2007年1月の日誌
| 前々月 | 前月 | 翌月 | 翌々月 |




1 月 30 日 (火)  



 表紙のシンガポールのお嬢さんから「写真 うれしい」のメールを頂きました。
 読者から、1月28日の答えられなかった質問について、勉強して知ったこと、答えらないものはその訳はなんぞや、とメールを戴きました。

1.伊達家18代御当主の住所を教えて呉れ。
これは完全な個人情報です。「あかとんぼ」は知りません。

2.唐草模様の唐草は、何科の植物か教えて呉れ。
これは、涅槃門を潜れば、彼岸であり、霊界である故に、描かれている動物は全て霊獣(麒麟・龍・瑞鳥)で、現世に生存していない動物です。唐草も霊界の植物で現世に生存していないもので、何科との分類は無いと記憶していました。
唐草模様については、調査したところ下記メモの通りでした。

3.阿吽の龍が本殿四隅に何故載っているのか教えて呉れ。
龍は、悟りの境地に達した霊界の瑞獣と理解しています。阿吽・ペアは、物事の基本である陰陽を表現していると理解しています。創建当時、阿吽の龍を本殿四隅に何故載ったかの、意図を明記した史料に遭遇していません故わかりません。推測でガイドしないの原則に則って、答えられませんでした。

4.米国の空襲が激しくなった時、伊達家の宝物は何れに疎開したのか。
伊達伯爵家の伝来の家宝はどんなものがあるか。そのリストは華族を管理する宮内省に報告されていたでしょう。保管先の変更も報告されたかも知れませんが、混乱した社会情勢の中で散逸したでしょう。60余年前のこの些細事を調べても、歴史的・社会的にもなんらの益がない、無駄でしょう。
 戦後、瑞鳳殿等の敷地を含め、主要なものが仙台市に寄贈されました事実を大切にしたいです。

メモ
からくさ【唐草】 唐草模様の略。
織物や染物につる草のはいまわる様子を図案風に描いた模様、アラベスクが起源。中国では蔓草文と呼ばれている。 「岩波国語辞典、著」
わが国には、古墳時代にすでにその痕跡があり、平安時代には唐華、唐草と呼び、貴族制度が確立した当時から、貴族のものとして使われ、人間が創造した理想的な草花とされていました。古くエジプトで誕生し、ギリシャに伝えられ紀元前5世紀、パルテノン神殿に見られるように波状湾曲するようになり、ローマ時代になると繁茂した葉の唐草紋が成立しました。
 これが宗教などの影響を受けながらギリシャ、ローマ、インド、ペルシャ、中国、モンゴルと様々な様相を呈してきました。メソポタミア地方を原産とする葡萄も唐草模様発展の母体として重要な位置を占めています。シルクロードを経て東方に伝わった唐草模様は中国では牡丹がその一部に加わりました。日本に渡来した唐草模様は、日本の文化に見事融合し松竹梅、鶴亀、菊などが加わりました。日本では室町時代、綿の栽培が普及し庶民の為の染織の需要が急増し、染めの技術が著しく発達しました。
 統一された布巾(並巾)と創始以来、現在まで変わらない型紙巾により日本独自の糊染めが完成しました。江戸時代その極みに達しました。主な産地は三重県で伊勢型と呼ばれ、無名の職人達の手により驚くべき種類の模様が考案され、型紙が生産されました。それらの型紙は行商人の手により全国の紺屋に販売され普及しました。
 この型紙の中に唐草模様があり主として蒲団などの寝具に使用されました。これらの古布は現在でも健在で、ファッション界や趣味の小物などに、愛用されています。http://www.siz-sba.or.jp/takuminokai/ai01.htmlによりました。
 あかとんぼの馴染みは「大風呂敷」です。



1 月 28 日 (日)  



 3月中旬の気温です。参拝者はループルバス到着時刻で登ってきて、次ぎのバス時刻に合わせ降りて行きます。竜巻型参拝です。

 在日アメリカ人をはじめ各地から参拝に見えました。昨日は亜細亜系外国人の団体参拝があったそうです。

 「お嬢さんはどちらから」「亘理町から」「亘理の殿様は」「ハイ伊達成実の所です」「御一門、成実一族の廟所は」「大雄寺に」「此処は、本家、成実の従兄弟の政宗公の廟所です」
 
 今時の若い者の評に当てはまらずに、よく郷土の歴史を存知ているのに、驚き感心し、 拝殿と金唐門との間にあった、成実の子供が、「伊達左衛門大輔藤原宗実」の署名で、寛永14年5月24日の日付で寄進した灯籠の基礎石を案内しました。家格が御一門 席次2番 拝領は要害 と最上位であったをあらためて納得した様子でした。

 横浜の奥様から、「伊達家の宝物を拝見したいが資料館に展示してあるか」「資料館は発掘調査資料が主です。伊達家関係をご覧なるならば仙台市博物館です。伊達家で一括寄贈しています」「アラ バスで博物館は休館と言われましたよ」そんなことはない、休館は月曜日のみと調べたら、冬季休館に入っていました。
 「寒い雪の冬季に わざわざ観光に来る人々を、なんと考えているのでしょう。青森は 全ての施設が休館であった。仙台は青森よりも都会と思ったのに。仙台の市長さんはじめ 東北の皆さんは」
 奥羽・羽州の頭目になったつもりで「ご期待に添えず申し訳ない」と陳謝しました。

 今日のご質問
1.伊達家18代御当主の住所を教えて呉れ。
2.唐草模様の唐草は、何科の植物か教えて呉れ。
3.阿吽の龍が本殿四隅に何故載っているのか教えて呉れ。
4.米国の空襲が激しくなった時、伊達家の宝物は何れに疎開したのか。
何れも答えられない質問ばかりでした。

 歌手佐藤宗之さんは驚く会話。バスガイド曰く「ここが戦災に遭ったのは広瀬川河川敷に軍事施設があったからです」客「そうか」。この会話 納得します。



1 月 21 日 (日)  



 暦では大寒です。青空が広がり、お日様がピカピカ輝いています。日光浴する余裕がありました。

 還暦と見受けられる埼玉からのご夫妻。細君は、「木彫りや書道を楽しんでいますのよ」と透かし彫りや扁額を熱心に見ます。夫君は、ガイドを斜めに聞きながら、細君が資料館に移動しても、本殿前で見事な装幀の手帳に赤ペンでなにかをメモっています。戻って来て小声で「アノー天女さん、足指を曲げ、あの表情は恍惚をあらわしているね。女性客がいない時に、よくガイドしてね」

 以前は、「天女さんの足は裏表になっています。形で表現できない悦びをあらわしているとの説もあります」とガイドした時期もありますが、現在は斯様なガイドはしていません。

 「お客さんの観察力は素晴らしいですネ。もしかして小説家の渡辺淳一先生の世を忍ぶ取材じゃないですか」 「愛の流刑地か。アッハアハー」
 
 過日、市内ホテルのコヒールームでの仲間の打合の隣席で、美人さんが対談取材を受けていました。後日「あの美人さんは、サラダ記念日で有名な歌人の万智子さんでしたよ」とYさんから教えられました。新幹線で2時間足らず、東京の奥座敷・仙台に情緒を求めてに小説家の渡辺淳一氏がマスコミを避け、世を忍ぶ取材もあり得るのでは。

 
 涅槃門前をウロウロしながら、本殿に向かわない老男女。「どうしましたか。本殿参拝参拝されないのですか」「ここから拝んでいます」「そうですか。本殿の政宗公の尊像は・・・・・」と手持資料をご覧頂きました。

 「古希の同級会があり、60年振りの仙台で、瑞鳳殿を参拝したいで、案内してきたが、62石段で精魂尽きて、これ以上登れないと言うのヨ」「今、写真を見せて貰い もう満足です。ふるさとだ。まんぞくです」

 これから昔話が始まりました。「川内川前丁に祖父の代から住んでいます。博覧会の跡地を分譲したものを買ったものです。伊達時代の石灯籠があるの。家宝ね。二人は立町小学校卒業で、校舎が戦災で焼失し、在校生全員で焼け跡で釘を拾い、販売し給食費にあてました。土井晩翠校歌記念室がありますのよ これから案内しますのヨ」

 ここ瑞鳳殿は片平学区です。立町学区の10歳の学童には、チト遠かったのか、焼失前の瑞鳳殿に遊びに来た話は出ませんでした。



1 月 15 日 (月)  



 お正月も終わりました。巻頭写真は国際交流にしました。

 地元紙朝刊は、「大年寺山伊達家歴代墓所に、伊達家が外塀の修復に併せ、檜造り4.5m高の山門が新設し関係者30人で落成式を行った」旨報じています。

 誠に結構なことです。
 この付近は仙台市で公園化を計画し、用地買収価格が高額過ぎると物議を醸したと記憶しています。何れにせよ史跡公園として整備されるを望むところです。
 伊達家歴代墓所は直近17代ご夫妻まで祀られていて、公開は難しいのでは。

 ひとこと
 マスコミは山門新設と報じていますが、「山門とは、@寺院の門、また、寺院。A比叡山延暦寺の別名」と大修館書店現代漢和では解説しています。この門は山門と表現すべきではなく、廟門、また、涅槃門と表現すべきではないでしょうか。

 廃寺になった大年寺の山門は、市文化財課で史跡として復元しています。大年寺山に山門新設と報ずるは、無用の誤解を招く心配があります。



1 月 14 日 (日)  



 小雪降る寒い天候なので参拝の方々の出足は遅く 鈍いです。

 鎌倉・札幌と遠方からお出で頂き、熱心に聴いてくれました。
 本日 一番の遠方はシンガポール共和国のお嬢さんでした。「この涅槃門の扁額の絵の具は珊瑚と真珠です」とガイドして反応がイマイチなのです。珊瑚と真珠は持っているかいないかは別として疎いとは?
 「お国はどちらですか」に「ハイ シンガポールです」仙台○○中学校の英語補助教師として来仙され、案内人なしで日本文化の研究している様子でした。

 共にガイドを聞くことになった高齢の方と二人で「中学英語」交えてのガイドしました。偉大な先人の霊廟でその豪華な建築美を理解された様です。記憶に残った質問は「これは佛教施設?」です。確かに、佛教施設であっても、日本と外国では異なり、日本でも瑞鳳殿は寺院建築とは 特異です。なるほどの質問です。

 参拝者とガイドとの記念写真の申し出があり、交換撮影しました。本ページに掲載も快諾を頂きました。
 異国の若い中学校の英語補助教師と、55年前に習得した中学英語で、時間と国境を超越して語る妙味に、一人楽しくなりました。

 U先輩が若い女性二人に涅槃門でガイドをするのを聞いていましたら「アッ この家紋 我が家の家紋だ」の叫び。豊臣秀吉から拝領したと称される桐の家紋を指していました。「とちらから、相当の名家ですネ」「利府町から。○川と称します」此の後がタイヘン「今日は親娘で・・・・」「イヤ 同じ年です」

 女性の年齢はわかりません。誠に気を使います。「お嬢さん」「奥様」「おかあさん」の3語でよびかけしています。「オバサン」は禁句。女性の高齢者に「おばあさん」もダメです。

 参拝の方お出でになる待ち時間を利用してU先輩と瑞鳳寺境内墓地を散策しました。「伊達時代に家臣・領民の墓地が許された筈がない。明治以後に移転・建立されたものだ。いつ建立されたか墓石で確認したか」とのご指摘を頂いていました。

 前の日誌に記載した「佐々家」の墓石のほかにも、現代の様に○○年○○建立の表示はありませんでした。又、「佐々家」より小さいですが、伊達時代の年号が刻まれた卵形の墓石・墓石群が数ありました。
 現在も城下の中心部で商売をされている○○家の墓地は垣根で一画を形成しており、中心墓碑に家歴「○○出身で○○の時に伊達家から時服を賜り。・・・墓石の建立を許され・・・」が記されていました。
 これらかするに、瑞鳳寺境内に家臣・領民の墓地が許された時代があったと理解しました。

 ガイド終了後、二人で事務所で温かいお茶を馳走になりました。五臓六腑がホァンカとしました。馳走になりながら年賀拝礼式日の仏膳の話となり、「お佛椀の名称と使い方」のマニアルを頂きました。

 仏様手前に箸 左前の親椀に白飯 右前の汁椀にお吸い物・味噌汁 真ん中の高皿に漬物 左奥の平椀に煮込みもの 右奥の壺椀に煮物・胡麻和え となります。 



1 月 8 日 (月)  



世界遺産の指定に

 昨7日の地元紙の読者投書欄に「瑞鳳殿整備し世界遺産狙え」なる投稿が掲載されました。本日は日本各地の立候補リストが発表になっています。既に指定になっている白神山地に、間もなく指定になる平泉に、立候補の出羽三山となると、指定財産全く存在しない宮城県では?とミエハル意識を感じ乍ら、瑞鳳殿を整備し、多くの人々に訪れて欲しいの純粋な気持ちからと感謝したい。

投稿文
 宮城県の文化財を世界遺産に登録すべく、県庁内に検討組織がようやく発足した。候補の一つ、瑞鳳殿について建言したい。
 亭々として天を突く老杉の森、経ケ森、その奥深く静かな山中に点在する霊廟群。特に瑞鳳殿の壮麗さは、日本の大名霊廟建築美の最高峰として類を見ない。
 戦災炎上を経て再建された構造に、登録への異論も出ようが、保存修理が施された後に国宝に指定された臼杵石仏のような例もあり、容認可能だろう。
 問題はほかにある。表参道西北部は、昭和20年代に市が植林事業として杉苗を密植したままのため、杉はか細く脆弱で、強風の度に倒壊して散策不能となる惨状にある。
 堂々たる杉巨木育成のための大幅な間伐。その杉木立を縫う散策路の設置。シャクナゲ、アジサイ等、幽玄境にふさわしい花木の厳選植栽。
 表参道から見える、民家を隠すカエデの密植も気になる。
 これら必要な整備は、世界遺産登録後は容易に行い得ない。早急に改善し、その上で世界遺産指定を期すのがよい。

 あかとんぼ の私見
 瑞鳳殿等の現在の御霊屋の構造は鉄筋コンクリート造りです。材質・寸法等が創建当時、若しくは焼失時と同一に復元されていません。限りなく復元に務めたもので、あくまで「風・ふう」であります。それ故に国宝に再指定されないと了知しています。臼杵石仏は化粧直しの様に補強されたのではありませんか。事例にはならないと思います。建築物ですから、国宝の指定後に世界遺産指定が順当と思います。

 「表参道西北部の密植したままで、か細く脆弱い」と指摘する杉山は、都心部に所在する貴重な森です。「杜の都仙台」と自称するからには、模範的造林をして頂くこと賛成です。

 「強風の度に倒壊して散策不能となる惨状にある」の表現は過大です。この風致地区・歴史公園が霊域としての幽玄境の雰囲気を保って、散策路を整備するのは賛成です。

 「民家を隠す密植も気になる」は、民家が隠れていません。昨秋の撮影会の際、参加者から「木立から民家が写り、興を逃れること夥しい」「くやしい」が異口同音に発せられました。参拝者に幽玄境を味わって頂くには、更なる植栽の工夫が必要と感じています。

 この投書を機会に、仙台市の文化財課、林務課、都市公園課が連携し対応して頂ければ嬉しい限りです。
 



1 月 7 日 (日)  



 明日は成人の日、曰く 三連休の中日。積雪寒冷地から温暖な地方まで、画一的成人式衣装での参拝を期待しました。日本全土を襲った「爆弾低気圧」の影響か、参拝者数も期待を裏切られました。

 バス停から坂道・石段を登って券売所迄で、5分から7分、涅槃門から本殿、資料館を一別して10分、バス停まで7分。ループルバス利用の参拝の標準行程です。ガイドを聞いている時間がありません。悪天候では、更に気分的に余裕がありません。前半はガイド皆無でした。

 資料館でビデオ学習していました。観光タクシーでの一団が入ってきました。三代の頭骨のレプリカを見た それなりの年齢の御婦人「運転手さん、これ本物?ウン、どうして本物展示しないの」
 甕棺を見て、同様の質問をする方がいます。
 全国の博物館で、全て真物を展示しているでしょうか。まして、頭骨の本物展示はあり得ない話と思います。お墓はカラッポになるでしょう。死者に対する冒涜と考えないのでしょうか。自分の頭骨が店頭等に展示されたら、どうしますか。化けて出るか。祟りととして張り付きますか。

 綱宗公の甕棺の底に、宝永小判10枚が展示されています。「本物か」と聞かれた際「本物とおもいます」と応えることにしています。でも、此の回答でよかったか考えます。是非欲しいと思う人が出て来ないか心配です。1枚9.5グラムです。10枚で95グラム。本物であれば、金地金にして時価235,220円(1月5日現在住友金属鉱山買取価格 g単価2,476.円)です。

 11時過ぎ、雨も止み、漸う ガイドを聞いてくれる人が登ってきました。
 金沢からお嬢さん2人をガイドしました。金沢市・前田家とふるさとのことをよくご存じでした。例えば、金沢市章は前田家の家紋を借用していない。前田家の墓所は整然と並んでいる。仙台市章は、伊達家のここ以外の墓所はとなりました。

 熱心に聴き、涅槃門に、本殿の扉が開かれるいつか問われた方、「どちら〜お越しで」「仙台市内です」「それでは5月24日の御命日法要か、1月2日の年賀拝礼式日、10時頃までお出でになれば」「ハイー」と喜んでいました。お待ちしています。

 仙台藩志会常任理事の○木様から、2日日誌の誤記をさりげなくご教示を頂き修正しました。この日誌は記載後、誤記・新事実発見等で絶えず修正しています。1度ならず読み返して頂ければ幸いです。

メモ
 金沢市章
 仙台市ほどストレートではありませんが、前田家の香りがあります。前田家は梅鉢紋です。金沢市は5花片の中に「金」の文字で、1891年3月7日制定です。

 前田家墓所
 金沢市南部にある野田山頂上部に、約6.5ヘクタール。藩祖利家公と正室(まつ)をはじめ、歴代藩主・正室、一族と70基余が整然と祀られている。
 その代表的形態は、陵墓の形で、鳥居、30メートル四方の柵内は玉石敷き、石柱の墓標があり、後ろに塚がある簡素なもの。
 この項は、「石川県に世界遺産を」推進会議のHPによりました。

 



1 月 3 日 (水)  



 年賀拝礼式 続き

 お膳の向き
 本殿政宗公尊像にお膳を供していた女子職員が「アッ」と小発声して、お膳の向きを回転させました。お膳上には、ご飯・香物・御煮〆・ナマス・黒豆、数の子が朱の五漆器に盛られ、別に お茶と伊勢エビが供されました。
 03年に発表された「伊達政宗の元日料理」に比較すると豪華・品数は劣りますが、温かい情のこもった精進料理です。
 回転させましたのは、政宗公が主体で、参拝者に供するではないからと、箸・ご飯とお膳全体を政宗公に向けたのです。参拝者からはお膳の向きは確認出来ません。それなのに見えないところまで配慮する、女子職員の政宗公に対する尊敬と愛情をかいま見ました一瞬でした。

 蛇足ですが、飲酒乗馬厳禁の風潮からか、御神酒(箱詰めを除く)は供されていませんでした。

 脱笠は
 拝礼の際に、サムライ姿の方々一同は平笠を被った儘で、拝礼しました。拝殿で式に陪席した市民の方から「アレー」と洩らされました。そして、「葬式や集会、会合の際には、帽子・手袋を私らは外すが、家臣の末裔は別なのか。それとも武官束帯の衣装における冠と同じ扱いなのか」と聞かれました。
 儀式の際の衣装は、時代と場所によって色々変化している様です。式に臨む本人の気持ちが第一で、外野・評論家がとかく申すの問題ではないでしょう。



1 月 2 日 (火)  



 年賀拝礼式日です。
 10時50分、仙台藩志会の幟を先頭に、正装した藩志会員、殉死者末裔、瑞鳳寺僧侶、御当主、正装した女子藩志会員、平服の藩志会・大年寺会員が62段の石段を粛々と登壇、数分前に開門された涅槃門を潜り本殿前に到達。
 11時から瑞鳳寺僧侶2名の読経の中、御当主、財団、殉死者末裔、藩志会・大年会の順で、拝礼。
 続いて、御当主、藩志会会長の挨拶、財団常務理事のお礼の挨拶。
 11時40分終了しました。

 涅槃門前で、藩志会会員一同の記念写真の撮影。会員の撮影に合わせ「あかとんぼ」も撮影。05年には「あかとんぼ」単独撮影で、御当主と殉死者末裔代表石田様のお二人にのみ献上で、藩志会会員一同には差し上げていませんでした。今年は会員が撮影していましたので気が楽でした。

 殉死者、入生田三右衛門元康の末裔細目氏(75歳)の真剣による居合が奉納されました。05年には撃剣の奉納が都合で行われませんでしたから、3年ぶりに拝見ホットとしました。細目様 08年も奉納をお願い致します。

 正装とは、男子は、羽織・袴・裃・平笠(正式名は調査中 )を着用し、帯刀された方で、女子は伊達模様の陣羽織を着用された方です。
 
 この正装された方、数人から「本日誌を読んでいる。こまめに記録されていますね。ガイド頑張ってください」と激励を頂きました。誠に恐縮の極みです。街道研究会の仲間と名乗られた方もおりました。サムライ姿では、普段のお顔が全くうかびません。よろしければメールでお名前を教えて頂けませんか。

 伊達家の始祖・系図の研究の第一人者土生慶子先生から「ガイド頑張っていますね。今後もしっかりガイドしてください」のお言葉を頂きました。

 拝礼式開式前、ガイド依頼がありました。「間もなく 年に1回の儀式が始まります。それまでで宜しいですか。儀式を拝見されるをお勧めします」「はい、そうします。なんと言う儀式ですか」「ハイレイシキです」「どんな式ですか。漢字でなんと書きます。拝霊式 レイはオタマヤバシの霊ですか」「いや 礼拝の拝礼です」「ハー」。御霊屋(オタマ)を読めないで「オレーイヤダー」と読む方がいる昨今、この様な方もおられるのです。

 券売所前にデッカイ生け花がありました。仲間のYさんと財団職員のみなさまに年頭のご挨拶をしたら「ボラガイドさんに刺激されたか、あるボランティア活動の方の寄贈です。市民のみなさまのご厚意が届く様になりました」と喜んでいました。結構なことです。ガイドをする方増えればなお結構です。



1 月 1 日 (月)  



 

あけましておめでとうございます


 輝かしい新年を迎えたこととお慶びもうしあげます。
旧年中は、ひとかたならぬご支援・ご愛読・ご交誼をいただきまして、厚くお礼もうしあげます。

 年頭にあたり、06年をふりかえり、07年の目標を列述いたします。
 06年のガイド回数は71日回で、05年の69日回を更新しました。ガイドをする目的は@健康維持とA社会奉仕の2点であり、七曜を単位とする生活習慣から日曜祝日の午前、ガイドをすることにしまして満6年になります。

 @健康維持の目的は充分に達成されました。年間52週の内42週87%の実施率です。休みましたのは、閉門日の大晦日を含む民俗的祭日(お盆、彼岸、敬老、天皇誕生日) 等です。伊達家の家禄62萬石に合わせた石段等の昇降は、腰、心臓等は敏感に反応し、体調の好不調を認識します。政宗公の佛徳が、これでの自己管理からか、病に臥すことなく、健康を維持し、結果的に昨年の実績を更新してのガイドできました。

 A社会奉仕の目的は、自己評価に迷うところであります。日本と世界各地から日曜祝日に訪れた方々にはガイドしましたが、それ以外の時間に訪れた人々はガイドなしに等しい状況でした。社会奉仕を目的に掲げるならば、もっと回数を増やして徹底すべきでなかったか?です。明日(あす)の日本を背負う学童・生徒等に、自国日本の歴史を理解する上の一助なればとの思いから、数多くガイドしたかったです。ゆとり教育の弊害是正から依頼が減少したように感じました。それ故に宮城野高校生、寒気の中3時間余真剣に聴いてくれのは、嬉しかったです。

 この「あかとんぼ瑞鳳殿ガイド日誌」の読者は、1日最低5人から最高20余人、日平均12人です。読んでくださる時間帯は、昼間は皆無に近く、ほぼ夜間です。その様なことから更新は18時を目途に行って参りました。
 
 まとめです。ガイド6年、ホームページ更新5年間も継続出来ましたことは、みなさまのご支援あればこそです。感謝です。ありがとうございました。

07年の目標です。
 @日曜祝日の午前のガイドは継続します。金曜日月曜日も参拝者が数多く、ガイドの要望があると聞いています。体力・気力を充実し、余暇活動の調整し、いずれかの日に実施したいと思います。具体的には、温かくなり参拝者が増える春4月からです。

 Aこの日誌も継続します。ガイド日誌に記載する種を求めてガイドするの気分の日もあります。このHPによって「あかとんぼ」の無事・生存を確認されている方もおります。「無事のたより」の意味あいからも続けます。この日誌は、当初と異なり、参拝者との応接以外に、色々調べた事項をも最近は記載しております。6年間に写真・資料がそれなりに蓄積されました。これらを含めた「あかとんぼ」なりの瑞鳳殿参拝ガイドブックをまとめたいと思っています。その節はよろしくアドバスをお願いします。

 B勉強をします。参拝者からは常に新鮮な質問があり、勉強の種の提供があります。またがマンネリガイドをしていないかの反省も必要であります。昨年はH代表とU先輩と伊達家の先祖を探る伊達地方の探訪を実施しました。政宗公が関与している日光東照宮、越後高田城に自己研修に参りました。今年も早々に、H代表とU先輩と伊達家家臣の知行地の現地探訪を計画しています。責任と自信を持ったガイドをするための自己研修も実施します。

 2010年12月の瑞鳳殿ガイド満10年達成を目指します。今年もよろしくご支援・ご愛読・ご交誼くださるようお願いいたします。(#^.^#)





inserted by FC2 system