2005年12月の日誌
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12 月 25 日 (日)  



 青空に風花が舞う寒い日です。

 年末・厳寒期に観光する人は、やはり熱く燃えている人々、ループルバス利用のカップルが主な参拝者でした。

 ダウンコートを手にして、風花に喜んでいる盛年のご夫妻。「どちらからですか。コート脱いで寒くないですか」に「ハイー台湾から、この雪はいつ降ったものですか」もっとフレフレの感じでした。熱帯性気候の地の人には、雪は馳走です。
 台湾からの60歳未満で、「あかとんぼ」と会話できる程、日本語達者には驚きました。

 福岡からの幼児2人連れのご夫妻。「東北の雪を見るつもりが、福岡何十年ぶりの大雪に見舞われ、飛行機が欠航し、新幹線乗り継ぎ来ました」と。多分に名古屋付近で雪による遅延も経験されたのでは。親は雪にヘキヘキしたかも、幼児は本殿前の雪山に登ってハシャイでいました。

 「此処は政宗公の御霊屋です。けっしてオレイヤ(俺嫌)とは読まないで下さい。ここに現在も祀られています」の説明に、今日の方々はスンナリ御廟・お墓と理解してくれました。
 そして想定内の質問がでました。「火葬ですか」「いや」「では、土葬ですね」 この方は若い女性だけあって結論に至るに早い。「土葬。大分類では土葬ですが、イメージ的に生葬と考えていただければ」と「ご遺体の周囲に牡蠣灰を詰めた棺桶が、47個の疑灰岩(秋保石)で組まれた石室に安置され、蓋をされ、厚さ約2メートルの土砂が被されています。時代劇にある土葬とは違います」と説明したら、スンナリ納得してくれました。
 昨夜 秋保温泉に宿泊されたそうで、「浴室から見えた石山が秋保石の採石場跡であったのか。何か御縁があるな」とうなずいていました。

 「政宗公の亡くなられたのは、江戸桜田屋敷です。現在の日比谷公園、更に詳細には野外音楽堂です」から「幕末の伊達家上屋敷の所在はどこか」のご質問に至り、「現在の東京汐留ビル、[ゆりかもめ]の[しおとめ]駅です」と手持ち資料の古地図と現在の地図を開き示しました。
 「アレー 私のオフィス。この東京汐留ビルよ。御縁があったのネ。お詣りしてよかった」と若い女性は連れの男性と握手していました。ヨカッタです。

 本殿の扁額は二代藩主忠宗公直筆ですの説明から、「忠宗公は正室愛姫との間の長男で、政宗公からは次男です。政宗公からの長男は四国宇和島の藩祖です」に至り、忠臣蔵のドラマでは、吉良家に浅野家以上の授業料を持参し「やはり伊達家は豪儀」と、伊達本家を連想させていますが、「本当は宇和島伊達家の分家吉田伊達家三萬石です」まで話が滑りました。

 「伊達家六二万石とは何ですか」の質問がありました。「62万石の米が採れる地を支配していと云うことで、昔は一人一年間の米の消費量は1石と云われましたので、62万人養える地積とも云えます。伊達家62万石は表高公称で、実収は100万石とも云われています」と回答しました。すんなりご理解して頂けたようで、最後に、「オジサン頑張って」と激励してくれました。「オジイサン」で無いところが泣けます。

 福岡の五歳の女児から「どうして石が倒れているのですか」と質問されました。

 本日はヤングレディバワーの日でした。男性は無口でした。
 
 写真等の展示、場所が良かったのか、作品が素晴らしいのか皆様 足を止めています。写真展作品集を作り、応募者に配布するそうです。楽しみです。

 今季は寒さが厳しいです。本日も魔法瓶を持参しました。暖かいお湯は温まります。高齢者よ、無理するな の声もあります。でも、本日で当初自定の年間目標回数を達成しました。ご声援に感謝いたします。
 来年の目標値は何回にしましょうか。政宗公の行年にしましょうか。52週の日曜日にプラス18日。ウーン?

 本年も ご声援・ご愛読 ありがとうございました。




12 月 23 日 (金)  



 本日は天皇誕生日の祝日です。
 
 例年のクリスマス寒波より早めの寒波・大雪です。
鹿児島には88年振りの降雪、沖縄では急激な水温低下で魚が気絶し打ち上げられた、新潟では雪と塩害での停電と、各地で寒波・大雪の被害が報じられています。反面 雪国(山形・秋田・津軽・北海道)からは雪害の話題がありません。

 瑞鳳殿の積雪は僅少ですが、寒風で凍結しています。清掃主任と除雪と凍結防止剤を散布しながら待機しました。本年最後の三連休です。果たして参拝者は。 参拝者はループルバス到着時にパラパラでした。

 静岡からの若いペア。静岡と申したので「久能山・東照宮に三保の松原」を引用しましたが、未だ訪れた事が無いとのご返事。でも、本殿、資料館を長時間見ていきました。仙台に来て、ふるさとのよさを認識したでしょうか。

 ヤング2人、寶筺印塔の説明で、「一番若い人は行年22歳、今風で20歳○ケ月です」途端「私とオナジ」。詰まりました。でも「殉死」を正確に理解しなかったのか、それ以上の質問もなく終わりました。

 涅槃門から丁寧に各人で撮影しながら登壇して来た男女四人、拝殿扁額からガイドを始めてフット気がつきました。確かめたら香港からの方々でした。一人「あかとんぼ」の言葉を理解し、3人に伝えていました。
 九曜紋について質問があり、手持ち資料で伊達家の家紋の数々を説明しました。香港にも家紋の風習があるのでしょうか。真面目に聞いてくれました。
 伊達政宗・藩祖・領民等の言葉 如何に理解し伝えてくれたものか。何と言い換え説明すればよかったか、後で自問しました。

 「我が家も竹に雀の家紋です」と語られるご婦人。「伊達家中の方ですか」「いや」「それでは、上杉笹ですか、それとも公家の勧修寺笹ですか。何れ由緒あるお家ですね」 「イヤイヤ、三本の笹直竹に雀です」
 竹(笹)に雀の家紋は、笹竹が円周になり、中に雀が配置された構図のみ見ており、直の笹竹は発想しておらずアッと思いました。

 金沢からの4婦人、絶えず鼻を拭いています。仙台は雪の金沢より寒いらしいです。寒いので帰ると申していましたが、瑞鳳殿で風邪ひいたと云われるのも癪です。「資料館で暖まってからお帰りなられたら」と勧めましたら、資料館に入館しました。ヨカッタ

 瑞鳳殿撮影会の作品が資料館に展示されました。「あかとんぼ」の作品も展示されていました。みなさま上手なのには感服しました。



12 月 19 日 (月)  



 本日 朝飯の前後と2回 除排雪しました。

  H代表から「昨18日 あの雪の中、結構来ており。伊達騒動の結末は?などと説明を求める若いカップル?などいつもと変わらない状況でした」の趣旨のメールを頂きました。H代表の頑張りと悪天候にめげない参拝者に感服しました。
 18日の代替には、23日(天皇誕生日)に路面圧雪でない限りガイドします。



12 月 18 日 (日)  



 猛吹雪です。津軽野の地吹雪並です。

 定時出発と同時に降りは始めた雪は、山を降り、在と城下の堺の峠を越える頃には、猛吹雪となり、点灯しました。城下に入りましても止まず、凍結・圧雪・積雪となり、視界10メートルと 誠に悪条件となりました。

 瑞鳳殿にたどり着いても、参拝者が来られるか、果たしてガイドを聞いて頂けるか、その様な環境ではないので、諦めUターンしました。

 帰路は往路より悪条件です。点灯・ワイパーフル稼働し、10qソロソロ走行で、巣にたどり着きました。人身・物損等の事故も無く安堵しました。

 依然として吹雪いています。




12 月 16 日 (金)  



 瑞鳳殿でのボラガイドの仲間「ぐるーぷ・よっこり」の世話人会がありました。

1番の話題は
 勉強会の参加者は急増している。しかしガイドする者が増えない。
 財団・瑞鳳殿にガイド養成の提案をしたが。


2番の話題は
 旅行業者からのガイド依頼に如何に対応するか。
 「あかとんぼ」の意見として、ボラガイドは自己の健康管理と社会に対するお礼の気持ちで、実施しているもので、業者の利益追求の手段として、安価な人件費として利用されるのは嫌です。と申し上げました。



12 月 15 日 (木)  



 瑞鳳殿では年末恒例のすす払いが、伊達家18代当主 書道用の筆を使い、鳳凰の彫刻の清め、行われました。
 仙台の年末の風物詩として、マスコミが一斉に報じていました。

 瑞鳳殿ガイドの先輩のNさんの葬儀は、生前の人柄を偲ぶ人々多数でした。



12 月 14 日 (水)  



 大寒並の冷えた夜明けでした。

 「三途の川を渡られた」の知らせが朝刊ととも、飛び込んできました。
 「ぐるーぷ・よっこり」の仲間と申すより、人生・瑞鳳殿ガイドの先輩のNさんが、昨日「三途の川を渡られた」とのことです。

 先輩のNさんは、生粋の仙台弁を語れる貴重な存在で、明るく、シャベリだしたら止まらない個性から、姓の「Nさん」と呼ばれる事は少なく、名から「Aちゃん」と呼ばれ、各界のみなさんから愛されていました。

 「あかとんぼ」を可愛がってくれ、H代表と共に、懇切丁寧に指導してくれました人です。「惜しい人物ほど、早く旅立ちする」の言葉を実感します。

 明日の葬儀には、先輩の之までの指導に感謝し、永久(とわ)の別れをしてまいます。 



12 月 13 日 (火)  



 瑞鳳殿の住居表示は、「青葉区御霊屋下23−2」です。
 参拝客から、時々質問がでます。「どうして 山頂にあって、御霊屋そのものなのに、下という表示なるのですか」

 あかとんぼ自身も疑問と不満を持っていました。あかとんぼの故郷に「味噌○○一緒にした」の表現があります。まさにそうではありませんか。
 御霊屋があり、其の下だから御霊屋下なる地名があった筈なのに、民主主義と称して、仙台の町を開いた偉人と下々と、区別なく一緒にするは、故郷の表現を地に行っていると思います。

 地元紙によれば、新市長の公約から、中心部を住居表示以前の城下町時代の町名表示に戻すべく、準備が始まったとの趣旨の記事がありました。
 例えば、市役所は表小路に、県庁は勾当台通りに、復するそうです。

 ならば、瑞鳳殿も、御霊屋と御霊屋下とに区別されるのか、市役所に確認と陳情に行かなければならないなと思いました。

 念のため、住居表示前の地番表示の地図で確認しました。御霊屋下、瑞鳳寺前、越路六軒町と町名と地番表示があります。瑞鳳寺の区画には附番されています。歴史公園地区は霊屋と表示があり、瑞鳳殿、善應殿,感仙殿等の区画が表示されていますが、附番されていません。
 この地図は、旧軍用地、大学・学校にも地名・地番の表示がありません。瑞鳳殿と同様の扱いです。地租非課税地は地番不用とした明治政府の考えです。

 現在、瑞鳳殿地区は、伊達家から仙台市に寄付され、歴史公園に指定し、県と市で設立した財団で管理しています。関係者は、何と表示しても困らない人達と気がつきました。

 市役所に確認と陳情に行っても、「夏の蠅」扱いされるだけです。
 この問題は、これにて一件落着。一人舞台でした。

メモ
 参照にした地図は、昭和23年最新仙台市街明細地圖 2005年今野印刷兜。製によりました。
 



12 月 12 日 (月)  



 ブログでキーワード「瑞鳳殿」で検索しますと、日に3件くらいあります。主に参拝の感想が書かれています。なかなか ガイドの参考になります。今日も検索していら、下記の記事がありました。

 【 神頼みで人生をかえれるか実証してみます。

 風水では強いパワ−が出る大地のツボを「龍穴」と呼びます。
良い気を吸収するにも近くに行った場合は立ち寄りましょう。
宮城県 瑞鳳殿 大崎八幡宮 】

 さてさて、佛や神に ロクにお賽銭も上げないで 頼んで 人生がかえられるか。先刻承知なのか、この方は立ち寄ればと勧めていますが、お詣りしなさいとは申していません。

 ガイドしていて、頼む事が無いのか 頭を垂れない人が多く見られます。
 「ここは、政宗公の御霊屋です。先ずは先人に敬意を表して頂ければ・・・」と申しと、一斉にポケットやバックに手を突っ込みます。

 あかとんぼとしては、お賽銭は問題外なのです。が みなさまは 「敬意」とは「お賽銭」と理解しているようです。
 見舞い・悔やみとなれば 駆けつけて激励する 慰める 以前に 幾ら包むか 相場はと ヒソヒソと会話する風潮からは 当然かもしれません。



12 月 11 日 (日)  



 朝飯前に路上と車上の除排雪。バス路線が湿潤になった所で、出掛けました。

 瑞鳳殿の森は、真っ白。モミジの残り紅葉に真綿がキラキラ輝いています。ガイドを始める前、雪が溶ける前にと 全山を巡り撮影しました。

 雪で、参拝者がいないかなの予想ははずれ、それなりに、欧米の人も見えました。参拝されたみなさまは、紅葉と雪 の組み合わせに 喜んでいました。

 「ガイドして」と声をかけられ、「ハイ」と返事したら、追っかけ即「時間が無いんです。早くして」と云われました。
 以前にH代表から、「3分ガイド出来るように勉強しておきなさい」と注意されていました。まさに、3分ガイドの出番です。3分ガイドしたら、物足りない表情でした。
 「続けますか、時間よろしいですか」「よろしいです、つづけて」で、通常のガイドをしました。

 「時間が無いんです。早くして」の言葉は以前にも云われました。オバサンに見られる傾向です。これは、クズなオトウサンを激励するキマリ文句なんでしょうか。
 今回もオトウサンが、3歩後ろからついてきました。

 この方、青森からだそうで、「南部ですか。津軽ですか」と問いましたら、「サー、ハテ」との返事。不思議。青森の人は、対南部、対津軽の対抗意識は強烈です。県政のみならず、縁談でも、物議を醸していました。県民意識を超越した回答に、ハテナとなりました。

 いつも、客待ちしている○○会社のタクシー、全山巡りの序でに、朝の挨拶したら、客足が途絶えた瞬間で 色々語ってきました。

1.瑞鳳寺山門前の下馬石について、案内板が新設された。この下馬石の所有者は瑞鳳寺なのか。本来なら瑞鳳殿のものでないのか。下から持ち上げたのは、瑞鳳寺らしいが。どうだ。

 瑞鳳殿の創建、瑞鳳寺の開山の経緯は知っていますが、現代 特に所有権等の関係は、全く知りません。ここは、だんまり。

2.「今日はタクシー上がってきますネ」「ウン、トイレに来るのシャー。市内でタクシー運転手が使える公衆トイレが少なく、深刻な問題なのよー」「ところで、ボラガイドさん、ここのトイレは日曜祝日には、清掃が無いのよ。観光客の利用の多い日に清掃がないから、汚れが凄いよ、覗いてご覧。仙台市の恥ですよ。関係者に伝えて」

3.「博物館と同じように、タクシー乗り場の標柱を建てて貰えないか。無秩序に待機していて、タクシーを利用するお客さんに戸惑わせています。観光都市仙台市の恥ですよ。関係者に伝えて」

 自分で、市当局か新聞に投書で具申すればよいのに。ボラガイドに振るとは、荷の重い話です。瑞鳳殿の清掃主任に聞きましたら、瑞鳳殿の管轄では無いとのことでした。仙台市のどこが担当部局でしょうか。市長に直訴した方が早いでしょうか。公聴課宛。
 



12 月 4 日 (日)  



 朝 一面の積雪でした。

 瑞鳳殿の涅槃門・拝殿・本殿に 樹木も雪化粧していました。ガイドを始める前に先ずは、撮影を致しました。紅葉と雪景を撮影出来るとは、滅多にないチャンスです。同志が居ました。デッカイ カメラ持参の方登ってきました。時間との勝負です。間に合ったでしょうか。

 学芸員は ペーパークラフトの政宗公について 制作者に連絡したら、「ボラガイドに宜しく」と返事があったと伝えて呉れました。

 「政宗公の兜の三日月「弦月前立」は発掘された兜には無かったのか」と11月23日に参拝者から質問がありました。これについて確認したところ、確かに「弦月前立」は発掘されませんでした。ただ、金粉が発掘されているところから、前立ては金属ではなく、金箔貼りの漆器のようなもので、腐食したため発見されなかったのでないでしょうか。金属だと重い上に、左右のバランスも悪かったので、木製であったのでは」と教えて呉れました。

 これについて、ペーパークラフの製作者から「前立はそれとみられる、金箔の一部を残し朽ちてしまているため、瑞巌寺の政宗公木像のものを採用した。原寸で98cmあり長大である。」とメールを頂きました。

 これからは、これでガイド致します。ご教示下さいました方々に感謝致します。

 11月3日の日誌に「客待ちの運転手氏から聞かれました。「参道右側のあの木は「銀木犀」。参道左側の櫻の木は、櫻の源木(染井吉野等の前の木)と聞いているが何れも本当か」でした。確かに「銀木犀」なる木の存在は知っていますが、この木がそうなのか判りませんでしたので、判った人に聞いてみますと答えました。」と記載しました。
 
 H代表から、確かめましょうのお声があり、案内しました。「櫻については幹が細く果たしてどうかな、瑞鳳殿地区は人工林であるから源木が存在するかな。此の木は銀木犀ではありせん。葉から違います」との事でした。一発解決です。

 帰宅しようと車にバック等を格納したら、見知らぬ宇都宮ナンバーで7人程乗った車が上がってきました。カーナビ誘導で入ってきたものです。行き止まり、迷路に入った、困ったの表情でした。これもガイドの仕事と正規の駐車場を案内してふり返ったら、なぜか、ドアがロックされていました。鍵も財布も車内です。開きません、参りました。H代表に話ししたら 予備鍵取りにあかとんぼの自宅まで、往復してくれました。ガイドの時間を割いて頂き申し訳ありませんでした。ご親切に深く感謝致します。



12 月 3 日 (土)  



 朝 雪が積もりました。昨日 冬用タイヤに交換しました。正解でした。

群馬からの団体の依頼ガイドです。仙台はやはり寒いと、そうです 風花が舞っています。大東亜戦争の時、日本を代表する戦闘機を作っていた会社で、現在は特装車製作工場の幹部の皆様。当初50分の約束でしたが、歴史素養があり、熱心で70分ガイドとなりました。

 本殿でジャラジャラとお賽銭を投じて お詣りしていました。やはり覇者を目指しているのでしょうか。名取市出身の方もおり、お詣りしてヨカッタと、バスに乗るまで 政宗公について熱く語っていました。

 昼食は牛タン。そして、峠を越え、雪の銀山温泉が本日の目的地だそうです。関東圏の車です。夏タイヤで かつ 雪道の経験が少ないバス。 「スリップ注意」と送りました。

 政宗公の鎧・兜一式がペーパークラフトで復元されました。12月1日に製作された鎧甲冑製作所社長が奉納されたとのブログ記事を読み、早速 お願いしたところ、事務局長・学芸員が立ち会い 説明してくれました。

 瑞鳳殿・仙台市博物館・日本甲冑武具研究保存会の協力を得て、政宗公が使用し、涅槃に持参した 黒漆塗五枚胴具足 を1/4写し一部推定復元されたものだそうです。ペーパークラフトの全高は、弦月の前立のテッペンまでで47センチ。前立はそれとみられる、金箔の一部を残し朽ちてしまているため、瑞巌寺の政宗公木像のものを採用したそうで、原寸は98cmの長大であるそうです。鎧・兜は実に細かい所まで描かれているのは当然として、鎧櫃の金具迄詳細に描かれ、又格納出来る様になっていましたのには驚きです。

 学芸員は「錣(しころ)は5枚が普通であるが、政宗公の兜の錣は4枚で、このペーパークラフトも4枚です」等を解説してくれました。

 ペーパークラフトの包装には、鎧・兜についての詳細な説明が記載されています。制作者の調査結果の集大成で、非常に有効な資料です。参考に致したいのですが、黒地に白文字であり、拡大コピーして貰いましたが、読み切れません。ホームページも同様でした。残念です。

 制作者は組み立てに7時間を要したそうで、「あかとんぼ」は7日要するかも知れませんが、組み立てに挑戦したいと思いました。その際 解説も読めるでしょう。

 本殿前での発掘された当時の写真で説明するよりも、47p高は迫力があります。何れ公開するそうです。その際 販売もしたいと云っていました。たのしみです。





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