2006年5月の日誌
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5 月 31 日 (水)  



 昨・今日と福島県信達地方に所在する伊達家史跡の探訪に、E・U先輩のガイドを頂き参加してきました。

 今回の企画は、U先輩が各地の教育委員会を訪れて資料を収集し、現地を確認上の発案で、E先輩の調整があって実現したものです。
 U先輩の車で、約400q 五月晴れの中 効率的に訪れました。 あかとんぼ は通算6年間この地方に勤務・居住し、散見していましたが、初めての個所もあり、ガイドする故に意識の変化があり、大変に勉強になりました。

 E・U両先輩の御配慮に深謝致します。

 探訪した主な所は、
1.1189年奥州藤原軍が敗退の切っ掛けとなった「石那坂古戦場」「源宗山・藤田城址」「阿津賀志山」「阿津賀志山防塁」

 「阿津賀志山防塁」は日本三大防塁(元寇防塁・水城防塁)の一つで、阿津賀志山中腹から阿武隈川に至る4q。二条の堀と土塁なる複合的要塞です。始点・中間点・終点と探訪しました。

2.伊達家一世「朝宗」が最初に構えた「高子カ岡館址」に続いて、「梁川城址」「西山城址」と伊達家の居城。

  案内板の個々の表現で興味深いものに、伊達地方は「ダテ」ではなく「イタチ」と呼ばれ、伊達家は江戸中期以降「ダテ」になったと記載ありました。今後の勉強課題を頂きました。

3.「伊達家一世朝宗」「同夫人」「十二世成宗」の墓所

 伊達家一世朝宗夫人と十二世成宗の墓所は三十世伯爵宗基が1910年1911年に建立していました。成宗の墓所は国見町のダムサイトにありました。

 仙台藩歴史事典によれば、「西山城北松個蔵に葬す。寺を建て五峯山松音寺という」とあります。ダムサイトが松個蔵なる地なのか、仙台の松音寺との関係、今後の勉強課題を頂きました。

4.「人取橋合戦址」「栗の巣古戦場址」「田村家愛姫伊達家出迎地」「本宮城址」「小手森城址」「小浜城址」「宮森城址」「大森山城址」「石母田城址」「慈コ寺」「桑折寺」外。

 上記しましたが、立地の妙味を切々と感じました。地図を広げての勉強をします。色々と今後の勉強課題を頂きました。 



5 月 29 日 (月)  



 今年06年04月17日開催の日誌に次の様に記載しました。

B子孫である歴代の殿様の公式参拝は各人別に何回あったのでしょうか。
Cその際の乗り物は馬か駕篭であったのでしょうか。
Dその際Aに関連して 何処で乗り物から降りたでしょうか。
以上の疑問を持っています。いずれ調べたいと思っています。

 速報です。現在 わかった事です。
 平重道解説 伊達治家記録5巻には、
 二代忠宗公については、
 「瑞鳳殿参詣と姉御西館訪問は忠宗の参勤直前の恒例行事」又「藩祖政宗に対する態度、忠宗の父政宗に対する尊敬は至り尽くせりであった」と記述しています。

 治家記録を1636年から亡くなる1658年迄の22年間を読みますに、在国中なれど、瑞鳳殿にも瑞厳寺にも、参詣の記録が見当たらないのは、1639年、1644年、1650年であります。その理由は現在不明です。

 参詣の記述は「24日甲辰 朝 瑞鳳殿御参詣」と誠に簡記で、その際の乗り物は馬か駕篭であったのか、警備のお供は何人であったか。加えて何処で乗り物から降りた等は 全く記載無く 不明であります。

 三代綱宗公については、同書では
 「綱宗は入国しても、瑞鳳殿・瑞厳寺に参詣していない、参勤出発時でも瑞鳳殿に参詣していない。喪中であっても佛寺参拝は差し支えない筈であり、代参も命ずることもできる。政宗崇拝に対して批判的心情があった」と記述し、逼塞の原因私考4項目の一つに上げています。



5 月 28 日 (日)  



 大雨です。拝殿から涅槃門を、本殿を、何れも見ても大小の雨粒で霞んでいます。視界5メートルでしょうか。

 「ぐるーぷ・よっこより」のガイド心得「 X 旅行者への心がけ 1.に旅行者は天候によって計画を変更しない。担当日時には予定のとおりガイドを実施すべきである」旨の項目があります。

 そのとおりです。水中歩行の様な雨です。それでもチラリホラリとお見えになります。でも、落ち着きがありません。日光の三猿(見ない・聞かない・喋らない)の状態です。ガイドをしようにも聞いて頂けません。
 霊場経ケ峯のレイキ(霊気・冷気)で嚔(クシャミ)三回です。ガイドを中止しました。

 参拝される貴重な方々、地元仙台の人が案内するが何件かありました。「雨の中 参拝ご苦労様です。どちらから」「ハイ仙台です」「では よくご存じですネ」「ハイ」となりましたが、案内人自体 初めてらしく、知らない感じ。でも 知らないと云えない様子アリアリ。

 人生の先輩からこんな提言がありました。「これからは金持ちで健康な高齢者が増え、参拝者が増加するだろう。でも健康といいながら膝や腰に負担をかけられない人も相当にいます。この石段等の昇降が大変な負担です。丸岡城は外周に車椅子用のスロープを設置しました。でも、此処では景観を破壊しないでの設置は困難でしょう。国宝クラスの処は、何れのこのジレンマに困っています。宜しくご検討下さい」

 清掃担当の○○さん、合羽姿で奮闘。拝殿前にある命日法要の供花から 菊等で鮮度を保っているものを抜いていました。雨の日のガイドのご褒美に呉れるのかなと思ったら「あちら、来週ですから」 お解りなります。

 6月4日は三代綱宗公の御命日です。1711年満72歳、江戸品川屋敷で亡くなったいます。善應殿が御霊屋です。



5 月 24 日 (水)  



 政宗公の371回忌法要がありました。
 岩出山伊達家の一門で、96歳になる伊達篤郎仙台藩志会長・市民ら50人が参列。献茶・献花、瑞鳳寺住職等の読経がありました。

 以上は 25日発行河北新報によりました。

 あかとんぼ は 最近全国に頻発している学童幼児の拉致・殺害事件対応として、「まごとんぼ 安全確保三世代協議」に参加し、法要に陪席しませんでした。
 



5 月 23 日 (火)  



 19日の日誌に綺麗な花「シャガー」と教えられた記載しました。

 早速、「それはヒメシャガではないか。仙台市内で見かけるものの殆どはヒメシャガです」と植物図鑑のヒメシャガの頁をコピーを添付しお知らせ頂きました。図鑑には、花の写真と「花茎は20〜30pで、直径3p位の花。半日陰地が適し、常緑で花も葉も美しいので庭の下草としてもよい。シャガは日本中南部の山林傾斜地に群生する」旨記載ありました。

 昨日の勉強会で、瑞鳳寺の境内に下草として植えられている 疑問の現物を指して H代表が「これ何でしょう」と問うたところ、皆様から「シャガー」と返りました。

 「シャガとヒメシャガとありますが 違いわかります」今度は一斉に「サーわかりません」

 ある方、それではと、デジカメに記録し、WEB経由の鑑定機関に依頼したら、「これは シャガ です」と鑑定されたと今朝メールでお知らせ下さいました。

 「シャガも、龍の髭も、何も知らないな 勉強しろ」の激励も頂きました。

 この拙い日誌をお読み頂き、更に、図鑑・WEBと屈指してお調べ下さり、ご教示下さいます 皆様 誠にありがとうございます。深謝致します。



5 月 22 日 (月)  



 今日も五月晴れ。暑いです。

 ボラガイドの仲間「ぐるーぷ・よっこより」のガイド実践講座。H代表が講師で、瑞鳳寺を含めて瑞鳳殿史跡公園で開催されました。

 (財)瑞鳳殿主催講座からガイドを目指している方、「NPOシニァネット仙台サロンわいわい」での仙台・政宗等に関心ある方を対象の講座に参加している方と40余人の多数参加で、予定時間を50分も超過しました。

 毎年開催する瑞鳳殿での実践講座に、「毎年同じ話を同じ人から聞いてもネ」と参加されない方もいますが、内容は100%同じでは無く、常時ガイドをしている先輩からは「実はナ、調べたところでは・・・・」と講師の話中に耳打ちもされました。

 ウーンと唸ったのは、1867-8年にかけての大変革、又1945年の変革の何れにも翻弄された伊達家の対応にについて、講師は直裁的表現を避けられたことです。調べた事を全て話したくなるマンネリガイドには薬でした。

 得るところ多々あり連年参加しています。今年も得るところありました。


 講座開催中 一般参拝者の邪魔にならない様に、誘導していたら「なにしているのですか」「ハイ ガイドの素質向上の勉強会です。NPOです」「マア 凄い 私たち水戸市主菅のボラガイドです。仙台は 民間主導で自主的にガイドし、勉強会までしているのですか。当番制ですか。申込はいずれに」と矢継ぎ早の質問。

 波長がピタリ 涅槃門からガイドしなければと思いましたが、本日は聴講生ですから、我慢をしました。水戸からの方ですから、梅に目がいきました。「これ臥龍梅ですか。水戸の臥龍梅は臥しています」誠に痛いところを突きます。氏素性生い立つをガイドしましたら納得されました。

 寸志かわりに、拝殿扁額をガイドし、涅槃門上部6枚の透かし彫りを 是非ご覧なってくださいと、お奨めしました。 


 24日の法要に備えて、既に涅槃門に式幕が張られ、県産酒の720リットル入る菰樽が本殿と弔魂碑に設置されました。どのくらい重いか持ち上げている方いました。実は・・・・・・です。答えはメールで致します。



5 月 21 日 (日)  



 見事な五月晴れです。政宗公が祭神の青葉神社の祭典に、「雨模様で、民の楽しみを損なわれては」と政宗公が気張られたのでしょうか。

 9時開門と同時に、「泉州堺すずめ組」を主体とする「泉州堺雀連合」の幼児から七十路の老若男女90余人が登段してまいりました。
 城下の青葉まつりに参加する前に、政宗公に ご挨拶をし、踊りを奉納する為です。本殿開かずの扉が開かれ「四百年前の御縁で奥州仙臺に参りました。御縁となったすずめ踊りを奉納いたします」の口上に続いて、笛・お囃子・太鼓の音曲のもとに踊り手多数の演舞が奉納されました。

 御縁は仙台城築城の際、招かれた堺の石工が完成祝賀の宴で即興で舞った踊りが、現在のすずめ踊りの原型とのことに由来するそうです。
 昨05年10月の「堺まつり」に仙台すずめ踊りの一行80人が参加し、本年1月に「堺すずめ踊り普及会」が結成・練習し、今回に至ったそうです。

 仙台城石垣の原石が採取された地区のすずめ踊りの世話人が、張り付いてお世話をしていました。
 滞在1時間、奉納の前後を利用して、涅槃門から本殿。御木像迄ガイド致しました。皆様深々と拝礼され、政宗公に親近感を持たれた様子でした。皆様喜ばれており、下段の際 総世話人さんの号令の元 「ありがとうございました」と挨拶され、恐縮しました。

 「又 お出でください」と声掛けしましたら「堺にも来て、早い機会に」「早く来ないと、このオジサンも ボラガイドだけー ボケて忘れるかも」と強烈なコールもありました。


 五葉山鉄砲隊(岩手県気仙郡住田町)の出陣式がほぼ並行して、涅槃門前広場で行われました。「泉州堺雀連合」の人々が本殿前から涅槃門前広場に移動した時点で、終わっており、青葉まつりに出陣する鎧甲冑の後姿を見送ったのみで、皆様ガッカリしていました。遠路からの多数の方々にも 見て頂ければ 鉄砲隊の人々の志気も向上したのでは 残念でした。


 「九曜紋に梅窓院」と鮮明に記した小型の幟、5本程先頭に団体で参拝にみえました。「九曜紋お使いの由来は、ご覧のとおり 政宗公も九曜紋を愛用されております。何か御縁があるでしょうか」とお尋ね致しました。
 若いお嬢さんが引率者で゛「私どもは東京・青山にあります長青山寶樹寺です。
徳川家重臣で、今の青山墓地を含む、青山に広大なお屋敷があった青山家に由来する寺です。青山家の家紋は九曜紋ではありません。梅窓院が九曜紋を旗印にしているかは 今はわかりません」と しっかりしたご返事を頂きました。 

 一行の皆様は あかとんぼの先輩で 杖使用の方目立ちました。「私 生まれながら 品川伊達屋敷の傍に住んでいます」に、手持ちの地図を広げましたら「ハイ此処が私の家です。ここが八木さんの仙台味噌です。今はマンションも経営しています。ここは 山内容堂のお墓のあった所です」「この一画が伊達屋敷でした。廣かったですよ」と語り始めました。

 「今日は政宗公の御木像を直々にお詣りでき、更に 仙台に来て 東京・品川の伊達屋敷・フルサトを語れて よかった」と大変喜ばれていました。
 この後、涅槃門前広場の毛氈のベンチで休息しながら 青葉を楽しんでいました。引率のお嬢さん達 「時間ありますからごゆっくり」と申していましたが、暑い日差しの中、膝や腰を労りながらの参拝でしたから、熱いお茶と羊羹をサーと差し出すと「アー極楽 ごくらく」と合掌されたかも。



5 月 19 日 (金)  



 目に青葉、霧雨の中、とある団体のご依頼。瑞鳳寺山門前から山門前迄61分間で、ポイントは外さないでガイドして欲しいとのご要望でした。
 期待に応えました。次の目的地に向かう車窓には満足した笑顔が見られました。

 反省点は、懐中電灯を持参しなかった事です。濃い霧雨のため、涅槃門の内・上部に光が届かず、麒麟の彫刻の凹凸・透かし穴、又、金貼り、唐草模様等が鮮明に見えずに、説明に苦労したと同時に、その素晴らしさを堪能して貰えなかった事です。雨天暗黒の際のガイド時は懐中電灯必携と感じました。

 仲間「ぐるーふ・よっこより」の勉強会が22日 「瑞鳳殿ガイドの七道具」と題してH代表の現地講義あります。七道具とは何々か、懐中電灯も其の一つでしょうか。楽しみです。

 参道途中5メートルに渡り、鈴蘭に似た白い草花が咲いています。撮影されている方もおります。尋ねられもしました。撮影・持参し瑞鳳寺さんにお尋ねしました。親切に教えてくれました。「シャガ」と申すそうです。

 「龍のひげ沢山ありますが、花はいつですか」とバスガイド嬢にテストされました。どれが 龍のひげ かもしりません、当然花がいつ咲くのかもわかりません 兜を脱ぎました。「調べます 連絡先教えて頂ければ」に「また来るまででネ」と。

 正室「愛姫」のふるさと、福島県田村郡の○○中学生。男女6〜7人の7グループ程。大きい声で「コンニチワー」の挨拶。坂道・62石段を元気よく、猛烈なスピードで登っていきました。この若さと元気は羨ましい限り。

 大きい声での挨拶。見ず知らずの人とは会話をするなの風潮の世にあって、日本の良き風習を躾た家庭と学校。すばらしい。ガイドしたかったが、予約待機中で出来ずに残念でした。


 明日から青葉まつりです。本来は政宗公の御命日(5月24日)が祭り日でした。現在は直近の土・日曜日です。祭りの由来日以外日に開催する故か、五月晴れに恵まれない確率が高い様です。

 21日五葉山鉄砲隊の出陣式の外、すずめ踊りの奉納もあるそうです。

メモ
  リュウノヒゲ
 学名 Ophiopogon japonicus .
 和名 ジャノヒゲ
 英名 dowarf lilyturf
 科名 スズラン科(ユリ科)
 属名 ジャノヒゲ属
 性状 常緑多年草
 特徴 庭園の下草として、日陰の芝生のような使い方もできるので、古くから広く利用されています。1株で20枚程度の細い葉を根出しますが、短い根茎でつながって全体として絨毯状に広がります。初夏に薄紫色の花が咲き、晩秋に青い小さな丸い果実をつけます。多くの品種がありますが、葉の短いチャボリュウノヒゲといわれる「玉竜」が最も一般的です。
 管理 性質は強健。繁殖は株分け。
 メモは下記URLによりました。
http://www.yonemura.co.jp/zukan/zukan-k/naiyou/ryuunohige0.htm




5 月 14 日 (日)  



 五月晴れの爽やかな日和です。

 仙台城下ではハーフマラソン大会が開催され、交通規制の影響か59分間参拝者の流れがピタリと止まりました。その後はダム放水の様に沢山の方が参拝に見えました。今度は切れ間が無くなり、空腹の限度までガイドしました。

 本日は 拝殿の扁額 絵の具の説明に入った途端「真珠に珊瑚」とご婦人から大声で気勢を制される場面もありましたが、それ以外 特記するご質問はありませんでした。

 公式ブログに、青葉まつり 5月20・21日の瑞鳳殿関連行事の記載があります。21日は岩手県五葉山鉄砲隊出陣式があります。是非多数の方々がお出でになる様にと、昨年の写真を持参し参拝者の方々に広報しました。

 公式ブログのURLは http://bonten-aru.blog.ocn.ne.jp/zuihoden/2006/05/18_1a6b.htmlです。是非ごらんください。記事一部コピー
 五葉山鉄砲隊出陣式(5月21日(日)9時30分から10時まで瑞鳳殿涅槃門前)
 岩手県気仙郡住田町に聳える霊峰・五葉山、ここは藩政時代、伊達藩直轄の地でありました。  続きは本文をお読みください。

 講座修了生2人 H代表と実地研修をしていました。ノート一杯に書き込みしていました。あかとんぼも勉強しないと早々に彼の前に馬を繋ぐ事になるでしょう。



5 月 7 日 (日)  



 ゴールデンウイークも最終日。皆様は日々の生産活動に戻られたのか、小雨の天候故か、過日の人出はユメの如し。人出の最高は4日であったそうです。
 
 瑞鳳殿本殿脇の八重桜が満開です。感仙殿の櫻は新緑に輝いています。

 札幌からの参拝者が連続し、確かめただけで4ケ組。当然もっといるでしょう。札幌では瑞鳳殿参拝がブームかなと「白石区です」か聞いたらゼロで、逆に「なぜ白石区なのか」と。「白石区は、政宗公の側近 片倉小十郎の城下。家臣の末裔の方々が開拓し、村から町になり現在の白石区になりました。瑞鳳殿再建の際、ご寄付されたと聞いています」。身近に感じられたか、途端に真剣になり、感仙殿地区までガイドを依頼されました。

 札幌では瑞鳳殿参拝がブームなのではなく、真相はプロ野球の応援でした。根拠地を札幌と、根拠地を仙台に置く試合応援の合間でした。「瑞鳳殿参拝が目的で、序でに応援ですか」の問いかけに皆様苦笑いをしていました。当然。

 プレートから順次本殿でガイト途中に際、中途から聞いた人の多くは、終わった時点で「今一度最初から聞かせて」と申されます。其の際は拝殿まで戻っていただき、涅槃門の説明から始めます。

 ところが、中途から聞いて、大きい声でブツブツ云い、自分中心でのガイドを求める方がいます。この方の要望に従うと最初から聞いてくれている人々の信頼を裏切り、不満と不快を与えます故、そのままガイドを続行します。そうすると割り込み者は怒ります。小心者のボラガイドは内心オロオロします。
 この割り込み者は○○年代の○○サンで単独行動の方に見られる傾向です。

 L先輩から誤記のご指摘電話が早朝ありました。感謝し補正しました。



5 月 6 日 (土)  



 本日はガイド休みです。小学6年生が伊達政宗公について学習しているについて、文部省告示第175号 学校教育法施行規則(昭和22年文部省令第11号)第25条の規定に基づく,小学校学習指導要領を開きました。次の様な組み立てになっています。

 途中飛ばして 末尾を読んでいただければ幸いです。

小学校学習指導要領  第2節 社 会
第1 目 標
社会生活についての理解を図り,我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て,国際社会に生きる民主的,平和的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。

〔第6学年〕
1 目 標
(1) 国家・社会の発展に大きな働きをした先人の業績や優れた文化遺産について興味・関心と理解を深めるようにするとともに,我が国の歴史や伝統を大切にし,国を愛する心情を育てるようにする。

2 内 容
(1) 我が国の歴史上の主な事象について,人物の働きや代表的な文化遺産を中心に遺跡や文化財,資料などを活用して調べ,歴史を学ぶ意味を考えるようにするとともに,自分たちの生活の歴史的背景,我が国の歴史や先人の働きについて理解と関心を深めるようにする。

エ キリスト教の伝来,織田・豊臣の天下統一について調べ,戦国の世が統一されたことが分かること。
オ 江戸幕府の始まり,大名行列,鎖国,歌舞伎や浮世絵,国学や蘭学について調べ,身分制度が確立し武士による政治が安定したことや町人の文化が栄え新しい学問が起こったことが分かること。

3 内容の取扱い
(1) 内容の(1)については,次のとおり取り扱うものとする。

ア 児童の興味・関心を重視し,取り上げる人物や文化遺産の重点の置き方に工夫を加えるなど,精選して具体的に理解できるようにすること。
イ 取り上げる歴史的事象は,アからクに示す事項にとどめ,網羅的に取り上げないようにすること。
ウ 歴史学習全体を通して,我が国は長い歴史をもち文化や伝統をはぐくんできたこと,我が国の歴史は政治の中心地や世の中の様子などによって幾つかの時期に分けられることに気付くようにすること。
エ アの「神話・伝承」については,古事記,日本書紀,風土記などの中から適切なものを取り上げること。
オ アからキまでについては,例えば,次に掲げる人物を取り上げ,人物の働きや代表的な文化遺産を通して学習できるように指導すること。

卑弥呼,聖徳太子,小野妹子,中大兄皇子,中臣鎌足,聖武天皇,行基,鑑真,藤原道長,紫式部,清少納言,平清盛,源頼朝,源義経,北条時宗,足利義満,足利義政,雪舟,ザビエル,織田信長,豊臣秀吉,徳川家康,徳川家光,近松門左衛門,歌川(安藤)広重,本居宣長,杉田玄白,伊能忠敬,ペリー,勝海舟,西郷隆盛,大久保利通,木戸孝允,明治天皇,福沢諭吉,大隈重信,板垣退助,伊藤博文,陸奥宗光,東郷平八郎,小村寿太郎,野口英世

 この人物の例示には伊達政宗公はありません。先生は徳川家康に関連させ、政宗の生涯と瑞鳳殿を取り上げているのでしょうか。
 お解りの方 教えてください。 




5 月 5 日 (金)  



 一応3連休最終日。でもゴールデンウィークは続く。怒濤の如く人の波です。観光バス・ループルが満員で乗れない、遅れると携帯電話で叫んでいる人も居ました。

 お釈迦様の誕生日は日本では4月8日です。ある國では5月5日で、国民の祝日・休日だそうです。お釈迦様は、生まれるとすぐ四方に七歩ずつあるいた後、「天上天下唯我独尊」と発したそうです。詳しい意味は知りませんが、私たちは生まれながらにしてとても尊い存在であることを指すのだとも言ます。

 本殿正面は極楽が描かれています。涅槃門を潜る際「本日は極楽迄ご案内します」と申すと皆様にっこりされます。本殿前で、「北山・昌繁寺所蔵の毛縫曼陀羅や当麻曼茶羅」のコピーを公開します。皆様 ナルホド極楽絵図と同じだ、極楽と納得されます。

 テレビで女性レポは、幼児殺害等事件があれば、「天国で安らかに」といいます。昔は善人は極楽を目指したのに、最近は行き先が変わったのかとあかとんぼは内心思っていました。心配していた影響が遂にでました。極楽を知らない人が居ました。日々の生活は極楽なのか地獄なのか 本人次第でしょう。でも、極楽と云うの言葉を知らない人が増えれば、ガイドにひと工夫が必要となります。マイッタ。

 女の子が案内板の政宗公の肖像画等をテジカメで、丹念に撮影していました。母親の解説によれば「今 政宗に夢中なの」。小学6年生とのこと。アレー今小学6年生には政宗が全国的に熱狂的ブームなのかな。3月初めに四国から、3月16日は福島から祖母や親に「此の今政宗に夢中なの」と連れられて来ました。

 歴史の時間に「政宗公」が取り上げられているそうです。それが真相でした。どの様に取り上げられているか、独眼という障害がありながら、時の四政権と対等に吾した英雄。努力すれば報われる人生として教えられているのか。興味津々です。

明日の日本を背負う少女の為、プレートから本殿まで、途中ガイド妨害の雑音にめげず丁寧にガイドしました。

 寄付者名簿板の前で、きっちりした服装の親娘3人が、熱心に見ていました。伊達家御一門の方かなと控えていたら、お嬢さんから「あれー市町村名だわ。税金で寄付するのー」これで御一門の方でない、又伊達領内の人でない事が歴然としました。

 税金の使い方に、色々な見解があるのは了知しています。乱世に生きた政宗公の処置に、歴史的に好意的でない所は 寄付をしていません。二七〇年の伊達家の治世を評価したところは、住民の意思として議会の承認を得て寄付しています。
「税金で寄付するのー」のご発言にはドキリとしました。

 4月29日スケッチしていたお嬢さん 久々に見えました。毎日通っていたそうで、あかとんぼが帰ってから来たのでしょう。大きい和紙に描く日本画とか、懸命にスケッチしています、7月宮城県美術館で開催される、全県高校生絵画展に出展するそうですが、間に合うのでしょう。
 絵画展の日程確定したらメールで知らせて貰い、参観するを約しました。

 戦災で焼失しましたとのガイドに、正確な年月日を尋ねる年輩のご婦人が居ました。「1945年(昭和20年)7月10日です」「アレー内より2日早いわ。宇都宮は12日でした」と戦災被害の話になりました。

 この方のお嫁さんと見られる方から、「ここの動物は全て なぜ阿叶なのか」のご質問がありました。10秒以内の短時間で正確に、容易に理解できる日本語での解説は苦しいです。結果として納得頂きました。

 4月30日観光タクシー氏からの質問、調べ切れず、学芸員Kさんにメールで教示を求めたところ、「現在調査中です、今暫くお待ちください」と昨日取りあえずの返事を頂きました。よろしくお願いいたします。

 南参道の民家に「同根異色」紅白のふさふさした豊かな花が木一杯に咲いています。今年はあまりの見事さに撮影しました。写真を見た方から「何の木が聞いてこい」で、お宅を訪れお尋ねしました。当初怪訝な表情でしたが、「桃です。幼木差し上げます」と申され頂いて参りました。

メモ
 阿叶(あうん)
 H代表執筆解説では『サンスクリット(梵語)のアルファベットの最初である「ア」と最後の字音である「ブーム」。密教では、この2字が万有の始原と究極を象徴するとし、それぞれ万有の原理、それらの帰着する知コを示すとする。又、前者をさとりを求める心(菩提心)、後者をその結果としての涅槃にあてることもある』とあります。
 あかとんぼは上記を意訳し「阿は修行の始まり、叶は修行のお終い、併せて悟りの境地を示す」と話しています。 



5 月 4 日 (木)  



 本日快晴 雲一つ見えない青空です。ご城下の街路樹は新緑が眩しい位輝いて、足元には蒲公英(タンポポ)が負けずと咲き競っています。

 昨日は2,000人近い参拝者あったらしいです。本日昼一刻短時間切れ間がありましたが、終日多数の方が参拝に見えました。

 なにがかんだかわからないとブツブツもうしている方もおりました。ガイドしましょうかと申し上げても、折角雰囲気を楽しんでいるのにと、嫌われるケースもありますので、積極的に声をかけません。となると上記の様なブツブツにもなります。この兼ね合いが難しいです。

 八戸からの夫婦、仙台城に行ったのに。渋滞の中、駐車場を捜している内に通り過ぎて、瑞鳳殿に来てしましたと。夫人は積極的な方。ガイド終わったら「名刺ください」と申されました。今度一団をつれて来るのでしょうか。たのしみです。
 名刺はこのホームページ紹介のURLのみ記載、氏名・住所・電話番号は記載ありません。役に立ったのかな。

  ゴルフの宮里藍さん 調子の良い時の写真 オヒソが写っています。可愛らしいです。今日の参拝者に ヒソだしが表れました。豪華絢爛な桃山様式の建造物にはマッチしませんでした。

 90歳近い老女を、あかとんぼと同年配の夫婦が両脇から抱えて登ってきました。第2駐車場から歩いて来たと、涅槃門前の赤い毛氈のベンチで疲労困憊の様子。帰りを考え込んでいました。老老介護ならぬ老々参拝です。不規則敷石畳を下るのもなイヤー大変です。「裏の職員駐車場に車回送し、ご老人を乗せたら」と提案しました。「それは良い。安心した。オカアサマ休んでいてネ」と二人は本殿の参拝に向かいました。

 車椅子を押した方、職員駐車場からきて、受付でいずれで作ったか不明の図面を開いて、「本殿迄 車椅子で上がれるとあると記載ある」と頑張っていました。瑞鳳殿で作って無い資料を基に抗議されても、瑞鳳殿では対応出来ないと思います。現実3段1段の石段は強力(ゴーリキ)を頼まない限り車椅子では登れません。
 障害者対策が充分で無いと申されても、裏山の大木を切り倒し、地べたを削って道を造ることは環境破壊、瑞鳳殿の尊厳を傷つけるものと思います。
 手持ち資料を屈指して本殿の様子をもガイドします。お声かけください。



5 月 3 日 (水)  



 雲一つ無い快晴です。五月晴れです。
 新緑が輝いています。感仙殿地区は櫻花絨毯です。

 ゴールデンウィーク後半に入りました。流石参拝者の列は、仙台市一番の繁華街の東一番丁並です。パンフを落とすは常ですが、ループルバスの一日乗車券を落とす方も居りました。

 朝一番のご夫妻。本殿前に到達しましたら、スーと拝礼されました。嬉しくなり「日本人は拝礼しない人が多いです。欧米系の人々は偉大な先人の廟所と知るや、進んで敬意を表します。朝一番の方が進んで敬意を表され、本日は良い出合いが期待されます。ありがとうございます」とお礼致しました。

 本殿でガイドをしている際、背後にまとわりつく方がおりました。ガイドをする際には背中を曝さないようにしています。が、何故か背後に入り込みます。
 以前に、傘の尖った先で突かれた事があり、背後に張り付かれると恐怖で話せなるのです。ガイドを中止、対面でとお願いしました。

 本殿前は砂利が敷かれています。幼児であれば拾い易い、拾いたくなる大きさです。拾えば投げたくなります。実行した幼児かいました。トタン、その若い母親と叔母さんが飛んできて「あぶない・駄目よ」と二人同時に、ゴチンと拳骨を落としました。当然幼児はびっくりして大声で泣きました。
 今時の育児は甘く、躾はなっていないと世評では申します。でも こんなに厳しい母親と叔母さんが健在なのです。安心しました。

 本日も東洋系 外国人の参拝がありました。チケット購入の日本語が出来るため日本語のパンフを貰います。連れと話をしているのを聞いて、初めて日本語でないと知ります。英文パンフを持っている時は差し上げますが、時遅しがままあります。

 本日 福島県白河市女石に所在する「仙台藩士戊辰戦没之碑」前で、1868年5月から7月迄の約100日の戦闘で300人も仙台藩士が亡くなったといわれ、この供養が地元の人々が参列して行われました。仙台藩士会からの参加は今年ゼロであったそうです。昨日 小次郎の墓参に参加 お疲れになったのでしょうか。

 瑞鳳殿の南に所在する「戊辰の役 戦没者弔魂碑」は1260余名を弔うものです。138年前の出来事です。知らない人が多く、ガイド無しでは拝礼する人は少ないです。



5 月 2 日 (火)  



 伊達小次郎。政宗公の実の弟。1590年兄政宗公に切られ、13歳で生涯を終えました。この直後 政宗公は小田原に布陣した豊臣秀吉の基に駆けつけ安堵を得ております。
 この事件現場は会津黒川城であった筈。どうした事か、伊達小次郎の墓が宮城県登米市津山横山の長谷寺にあって、本日 修復工事が完了し、伊達藩志会員も参加し、落慶法要が行われたそうです。

メモ
 伊達小次郎は1578年に生まれ1590年4月6日夜亡くなりました。場所は、守り役小原縫殿之助の屋敷において討たれたあります。(この記述は不可解です)

 討たれた事情については「貞山公治家記録」には「小次郎ニ科ハナケレドモ母ヲ害スル事ハ不叶故ニ如此ス」と記録されています。

 1592年正月に母義姫(保春院)の意向により、小原縫殿之助は幸福山法華寺(会津若松か、所在未確認)に仮埋葬されていた遺体を、長谷寺に埋葬し、同年2月8日長谷寺において同人は自刃しました。

 母義姫(保春院)は小次郎が討たれた日に最上義光を頼り、32年後の1622年に仙台に戻った。この間に改葬を指示出来たのか。

 長谷寺(ちょうこくじ)は、舎那山と号し曹洞宗、本尊は阿弥陀如来 802年坂上田村麻呂の創建。

 メモ記述は、平凡社刊行「宮城県の地名」・新人物往来社刊行「独眼竜政宗と伊達一族」によりました。



5 月 1 日 (月)  



 瑞鳳殿本殿の塗装

 次の様にガイドをしております。
 「(日光東照宮の修復を行っている株式会社小西工藝社によって)黒漆塗、岩絵具の極彩色、金箔押で仕上げられています。漆塗は多いところで四二工程を重ねています」又「2000年から一年の工期で塗装修復等の工事を行っています」
 この発言は「瑞鳳殿再建期成会刊行 瑞鳳殿再建の経過、財団法人瑞鳳殿刊行 瑞鳳殿改修工事報告書」によっています。

 これについてのお客様の反応はイマイチ。「我が家で使用している漆器はもっと光っているぞ。しっとりした輝きがあるぞ。本当かい」の表情です。
 壁面の黒漆の色は、確かに黒ですが、艶を失いしっとりした輝きはありません。当然の反応です。修復完了した2001年はまばゆく輝いていました。

 躯体構造と関係あるか調べてみました。関係無いようです。
 1962年2月刊行の「鈴鹿清之介著 日光国宝保存工事事務所発行 日光 漆塗建造物の皮膜構成に関する研究」に、次の記述がありました。

 0.漆の使用は石器時代で、遺跡から漆塗り木竹器が出土している。
 1.良質の漆塗装においても、直接日光風雨に曝せば、5年余月の経過で既に漆膜は逸散焼失する
 2.火焔に対する漆膜は強い。国宝文化財の保存と安全の為、漆がより充分に使用される可能性が実証された。

 以上から現状は、当然のことでした。





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