2005年9月の日誌
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9 月 28 日 (水)  



 爽やかです。

 山形市教育委員会○○公民館の歴史現地研修「瑞鳳殿」の現地案内のご依頼があり、50名余の方々をNさんと2人で、瑞鳳寺山門前から迄一周75分間でガイドしました。

 伊達家と御縁の深い地の素養豊かな年齢の方々でしたから、ガイド内容を容易に理解して頂き、お互いに満足感を味わいました。

 山形は鉄器・鋳物の産地です。拝殿広場の銅の香炉を上から下からと丁寧に眺めて居た方がおりました。仙台銅器職人さんの傑作です。技術の伝承が心配ですと、事前にガイドしたからでしょうか。

 弔魂碑の魂の文字、何故横並びで無く 上下になっているのかのお尋ねがありました。掛け軸等を拝見すると、確かに上下になっている字にお目にかかります。それは何故か 理解していませんでしたので、わかりませんと答えました。どなたかご存じの方教えて下さい。

 弔魂碑の一角が欠けて見えます。「誰が壊した」とご婦人の質問に「鉄製であるので、内部の空気の貫流とサビ防止でないか」と先程 香炉を凝視していた方が解説されました。
 よく観察しますと、4面とも左右に、同型の切り込み線が入っていて、正面のみ欠けています。この方の解説は正解の様です。更にご存じの方教えて下さい。

 御木像の写真をお見せしましたら、「ウン 似ていない 違う」と即反応がありました。「どなたに似ていないのですか」「先程 博物館で見て来た肖像画とマルッキリ違う」
 「ハイ、肖像画は狩野派の狩野安信が描いたもので、狩野派の技法なのか、偉人は皆似るのか家康公と答える方多いです」「こちらは発掘調査した際の骨格のレプリカに、現在の科学技法で復元したもので、ご本人そっくりとおもいます」

 「それでは、これ、何歳の顔だ」 「骨格は70歳ですが 肉付は何歳かは 顔写真が伝わっていないのでわかりません」「そうか」一応ご満足頂いたようです。
 骨格と年齢別の顔写真があれば、年齢別の顔像が造れる訳だ。造った人いるのかな。

 以上の様な お話を致しました。

 東伊豆からのかしまし三人○。本殿背景に天女さんとの記念写真のシャッターを頼むと云いつつ「真ん中の人は死ぬから」と譲り合っていました。「人は皆 遅かれ 早かれ 死にます」と云ったら、「アーそうだ」と修まり、ニッコリ。再び かしましオシャベリ。

 還暦同級会風の8人連れのご婦人。秋保温泉泊まりであったそうで、墓室の材質までガイドしました。最後に全員揃って拝礼していました。その際「お賽銭は会費から」と。お賽銭の自由の無い団体とは。会計幹事さん ご苦労様です。



9 月 25 日 (日)  



 午前は豪雨で休みました。昼には御城下の方向が明るくなったので出掛けました。

 9月2回目の三連休は雨模様でした。人出を心配しましたが、最終日の今日は、団体・個人とも、午前の豪雨ドシャブリの如く、お出になりました。

 若干 途切れると「ボラガイド居ます。お声かけてください」の札を見て、「お願いします」と声をかけてくださる方、それなりいました。

 「ウン 之は朝鮮半島の宗教施設に似ている」「これ最近の建造物か。塗装が新しい」
 記憶に残った参拝者の発言。何れも盛年男性でした。本殿の何れを見ての御発言でしょうか。

 今日も倒壊した寶筺印塔をご覧になって、いろんな御発言がありました。
 1.「どうして直して措かないの」 簡単に治るだろうから、自分の参拝前に何故修復しないのか。自分中心に地球は回っていると思っている方々。
 2.「これは大変だ」 自然の驚異に驚き。自然災害恐ろしさの実見し、自分の幸福を実感する方々。
 3.「あの時はこうだった」 自分の体験 関連事例を語り始める方々。
 以上の様に 大きく三分類になります。性別・年齢によっても反応が異なります。

 「仙台は地震も台風もない住み易い土地だ。とタクシーの運転手さんから聞いたけど、これでは」と寶筺印塔の倒壊を見て呟いていた壮年女性2人。仙台に転住拒否されては大変。「台風はいつも反れます。8月の地震被害はここだけで、外はコップも割れない家が殆どです」と大声で呟きました。

 タクシー運転手氏から「福岡からです。お願いします」と云われました。遠方からの観光客をそれなりにもてなして、ガイドしたいが、観光タクシーで無く、知識不足で内心焦っている感じでした。
 一時間半の市内観光だそうで、瑞鳳殿と仙台城と青葉通りでしょうか。忙しい感じです。4人連れでしたから、ループルバスに比較して時間コストでは勝っているのかな。

 拝殿で煙草をスパスパ吸い始めた立派な身なりのご夫妻。思わず「ここは禁煙になっていますが」と申したら、ご不満の様子でした。入り口に喫煙お断りの札が出ています。日本では公共・文化財等では、禁煙が当たり前、常識となっているのに、珍しい人達でした。JT以外に煙草製造販売の会社が出来て、其の社長夫妻であったのかな。ソンナ筈は無い。

 前半の三連休ではオトナの迷子が何組か居ました。携帯電話で探していました。場所の説明が出来なくて、ボラガイドさん此処何処と聞かれました。又、涅槃門前広場と拝殿扁額前とで電話している方もいました。一メールずれて見上げれば、相手が見えるのに、門で見えなかったのです。
 後半は、こんなオトナの迷子は皆無でした。



9 月 24 日 (土)  



 霧雨です。
 本日は 瑞鳳殿ボラガイド仲間「ぐるーぷ・よっこより」の勉強会が、国府多賀城政庁跡を中心に24人が参加し行われました。
 これは、瑞鳳殿には世界各地から参拝に見えます。その際、日本史の上で重要な位置を占める国府多賀城を質問され、知らないでは恥であるとのH代表の発想のもとに、現地ボラガイドNO1の大○氏を講師に行われました。ガイド内容、様子とも勉強になりました。
 午後 歌枕で有名な「末の松山」「沖の石」「野田の玉川」を散策する話もありましたが、至りませんでした。

 多賀城市・慈雲寺の山門は、1877年から79年に感仙殿地区が大幅整理された際、感仙殿の涅槃門が買い取られたものと聞いていました。現状確認に向かいましたが、地図不携帯で尋ね当たらず本日は断念しました。近日再挑戦しご報告します。



9 月 23 日 (金)  



 秋分の日 お彼岸です。
 全国各地から、多数の方がお詣りに見えました。

 「仙台では、お彼岸には秋分の日かその前に、ご先祖のお墓をお参りをされる方が多いです。ご先祖にお詣りを済ませて、早々のお詣りに「政宗公」も喜んでおられるでしょう」と申し上げました。苦笑いされる方結構おられました。

 伊達家御当主の近所にお住いで、テレビでよく見ていると自己申告され、ガイドを依頼したご婦人達。日光東照宮の彫り物の三猿「見ない、聞かない、喋らない」をモデルされているのか、全くガイドを聞ないし、指棒で示しても見ない・見えない。説明の一セリフ終わらない内に、別の事を喋りまくるまくります。ボラガイド対応出来ませんでした。完全にノックアウトされました。
 倒壊した寶筺印塔をご覧になり、「どうして早く直さないのか。直しなさい。御当主に申し上げなくては」と厳しく申されました。積み木ではありません。事務所では、石工さんの都合と費用調達を検討しながら手配中と思います。ボラガイドは叱責されても当惑するだけです。

 スーツにネクタイ姿の現役から「なぜ独眼竜政宗と言われるのか、なぜ竜でなければならないのか」のご質問がありました。
 「一説には唐時代に実在した隻眼の武将李克用の異名「独眼竜」に準えたものと伝えられ、隻眼の武将政宗公の勇猛さを賞賛する尊称として定着したと推定されます」と瑞鳳殿の公式HPの質問箱の「A-4」を基にお答えしました。昨晩の予習が早速役立つました。予習・復習は必要と感じました。

 奥州 最大の城下町において 飲料水を如何に確保したかを勉強している「仙台・水の文化史研究会」の第68回例会に午後から参加しました。
 城下の湧水、井戸水の供給源は「四ッ谷用水」であったと云う内容でした。
 



9 月 19 日 (月)  



 残暑いささか厳しい日です。
 参拝の方々沢山お出でになります。三連休の効果でしょうか。

 年に一回の敬老の日。年老いた親や祖父母を案内しての小団体が数多くお出でになりました。四国松山からもお出でになりました。

 昨日、「瑞鳳殿の再建の際には、伊達家に御縁のある地区の人々のご寄付がありました」続いて「○○であれば自治体をとおしてお祖父さんが寄付しているかも知れませんね」と話したら「ウチには祖父母は居ません。居ませんでした」と言下に激しく祖父母の存在を否定したお嬢さんがいました。何か事情があったのでしょうか。

 たとえ年に一回の敬老であっても、存在を否定されるよりは有り難いことです。こんな思いに耽ったところ、仲間のIBさん「爺婆さん 案内されたを喜んで、お礼にと夕食の馳走、小遣いにと 日頃の質素な生活で貯めたもの 今日は大散財するだろうナー」と洩らしました。同感です。ともに喜ぶ事は結構な事です。

 8・16宮城地震で倒壊した灯籠・寶筺印塔をご覧になった方々、こんなに凄い地震であったのかと驚くと共に復旧出来るかと心配してくれます。
 立入禁止を示す黄と黒のロープの区域は狭くなりましたが、依然としてロープが張られています。早い復旧を期待しています。

 「本殿に花と供物を上げたいがよろしいか」と髭もじゃの若者から許可を求められました。「霊媒者から政宗公に強い御縁があるから参拝すべきといわれ、福島から来た」と言うものでした。管理事務所(窓口)に断って下さいと申したら、嬉々として戻って来て、花束と団子山盛りの三方を供え、持参の線香を点して頭を深く垂れ参拝していました。強い御縁とは生まれ変わりと云う事でしょうか。政宗公の様に大成されると宜しいですね。

 「敬老の日です。65歳以上の高齢者に何か優遇はあるのでしょうか」と事務所にお尋ねしたら何も無いとのことでした。「日本国民で65歳以上と申告すれば東京都の施設(上野動物園・江戸博物館等)は仙台市民でも無料になります」と話したら「良い制度ですネ。検討したいですネ。ただ県・市から補助無しの独立採算制ですからネ」でした。

 この方、障害のある方から障害者優遇無いかと言われた時は、急で・長くて・歩きにくい坂道・階段を登ってきてくれた事に、思わず 気の毒と感謝の念にかられ、「入場料はよろしいです」と自腹を切られたそうです。人情味のある方です。



9 月 18 日 (日)  



 残暑もある爽やかな秋晴れです。今晩は満月です。 豆名月?

 敬老の日が15日から19日になりました。高齢化現象で祝日の日が4日も先送りされたのでしょうか。と言う訳で、本日は三連休の中日となりました。
 参拝の方々は、国内各地から団体または三世代ファミリーで見えました。

 仙台市内で初めての参拝と申す方、老若 年齢を問わず何組かお出でになりました。「どちらから」の問いに「市内です」「若林です」と答えられるとドキリとします。「全てお解りでしょうからガイド必要ないですネ」に「初めての参拝です。ガイドしてー」でガイドしましたが、本当に初めての参拝の様子でした。そうでしょう。以前、小学校社会学級をガイドした際、初めての方が7割でしたから。
 ブログで見る観光客の印象は仙台イコール政宗・牛タンが強いです。どうしてでしょうか。
 
 農協の団体旅行風の方々。添乗員の注意では1時間の参観時間があります。ガイドしましょうと呼びかけましたら「イヤ いらない・・・」と足早に涅槃門を潜りました。間もなく降りて来て、「ウチの東照宮より小さい」と大きい独り言。
 間もなく添乗員が入ってきました。「ガイド断られた」と伝えたら「アラー残念。旅慣れない内弁慶なの。ボラガイドは只なのに、勿体ない、次回お願いします」と返事が返ってきました。 北関東・栃木にも旅慣れない人も、只なら利用しない事はないの人もいました。

 涅槃門の屋根を横からズイーと凝視している方がおりました。透かし彫りの唐獅子又は懸魚を眺める方はおります。その上の屋根を凝視する方は初めてなので、声をかけたら、「丁寧な良い仕事をしていますネー」と申されました。銅板屋根瓦の重ね具合、横の銅板の大きさと形の変化を観察・楽しんで居たのでした。
 「この道、専門の方でしょうか」の問いに「イヤー百姓です」の返事。
 百姓とは農業従事者のみならず、諸々の民の意味もあります。ハテこの方は、如何なる意味で百姓と答えたのでしょうか。

 拝殿扁額の絵の具は何でしょうかに「二酸化・・・」と化学方程式を語り始めた方。「失礼ですがお仕事は」「看板屋です」「ハァー」
 竜頭の銘板を触りながら「この材質・加工では数年後には黒く表面が変化し、字が読み難くなります。○○を使用すればよかった。予算の関係でしょうか。製造原価は幾ら位で、納入価格は・・・」
職業分類に看板屋はあるのかどうか、でも町の看板屋さんでは無いようです。

 「大阪・立売堀(イタチボリ)の由来知っていますか。伊達政宗の堀で、伊達をダテと読まずイタチと読んだからです」「ガイドにガイドした」と呵々大笑。本殿・資料館で1時間余過ごされ、ご機嫌で降りて行きました。

 観覧パンフを広げ、此の写真(天女さん足の方向が左で、頭上に麒麟の透かし彫り)の場所は何処ですかの問いがありました。口径10センチ余の太くて長いレンズの一眼レフを胸に抱えた壮年の美人さんでした。「商業写真の撮影なら事務所の許可を得て下さい」「イエ 趣味の写真です」との事でしたので、教えました。
 パンフは読まない人が多いのですが、今回改定したパンフはガイドイラズと云える程の出来ですから、直ぐ読んで、こんな質問になるのでしょう。コワイ。

メモ
 大阪・立売堀(イタチボリ)の由来は、1620年に開削に着工1626年に完成したもので、大阪冬・夏の陣で政宗公が構えた要害の堀切した跡を掘り、足したので始め伊達掘と呼んでいたが、字音のままのイタチ掘となったとする説の外、三説があります。



9 月 6 日 (火)  



 台風接近で昨日から雨です。

 地元紙によれば、宮内庁は天皇陛下の思し召しにより、那須御用邸等の屋根吹き替えによって発生した屋根用銅板に顔料となる緑青が付着している事から、顔料として使用する事を条件に一般に売却するそうです。

 瑞鳳殿の彩色に使用されている顔料に録青があります。瑞鳳殿のパンフには「孔雀石を砕いてつくったもの」とあります。

 さて、顔料の録青には二種類あるのでしょうか。

 百科事典マイベディアで検索したところ
 「銅または銅合金の表面に生ずる青緑色のさびのことを一般にロクショウという。空気中で生ずるものは種々の組成の塩基性炭酸銅であって,クジャク石と同じ。中略。 多くは有毒。青緑色顔料にも使用」とありました。

 同じ物でした。生まれの違いでした。
 なお、孔雀石は「マラカイトともいう。銅の炭酸塩鉱物で,各種銅鉱床の酸化帯にラン銅鉱などとともに二次鉱物として産出。」とありました。




9 月 4 日 (日)  



 終日 雨です。あかとんぼの巣を出る直前、豪雨(あかとんぼの表現で馬穴まかした)でした。ボラガイド支援の室から「参拝者は来るかしら、行くの」と呆られました。

 開門と同時に、団体・個人と秋田・横浜・埼玉から津波の如く、参拝者が見えました。土曜日から来仙されて予定を組まれた方々は、天変地変が起きない限りお詣りに見えます。この方々の期待を裏切られないが、あかとんぼの思いなのです。

 秋田からの方、20万5千石の佐竹家の廟所と比較し、62万石の伊達家瑞鳳殿の豪華絢爛にはマケタと呟きました。
 15万石の米沢・上杉家の廟所は上杉謙信公を中心に配置され整備されていますが、この豪華さはありません。このハデ・ダテは伊達家特有のようです。

 60代後半裕福な感じのご婦人5・6人。会津若松から来ましたとのことで、涅槃門をガイドする前に「弔魂碑」をガイドしました。之までは会津若松からの方々は、戊辰の役で無念の涙に散った西軍の同士に弔魂の意を表しています。今回もソウダロウの予想は裏切られました。「戊辰の役とは何ですか」と質問されました。戊辰の役・白虎隊の悲劇を会津の人なら知らないはずが無いと、不思議な思いです。
 
 8・16宮城地震で倒壊した寶筺印塔をご覧になった方々から、どうして復旧に着手しないで放置しているのかの質問が多数ありました。
 鉄筋が入っていない。手抜きでないかとのご指摘もありました。あかとんぼは石塔等の中心に鉄筋を通す工法は聞いた事ありません。その様な事例・工法はあるのでしょうか。
 いずれ、再び倒壊する事の無いような確実な復旧工事を管理事務所は模索していることでしょう。

 拝殿南の沙羅双樹(夏椿)の大木が樹高2メートル位でバッサリ切られ、直径10センチ弱の切り口を曝しています。仙台では珍しい樹木で、花が咲いた時は参拝者に「何という木ですか」と数多く尋ねられた木です。来年、花が咲くだろうか、葉が茂るだろうか心配です。
 杜の都仙台と称され、それを築いた政宗公の瑞鳳殿で、櫻の大木2本に続いて仙台では珍しい沙羅双樹と花木が切られる事は、四季を通して花に葉に枝にと折々を楽しんでいる あかとんぼには、誠に淋しい限りです。
 
メモ
 沙羅双樹の花は「四季」の頁に掲載してあります。
  http://home.att.ne.jp/omega/zuihoden/siki.htm
 





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