2004年9月の日誌
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9 月 26 日 (日)  



 大粒の雨が休みなく降る日です。天気予報は曇りで、家をでる時は秋入梅の感じでしたが瑞鳳殿に着いた途端、大雨となりました。

 雨ならば参拝者は少ないだろうの予測は、天気予報と同様に外れ、簡易カッパを着用し、コンビニ傘を差して、続々と新潟・千葉・茨城・石巻からお出になりました。

 伊達三家紋を説明したら、あかとんぼと同年配のご婦人から、「九曜紋は私の生家の家紋です。今一度詳しく教えて下さい」と申され、九曜の星に佛名を当てる九曜曼陀羅がありますと、手持ち資料により星の配列等を説明しました。「九曜紋をお持ちとは由緒ある家柄でしょう」と聞きましたら「ハイ、茨城から来ました、生家は代々村長を務めていました、連れの家紋は・・・・」と語り始め、今日ここにお詣りして最高幸福と申されました。
 あかとんぼも大雨にめげずにガイドして、よかったなと思いました。

 伊達領内の人でない男の添乗員、「あの建物の中にお墓があります。屋根の龍は口をあいています、龍の餌はなでしょう」等のガイドしていました。
 ちょいとふざけすぎのガイドと思いましたが、喋ってナンボのプロのガイドです。素人の楽しみでガイドしている者がとかく申す事ではないので黙っていました。でもお客さんが気の毒です。

 お詣りの前に「ココは佛様ですから、何々をして下さいと自分の願望を祈ってはだめょ」と語り合いお詣りして居る方がおりました。あかとんぼもそのように思います。


 今日は数組にガイドを求められガイドしました。大雨に本殿前でのガイドはお互いに濡れますので、続きを拝殿に移りガイドしました。雨の中参拝され聞いて頂きと、感謝申し上げますと、丁寧にガイドして頂き、充実した参拝になりましたと各組からお礼を云われ恐縮しました。

〈メモ〉
 九曜の星と佛名の組み合わせは次の通りです。
 羅候ラゴラ(不動) 水曜(弥勒) 金曜(阿弥陀) 日曜(千手) 火曜(虚空蔵) 計都ケイト(釈迦) 月曜(勢座) 木曜(薬師)
 星座 真中が土星で真上の12時の位置が水星で、以下時計回りに羅・木・日・火・計・金・月の順となります。 

 



9 月 20 日 (月)  



 曇りながら暑い日、62の石段を登ってきた方々、手水鉢の吐龍からの飲料水で喉を潤していました。

 八戸からの車、同時に職員駐車場に入りました。カーナビに案内されたら此処に入ったと申していました。途中の案内板を無視した結果です。プレートから本殿までガイドしました。
 プロ仕様のカメラを持っていましたので、あかとんぼのポイントは此処と此処とですとガイドしました。暫しゆっくり多方面で撮影していました。素晴らしい写真が撮れたでしょう。

 宮○交通の○○さんから、先日メモ頂きました。ありがとうございますとお礼がありました。手帳を手にしてのガイド。瑞鳳殿の面積、高さ等々 皆さんとも内容は同じです。

 昨日は七夕期間中以来の参拝者数であったらしい。確かに お昼の空白はなく、連綿として続きました。今日は昨日の八割位。でも、腰痛の再発が怖いので昼でお終いにしました。

 日本以外の国では「極楽と地獄」の世界は存在しないのだろうか。日本でも極楽が少なくなったのか、極楽なる言葉の頻度が低下し、天国なる言葉が台頭してきた様に見受ける。 
 数人の若い女性が、これまた若い欧米系の女性を案内してきました。本殿が素晴らしいとシャッターを切っていました。あの涅槃門からこちらは涅槃の世界。本殿は極楽ですと案内の女性に話をし、伝えてと申しましたが無視されたようです。難しかったでしょうか。

 敬老の日。突然15日から20日に5日も日延べしての祝日。先祖に敬老を示さないといけないと思ったのか、足や膝の弱った高齢者を連れてきたファミリーが何組が散見されました。
 孫や曾孫との外出は嬉しい反面、体にきつかってのでは。これでは軽老の日ではないかと思った。

〈メモ〉
 ガイド嬢も語る瑞鳳殿の仕様は。
 本殿は鉄筋コンクリート造り平屋建て、屋根は方形造り、銅板本瓦葺き、33.6u、軒高4.11m、高さ(含寶珠先端)9mです。床面積は焼失前と同じ。
瑞鳳殿公式HP 瑞鳳殿質問箱瑞鳳殿キッズによりました。



9 月 19 日 (日)  



 今朝 日の出を拝みました。間もなく雲の中に。瑞鳳殿でガイドを始めたら雨が降ってきました。車に傘を取りに急ぎました。
 暫しの雨が上がりましたら、暑くなり、薄衣の上に一枚羽織ったそれを脱ぐに脱げずに、汗を流して居られるご婦人をおみかけいたしました。

 3連休の人もおり、軽装で旅行出来る暑からず寒からずの季節です。広島・新潟・北海道をはじめとする全国からの参拝の方々は切れ間なくありました。

 小雨の中をコニシキの様な巨漢の男女50人ほど、割り箸の様な体型のガイドに案内されて上がってきました。
 ガイド嬢にどんな団体か尋ねたら、欧米の人達で、日本一周の旅の一行とのことでした。
 このガイド嬢は英語が得意でないと自称するだけあって、ロクロクガイドしません。あかとんぼが音声ガイドを紹介しましたが、聞く人は少なかったです。結局 此の人々に、ここはthe mausoleum of first feudal lord of semdai-hen であると充分に伝わったのか疑問でした。それは写真を撮るのに忙しい姿はみましたが、本殿に頭を垂れる姿を、あかとんぼが見逃したからです。
 これまで、欧米の人々は、領主の廟と知れれば、その宗教観を別に、一様に頭を垂れて敬意を表していました。今回は別でした。原因は何処にあったのか。

 広島からのご夫妻に、政宗公は両眼を描かせたのかのご質問がありました。あかとんぼの答えの先を考えたか政宗公程の人でもと、其の心情を惻隠されていました。

 現役の年齢のご夫妻から、「これはRC造り?」「斗拱もそうか」と立て続けに専門用語のご質問。「はい、そうです。鉄筋コンクリート造りです。それ故に斗拱周りの微修正には鉋が使用できずに難儀したと聞いています」と答えましたら、納得・満足され、最後に「飾り金具を作る時には、松脂を敷いておいて叩くのだ」と教えてくれました。

 宮○バスのガイド嬢。手帳を手にして此までの最短時間のガイドでした。ガイドは短くても必要な事を全て話すれば、それでよろしいでしょう。お初の方で、エールの交換もありませんでした。

〈メモ〉
1. 政宗公肖像画の目について 次の様に聞いています。
 ある時、自分の肖像画・木像等を作る時は必ず「両眼を入れよ」と厳しく命じたそうです。家来が「どうしてですか」と聞いたならば「自分は両眼を持って五体満足な姿で生まれた。不幸にして疱瘡で片目を失った。片目の肖像画等を作れば、後世の人々は政宗公は片目と信ずるであろう。それでは五体満足に生んで呉れた親に申し訳ない。親不孝になる。故に両眼を入れよ」と申されたそうです。
2.the mausoleum of first feudal lord of semdai-hen 
 瑞鳳殿の公式 ホームページに表記しています。
3.欧米の人達で、日本一周の旅の一行
 テレビニュースでは仙台港に昨日、最低500万円の室料の豪華客船が入港したとある。雰囲気から、この人達ではなかったか。



9 月 12 日 (日)  



 曇りの天候ながら参拝のお客様は連続しました。そして常のとおり昼時30分ピタリと参拝者が皆無・空白の時間が出来ました。

 この皆無の30分、清掃担当○さんとこの歴史公園に住む動物の話をしました。此まで目にした動物を二人で上げましら、栗鼠・羚羊・蜥蜴・青大将・狸・白鼻心・藪蚊に烏でした。
 この大都会の中で、こんなに珍しい動物がいるとは。やはりここは聖地なのでしょう。

 はたち代の男性3人が拝殿で寝そべっていました。そして時々起きあがり、手を叩いていました。どうしたと聞いたら、「でっかい藪蚊が来る」の返事。清掃担当○さんと二人で「それは雌の藪蚊だ。我々には来ないぞ」と云ったら苦笑いしていました。
 100段そこそこを登って拝殿で寝そべる様で貧弱な体力では、若い女性には相手にされないでしょうね。寄ってくるのは藪蚊くらいでしょう。男は体力が勝負だ。

 今日の常陸・京都からの女性に、栃木からのお嬢さん達、聞き上手の方ばかりでした。質問のタイミングも心得ており、舌好調のガイドができました。
 反面、サダマサシの逆歌(カカァー天下)の世界60年でしょうか、エライ偉ぶった高齢のご婦人達、30分ガイドしろと命令調の態度、ガイドすると全てわかった振りの半畳を入れます。誠に調子が合わず早々にお仕舞いにしました。

 本殿の扁額をガイドしたら「なる程 その様に思って夫と話したところであった。おおらかな書体ではあるが、字に面白味がないのよ。殿様の字とわかるのよ」と返ってきました。忠宗公の直筆ですとのガイドに対する反応です。続いて、拝殿の扁額を指しましたら「味のあるよい書体ですね」と返ってきましたので、そこで初めて「当時、一流の書家であった佐々木文山の書です」とガイドしたら、なるほど、そうでしょうと納得されました。資料館に焼失前の扁額の写真が掲示していますので是非ご覧下さいと勧めました。
 やはり本物は違うと感激して出てきました。書についてこれ程の感想を語ってくれた初めての方です。このご婦人は書が好きで、訪れた先の扁額を真っ先に拝見する事にしていると話されました。

 ライトアップは常時、実施されているのかのお尋ねがありました。七夕期間中だけですと答えました。独り言で「肝試し以外、夜間の墓参りはしないのでは」と申しましたが、入場券の写真がライトアップで浮き出た瑞鳳殿本殿の写真です。これを見ての質問でした。この様なものを、四字熟語で羊頭狗肉と申すのでは。

 宮○定期観光の☆☆ガイド嬢 メモを見ながら大きい声でガイドしていました。あかとんぼのガイドを懸命にメモして、午後又来ますので続きお願いしますと云われてしまい、午後に続きを語りました。明日も来ますかと聞かれたので、どうしてと聞いたら、非番なので続きお願いしたかったとのことでした。
 ガイドが遅刻したら大変と 発券窓口に御世話様と大きく挨拶をして下りていきました。

 この☆☆嬢も▽▽嬢も、巣立ったばかりの雛、19歳の青春に燃えています。先々が楽しみです。ガイドはあかとんぼだけですか問われましたので、優秀な諸先生がいますと紹介してありますので、諸先輩よろしくご指導お願いします。



9 月 9 日 (木)  



 台風18号は津軽・北海道に強風被害をもたらしました。幸い瑞鳳殿は通常の落葉程度でした。

 仙台市の施設を見る会・婦人防火クラブ○○の43人をご案内しました。所要時間は1時間で行程上から1分の延長も駄目ですの制限付。プレートから登り口迄のフルコースを59分で纏めました。

 市内に永年居住していて、瑞鳳殿とは、その歴史をそれなりに知っていたが、初めて訪れたと申す方もおり、ガイドがあって良く理解した。よかったのお声を頂きました。
 日曜日の午前にお出でになり、お声がけ頂ければ心ゆく迄ガイト致しますと申し上げました。

 この団体の5分前に宮○バスのガイド嬢から、ガイドお願いしますと云われましたが、予約時間直前でしたので、事情を話して了解して頂きました。
 平日もガイドが居れば、訪れた方に喜ばれるのに、土日のガイドのみしかガイドがいないのは残念と思いました。

 施設を見る会の前、1時間余を舌慣らしのガイドを登り口から数組しました。小学生のサークルがメモを取っていました。時間の制約が無ければゆっくりガイドして上げれたのに残念でした。未来の日本を背負う小学生に正しい歴史を語るのが高齢者の責務と考えているからです。

 宮○定期観光の○○ガイド嬢から、次の質問がありました。
1.政宗公の干支はなんですか。
2.政宗公は1567年8月3日生まれですが、何曜日ですか。
3.政宗公の守り本尊はなんですか。
この答えは
1.「卯」です。
2.当時は太陰暦で曜日はありませんでした。太陰暦から太陽暦に換算しないで、そのまま検索すれば木曜日です。学術的には正確ではありません。
3.政宗公の守り本尊は先輩にもお尋ねしましたがわかりません。現在の守り本尊の考えでは「卯」年の守り本尊は「文殊菩薩」です。

 これらの答えは、日曜日のガイド嬢を介して伝える約束をしました。
宮○定期観光のガイド嬢の皆様は、お客さんからの質問で答えられなかったものを、私達に気軽に尋ねてきます。意外な質問があり勉強になります。仲良く勉強しましょう。

メモ
 守り本尊等について H代表から次の様に教示を頂きました。
《「守り本尊信仰」は平安中期以降に生まれ、武家の支配する世になって、各地で戦
乱が続くと、それに参加する武士の間に守り本尊を身につけて戦場に赴き、南北朝以
降も続いた。江戸時代に入ってからは、元禄や享保以降、神仏の思想を利用して民衆
支配の一助にしたいという傾向があらわれた。」
 以上、吉岡一男 著 「仙台の守り本尊信仰」記載の一部を要約したものです》



9 月 5 日 (日)  



 雨の予報でしたが降られる事も無く、快適な日でした。

 外国の方、団体の方の姿はなく、小団体、家族連れが主体でした。
ガイド中に腰をおる発言も無く、途中10組近くのシャッター押す屋になった以外、平穏なガイドの日でした。

 市内定期観光バスのガイド嬢は○沢さんでした。先週も彼女でした。日曜日専門なのでしょうか。元気です。

 体調が万全であったのか、午前3時間ピッタリ休む事無くガイドしました。健康管理も目的に始めたガイドで体調を崩して入院騒ぎは 本末転倒でした。



9 月 4 日 (土)  



 仙台の城下に充分な水を供給する目的で、政宗公の指示で作られた「四ッ谷用水」。

 この歴史遺産を復元し、子孫に伝え、且つ仙台の町に潤いを取り戻そうと云う市民活動「四ッ谷の水を街並みに!市民の会」があります。
 この会で、「街なかに水流復活のための新法制定を」を国土交通省に要望しましょうとなりました。この要望書に「仙台は伊達政宗が」と云う表現がありましたので、ひと言発言しました。

 政宗公と「公」の一文字を入れて頂きたい。
 四ッ谷用水を作らせた実績を評価しての市民運動しているのであれば、その事績に対する尊敬・感謝の念をはっきり表現すべきである。呼び捨てしたのでは外部の人々には、地元住民が敬っている念が伝わらない。

 瑞鳳殿でボラガイトをしているが、内外から訪れる方々に、仙台・伊達領内の人々は、政宗公を偉大な人物として敬っていると、知って貰うために政宗公と、はっきり公をつけてガイトしている。此はプロのガイドも同じである。

 身内が尊称を着けるべきでないの考えもあるが、我々は伊達家の身内ではない、領民であるから、着けて変と云うことはないでしょう。

 なるほど の声 しきりでした。

 ご参考まで
 久能山・東照宮に案内したガイドは「家康公」と云っておりました。「家康」とけっして呼び捨てにはしませんでした。

 



9 月 3 日 (金)  



 静岡 久能山東照宮と三保の松原に自主研修に行って参りました。
 

 久能山東照宮の祭神は家康公で、1617年12月に完成しております。
 日光東照宮は1636年に造営され、政宗公は最後の参勤の際に参拝されています。そして同年5月24日に江戸で亡くなり、この地に埋葬され、1637年10月に瑞鳳殿は完成しています。規模の違い以外は、同じ桃山様式の建造物です。

 瑞鳳殿の建造物としての根元は、日光東照宮から久能山東照宮にあると云えるのではの思いで日頃ガイドしていて、訪れた事がないのは不遜ではないかの反省から、今回の参拝になりました。豪華絢爛な楼門・本殿は塩害対策等から、瑞鳳殿の工事もした日光に本社のある専門業者が漆塗り等の工事中でした。

 工事終了の楼門では極彩色の「牡丹に唐獅子」「花鳥の透彫」等が間近で拝見出来ました。実に素晴らしいものでした。さすが800万石、天下の征夷大将軍です。
 62万石は足許と感じました。

 ここにはボラガイドは不在で、パンフを頼りに参拝です。石畳はその技法から1617年以後に改修されたものでは推察されましたが、ガイドが居ない為確認出来ませんでした。

 1159の石段を含めてれば、1回のガイドは3時間を要するでしょうが、ガイドの欲しい所です。瑞鳳殿の経験からすればガイドのやりがいを感ずるところでした。
 

 天女伝説の「三保の松原」の天女さんが羽衣を掛けたと云われる松は、その後 羽衣が掛けられなくなって久しくなったのが原因か、元気を失い治療中の看板が出ていました。


 昨日の徳川18代ご当主の講演内容に、今日の参拝の経験からして、瑞鳳殿でのガイドの方法・内容等に更なる工夫が必要と痛感しました。
 如何に、顧客のニーズに対応するかです。



9 月 2 日 (木)  



 地域の名所等を紹介する観光ボランティアガイドの全国大会が愛知県豊橋市で開かれました。主催者発表で、全国に27,000人のボガイドがいて、大会には840人が参加しました。

 参加者の内、NPO法人で参加したのは参加者名簿によると「シニアネット仙台」と「なら・観光ボランティアガイトの会」の2団体のみで、後は所在・名称から推定して、行政機関と行政の支援を受けている団体でした。

 基調講演は、財団法人徳川記念財団理事長 コ川恒孝(つねなり)氏でした。氏は「徳川宗家・将軍家十八代当主です。ここ三河の地であれば本来は尾張・徳川家の出番でしょうが」と断り、「江戸250年の天下泰平の意味するもの」の演題で語られました。

 その要旨は次のとおりです。

 徳川265年の時代は、安定した平和と自給自足の中での高度な文明を発達させた世界史上稀有な例である。世界一の教育水準・識字率で治安誠によく、女3人で6ケ月の旅行をした事例もある。ここ吉田宿では年間200萬人が通過しており、猛烈な旅行ブームがあった。

 まとめとして、地域の活性化、観光に果たす歴史の重要性は極めて高い。正しい史実に基づく現地での説明は、見る人々の日本再発見につながり、説明者の真摯な思い入れが強い印象と感動を呼ぶ。

 単なるモノの説明でなく、造り、使い、滅んでいった人達の生活、感性に触れる事が強い印象を残す。その時代全体の中の位置付けが、興味と立体的な理解の厚みをます。

 
 分科会は、「障害者・高齢者への対応」等の6分科会が開かれ、標題の会に参加しました。発表者は極めて発表意欲が高く、その内容は、障害箇所の地図を作りました。手話を勉強しました、行政にトイレの設置も要望した等の内容でした。
 あかとんぼの求める、視覚障害者にガイドを受け入れて貰い、如何に理解出来る様にガイドをするか。それ自体歴史的価値のある不規則な石段を足腰膝の弱った高齢者に、如何に負担を軽くして味わって頂くにはどんな方法があるかでした。その期待はずれでした。

 情報交換会では、札幌市観光文化局の○山嬢から、ガイド登録者が100余人もいて、出番の調整をしていると聞かされました。登録者の養成は如何にしているかは聞き漏らしました。この辺が仙台における問題点と思っています。





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