2003年1月の日誌
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1 月 26 日 (日)  



 2年振りの大雪は上がり青空が輝きました。通路のみ除雪されていますが全山真っ白です。雪の瑞鳳殿を撮ってきました。

 10人程の波がループルバス「乗降自由市内定期観光バス」が着く都度ありました。名古屋・大阪からとお出でになっていました。札幌市白石区からのご夫妻は「自分は元白石区長で、妻は片倉家の末裔である。白石区と白石市は姉妹都市の関係にあり、妻は初めて」と語り、丁寧に拝観しておりました。

 瑞鳳殿の南側のマンションに名古屋から年末に引っ越して来たご夫妻に涅槃門をガイドしましら大変にお気に入りになり、門の内外を往復され丁寧に拝観していました。そして別の団体が見えたら、今聞いた事をガイドしていました。この逞しさに敬意を払うべく善応殿地区までガイドしました。最高の住環境に住まいです、これから瑞鳳殿地区の四季折々を日々楽しまれるでしょう。



1 月 19 日 (日)  



 センター試験の二日目の日です。例年はセンター試験の土日は降雪等天候不順です。今年は暖かい穏やかな日で受験生とその関係者はさぞホットされたでしょう。でも参拝客は疎らでした。

 福岡・札幌からの方々は女性のペア、竜頭で記念写真を撮られるとの事で、竜頭の横顔を画面の左側に、右面にモデルが竜頭に向かって左横顔を見せる構図にすると、楽しい写真になりますと教えますと喜んで交互に撮していました。
 本HPの竜頭の拡大写真を開いて、右面にご自分の横顔を置いて見て下さい。

 善応殿から公子廟に至る遊歩道を散歩しました。原生林の感じの林の中に幅2尺相当の小路です。「史跡公園です、禁煙して下さい」の看板か目に入らなければ深山幽谷を散歩する感じになる所です。百萬都市仙台の中心部にあって、気軽に森林浴を楽しめるとはと意外に思われる場所です。時間に余裕の或る方にお奨めコースです。



1 月 12 日 (日)  



 晴天なれど肌寒しの日でした。参拝客は疎らでした。

 朝一番の団体客、30代の男性30人位、本日唯一の団体でした。年代の割に歴史素養があり、スイスイ理解され、質問も出ました。
 瑞鳳殿で瑞鳥獣の口は全て右左上下の流れで阿と吽となっていますと、ガイドしてなるほど理解して頂いて、感仙殿の瑞鳥を見上げていた一行から左右と流れが反対です、何故ですかの質問がでました。「どうしてでしょう」としか答えられませんでした。

 「感仙殿再建の経過」なる財・瑞鳳殿刊行の資料には「装飾は焼失前の写真があるのでそれに基づき復元することにした」とあるからには、焼失前も阿と吽は、他と反対の左右になっていたのでしょうか。
 瑞鳳殿・本殿の竹に雀の家紋の雀の口も左右と流れが反対です。
 その意図したところの解明は、瑞鳳殿・感仙殿復元工事記録に記載されているかの確認にあります。今暫くお待ち下さい。

 成人式に参加相当の成人男子2人に「涅槃門を潜って、階段を一歩一歩登って、本殿に至りました。本殿は極楽です、本殿前面は極楽絵図でデザインされています。・・・・」とガイドしましたら、「政宗は極楽に行ったのですか。自分も極楽に行きたいが、どうすればよいでしょう?」と返ってきました。
 ウーンとうなり、「菩提寺のご住職に相談しなさい」と答えたものの、前途或る青年に対する即答えとして、これで良かったのでしょうか、些か考え込んでいます。

 久々に観光ガイドタクシーが1台ありました。ガイドタクシーを利用される方々は暖かい地方を旅行されているのでしょうか。めっきりお目にかかれなくなっていましたので、ガイト氏と暫く振りの再会にエールを交換しました。



1 月 5 日 (日)  



 各地は大雪とのしらせ。2日拝礼式程ではないが雪が舞う寒い日でした。
初めは参拝客はたった一人なので資料館で復習していたら、ポツリポツリと見えました。

 中高年のご夫妻。黒川郡大和町からの住人なれど、この歳になって初めて参拝できたと、喜び丁寧に参観されました。最後に大和町には天皇寺と宮床村があると語り下坂されました。

 40代のご夫妻。プレートを読んでいた夫が夫人から涅槃門を背景に写真を撮るからと叫ばれたら、すっ飛んで行きました。以後夫人のリードでの参拝をガイドしました。外套に仙台のガイドブックが見えましたので、此の後はどちらにとお尋ねしたら、仙台城が目的とのことでしたので、博物館前で下車し三の丸跡の博物館の中庭の碑等を観、清水門跡から、仙台酒醸造発祥の湧水、野面積みの初期の石垣、修復中の石垣を観ながら登り、発掘調査中の本丸を見ながら、最後は眼下に広がる仙台城下を眺めると宜しいですと申したら、大変喜んでいました。素直にアドバスを聞く耳に探求心と活力あるは素晴らしい事です。

 メモ
 天皇寺とは、大和町上町に所在する臨済宗妙心寺派で、元は福島県伊達郡飯坂にあって、1603年松森に、11年に下草、15年に現在地に。境内には政宗公とその側室飯坂の方に生まれた伊達「飯坂」宗清と殉死した大和田佐渡ほか13人の墓がある。
 宮床村とは、現在の大和町宮床で、1604〜1634迄 伊達宗清の知行。1660年から宮床伊達氏の知行地。宮床伊達氏は伊達一門で、この家から伊達家中興の英主と云われた五代藩主吉村が出ている。
 以上は平凡社刊日本歴史地名大系4「宮城県の地名」によりました。



1 月 2 日 (木)  



 仙台藩志会の拝礼式。11時から瑞鳳殿・本殿で関係者50人程参列し、降雪の中で挙式されました。

 涅槃門と本殿は朝から開門・開扉されていました。

 10時45分 門と本殿の黒い柵を取り除きました。折から雪が本降りとなり参道に積もり始めました。整備担当の2人とともに柵の寄せと除雪を致しました。

 10時55分 仙台藩志会の陣旗を先頭に、一行は62段の石段を陣笠に羽織り袴雪駄の出で立ちで登って参りました。涅槃門からの先払いは雪寄せ人夫の私達です。
 一段高い本殿前の広場、向かって右側に伊達家御当主、瑞鳳殿住職、財団法人・瑞鳳殿常務理事・事務局長、殉死者末裔男女一同が、左側に仙台藩志会会長、会員一同が並びました。

 11時 開式です。司会は財団法人・瑞鳳殿 事務局次長です。
瑞鳳寺ご住職は御霊屋の中に入って、年頭の読経です。30分程の読経中は依然として雪が降り続いております。陣笠とご婦人帽子以外の人々は傘を畳み、脱帽し読経と供に心中期するものを祈っていました。

 ご焼香です。伊達家18代御当主泰宗様、財団常務理事・事務局長、殉死者末裔代表、仙台藩志会会長の順で行われました。

 ご挨拶です。伊達家18代御当主泰宗様、財団常務理事・事務局長、仙台藩志会会長の順で行われました。この頃には雪はやみました。18代御当主はにこやかに堂々と、己の立場を理解したご挨拶でした。

 11時45分 これにて閉式です。先程代表者焼香であった殉死者末裔と藩志会会員はご本殿で個別にご焼香をされていました。

 11時50分 涅槃門前の広場で撃剣三番の奉納が行われました。演ずる人も解説する人も「あかとんぼ」より高齢の方々です。これも廃れゆく伝統の一つでしょうか。「あかとんぼ」の父親は明治の人で、幼少のおり撃剣道場に通い、1897年98年に賞状と竹刀を貰っており、この奉納撃剣を見たらナント評しただろうか、万感の思いで拝見しました。

 12時 涅槃門前で 関係者一同 記念写真を撮って散会となりました。
涅槃門は閉門になり、本殿の柵も元通りになりました。

 一般参拝者は式の間 拝殿で待機していました。式に参列する機会に恵まれ、滅多に見られない奉納撃剣を見たと、皆様大喜びしておられました。

 全て終了後 本殿前に立っていたらオジサンが小母さん達に解説していました。目聡いオバサンが本物のガイドさんがいると言われました。今年第1号のガイドを致しました。埼玉からの1行10人でした。
 昨年は54回日、今年も事故無く健康で記録の更新を目指したいものです。

 帰りに事務所で煎餅とコヒーをご馳走になりました。
お盆には局長からアイスクリームをご馳走になりました。「盆と正月」と言う言葉はこの事でしょうか。

 参拝者、事務所の方々、よっこよりの仲間、そして熱心な愛読者の皆様 今年も宜しくお願い致します。







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