2004年5月の日誌
| 前々月 | 前月 | 翌月 | 翌々月 |




5 月 16 日 (日)  



 曇り時々小雨で、青葉・若葉が輝いていました。

 「青葉まつり」の本祭り日です。
祭りの起原は、1655年東照宮の祭礼「仙台まつり」とされています。「青葉まつり」は1935年から、政宗公のご命日の5月24日に祭られました。1967年を最後に途絶えました。1985年に政宗公没後350年記念に5月の第3日曜日を市民のまつりとしてとして復活し、以来今年で20回目です。
 七夕と青葉まつりは、雨の確率が高いです。雨が降るほど豊作だとも云われています。今年も降りました。今秋は豊作でしょう。

 今年も、岩手県住田町の五葉山火縄銃鉄砲隊の出陣式・式三献が、涅槃門前広場で御当主を総大将として行われました。
 たまたまの参拝者は、普段は見られない、火縄銃鉄砲隊の武者姿、殿の三献の式を目の前にして、大喜びでした。○交定期観光バスの乗客は動かず、ガイド嬢は時計を見ながらお客様を促していました。

 先程使用した香炉台を本殿の中に納める時間になりました。ガイドを中止して「千載一遇の機会です。殿にお目通り叶います。扉が開いたら、お詣りをしてから、お目を合わせてください」と伝えました。皆様はお詣りし、早速撮影をしていました。お嬢さんが、背伸びして撮影した途端、おひそがでました。政宗公も驚いたのでしょう。
 皆様、政宗公の両眼明いていたと口々にしていました。
 若葉の季節に、簡単におなかを出す服装、おなか痛くしませんか。

 本日の最遠地の方は島根県の方で、武家屋敷等が残っていないのか、戦災復興都市計画道路等を尋ねられました。藩政時代の現存する建造物を見たいとのことで、宮町・東照宮をお薦めしました。秋になれば大崎八幡宮にループルバスが経由するでしょうから、この様な要望にはピタリと思います。

 函館から中学生の修学旅行、女生徒6人のグループでした。プレートからガイドしました。涅槃門の所で、高齢の女性から「何故中学生に優先的にガイドするのか」と云われました。途中から聞いて、先客居るからとのクレームとはハテナと思いました。「ご一緒にどうぞ」と返事しました。でもサッサと登っていきました。上にはUさんがガイドしていましたが聞いた様子がありませんでした。この方は文句をつけるのが趣味だったのでしょうか。
 とかく、涅槃門でのガイドは難しいです。
 女生徒達は、次に東北大学理学部・自然史標本館を見学すれば、予定時間一杯とのことでした。市の博物館を見学する人は大勢ですが、自然史標本館を見学とは誠に珍しいです。恐竜の骨が目的でしょうか。担任の先生のアドバス、素晴らしいと一人感心しました。



5 月 9 日 (日)  



 しっとりとした曇りの天候です。GW中の怒濤が幻に感ずる出足です。

 本日の最遠方は長州・萩からでした。この方は善応殿までガイドしましたところで、萩から来たと申されました。弔魂碑は興味なさそうなのでガイドしませんでした。弔魂碑は戊辰の役での伊達家家臣等1260名の犠牲者の慰霊碑であり、加害者の子孫の方々に、無用の不快感を感じさせなかった事、結果的に良かったとホッとしました。

 涅槃門でガイドしていたら、「邪魔だ よけてー」とオバサンに大きい声で叫ばれました。
涅槃門の麒麟をガイドする時間は、長くて3分です。自分の写真の都合で、僅か3分我慢出来ずに、聞いて見ている大勢の人々に移動・解散を求める、この発言は無いと思います。 叫んだ人はガイドを聞きませんでした。

 「此処は何時出来たのか」と聞かれましたので「1637年です」と答えました。戦災で焼失し、再建し、化粧直しをしたと、経緯を語ろうとしたら、スタスタと去られました。この方は、あまりにもキラキラ輝いているのと、ボラガイドをからかってやれと、その様な気持ちで質問されたのでしょうか。

 20代後半の男性、中途半端に勉強してきたらしく「伊達家は神道に転換しているが、ここは改修したのか、現在も神道か」と質問してきました。「伊達家は確かにご維新後、世情に習い神道に転換したと聞いている。その際に瑞鳳殿を改修したの事実はありません。現在の方については判りません」と答えました。現在の人の宗教を聞くとは誠に無礼だと思います。信教の自由、個人情報です。違憲です。

 プレートからガイドしたお嬢さんから最後に、「どの様にお詣りすれば」と尋ねられましたので 「お仏さまです」と答えました。

 今日は、多忙のUさんに、大病され1年近く休んでいたHGさんが元気になられ、ガイドに来ました。HGさんがこれを機会に更に健康になられるを期待します。T事務局長に久々にご挨拶しました。本日は久々・色々の出合いがありました。
 



5 月 7 日 (金)  



 5月5日の日誌の中で「。立正大学発祥の地で、由緒ある建物の屋根が木っ端葺きで補修された。」に関連して、愛読者の方から「参拝者が話しした由緒ある建物は、千葉県八日市場市所在飯高寺(はんこうじ)です。1573年に開かれ、1580年に現在地に移転、1874年日蓮宗の学問所としての294年の歴史を閉じた。講堂・総門等は1980年國指定の重要文化財に指定されました。現立正大学の仏教学部宗学科で宗門の僧を養成している」と丁寧なご教示のメールを頂きました。



5 月 5 日 (水)  



 曇り、時々雨低温です。GWもラスト。気力・体力・金力の残りが少なくなったのか、車も人出も少なく、瑞鳳殿との往復時間は普段の2/3でした。

 外国はGWが無い故か、この間にお見かけした、外国の方は昨日の欧米系ご夫妻と本日の韓国からの二嬢の2組だけでした。
 本日の国内は奈良や横須賀からもお見えになっていました。

 ○交バスのガイド田○嬢から「再建以来補修はしていないのか」と尋ねられましたので、「2000年から1年かけて全面的に化粧直しをしました」と屋根の龍や本殿の彫刻を指して話をしたら、早速にメモをしていました。午後の便にも乗務するそうですから、午後のお客さんはガイド嬢からこの話が聞けます。

 拝殿で休んでいた方から、「何故こんなにピカピカしているのか」と尋ねられたので、「空襲で焼失し、昭和の技術で再建し、02年に化粧直しが終わった。国宝等の指定がない故に化粧直しが容易であった面もある」「自分は千葉から来た。立正大学発祥の地で、由緒ある建物の屋根が木っ端葺きで補修された。銅板葺きにして欲しかったので、役場に話ししたら、文化財補修の国庫補助関係で出来ないと言われた。文化財としての指定も良し悪しだ」と話され、シッキリした表情になり、配偶者とともに下りて行きました。

 拝殿を潜るなり、「ヤッパリダテダー」と大声で叫んでいる人がおりました。今度は普通の声で「金沢に行ってきたが、前田利家公はこんなに派手でなかった。さすがダテダー」言われました。

 横手からお出でになったとのことで、「横手の初代城代国分盛重は政宗公の叔父で、佐竹家で伊達を名乗り、正平寺に祀られています」と話ししたら、正平寺は知っているが、それ以外の事は知らない、何で仙台に来て横手の歴史を語られるのかとキョトンとされました。

 感仙殿地区で「板碑」を熱心に見ていた方が色々尋ねられました。感仙殿発掘調査の結果、発見されたものでと、その経歴をかたり、仙台市の板碑について簡単に正確に概略を知りたいのであれば、博物館の売店で「市史せんだいNO8 @800」をお求めになれば宜しいのでは、とお知らせしました。

 子供の日 記念
1.子育中のご夫妻で参拝の際は、父親が赤ちゃん・幼児を背負う等の面倒をみて、母親を身軽にしているケースが多くみられます。

2.幼児は動きが激しく、親が参拝しているすきに、玉砂利を掬いお賽銭箱にジャリジヤリと入れました。親の真似をしたのでしょうか。親はビックリしていましたが、賽銭箱を開けた会計のおねいさんもビックリでしょう。

3.手水鉢の中には各額面の硬貨がお賽銭のつもりでしょうか入っています。小学校低学年生、水中に腕を入れ硬貨を集めていました。冷たく無かったでしょうか。親御さんご注意をお願いします。
  以上はこのGW中に見られた光景です。

 GW連続のガイド 私も気力・体力 消費しました。疲れました。



5 月 4 日 (火)  



 天気予報は70%の雨、でもガイド中パラパラ降られた程度でした。
森からは鶯の鳴き声が聞こえてきました。

 9時開門と同時に、10時半頃まで怒濤の如くの参拝者でした。天気予報が大雨とのことで予定していた方々が早めに訪れた様です。その後一回切れ目が入りました。

 タクシー利用の方も結構おり、普段見慣れない運転手氏の案内が数多く見られました。プロのガイドを聞きたいものと代表と語りましたが、今日は忙しかったので遠慮しました。

 職員駐車場に見慣れない車が数台駐車していました。参拝者の車の様です。狭い路地を通って凹凸と傾斜のある条件の悪い駐車場に入らなくても、楽々駐車場があるのに。折角の参拝です、正面から訪れたら、何も勝手口に相当するここから参拝しなくともと思います。瑞鳳殿に対する印象が悪くなるのでは心配です。カーナビに頼っての毎年の現象です。

 兵庫からの三嬢、涅槃門の麒麟に始まって五色の瑞雲、紅白の牡丹に唐獅子と、そして本殿の天女さん等を、三人各自、デジカメで丹念に撮影しました。ホームページでも作るのでしょうか。

 GW 家族連れが多く、家族間での会話を楽しみながら参拝で、ガイド不要と言うより、邪魔といった様子が見られました。大きい声で「青葉城と青葉区 似てるな オモシロイナー」と。旅に出ると何でも面白くなる様です。

 オジイサンが自分の耳を指して、次に手のへらを広げ、W Cと書きました。門外のトイレを指差しました。オジイサンは友人の腕を引っ張って行きました。それだけのお話です。これも「手話」と言うのでしょうか。



5 月 3 日 (月)  



 気温が上がらない予報でしたが、温暖な一日でした。
 開門と同時に怒濤の如く皆様が訪れました。バスは超満員で、その殆どが瑞鳳殿前停留所で下車したそうです。うなずけます。通常は昼には切れて空白になりますが、今日は切れ間がありません。

 北海道からの方々が数組おりまして、一組の方はいろいろなお話をしてくれました。
1.北海道は内地からの移住者が開発した土地で、近所には「宮城沢」なる集落がある。2.此処の人々の先祖は宮城県の人です。3.全国各地からの移住者なので、紋も数多く、面白いというか、変わった紋を持っている人が居ます。
 こんな疑問も示されました。昭和天皇はジュラルミンの箱に朱肉を詰めて埋葬されたので永久である。政宗公も同様と聞いたが本当か。寶筺印塔を指して、北海道では寶筺印塔とは云わないで五輪塔と言う、何故寶筺印塔と云うのか。等でした。
 これには、昭和天皇の埋葬の方法は不勉強でわかりません。政宗公は従前のとおり牡蠣灰を詰めて埋葬しています。ここでは、寶筺印塔と云っており北海道の事情は、お客さんの申すとおりかも知れませんが、私には判りませんと答えました。

 別の組の方は、瑞鳳殿の再建費用を伊達藩ゆかりの方々の寄付です、例えば札幌市白石区と話したら、私は西区、西区は小樽市より廣いの、札幌の人口は180萬、仙台は幾らと、現在のお住い地区の自慢を始めました。

 拝殿の扁額「珊瑚と真珠」。珊瑚は国産品は採取されなく高価と聞いていますと話しするとお嬢さんは素直に頷きました。「どちらから」と尋ねたら「土佐の高知」と。珊瑚の本場からお出でになったのでは、珊瑚産業の現状を当然理解されています。素直な頷きに納得しました。坂本龍馬と桂浜の自慢せずに、豪華華麗な本殿を眺め、政宗公を偲んでいる様子でした。若いのに出来た方です。

 スポット型のガイドを致しておりましたら、フルコース型のガイドをして欲しいのお声がありましたのでガイドしました。20人近くの方々が熱心に聞いてくれました。そして最後に拍手がありました。ボラガイドに拍手は照れました。でも嬉しかったです。

 先日、H代表からボラガイドの心得[人種、信条、性別、社会的身分、服装で差別することなく平等にガイドをする]を聞いていて、どっかで聞いた言葉とうっすら考えていました。今日は憲法記念日、憲法を開いたらありました。「憲法第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」です。



5 月 2 日 (日)  



 五月晴れ 八重櫻もすっかり終わり 新緑が眩しく輝いていました。
 空気はやや冷たく 瑞鳳殿から感仙殿に移動の最中にコートを羽織る方もいました。

 GWの中盤 参拝者は定期観光の「るーぷる」バスが到着の都度、団塊となりお出でになりました。

 今日は瑞鳳殿のみ参拝と申されるご夫妻をガイドしました。なかなかご存じなので、ハテナと思ったら、母親は三番丁に住まいして仙台空襲では避難したとのこと。今回はホテルに宿泊し、ふるさと(母親の育った町)をじっくり楽しむ予定とのことでした。

 入ってくる早々に、「塗りが単調で 何処もいっても同じで オモシクネェー」とつぶやきながら登段していった方がおりました。先程のご夫妻は、「伊達家の黒色は素敵だわ、武具に始まった建物も黒 伊達な色だわ」と申されていました。人様々です。

 涅槃門から本殿までガイドして、5月24日はご命日で法要がありますと、その様子を伝えると若妻が「ワァー」と。「私たちの結婚記念日なの」と返ってきました。1年目を迎えるまで新婚と称するそうで、この方達は2度目?の新婚旅行でしょうか。「家族が増えたら、またお出でください」と云うと「ハィー」と返事。伊達家三代の御霊屋をお詣りして、何れの殿様に似た気質の子が授かるでしょうか。

 ガイドブック片手のお嬢さん二人、昨日は瑞厳寺を参拝され、今日は瑞鳳殿をじっくり参拝するとのこと。昨日から疑問に思っていたと「政宗公の兜に見事な半月が輝いているが、どの様な意味合いがあるのか、仙台銘菓に「○○の月」があるか、この月との関係は?」と聞かれました。
 意表を突かれたご質問。まいりました。わかりませんとお答えしました。
 政宗公の兜の月は見事な意匠だなと見ていましたが、意味まで考えた事ありませんでした。どの様に調べたらよいか考え込んでいます。「○○の月」の意味は菓子会社にメールすれば教えてくれるでしょうが。

 4月24日の日誌に「戊辰役弔魂碑前の石塔が根本から倒れておりました。風で倒れる物では無く、地震もなかったのに、倒れた原因は何でしょう。不思議な現象です」と記載しました。本日 完全復旧していました。倒れた原因は車の衝突との事でした。
 車が入れないところに入った車、何処の車でしょう。





inserted by FC2 system