2003年7月の日誌
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7 月 28 日 (月)  



 本日は瑞鳳殿でボランティアガイドをしている仲間の懇談会がありました。

 皆様 得意の方向で勉強されており、サラリと発表される内容にキラリと光るものがあり勉強になりました。
 興味ぶかい発言に、三代藩主にかかわる事件について君達のガイドと歌舞伎とは全く違う。どうしたもんだ。というものがありました。歌舞伎をご覧なる知識層から、この様なご発言には戸惑いました。

 私になぜガイドしているのかのご質問がありました。
1.健康管理が目的です。週1回はガイドする事にして年間52回以上が目標です。既にマジックが点灯しました。
2.日本全国の人々とお会いする事です。先日、沖縄は石垣島の人々をガイドしました。本島4島各県は達成しました。隠岐島はまだです。これからの楽しみです。
と答えました。

 いつもオシャベリ達者な先輩が最近見えないので、聞いたら病気休止だそうで、Hさんも同様とのこと、シルバーボランティアの宿命でしょうか。

 代表から仙台七夕期間中、21時閉門でライトアップもあるので、是非 この機会にガイドをしてみてはと勧誘がありました。
 Uさんは昼は瑞鳳殿でガイド、夜は瑞厳寺で虚無僧行列?をするので、夜は瑞厳寺にドウゾの誘いがありました。



7 月 27 日 (日)  



 今朝までの長雨、気温15〜16度の低温、日に3回の震度5〜6の地震、正に天変地変の連続です。昔なら政権交代の要因になったのにとバスの中での語らい。でも、雨があがりました。

 長雨と地震の為か参拝者の出足は少なかったです。

 拝殿に四ヶ国語(日本・英語・中国・韓国)の押すボタン式の解説器が設置されました。若い女性の綺麗な声で、聞きやすく、是でボランテイァガイド不要となるでしょう。

 夏休み子供会の行事でしょうか、子供育成会の行事でしょうか。子供の数に、その半分位の親がついた団体を、御当主・資料館長が涅槃門から案内していました。
 たまたま 一緒になった背広の一見社会的地位のありそうな人々、子供達を待っている御当主の姿に気付き、自分達を案内する為に立っていたのかと 、驚き半分の表情でした。でも、対象が違うとわかって、うぬぼれ喪失してそそくさと参拝しおりて行きました。

 会社の慰安旅行風の一団、登段し「オイー有料だぞ、幹事切符カエー」・・・手洗鉢の柄杓で水をガブガブ飲みして「ウメェー」「幹事切符カッタカー」と蹌踉めいて、瑞鳳殿を参拝せずにそのまま善応殿地区に抜けて行きました。水を飲んだだけで、お詣りせずに階段の上り下りだけでは、拝観料はエライ高いものになったのでは、バスの中でワンカップ飲んだ方が安かったのでは。

 登段し「オイ 有料だぞ」と参拝するか否か 討議している団体もありました。
私はこの様な人々にはガイドしまません。瑞鳳殿は政宗公の御霊屋とは知らないで来る人はいます。でも、詳しい事は知らないのは当然として、「政宗公」が歴史上の人物である事自体知らない人にはガイドをしても聞いて頂けないからです。

 善応殿地区から瑞鳳殿にと逆廻りで、拝観料を払わない、お詣りしないで、62の石段を下りていくペアが一時間に1組みの割でおりました。折角に案内してきて、歩きにくい石段を上り下りさせて、肝心の所は拝観させない。こんなケチで教養無い男と結婚したら将来苦労するだろうに、可哀想な娘さんと思いました。痘痕も靨 私の勝手でしょうが。

 本殿南側の方向の森を指差して「栗鼠がいる」と叫んでいる子供がおりました。四方を住宅に囲まれたこの森に現在もリスがいるのか。私には今日は確認出来ませんでしたが、ガイド仲間に声をかけ確認したいと思いました。

メモ
 生粋の仙台人は「柄杓水」は飲まないと聞いています。
それは七北田の刑場で首を切られる罪人の末期の水が「柄杓水」であったそうです。それ故に「柄杓水」は不吉な水、不行儀であるからだそうです。



7 月 20 日 (日)  



 今年の梅雨は正に五月雨です。連日雨です。三連休の中日です。予定の行動でしょうか、大雨の中を遠方各地から多数の方々が参拝に見えました。

 朝一番、韓国からの若い人々です。日本語・英語そして自国語を話す人に等分されていました。入り口で韓国語表記の案内書を貰っていました。それを見て頂きました。外国語を話せない私には残念ながら近くて遠い国の人です。臥龍梅の解説板には直接的表現はありませんが、日本語を読める人がどの様に解説するか内心心配でした。でも聞く人は「渡朝」の意味にこだわっていませんでした。歴史的事実と理解していました。ホッとしました。

 北海道からの団体を岩手県の観光バスが案内してきました。ガイド嬢に頼まれましたので、ガイドしました。伊達町から来た人もおりました。その直前は札幌市白石区からのお嬢さんをガイドしました。伊達藩ゆかりの地からの人々ですが、言われてハァーという程度の認識でした。当然でしょう。

 日本の最南端、沖縄県石垣島からの親戚の団体が見えました。タクシーの運転手さんと一団の頭のオジサンからも頼むと言われ、三年目にして初めて日本の最南端、沖縄県石垣島からの人々ですから、丁寧にガイドしようと話し始めました。一団を構成するオバサンは初めて島外に出ての観光なのか、政宗公は全く未知の人なのか、建造物にも興味が無いのか、聞かない見ない勝手なオシャベリに波長が全く合いません。早々ガイドを切り上げました。運転手さんも波長が合わなくて私にフッタ様子でした。これから松島遊覧観光船に乗り、瑞厳寺を参拝する予定なのに、何事も気にしない行動でどうなるのか、資料館に入ったきり出て来ない一行にヤキモキしていました。

 伊達家では家紋を複数持っているのはオカシイ。我が家は1個である。と真剣に抗議するオバサンがいました。岩手県からお出でとの事で、伊達領ですか、南部領からですかとお聞きましたら、知らない。結婚する際に紋付きを持参したでしょう。持って来なかった。お祖母さんは実家の紋の着いたものを持っていたでしょう。そんなもの持っていなかった。日本は戸籍制度が出来るまで夫婦別姓でした。そんなことワイの知ったことでない。とにかく自分を基準にしており、それ以外はオカシイと申されても。民主主義・四民平等の世になったと申せ、歴史的事実・経緯は変えられません。まいりました。伊達家は古い家柄ですから時代背景により複数在りますのガイドをスンナリ聞いて頂ければと思います。

 仙台唯一の美人観光タクシーさん、今日も本殿前までご案内をし丁寧にガイドしていました。かがとの高い靴を履いていました。不規則な階段の上り下りに怖くないのいか、運転に支障ないのでしょうか、流石プロと感じました。

 涅槃門前に雄勝石の敷石の一画があります。硯や工芸品に加工される石です。連日の大雨に洗われ、他の敷石と異なる雄勝石の持つ美しさに輝いていました。誰も特別の石で美しいとも見ないで、踏み通り過ぎて行きました。ガイドしたかったのですが聞いてくれそうな人が見つからず、残念でした。



7 月 14 日 (月)  



 昨日はH代表とYさんと臥龍梅の話しから、臥龍梅の反対側の白い花の大木に話題が移りました。先月末頃からポツポツ咲いていました。お客さんにも珍しい花らしく、しばし聞かれました。わかりませんと答えていました。お二人も首をかしげました。
 只今H代表から「「ナツツバキ」漢字表記は「夏椿」、別名シャラノキ(娑羅樹)、ツバキ科ナツツバキ属、落葉広葉高木で原産地は日本。
 真っ白な花は小ぶりであまり目立ちませんが、6〜7月を中心にぽつりぽつりと静かに咲き続けます。じみな感じで自然な風合いを持つ樹木なので、茶庭など渋い場所によく似合う植物です。
 増やし方は、ほとんどの場合、実生で増やすので、秋のうちに種を取っておき、翌年の3月にまきます。」とメールを頂きました。この調査能力に感服・感謝いたし、花の写真を表紙に貼りました。ご笑覧下さい。



7 月 13 日 (日)  



 長い五月雨も一休み。お日様が顔を見せてくれました。ボンティアガイドの仲間も多数顔を見せました。瑞鳳殿、感仙殿等それぞれ前で各自ガイドを致しました。

 拝殿に古典仙台七夕が飾られました。紙の着物、巾着、投網等のその意味合い、願い事の内容をお話をするとウゥンーと感じられ唸られました。吹き流しに触られたご婦人から「アレー本当の紙だ、平塚の七夕はプラスチックなのに、仙台で紙はつくられているの」のお尋ねがありました。仙台市でも白石でも紙漉は行っています、でも量と質に価格の面から七夕の材料として一般的には使われていません。昔は領内で生産されるものが材料でした。機会ありましたら平塚を見学したいものです。と申し上げました。

 高知から7人ばかりの団体、ガイド嬢がメモ帳を見ながらガイドしていました。真剣な態度に皆様ニコニコして聞いていました。私も黙って聞きました。ガイド内容は正確でした。中には一見の客だからと適当なガイドをするガイド嬢もいます。でも、この人はお客様に親しまれる良いガイドさんにきっとなるでしょう。

 ガイドして、その反応から詳しい様なので、最後に女子大の先生でしょうかとお尋ねをしたら、「イヤ案内して頂いている方の娘さんと息子が結婚するので、北海道伊達市から来ました。4代前が開拓の先人の伊達家臣団の一人であり、今回の縁組みで祖先墳墓の地の人と再び結ばれる縁になにかを感じ、それなりに勉強し、今日案内してもらっているところです」とのお答えでした。
 先日も札幌市白石区の人々が団体で白石市を訪れ、片倉家廟所等を参詣したと報じられていました。父祖の果たせなかった夢を現代の人々がかなえているのでしょうか。

 博多の在からお出でになった親娘とお話が仙台のお土産になり、笹蒲鉾屋さんの一軒の創業者がふるさとの地名を屋号にしているのを母親の方が知っていて、さっき試食してきました。とのことでした。彼の地では仙台で1・2の蒲鉾屋に出世した女性と有名なのでしょうか。

 今日は富山、浪速、山口、秋田、東京から参拝に見えました。津軽・秋田・大阪等の人はお話していて見当がつきます。まだ京都弁の人はお会いしていません。京都の人は奥州仙台には観光においでにならないのでしょうか。未だ瑞鳳殿で京都弁を聞いていません。

 臥龍梅 今年は実がなりました。ひ孫カナ 大木にしようと落ちた実を数個頂いて参りました。うまく発芽してくれればと思います。

メモ
仙台七夕の飾りと意味
1.色紙短冊 俳句等や願い事を書いて書道の上達を願う
2.紙の着物 身代わりとして病気・災害を除き、裁縫・手芸の上達を願う
3.折り鶴   家族の長寿を祈る。昔は最年長者の数だけ折った
4.巾着    富貴繁栄を祈った
5.投網    豊漁・豊作を祈った
6.吹き流し  機織りの上達を祈った
7.屑籠    清潔と節約の心がけを

 

 



7 月 10 日 (木)  



 五月雨はやまず

 「1945年7月10日の午前0時03分から、アメリカ空軍B29 123機が仙台市に 25回の波状爆撃し、焼夷弾約13000発を投下、仙台市500万平方メートルを焼失、死者1066人 重軽傷1689人(朝日新聞による)」の歴史事実の日です。この日は、瑞鳳殿を初めとする経ケ峰歴史公園の伊達家三代の御霊屋が空襲で焼失した日です。

 参拝者から「何故爆撃されたのか」とか「アメリカ得意の誤爆か」と問われます。何故軍事施設でない墓地を爆撃したか不思議です。「わかりません」とお答えしています。
 焼失していなければ、国宝であり、日光同様に世界遺産に指定されていたかも。誠に残念の極みです。



7 月 6 日 (日)  



 今日も全国各地から沢山の方々が朝早くから参拝にお見えになりました。

 関西各地からの団体の方々、全員登山靴を履いていました。62の石段を登るのには用意が良過ぎると思いお尋ねしたら、昨日は出羽三山を踏破されて来たのだそうです。昼の飛行機で帰るのだと参拝され軽快に下山していきました。

 新潟からの姉妹の方、伊達家の竹に雀の紋章をみて、近くに「上杉家」の流れを汲み「竹田」姓を名乗る方が、竹に雀の紋章だと洩らされました。伊達家では葉っぱと節と水滴の数で本家別家の違いを表しています。では聞いて見ましょうとのお話になりました。

 本殿の前でガイドしていたら、欧米系の男女に、日本娘4〜5人の団体が一緒に聞いて呉れ、私のガイドを日本娘が通訳して伝えていました。そのまま感仙殿等までガイドしました。そしたら欧米系の男性が日本娘にガイドしました。感仙殿・善応殿とも扁額もすらすら読めました。驚いたら市内中学校の英語の先生で、日本語話せます・漢字読めます。此処に5・6回も既に訪れていて、日本娘は大阪等から激励に来て、お礼に案内されていたのでした。伊達家ご当主が仙台にお住いですと答えましたら、ご子息が自分の中学校に通学されていないかナーとも洩らしていました。日本人の先生より勉強しているのでは。

 ○日本○○のバス3台が一斉に参拝されました。ガイド嬢は本殿前まで案内しガイドしていました。まじめで熱心なガイドさん達です。只「瑞鳳殿は日光東照宮の20年も前に完成しています。日光東照宮は瑞鳳殿の真似をしたものです」のご発言がありました。日光東照宮が現在の姿に完成したのは1637年三代将軍家光公の時代で、この瑞鳳殿の完成と同じ年です。この瑞鳳殿の豪華絢爛な装飾を見た人の中には、日光の真似をしたナと申し方が多々おります。でも 今日の様に 日光が瑞鳳殿の真似をしたとガイドされると、これまた面くらいます。

メモ
 伊達家 竹に雀の数は
竹の葉 52枚 内側に22枚 外側に30枚
露    16玉 内側に 4玉 外側に12玉
節     8節
となっています。





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