科医です」の紹介。

「政宗公が独眼になった起因 天然痘は根絶した 又 失明に至る看病ミスは 現在では 起こり得ないでしょう。
現在の医学では 視力が回復出来ると 聞いていますが 如何でしょうか?」

と お尋ねしました。

「その通りです。手術可能で 視力は回復できます」と 明快なご回答を頂きました

政宗公の目について 眼科医と 初めて 語りました。


数分後 目の綺麗なご婦人 3人。
「ガイドたのみたいですが?」 階段途中まで登っていましたが 涅槃門正面から ガイド始めましたら 程なく先程の東京からの御夫妻が。

「ウチの職員です。よろしく」と
医院の看護婦さんでしょうか?
「先生との 待ち合わせ時刻が 有るので 見るべきもの重点に お願いします」

帰りの車中での会話 ガイドに どんな 評がなされたでしょう。


最後のお客様は 埼玉からの 女医さんが率いる働き盛り年齢のご婦人集団。10人程 

涅槃門での 麒麟の彫刻 説明の際 「タマガヒトツです」と云ってしまいました。 即 過大な反応をされた方がいました。
お仲間が それに 過剰反応されました。

女医さん と その一団で 「タマ」に反応する 診察科目は なにでしょうか。


今日は お医者様と看護婦さん 医療関係者に ガイドで終わりました。



10 月 8 日 (日)  



秋うらら

歴美女 集団で 参拝に見えました。

昨日の白石での(片倉小十郎鬼祭)参加者でしょうか?
昨年までは (鬼小十郎が寄進した 灯篭がある筈  ドレドレ) と叫びましたが、何故か?今年は皆無です。

着衣は 賑やかでも 行動は静粛でした。


腰が曲がり 杖をついた お爺さんとお婆さんが 朝一です。
「どちらから?」
「茨城県です」

此処から 伊達家発祥の地 筑西市に 1万石 陣屋のあった竜ケ崎市と 語り 本殿迄ご案内しました。

爺婆が 香取神宮 の鹿島で、夫婦が鹿児島、孫が 東北大学工学部で 本日は 孫の激励に 三世代が仙台に集結し 政宗公のご加護祈願にお出でになられたとの事。正しく 孫は 参拝に見えませんでした。


JTB当番は やはり カラフリ。
でも 時間に余裕のある 札幌、大坂、東京の方々に 標準時間でのガイドをしました。


12時 仙台市ガイドネットワーク会議結果報告を聞き、伊達な名所めぐり・スタンプラリーの対応を両副会長ほかで 協議しました。


仙台市博物館 生誕450年記念 特別展 伊達政宗   

ある人の感想

@ 館蔵品等で これまで展示されなかった 眞品 が勢揃いしています。
A @故にか 学芸員が これまでにない 獅子奮迅の働きしています。(三の丸会会員出番が無くなったのか?)

あかとんぼ 12日13時 見学に行きます。



岩沼市史

岩沼市史 7 資料編W 近代 が2017.3.31.刊行されました。なかなか面白い。

岩沼には要害があり、鵜が崎城ないし武隈館とも呼ばれていました。
明治8年士族 旧館主 古内廣直に払下られました。

岩沼小学校 創立100周年記念誌 蛍雪百年を1973年に発行し、

大正2年卒の古内広直氏(岩沼町長・市長歴任)が「意地ッ張次男ぺ行状記」
大正7年12月に生まれた 妹の千石鏡子(あきこ)さんが 「明治・大正時代における古内家の様子 千石鏡子氏に聞く」
の2本が掲載されています。

最後の要害主 岩沼の殿様の 孫(?)が語る お話は興味深いものがあります。
市史が刊行された暁 通史に 如何様に反映されるでしょう。



10 月 7 日 (土)  



雨の中

平成29年度仙台市文化遺産活性化事業 東口ガイドボランテイア「宮城野さんぽみち」の案内人と巡る「まち歩きモニターツアー」

なる長尺タイトル事業 で 瑞鳳殿ガイドを依頼されました。

ループルバス初便で 役員共々30人程 大雨の中 お出で頂きました。

「大雨の中 1567年9月5日生まれ 450年の伊達政宗公の御霊屋 瑞鳳殿にお詣りに お出で頂きありがとうございます。
通常 瑞鳳殿のみで 60分 経ケ峯全体で120分を 要しております。本日は20分でとの事 ほんのさわり ポイントのみ 語ります。

晴天の日 改めて 時間に余裕を持たれ お出で下さい。この五色乱星の陣羽織の者が 丁寧に説明致します」
と 挨拶 瑞鳳殿を約束の20分で。

東口ガイドボランテイア「宮城野さんぽみち」の 本拠ガイド地は 「政岡墓所」です。
そこには、感仙殿の忠宗公の正室 振姫、善応殿の綱村公の側室 三澤初子、 4代綱村公の正室 仙姫 が祀られています。

折角です。今後の東口ガイドにお役に立てばと 感仙殿と善応殿に 妙運界廟を 10分満たない時間で 案内しました。

大雨と短時間  紅葉の頃 時間に余裕を持たれ お出で下さば 幸いです。

伊達家史跡の管理責任者が モニターツアーに参加するとの情報がありました。
仙台市博物館企画展 大政宗展 の開会式に 参列されたか 瑞鳳殿には お見えになりませんでした。


全身 ずぶ濡れになりましたので 本日のガイドは 早々に終わりました。



帰路 書店に立ち寄り 仙台闊歩11月号を購入しました。
昨日 日誌を書き終えた直後 ある方から電話

@仙台闊歩11月号は 城下なら販売している。
A菅野正道先生は 政宗が目指したもの 450年目の再検証 と 歴史のさんぽ道・石母田宗頼 の 2本 書かれている。
B伊達領内の紅葉を紹介しているが、経ケ峯の紅葉を紹介していない、怪しからん。


あかとんぼ は「経ケ峯の紅葉は 京都に勝るとも 劣らない です」と 写真を お客様に紹介しています。
Bは 同感です。「マスコミに広報を 宜しく」と 電話くださった方に お願いしました。



10 月 6 日 (金)  



ツイテ居ない

昨日の実地研修で頂いた資料の整理に追われる。

市史せんだい 27号 特集 伊達政宗生誕450年 が本日発刊された。
菅野正道先生論文掲載の雑誌 仙台闊歩10月号が発売された。

の情報が到達しました。
されば、昨日話題になった 「留守政景とその武将」掛け軸を 見て、売店にて 図書購入すればと 仙台市博物館に。

市史せんだい27号は ありました。
1.論文 伊達政宗と母義姫  毒殺未遂事件と弟殺害について  佐藤憲一
2.論文 『伊達天正日記』所収「野臥日記」の一考察 政宗による民衆の軍事動員を考えるために  遠藤ゆり子
3.論文 伊達政宗の顕彰と青葉神社  栗原伸一郎
4.ノート 伊達政宗の茶畑 菅野正道

佐藤憲一・菅野正道 両先生のは これまで講演で拝聴したもの
栗原伸一郎先生のは 宮城県公文書館だより 31号掲載で拝見したもの

であれば 遠藤ゆり子先生論文は 初見であり 楽しみです。
 
駐車場 ガラガラ 不思議?

大政宗展は 明日からでした。発売されている仙台闊歩9月号で購入済のものでした。
明日の記念講演会「伊達政宗と豊臣秀吉」も 抽選で敗れました。

仙台市博物館 とに ここ最近 ツキが 落ちているようです。



仙台市政だより

10月号表紙 巻頭写真  涅槃門前で 市民の勉強会の様子が掲載されました。

ある方から「瑞鳳殿でシッカリとガイドをしているのか? あの写真は ナニゴト」と云われました。

そう云われても 困惑するのみです。

瑞鳳殿ガイドは 三方得(お客様・瑞鳳殿・ガイド)が 喜ばれるガイドを目指し 研鑽・努力しています。
我々の活動は 公益財団法人瑞鳳殿からの報告のほか 仙台市文化観光局長、観光課長、賑わい創出係長に面談報告、公益財団法人仙台観光国際協会との会議・連携で 伝えております。

広報課が 如何なる基準で 掲載されているか 図り知れません。広報課の為に、広報表紙掲載目的にガイドをしておりません。
瑞鳳殿ガイドの会の活動を 心配されての お言葉でしょう。有難いですが 困惑します。



10 月 5 日 (木)  



瑞鳳殿ガイドの会 実地研修

伊達家御一門を知る 第5回

水澤伊達家及び岩谷堂伊達家の御廟所と仙台藩北辺の要害跡を訪ねる

参加  21会員、助言者として公益財団法人瑞鳳殿副理事長兼事務局長相沢清志様


目的  
伊達政宗公御霊屋瑞鳳殿をガイドをするに、政宗公を支えた家臣団 御一門の御霊屋と要害跡を訪ね 歴史的関連を知る。
又、伊達領北辺を訪れ南部領との防衛線を知る。

併せて、瑞鳳殿でのガイドは、ガイド自身の自己責任・自己管理で行われており、一堂に会する機会は少ないです。
それを補填する会員間の親睦も 目的の一つです。(故に 他団体と異なり 参加者を会員に限定しております)


訪地・講師・所感

1.水澤伊達家(家格一門・16133石)御廟所 瑞山神社
 日高(瑞山)神社宮司 千田仁志 様 宮司所用の為 代理 岩渕勝夫岩手ひらいずみ通訳・ガイドの会会長

 瑞山神社(祖祖霊屋)は、水澤伊達家(留守家)が岩切城在城時 創建したもので、
 現社殿は、1638(寛永15)年に造られた方一間入母屋造妻入柿葺で、
 全面彩色、黒漆下地に金泥で輪繋、文様・亀甲を描く等装飾性に優れ、
 特に 軒下の琵琶板に密陀絵と推定される装飾は珍しく、
 1972(昭和47)年岩手県有形文化財に指定されています。

 これらと殉死者について 詳細な説明が 欲しかった。

 千田宮司には、予想された事か A4の8頁の資料と日高神社パンフレットに参拝記念品を用意してくださいました。
 お心(ココロ)配りに感謝申し上げます。

 封筒に「留守家家士会」とゴム印がありました。
 加入資格が 家士 とは厳しいです。会員が何人で どんな活動されているか 興味ある所です。


2.水澤要害跡
 要害は保存されておらず 再開発され 奥州市役所庁舎敷等になっています。
 バスを停車 当時からの 姥杉を 車窓望見しました。


3.奥州市武家住宅資料館
 奥州市武家住宅資料館長 佐々木伸一郎 様

 展示 (秋の企画展 水沢伊達氏の知行地による古絵図と肖像展)を詳細に解説して頂きました。
 又 併設する 内田家屋敷(1847(弘化4)年には家中第2位の96石2升の禄高)を 
 開口出来る木戸・雨戸・襖障子を全て開き、居間の炉に薪を燃やし 往時を再現して頂きました。

 企画展資料には、水澤伊達家・角田石川家系図を特別 付け加えて頂きました。

 仙台定義 定義如来西方寺 山門の扁額は 水澤の偉人 齋藤實が揮毫したものです。奉納したのは塩竈の大野さんです。
 大方の人々は 宮城県塩釜市と誤解しています。実は 水澤の塩竈村の方です。この塩竈村絵図が展示されていました。
 この定義如来西方寺山門の扁額の事柄について 資料館職員は 当然ご存知ありませんでした。

 展示中の留守政景の掛け軸の本物は 仙台市博物館企画展 大政宗展に 出張中との事。
 (仙台から 態々 レプリカを見るに来た と苦笑い)

 奥州市武家住宅資料館長・職員の皆様のご厚情に感謝申し上げます。


4.岩谷堂要害跡
 岩谷堂要害時代の形態が 良く残っております。故に 道路が狭隘で急坂です。バス運行が困難です。
 岩谷堂城址顕彰会制作 館山史跡公園 岩谷堂城址散策ガイド を配布  麓を一周 想像して頂きました。


5.岩谷堂伊達家(家格一門・5019石)の御廟所
 曹洞宗大蔵山光明寺 佐藤浩明 和尚
 
 1396(応永3)年に開山されたと寺歴を 本堂前寺庭で拝聴。
 和尚と参加者一同で 集合写真を撮影。即時 zuihodenさんの FaceBoookで 配信されました。

 岩谷堂伊達家の御廟所は 岩谷堂伊達家のご子孫 現姓 岩城氏が 自己資金30,000,000.を投じ 古図面に基づき修復されたそうです。
 鞘堂、名札、説明板が設置 芝地と 整然と整備されています。

 廟・墓所は寺の裏山にあり 江刺の町々が 眼下一望です。岩屋堂要害より視界が宜しいです。

 開山堂にて 岩谷堂伊達家始祖 伊達宗規〔1659(万治2)年岩屋堂要害拝領〕以来のご位牌 ほかをお詣り。

 和尚曰く 伊達宗規は 家臣・民の生活向上の為 
 寒天造りを奨励した。それが今日の 岩屋堂羊羹の始りである。
 漆が採れる事から 仙臺箪笥の技法を導入し 奨励した。それが今日の 岩屋堂箪笥である。
 江刺の二大産品となりました。又、檀家です。お買い上げ宜しくと。

 熱烈懇切な解説に感謝申し上げます。


6.金ヶ崎要害歴史館
 スガワラ解説員
 金ヶ崎要害の歴史を 懇切に説明頂きました。感謝申し上げます。

 展示室のプロジェクターが故障しており 古地を拡大して見られなく残念でした。


7.金ヶ崎要害跡
 金ヶ崎町ガイドの会・さわら会代表 サトウ様

 大町家(家格一族・2500石)家中屋敷図、大町家居館図を用意頂き、
 重要伝統的建造物群保存地区 国指定 金ヶ崎町城内諏訪地区を徒歩縦断。

 片平丁 大沼家侍住宅・堀跡を経由し、要害跡 二の丸・本丸に。
 足下に 滔々ながれる北上川 対岸は南部領。

 地名の由来は 北上川が 大工道具 カネ尺 の如く L字形に 曲がった崎にあるに由来する。
 決して 「金(カネ)が先にだせ」では 無いと力説されました。
 地形を見て 納得しました。

 ガイドの会立ち上げ 早々 瑞鳳殿を参拝 ガイドして貰ったと。 
 勉強されの熱心なガイドに ガイドの在り方の自省にもなりました。
 ご厚情に感謝申し上げます。


8.相去藩境塚跡
 相去地区境塚愛護会 会長 佐藤瑞夫 様

 相去地区交流センターにて センターチーフから 歴史を解説頂き、佐藤瑞夫様 バスに乗車。
 用意して頂いた資料を基に 車窓より 追分、足軽屋敷群、番所跡を 説明頂きました。

 相去番所は 伊達家直轄で 足軽102人が常駐した。番頭は100日交替で仙臺から。宿泊した箇所は不明との事。

 境塚跡で 下車  伊達家領 相去  南部家領 鬼柳 との 境塚 境界線を 実観しました。
 山や川で無い 平地での 国境線 ・・・

 相去出身の会員Mさんは語りました。
 相去地区と鬼柳地区は 言葉が違った。伊達弁と南部弁。今では軒続きであるが 昔は 離れ 交流が無かった?
 相去から 仙台迄130km 盛岡まで50kmであるが 心情的に 仙台が近かった。


以上で 本日の実地研修は 終わりました。

昨日の低温が嘘の様な 温暖・快晴に恵まれました。多賀城付近で 上がり始めた 大きい満月を見ました。
あかとんぼ屋敷に着いた時には 頭上 真上に煌々と輝いていました。日進月歩 月の歩みは バスより早いです。

我は13時間 会員もゲストも 恙無く 実地研修を終えました。関係者皆様 ありがとうございました。



10 月 4 日 (水)  



寺伝とホームページ

仙台藩志会の会報掲載記事について、伊達家関連寺院のご住職様が
「この方(伊達家ご先祖様)の記述は 寺に伝わっている事柄と異なる。WEB等を基にしているようですネ」と 洩らされていると

ご住職と 親しいと称される方から聞かせられました。

具体的な内容は 話しませんでした。
で論評も対応 出来ません。しません。

あかとんぼ は 日々記載する際 古文書(一次史料)が読めないので

1.仙台藩歴史事典 仙台郷土研究会編
2.仙臺人名大辞書
3.仙臺市史
4.仙台市史
5.伊達家史叢談
を 頼りにしています。

WEBはWikipediaを参考にしています。

個人のHP等は 記載者の思い込みが反映されています。確かに要注意です。



10 月 3 日 (火)  



まぼろしの「御藩祖をどり」

1935年藩祖伊達政宗公300年祭で 西條八十作詞 中山晋平作曲 の 歌「御藩祖をどり」が、 1935年3月12日 NHKラジオ中継されながら 時の公安警察の指摘 (玉座の用語使用不可)で お蔵入りました「御藩祖をどり」


どり の  は転換誤りでありません。 当時の用例です。


本HP読者のご尽力で 歌詞が神奈川県で発見され、地元学応援団佐々木伸様のご努力で 楽譜が発見されました。

男性合唱団 「いずみオッチェンコール」 50余名が再現を目指しています。

地元学応援団佐々木伸様のご配慮で 練習会場を訪れました。 

「御藩祖をどり」を 佐々木伸様と あかとんぼ 二人の為に 歌ってくださいました。感激です。

「どうですか?」 
指導者のNHK少年少女合唱隊を50年間指揮された大泉勉先生から。

思わず 「いま一度 聞かせてください。最後の7番 瑞鳳殿を 高らかに お願いしたいです」
「ハイ アンコールが 出ました」
いま一度 声高らかに 滑らかに 最高のデキです。


副代表阿部琢也様から 「テレビ取材のある 政宗公関連史跡で お披露目したいが・・・」

「政宗公の御命日 5月24日 御法要の際 奉納されたら。
 
御茶・お香・尺八等が 毎年奉納されています。雀踊りが奉納された年もあります。

テレビ局・新聞・雑誌の取材、歴女始め 多数の方が 参拝に見えます。

単独の奉納であれば 本殿前。法要の際であれば 拝殿で でないでしょうか」


瑞鳳殿を参拝されましたか?に 挙手は チラホラ

「歌に心が籠る様に まず ご参拝されたら如何でしょうか? ご案内致します。

奉納が実現する様 仙台藩志会・公益財団法人瑞鳳殿に ご相談します」


合唱団の持ち歌 「斎太郎節」を ご披露頂きました。

聞く人は 二人。 勿体ない 恐縮 でした。


御藩祖をどり」  西條八十作詞 中山晋平作曲

@ 300年
  光いやます御藩祖さまよ
  朝日夕日の青葉城

A 英雄の
   気魄勇まし 図南の翼
   波に羽搏く月の浦

B 尊王の
   燃える至誠は 仙臺城に
   祀る玉座の十四代

C 忘れまい
   公(キミ)が恩沢(メグミ)の貞山堀や
   港白帆の石の巻

D 紋どころ
   竹に雀は四海を照らす
   ここで生まれた男伊達

E 智仁勇
   兼ねた威徳は わが東北の
   千代の誉よ 独眼竜

F 恩徳を
   頌え踊れや 瑞鳳殿
  珠の甍も揺らぐほど


本日日誌の ご感想・ご意見を聞かせてください。アドレスはzuihoden@zau.att.ne.jp



10 月 2 日 (月)  



大名家の絶家

旧大名家は 静かに絶家の危機に見舞われているそうです。
大名墓を研究している方と お話した際 「鳥取〇〇家、羽後〇〇家は 絶家します」と 断言されました。

「そんな事にならないでしょう。由緒正しいお家ですから」 と 問い返したら
「いや ・・・・・・」と事情を語られました。


大名家の絶家が 頭の片隅を捉えた時
「絶家を思う これからも代々の家系をまもれるか 墓を維持できるか」 と題した 長宗我部家17代当主 長宗我部友親 著書を読むことになった。

長宗我部家は秦の始皇帝を祖とし、関ケ原の戦いで敗れ、没落した系譜である。
長宗我部家17代の祖は 誰か?

閑話休題

伊達家関連に記述がありました。

1.一関市室根町矢越(釘子村)に鎮座する「八郎右衛門神社」祭神は 長宗我部主水で 義人と伝えられる。

2.長宗我部元親の三女 阿古姫とその嫡男元成、弟 倫は 大坂夏の陣の際 伊達家に保護された。

3.倫は 柴田外記朝意であり、奉行となり 寛文事件時 原田甲斐を切った。

4.柴田外記の末裔 17代当主 節子は 宮城県内にて健在である。

5.政宗公娘 牟宇姫に宛てた手紙が現存している。

6.角田市郷土資料館碇子幸枝館長が解読してくれた。

柴田家の系譜の確認は未だです。



10 月 1 日 (日)  



個人客の出足が遅いです。

ループルバス1番で 初めてお客様。珍しい現象。

京都からの若いご婦人。ひとり旅。

あかとんぼ 京都からのお客様をガイドをするの 初めて。
京都の人は、(京文化が日本であり、地方は模倣文化であり、人々が京都に来るのを迎え立場にある)と考えがあり、地方に旅行しないと思っていました。

「私は 純粋な京人間でありません」と 洩らされました」
ヤハリ・・・


萩の花 を指して 「宮城野原の萩 有名です。 
古くから日本人に親しまれ、『万葉集』で最もよく詠まれている花です」と ガイドしょうと思いつつ

「家畜・馬の餌でした。冬季の飼料として、萩の葉が利用された。秋に山から枝ごと刈ってきて、乾燥させて葉だけを取り、干し草などに混ぜ込んで与えました」 と言ってしまい、シマッタ 情緒に欠ける と 反省しました。


東京を中心とする 還暦を到に過ぎたと男性 20人近く。
試しに 「昨晩は 秋保温泉に お泊りでしょう」と 問いかけたら 「そうだ」

「露天風呂か お部屋から 採石場の後見えませんでしたか?」
と、政宗公墓室の石材は 秋保温泉で採れた石です・・・・一気に 墓室の説明に入りました。

お客様から 殉死者20人の名簿が 欲しいと云われました。
「今日は 手持ちしておりません。Mailアドレス 教えて頂ければ 手配致します」に
「いや そこまでは」
どなたかの後裔者で あかとんぼをテストされたのか?

菊紋の説明で 「これは伊達家の家紋で 皇室の菊紋とは 違います」と説明し、 つい 相違を 具体的に説明するのを 洩らしました。
即 ガイドさん と 説明を求められました。千慮の不覚でした。


長崎からの30余人の団体。男性が主体です。

若い綺麗なバスガイド嬢 誘導して来ましたが ピタリと歩がとまりました。ガイド出来ない様です。
年増のガイド(?)が 「ボランティアガイドさんに 頼みなさい」と 囁いています。

添乗員 支払いを済ませて  「20分でお願い」
涅槃門・本殿・御尊像 20分ピタリ。添乗員 満足の笑み。

「あの レンコン 細川だよな」と  高年のお客様からお尋ね。
「ハイ 細川家から 政宗公が 使用を認められた家紋です」 (細かい話は不要の様子)「納得 ナットク」 と 同輩に説明していました。

九曜紋を レンコン とは 確かに 蓮根の穴 其の通りです。

若い綺麗なバスガイド嬢 わざわざ 「ありがとうございました」と 挨拶に。
「お客様 大館市での 消防の全国大会に参加された方々です。私の会社は 羽後交通です」と。

なるほど 綺麗なのは 秋田県の広報 (あきたびじん)の本場のアキタコマチ だからでしょう。





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