2005年4月の日誌
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4 月 29 日 (金)  



 本日は「みどりの日」。以前は「天皇誕生日」更に遡れば「天長節」と称した国民の祝日です。

 みどりの日にふさわしく、満開の櫻は、今朝の風で花吹雪となり、絨毯になりました。そして木々は一斉の緑の葉を吹き出しました。

 今朝一番の方々は10日から宮城県内を旅行していると称する高齢のご夫妻2組でした。瑞鳳殿に至る道を不安げに、あかとんぼの前を走っていた石川と福井のナンバーの方々でした。前田家ですねと申しましたら、福井の方から「イヤ 松平32万石です」とすかさず云われました。「ありがとうございます。勉強不足でした」と謝りました。ガイドを気持ちよく聞いて頂きました。今晩、磐越道を経由し20日振りで帰宅されるそうで「横転事故など無いように、お気を付けて」申し上げました。
 
 本日 最遠方の方は ロシアからの青年でした。白髪の訛りのあるガイドとロシアの青年の会話の様子を拝殿で見ていた、我が同胞は「ヘー」といった表情でした。私も「ロシア」と返事され「へー」でした。

 裏駐車場で個人タクシーの運転手から「此処に停めていいかな」と聞かれましたので、「お客さんを案内する短時間なら大丈夫でしょう」と返事しました。車椅子使用の方でした。しかし裏からでも車椅子の使用は出来なく、運転手と連れの方が両脇から支えて登段しました。ガイドを乞われましたのでしました。「この石段も歴史価値のあるものです・・・・・」と申しましたら、ご理解してくれ、「殿様の奥方になった気分」と、不平を言わずに楽しんでくれました。出来たご夫妻です。

 ○畿ツーリズムのバッチの4方。「先週 平戸に云ってきた。名護屋城址を見てきた。「文禄の役の際の名護屋城。解体し各大名がお土産にした。政宗公は大手門を土産に持ち帰ったと聞いたが、現在何処にあるか」と聞かれました。「1945年7月10日の仙台大空襲で焼失しました」と返事したらエライがっかりした表情になりました。

 可愛い幼児を連れたご夫妻。プレートを熱心に読んでいましたので本殿までガイドしました。広島から転勤してきたばかりで勉強に訪れたと申して、じっくり聞いてくれました。「ここをしっかり見るにはどの位の時間が必要かですか」と聞かれました。「3時間は必要です。お求めなら致します」と申し上げました。しかし1歳3ケ月の幼児を連れて これから3時間は厳しいので 日を改めることにして、取りあえず、このホームページを見て頂くことにしました。
 「紋所[三引両]は仙台市の市章になっています」と申しましたら「アレーホンとダー」と。「広島市の市章は浅野家の紋をモデルしています」「アレー それは知らなかった」となりました。

 今朝の風で 拝殿の前 落葉で山盛りになっていました。参拝の方にご不快の念を持たれたら困りますので、事務所から箒を拝借し除去しました。常緑樹の葉の交代期は今なのでしょうか。

 売店に「経ヶ峰伊達家廟域の散策」12頁の冊子ありました。簡潔且つ詳細にまとまっています。「此はよろしいですね」と申しましたら「勉強して下さい」と一冊頂きました。勉強します。ありがとうございます。

メモ1.
 福井は北庄と云われた地。1600年二代将軍秀忠の兄「結城秀康」が68万石で入り、有為転変があり幕末に四賢候の一人の云われた松平春嶽が16代藩主となった。1868年の戊辰の役では北陸道鎮撫使の指揮下に入り会津若松を攻撃している。侯爵に叙された。伊達家は伯爵です。
 資料は「中嶋繁雄著 大名の日本地図 文芸春秋刊」によりました。

メモ2.
 仙台城大手門は政宗公が1593年代に拝領し、江戸屋敷に存置しました。1639年忠宗公が二の丸造営の際、仙台に移築しました。その後 陸軍第二師団の正門として使用され、1945年7月10日の仙台大空襲で焼失しました。1930年国宝に指定され、焼失により自動的に指定解除になりました。
 資料は「菊池勝之助著 仙台事物起原考」によりました。



4 月 28 日 (木)  



 暑い日でした。全国的で真夏日を記録した所もあるそうです。

 瑞鳳寺を中心とした「春の植物観察会」が片平市民センター主催でありました。講師はキブシの会会長の渡辺氏です。女子商の森以来3年振りにお会いしました。個性の或る生徒なのか、それとも教職にあった人は、一度教えた生徒の顔は終生覚えている特性によるものでしょうか。知っていてくれました。

 入場料を必要としない瑞鳳寺墓地と穴蔵神社境内で春の草木について、教えて頂きました。いろいろ珍しい草木に驚きの発見でした。人に寄っては雑草と評価される草木です。瑞鳳殿地区のガイドルートではお目にかかれないのものばかりで、直ぐガイドに活用できないのが残念です。

 瑞鳳寺墓地で草木の発見ほか、新しい発見がありました。瑞鳳寺は瑞鳳殿等の管理等を目的に建立され、明治に廃寺になり、大正年間に再建されたお寺と学んでいたので、現在ある墓碑は近代のものと理解していました。しかし1683(天和3)年から1993(平成5)年まで、又、1855(安政2)年から1998(平成10)年までと連綿と続き、各墓碑で区画を形成しているものがありました。何れも伊達家重臣に見られる家名でした。これは、伊達三代の廟を管理するのみのお寺では無く、檀家を持っていた事になります。勉強のし直しの必要を知りました。

 同様に廃寺になり再建されなかった定禅寺・寂光寺。特に北山にありました寂光寺は墓碑が無かったのか。近接する輪王寺 には政宗公の三男竹松丸の墓碑と殉死者の2墓碑があります。寂光寺跡は住家が立ち並んでいますが、伊達家ゆかりの方の墓地がなかったのか、どうなったのでしょうか。勉強の必要を知りました。

 瑞鳳殿参道の右手奥に鎮座する穴蔵神社。足下の広瀬川越しに夕陽の沈む仙台城・青葉山を望む風雅な地で、伊達家の守護神として夕日明神とも称されてきました。本殿を改築したそうで、神主3人と崇敬者で祭神の遷宮の儀式が丁度11時から執り行われていました。



4 月 25 日 (月)  



 瑞鳳殿ボラガイドの仲間の会「ぐるーぷ・よっこより」の総会がありました。

 よりよい観光ボラティアガイドを目指すための年間の学習会の日程・項目・講師等の計画の発表と観光ボラティアガイドとしての 応接心得の確認ががありました。

 05年度の例会・勉強会の日程等の詳細は「ぐるーぷ・よっこより」のページをご覧下さい。

 04年度のガイド実績は1476人と15年度より361人も増加しました。研修の参加者は256人と過去最大を記録しました。 なお、ガイド実績人数には 瑞鳳殿での土日のガイドは含まれていません。 



4 月 24 日 (日)  



 全山 櫻花爛漫です。

 涅槃門を足早く潜り抜け本殿を目指す方々の多くは、単なるテーマパークのつもりですからガイドを聞こうとしません。
 涅槃門まえでパンフを手に、門扉を凝視していたお嬢さんをガイドしたら、聞きながら各彫刻や天女さんを丁寧に見て撮影していました。「興味ありますか」と尋ねましたら「ハイ 昨晩 仙台の友人宅で この「あかとんぼガイド日誌」を読んだら 是非 参拝したい思いになり来ました」のお答え。史学系か美術系の学生さんでしょうか。嬉しくなりました。

 埼玉からの6人家族。最後に家紋の話の続きを香炉の前でしました。「この香炉は一枚の銅板を叩き延ばして作ったものです。火鉢は鋳物のものもあり、昔は鋳物の町として川口市が有名でした」と迄語ったところで「私たち 川口から来ました。鋳物工場は未だあります。オリンピック会場の聖火台は 川口の○○さんが作ったものです」と教えられました。

 涅槃門のガイドの際、「青森からお出でのお客様おりませんか この柱の用材は青森檜葉です。青森営林局にお願いし 漸う買えたものです」とガイドした途端、「ハーイ青森営林局の近所から来ました。青森檜葉は最高の建築用材ですが、入手困難です。ここ瑞鳳殿で青森檜葉にお目にかかれるとは最高」と盛年の母親の大きい声。連れの成人娘さん「恥ずかしげながら 嬉しそうに」母親を見ていました。一緒のお客さんは此の一声で 用材の素晴らしさも納得された様子でした。

 60度の腰に杖を持った方と娘に見える準高齢者の一団が拝殿で、一斉に「ドッコイショ」と休みました。あかとんぼは、お客さんの目線でガイドしました。最後、「よく長い石段を登ってきましたネ」と申しましたら、長い石段の前で「私駄目だ お前達でお詣りをしろ」と云ったら、「娘がタクシーに交渉し、裏駐車場まで乗せて貰い、最後の石段だけ 頑張った」と云うことでした。足腰の不自由な方に対する最善の策です。この策を知らない方が多いです。



4 月 17 日 (日)  



 春です。温かくなりました。でも小雨と強風もある一日でした。

 櫻咲きました。満開です。臥龍梅も咲いています。梅と櫻の二春です。
 横浜からのご夫妻。今、梅と櫻と一緒に咲くのですか。遅いですね。梅は二月に櫻四月に咲くもので 其の間1ケ月あるものではと 不思議だなと云う表情されていました。
 政宗公の正室愛姫の生まれた三春の地名は「梅に櫻に桃と 三っの花が一緒に咲くので三春と云う地名になったと聞いています」と話をしたら、「ウー納得 此はよいこと聞いた」と大変喜んでいました。
 横浜・三渓園の近所にお住まいとのことで、三渓園の臥龍梅まで話が飛びました。

 「一人でもガイドして頂けますか」と声をかけられました。「ハイ よろこんで。ループルバスですか」「ループルで仙台城まで真っ直ぐ行ったのですが、(期待するもの)
何も無くてガッカリしていたら、瑞鳳殿を参拝しないことには仙台観光した事にはならないと聞いて、タクシーで戻ってきました」
 涅槃門からガイドしました。満足して頂けた様です。

 過日 あるグループの会合で、先輩から「仙台は社寺仏閣・名所旧跡が数多く、日々散策している。仙台は恵まれた都市だ」のご発言を頂きました。
 果たして先輩の発言が活かされているでしょうか。ルート化・メニュー化され、駅観光案内所等で観光客に提供されているでしょうか。
 仙台イコール仙台城。そして期待はずれと感じる方が多いのでは。
 少なくとも 仙台観光の最大の目玉 瑞鳳殿を参拝された方は よい印象を持ち帰って頂きたいものです。

 4月も半月を経過しました。研修も座学から現地に移った様です。仙台市内のタクシー会社20人程、福島の○○交通のバスガイド嬢10人程と相次いで訪れました。ガイド嬢に会社のテキストに記載されてなくて、ガイドをして欲しい点をH代表からしました。懸命にメモしていました。3ケ月後でも独り立ちして案内して来た時が楽しみです。日曜日なら居ますから安心してと声をかけたら肯いていました。

 盛年のガイド嬢。本殿まで丁寧に正確にガイドしていました。ユニホームから地元会社ではないのによく勉強しているなと感心しました。後尾のお客さんに聞いたら金沢からの一行で、ガイドは新潟から乗車したとの事でした。添乗員に声をかけたら「そうです。東北地区担当です。詳しくて助かります」の返事でした。
 バス会社に属しない フリーのガイド嬢なのでしょうか。元締めの派遣会社があるのでしょうか。

 本日 即答出来なかった質問は二問ありました。
1.老婦人から、何故龍が屋根の四隅に載っているのか。
2.盛年人から、拝殿の扁額に「珊瑚と真珠」を使用した訳、花言葉的意味はなにか。
でした。H代表にお尋ねしたら、次の様でした。
1.については、魔よけ 沖縄のシサーと同じです。
2.については、素材の持つ色合いを追求した結果です。花言葉的意味を求める様になったのは最近の風潮でしょう、創建当時は素材にそれ以上の意味合いを求めなかった筈です。

メモ1.
 珊瑚と真珠についてマイペディアで調べましたが、花言葉意味の解説はありませんでした。

メモ2.
三渓園 さんけいえん
横浜市中区本牧の三ノ谷にある日本庭園で,もとは実業家原富太郎〔1868-1939〕がつくったものを1906年から公開。数寄屋風書院造の臨春閣,簡素な書院造の月華殿,有楽好みの茶室春草廬,旧東慶寺仏殿等がある。
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4 月 15 日 (金)  



 昨日 仙台で櫻花の開花宣言がありました。瑞鳳殿はまだです。

 瑞鳳殿ボラガイドのE淵先輩から「2003年5月28日日誌記載内容に誤りがある」のご指摘を頂きましたので、本日修正致しました。
修正内容「岩出山伊達家当主」を削除しました。

 E淵先輩には2002年1月の本日誌開始時から現在までの3年4ケ月分を一気に点検して頂き、その御労苦に感謝し、今後も 宜しくご指導願います。



4 月 12 日 (火)  



05年02月27日日誌記載 仙台城址に所在する「昭忠碑」について、作者「ツダ・ダイジュ」と記載しましたが 正確にはつぎのとおりのようです。

仙台の青葉城跡の昭忠碑にそびえる「金鵄像(銅造金鵄)」は、現在も護国神社境内にあるが、高さ24メートルの花崗岩石塔の頂部に取り付けられている。この碑は、昭忠会が明治34(1901)年に起工、翌明治35(1902)年11月に竣功させたものであるが、金鵄の制作は、同会が東京美術学校に委嘱し、図案設計 河辺正夫、金鵄原型 沼田一雅、鋳銅 櫻岡三四郎、据付 安田辰三郎の各助教授の担当により完成された。この「金鵄像」は、鷹像と勘違いされやすいが、名前の通り「鵄(とび)」の像である。なお、この鵄は、日清戦争に勝利し日露戦役をひかえ、当時の敵国であったロシアを睨む形で据え付けられているという。


本件は 次のホームページ によりました。http://homepage3.nifty.com/NAHKI/sakuraoka/sanshiro.htm



4 月 10 日 (日)  



 晴れました。温暖です。

 臥龍梅は満開です。見事なので皆様にガイドしました。今更 梅の花と申す表情の方にどちらからと尋ねたら「水戸です」 偕楽園を初め幾多の梅園で2月から楽しんだ方には4月の梅は今更であったのでしょうかも。
 瑞巌寺で臥龍梅を見て来ない、気づかなかった方が、今週も殆どです。
 「瑞巌寺の梅は紅白ありましたが、この梅の色は」と梅花を指して聞かれました。純白では無く、薄い紅色です。「ハイ白梅」と応えたいのをこらえ「お客様は何色にみえますか」返しました。なんで、なにを聞いたのでしょうか。

 本殿前で発掘調査に至った経緯を説明し、手持ち資料により発掘直後と上部遺物を取り除いた状態の図を示したところ、「御遺骨が積層している。なにか作為があるのでは」の発言がありました。現在は寝棺が主流です、この方は寝棺以外はないものと認識していたようです。「政宗公は座棺です」と説明しました。納得・理解して頂きました。人は現在の自分の生活を物差し・指針として考えますから、このご質問は当然かもしれません。

 年度初めなのか、雪解けが遅かったせいか、人出はイマイチでした。
観光バス1台入りました。初めて見る制服のガイド嬢。感仙殿迄案内していましたが、案内される青年の一団は感仙殿前のベンチでも腰を下ろしたまま、まことに動きが悪いです。15分で一周参拝をされた記録があります。此は例外としても、今少し元気が欲しいと思いました。

 清掃担当の木○、赤○さんは退職されたか、新人二人で6日の風速35メートルの強風で落下した枝集めに懸命でした。
 香炉の種火も線香も、今週もありませんでした。事務所にお尋ねしたら「アレー」と申していました。引き継ぎ洩れでしょうか。朝一番の仕事と思いますが。
 豪華華麗な御霊屋を目の前にすると、何故か信心に目覚め、線香を立て祈りたくなる方が多いのです。

 Uさん。半年振りにガイドに見えました。梅に櫻に沙羅双樹と 木々の息吹を確かめ、拝殿南横で大木の枝折れを発見しました。事務所も気付かない第一発見者かも知れないと云い、その場に立った貰い記録写真を撮りました。
 長い冬眠からさめたUさんの熱心な長時間のガイド。聞いていた女子中学生の一団。終わった途端、時計を見て「遅刻」と青くなって全速で駈けて行きました。



4 月 3 日 (日)  



 ようよう春を感ずるようになりました。
 梅・臥龍梅が咲きました。開花宣言出来る花数(5花以上)咲きました。

 「梅が咲きました」「エー梅」「ハイ梅です」既に梅の花が散った所からお出でなのか、仙台はこれから梅が咲いて、続いて櫻が咲くのが不思議に感ずる人達でした。
 松島に行って来た方々が結構おりました。「瑞厳寺の臥龍梅咲いていましたか」とお尋ねしたら、一様に「梅の木あったかしら」と返ってきました。まだ咲いてないのでしょうか。
 臥龍梅の謂われを語り、「この木の親か祖父母に当たる原木は、現在はお金を積んでも入場出来ない所に健在です。さてそこは・・・」と申しますと、皆様「オー、ナットク」と驚嘆の声を発し納得され、再び 梅香を楽しんでおられました。

 本日もガイドして欲しいの声が何回かありました。ガイド中に「二人しかいないの、頼みたいのにー」に「ハイ 今日は2人もいます。先ずは本殿をこちらの方とご一緒にどうぞ」。また別口で「今本殿を聞いて来たから拝殿と涅槃門をガイドして」等で、本殿・拝殿・涅槃門と通常とは反対コースで2組もガイドしました。

 本殿前ガイドで「墓室調査の結果 カキバイの効果でご遺体からご遺骨に・・・」と話しますと カキバイの言葉で皆様 一様に「それナニー」と不審な表情になります。「カキです」皆様は 果物の柿を思い浮かべる様で 不審な表情は変わりません。でも、今日は一発で「アーあのカキね 海の牡蠣ネ」と返ってきました。嬉しくなりました。宮城野特産品を知っている方だと。
 あとで、「どちらから」と聞きましたら、「石巻市から」との返事。水揚げの本場からでした。

 5〜6人の青年が弔魂碑の前で「これなんだ」と話していました。「戊辰の役の・・」「戊辰の役てナンダ」「明治維新の際・・・」「明治維新でナンダ」と返ってきました。
 60年前に大東亜(太平洋)戦争があった事も知らない人がいるそうで、1868年の戊辰戦争を知らないのは当然なのか。
 詳しい内容は別として、あった事位 義務教育で教えないのか。正しい歴史教育が必要と叫ぶ人がいるのもモットモです。

 善応殿には残雪がまだありました。梅と雪と一緒に楽しめる秘所なのかもしれません。気がついた方は居なかったようです。残念です。もったいない。

 「仙台駅前が9時前で ループルバスを待っていられない。路線バスで来ました」朝一番の女親子三世代 息を弾ませていました。路線バス「御霊屋橋」で下車されたのでは距離があり、疲れてのハァハァは尤もです。
 帰りも路線バス利用なら次の停留所「向山二丁目」が近くて下りで楽ですとアドバスしようと思っていたら、62石段を脱兎の如く駆け下りて行きました。
 第二世代の方、手のひらサイズの機械でVTR撮影していました。ガイド始めると始動します。「声も採っているの」と聞いたら「ソウー」だそうです。まいりました。でも臨場感ある画面に撮れたでしょう。試写会に招待ないでしょうか。

 「香を手向けたい」と云われました。しかし日曜日には火種のある筈の香炉は灰のみで火種も線香もありませんでした。原因は担当の二人が一緒の休みにあるようでした。

 年度初めで、入社・入学・その他で皆様はお忙しいのか、暖かくなりました割に参拝者は少なかったです。バスは一台も入りませんでした。

 新資料館長の○藤さんが着任されました。学芸員の資格保持者との事、宜しくご教示頂きたいと、朝一番でご挨拶致しました。気さくに教えて頂ける感じでした。





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