2004年4月の日誌
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4 月 29 日 (木)  



 五月晴れ。本殿前の八重桜(塩竃櫻?)が満開です。樹の種類が多いので、長期間櫻を楽しめます。

 それなりに参拝がありました。GWの効果は未だのようです。

 背広姿の3人、本殿前でのガイトを全て聴いてくれてまして感謝の念を洩らされました。広島から出張で来仙、飛行機の時間まで瑞鳳殿だけは参拝したいと思い、訪れたとのお話に最敬礼しました。

 ○一タクシーの女性運転手さん達3人、研修に訪れました。私とUさんとで意見交換をしました。最後に「私たちは各史跡を廣く覚えないといけない。細かい事、深くはガイドさんよろしく」と申されました。私たちでお役に立つなら何時でもどうぞ。

 涅槃門を潜って直ぐ、「拝観料が高い」と苦情を投げつけてきた方がおりました。ゆったりした気持ちで、私たちのガイドを聞きながら、新緑の輝いている樹間で桃山文化に触れ、伊達家3代の歴史を思い起こせば、2・3時間を要します。550円の拝観料は安いと感ずると思いますが。この様に苦情を申す方に限って、瑞鳳殿本殿を一瞥し感仙殿地区には廻らず帰っていきます。それでは高いと感ずるでしょう。ご本人の心がけ次第では。

 ここ瑞鳳殿のある歴史公園には各種樹木があり、森になっている為か栗鼠等の動物がいます。今日は石畳に「蜥蜴トカケ」が出て来ました。久々に会った感じ、懐かしく記念写真を撮りました。

 



4 月 28 日 (水)  



 3ケ月振りの雨も10時頃には小雨となりました。仙台西高等学校1年生280人の野外学習。昨日の大雨の際には心配しましたが小雨となり安堵しました。気温は10度までしか上がらず、震えている女子高校生もおりました。
 政宗公の御霊屋参拝だからと「伊達の薄着」は感心しません。

 9時40分から、6人で2回にわけてガイドしました。事前にガイド中は携帯電話と私語はしないように代表から注意しました。でも、この注意は守られませんでした。面前で電話をする学生、大声で私語をする学生。1回23人程度のなかで真面目に聞いてメモル学生いました。しかし大半の学生はウワの空でした。

 私が話した事は15・16歳の成長期の頭脳に1,000,000分の1でも残るのだろうか。「ふるさとの自然・歴史・文学」の副題の付いた130頁余の充実した内容の学習ノートを読んで理解しているのだろうか。高校教育とは笊で水を掬うものだろうか。何片か残れば良いとするものなのか。
 
 中・高等教育の先生、日々ご苦労様ですが、日本の将来のため、更に奮起して下さい。



4 月 26 日 (月)  



 瑞鳳殿参拝の方々の荷物を預かり、身軽にゆっくり参拝して頂くためにロッカー等の設置を提言していたところ、ロッカーの設置は管理・防犯上から困難である。駐車場受付でこれまでも預かった事があるので、ここで積極的に預かる方向で調整中である旨、市議から連絡がありました。
 

 瑞鳳殿ボラティアガイドの団体「ぐるーぷ・よっこより」の総会がありました。
 瑞鳳殿での無料ガイドに延べ239人が、 依頼ガイド28件1,115人を延べ43人で対応したと報告されました。
 「あかとんぼ」の寄与は無料ガイドで約3割、依頼ガイドで約2割です
 瑞鳳殿公式HPに「ぐるーぷ・よっこより」紹介されていると報告されました。
 04年度の勉強会の日程も決まりました。詳細は「ぐるーぷ・よっこより」のページに記載しました。



4 月 25 日 (日)  



 曇りの寒い日です。出羽の小京都「角館」では櫻満開で雪降りとテレビは報じていました。櫻と雪を同時に楽しめる天候には驚きました。

 伊達城下とお城と瑞鳳殿を巡る、東日鉄道会社主催の「駅からハイキング」の案内人を依頼されました。駅から名掛丁・新伝馬町・東一番丁・定禅寺通・西公園・仙台城(三の丸、本丸)・瑞鳳殿のコースです。10時15人を案内して出発しまし、15時瑞鳳殿に到達したときは6人で、私のガイドを聞いて呉れた人は僅か4人でした。
 主催者は8キロだから2時間30分でハイク出来ると計算し売り出したようです。歩くだけなら計算のとおりです。参加者は東京からです。新幹線利用促進には効果はあったでしょうが、折角仙台に来て仙台城に瑞鳳殿を素通りはないと思います。

 瑞鳳殿の職員から「午前に見えなかったのでどうしたのか」と話していた所と云われました。期待している人がいるとは嬉しいことです。



4 月 24 日 (土)  



 晴れ時々雨で、風の冷たい日です。

 定期観光○交バスの50人ほどの団体、ガイドさんは本殿前で懸命にガイドしておりました。皆様を資料館に案内して戻って来た所で挨拶しましたら、ベテランガイドの○田さんでした。「ネー。ボランティアさん、伊達家の家紋は幾つが正しいのですか、八家紋と聞いたので有識者に確認したら、資料がそうであればそうでしょうと云われ、困っているの」と聞かれました。
 「私たちは伊達七家紋〔三引両、竹雀、牡丹、十六葉の菊、五七の桐、九曜、雪薄〕とお話しています。これは三十一世伊達邦宗氏著書「伊達家史叢談」に寄っています。郷土史家菊池勝之介氏著書「みやぎ郷土小事典」に寄れば十家紋となっています」と答え、「さて ○田さんの八番目の家紋は何ですか」と聞きましたら、私の問に答えず「スッキリしたわ、またネ」下りて行きました。

 越後からの成年8・9人の団体からガイドしてーと声を掛けられ、プレートの肖像画からガイドを始めました。「この方は何方でしょうか」「ハイー家康です」反応の早いこと。そして予想の通り答え。御霊屋とはなんですか等の質問が、矢継ぎ早に発せられました。ガイドして一呼吸して次の話しに移ろうとした瞬間を狙って質問します。素人のボラガイドに誠にタイミングはずすの質問に参りました。本殿までご案内して「先ずはお詣りして頂いて、それから続きを」と申しましたら皆様気持ちよく参拝されました。最後に資料館までご案内したら、「タノシカッター」「五月蠅くゴメンネ」と。喜んで頂けてヨカッタです。
 
 戊辰役弔魂碑前の石塔が根本から倒れておりました。風で倒れる物では無く、地震もなかったのに、倒れた原因は何でしょう。不思議な現象です。



4 月 18 日 (日)  



 瑞鳳殿の櫻は花吹雪も終わり葉櫻です。感仙殿周囲の櫻は今盛りです。

 香港から60人ほどの年長者の団体が見えました。英文と日文のパンフを貰った様です。ガイド出来ないので4ケ國音声案内機を聞いてくださいと案内しました。中年の女性が毛氈に上がり込み独占していましたが、外国人とわかったか直ぐに譲ってくれました。
 私の日本語で通じたのは「珊瑚」と「真珠」だけでした。理解した男性は扁額を背に奥さんをモデルに撮影していました。扁額も鮮明に撮ったでしょうか。
 添乗員は日本語はおぼつかないなりに会話が出来て「瑞鳳寺と瑞鳳殿の関係は」「政宗公片目の謂われは」等を尋ねられました。

  数家族の団体がオバサンのリードで参拝に見えました。結婚式に集まった親戚を案内しているそうで、本殿前て゜の記念写真も賑やかに撮っていました。
 本殿前で一応のガイド終わった途端、一行の中の壮年期のオジサンから「政宗のお墓はどこにあるのー」と質問されました。付近に居たH代表にUさん ニヤリと笑みを浮かべていました。中学生には「此処は政宗公のお墓です」と申しますが、失礼と斟酌し云わなかったのが裏目でしょうか。

 中学生のグループが何組か見えました。何れからと尋ねたら「伊達町」と答えたので、亘理・伊達家15代伊達邦成とその家臣が開拓した北海道の伊達と思い、積極的にガイドしました。その反応はイマイチでした。祖先墳墓の地を訪れたにしては予習が極端に不足だなと思いつつガイドしました。
 あかとんぼの早のみこみでした。彼等は福島県伊達町から来た中学生であって、北海道の伊達は市で 町ではありませんでした。
 福島県伊達町からでは、伊達姓の由来をガイドすればよかったのです。

 11日の日誌に「仙台市のるーぷるバスが20分間隔で運行になってから、皆様には時間を気にしないで参拝されるようになりました。大変結構なことです。
 今後の課題はバス停に荷持ち預かりのロッカーを設置出来ないかです。荷物を持って登って来られる方がおります。バス停で預けて身軽に参拝出来れば、尚よろしいと思います。」と記載しました。
 このことで、バスの増便に尽力された市会議員に現場の反応を伝え、併せてロッカーの設置を提言したところ、女性議員だけに荷持ちをもっての参拝の苦痛を即理解され、バス停は諸問題があり困難であるが適当な所に設置を考える様に行動すると理解を示してくれました。
 このロッカー設置については、女性の読者から賛意・必要を訴えるメールがありました。

 資料館長から瑞鳳殿のページから「ぐるーぷ・よっこより」にリンク張りましたとお話がありました。これで瑞鳳殿の公式ページから「ぐるーぷ・よっこより」のページに、ここから「あかとんぼ瑞鳳殿ガイド日誌のトップページ」そして本日誌に至るルートが出来ました。今後はこの日誌記載に更なる緊張が必要になりました。
 お気づきな点ありましたら 教えてください。アドバイスをお待ちしております。



4 月 11 日 (日)  



 花曇りのお天気です。瑞鳳殿周囲の櫻は満開です。感仙殿周囲はこれからです。臥龍梅は完全に散りました。昨年は梅と櫻の二春の写真を写しましたが、今年は駄目でした。表紙に今年の櫻を掲示しました。ご笑覧ください。

 朝一番の方は静岡からのご夫妻です。静岡の方だから「三保の松原・天女さん」に「久能山・東照宮」に精通しているかは別として、これらをからめて本殿に天女さんとガイドしましたら、非常に親近感を持たれ資料館の見学を含め昼近くまで参拝されました。

 仙台市のるーぷるバスが20分間隔で運行になってから、皆様には時間を気にしないで参拝されるようになりました。大変結構なことです。
 今後の課題はバス停に荷持ち預かりのロッカーを設置出来ないかです。荷物を持って登って来られる方がおります。バス停で預けて身軽に参拝出来れば、尚よろしいと思います。

 若い三人連れに声を掛けましたら、「日本語できません」と返って来ました。大陸からの方でした。窓口でチケット購入の会話は通じた様で日本語のパンフを貰っいました。でも読めないで「猫に小判」でした。瑞鳳殿を理解できないで帰るところでしたので、事務所で英文パンフを貰いに、感仙殿地区まで追いかけ届けました。有り難うと云われ、熱心に読んでいました。ホッとしました。
 老若幼男女50人程のツァーが62の石段を下り掛けている所に登って行きましたので「このまま降りと参拝コースの逆行で半分の参拝になります」と声を掛けましたら、「いや、これでよろしい」の内容の日語でない返事が返ってきました。ツァーのバッチからすると中華民国からの御一行のようでした。
 あかとんぼは青春時代に北京官話の修得を志しましたがモノに出来ませんでした。そのツケがでたなと残念を感じました。

 昼頃、ガイド希望の方々が輻輳しました。本日は代表との二人だけでした。ガイドの最中に添乗員さんから「ガイドは外に居ないのですか、お願いします」と云われ、数分待って頂きガイドしました。北海道は十勝からの方々て、伊達領内の人々の開拓地との関係をお聞きしたら「それは隣村です、私らは雪印バターです」と大きい声が返ってきました。この自己紹介には一瞬ポカンとしました。おわかりになりますか。
 今朝フェリーで仙台港に上陸し仙台城に次に瑞鳳殿を訪れた。毎年東北を3泊4日の行程で旅行しておりますが、瑞鳳殿は初めてと申し、熱心に聴いてくれました。ガイド中にも質問もされました。又来年の参拝をお待ちしております。

 感仙殿で立派な花束を左右の花筒に活け、声高らかに読経された5〜7人の方が居られました。ガイドを聞いていた方がビックリして「伊達家の方々ですか」と尋ねられました。ご当主のご案内がありませんので「伊達家の方ではなく、家中・家来の末裔の方ではないでしょうか」と返事しました。でも定かな所は判りません。

 



4 月 4 日 (日)  



 臥龍梅は満開です。
 薄曇りで昼には雨となりました。でも観光シーズンの幕開けでしょうか。定期観光バスは10人以上の多数の乗客でした。仙台市の「るーぷるバス」も20分間隔の運行になったためかガイドしていて切れ目を感じません。又これまで30分以内で参拝しようとしていた方々が、次のバス40分・60分間隔いつでも乗れると感じたか、ゆっくり参拝されるようになりました。

 瑞鳳殿と瑞鳳寺と瑞巌寺との関係のご質問が合い続ききました。その日によって、同じ質問が連続する事があります。私のガイドの内容に関連する事なくです。どうしてでしょう。

 62の石段を一緒に登った父母と娘さん。「ここは何ですか」の質問に始まり、「仙台城と青葉城と仙台にお城は二つあるようですが、どこにありますか」と続きました。広瀬川を渡ったところから仙台城で、青葉城は別称です」「アッ川内キャンパス、青葉山キャンパスも仙台城の一画ですか。大きいお城ですネ。娘、大学に今年入ったので昨日廻ってきました」と申して、駐車券にハンコを貰い、参拝しないで降りて行きました。
 仙台城の一画で4年以上世話になるのなら、御霊に敬意を表し、加護を頼んでもよろしいのに。入試の際だけ神仏に祈るだけでなく、アフターケァーも祈ればと思います。

 小学校高学年の男の子と一緒の母親から、「登り口に(鹿児島県人の墓)の表示があったが、なにかと子供と話して登ってきた」と問われました。1877年の鹿児島地方の騒擾〔西南の役〕の関係者のものです。・・・・・と申し上げ、鹿児島の方ですかとたずねたら福岡です。九州関係の語が目に入る気になりますのお返事でした。

 盛年女性2人、涅槃門から色々質問されながら小雨降る中熱心に観賞されました。予想外の質問がありました。
 涅槃門で「アン・ウン」をガイドし本殿に至り、その続きをガイドしましたら「天女さんの足もアン・ウンになっているのでは?
 家紋「三引両」の持つている意味は?
 善応殿は誰が作ったか。四代綱村は何故造営を命じたか?質問の意味合いは幕府から江戸城外品川屋敷に逼塞を命じられた人は罪人ではないか、その人の豪華な墓を造営しても宜しいのかの発想のようです。
 この様に発想を転換したご質問は新鮮です。目が覚めます。

 本殿下の香炉で大騒ぎしている親子がおりました。小雨の為着ていたビニール系のカッパが線香の火で溶けて穴を空けたのでした。本殿に尻を向けての火遊びの最中のトラブルです。なお、線香代を払わないで何本も線香を立てる人がいます。何事も火遊びは慎みましょう。





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