2007年8月の日誌
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8 月 31 日 (金)  



 終日 大雨です。
 依頼ガイドです。添乗員嬢から刻々と連絡が入ってきます。
 「牛タンの昼食です。美味しいのと、雨のため 出発が遅れます」
 「現在 笹蒲の○○です。ここから、あと何分で到着出来るでしょうか。瑞鳳殿も大雨でしょうか」
 「そこからは10分かからずで到着します。ハイ大雨です」
 「ハイ到着しました。瑞鳳殿参拝以後の予定は全てキャンセルしました」
 「それでは、1時間の予定でしたが、2時間 ガイドしましょうか」
 「イヤ、瑞鳳殿と資料館のみ、40分にしてください。感仙殿・善應殿ははカットしてください」独言 仙台産の涅槃門彫刻の動物印の飲み物が効いたのかな
 「ハイ 了解しました」

 下車 参拝したのは、一行の半数で、企業のトップの方々です。感仙殿・善應殿は遙拝して頂き、駐車場迄の案内の途中に鹿児島七士墓をガイドし、59分経過していました。

 参拝した皆さん 何かと質問され、大雨の中の参拝を満足した様子でした。

 記憶に残った質問は、
 1.菊・桐は豊臣秀吉から頂いたのは理解した。さて、伊達家は葵の紋を頂いているか。
 2.各御霊屋毎 殿様単独なのは何故か。夫婦単位 歴代の合葬はしないのか。
 3.政宗公の生前から準備(工事)に入っていたのでないか。
 4.墓室内部を覗ける仕様になっていないか。

 この様に答えました。
 1.徳川将軍家は、政宗公等の有力な大名に、徳川の旧姓「松平姓」を与え、縁者(血脈のつながらない親戚)扱いをしています。しかし、「葵紋」を許した例はない様です。伊達8家紋に葵紋はありません。

 2.瑞鳳殿の地下構造は、地下約3mの底板から、1.2m高の石室に、残り約1.8mの覆土です。その上に御廟が建築されています。この構造ですから 17年後に亡くなった正室愛姫の追埋葬は不可能です。又、夫婦同葬の発想は当時無かったのでは。 伊達家は現在に至るまで、当主ご夫妻は 単独墓です。

 3.記録では、亡くなった後に工事に着手し1年4ケ月後に完成しています。現在の復元は、社会事情もあり5ケ年要しています。疑問を持たれるのは当然です。

 4.上記の構造の通りで覗けない様になっています。



8 月 27 日 (月)  



 昨日の続き

 女子大生風4人から伊達家家紋のいわれ、取得経緯を質問されました。

 三引両は、源頼朝が1189年奥州・藤原氏を侵攻した際の軍功で頂いたものです。
 竹に雀は、1542年上杉家との養子縁組の際 贈られたものが基本です。
 九曜紋は、肥後・細川家から許されたものです。
 以上について、

 「三引両について、源頼朝からの証明資料がありますか」 「ハイ 鎌倉幕府の公式記録 吾妻鏡をひもといてください」

 「竹に雀についての 当時の上杉家の内情については 7月24日NHKTV」〔風林火山〕をみましたので 納得します」
 独り言 若い人が大河ドラマを見ているとは、又、そこまで読みほどくとは 驚き。

 「九曜紋。肥後・熊本と奥州・仙臺の間は遠いです。なのに細川忠興と伊達政宗と親交があったとは信じられない」
 「ハイ、共に豊臣政権下の武将、京都に屋敷がありました。1592-96年の文禄の役の際、細川家が苦戦に落ちた際、政宗公が救援しており、命を助けられたと細川家は恩義を感じ、更に親交を結んでいました」 
 独り言 当時の政治情勢を認識しないで、距離感覚で見た例でしょう

 「神奈川と米沢の出身です。帰ってら勉強します。ありがとうございます」一同 整列 礼には ドギマギしました。



8 月 26 日 (日)  



 券売所頭上のモミジが紅葉を始めました。季節を先取りしています。気付かない人が多数です。でも 御奇特に気付く方が居ります。そして「枯れている」と叫びます。良く見てください 正真正銘の紅葉です。
 気付いて、紅葉と認めた方には、昨秋の紅葉の写真を披露し、そして紅葉の季節に再訪頂きたいとご案内しました。

 朝一番、拝殿扁額前で盛年男女4人とバッチリ。扁額を説明しましたら、ニコニコしながら困った表情です。「What Country are you from?」「 Taiwan!」納得。一行の長老は日本語理解出来る読みましたが、残念、あかとんぼの日本語は通じませんでした。

 台湾中部・日月潭付近に、ある技術指導で赴任している とある仲間Tさんの 見識レポート。なかなかの情報です。これを種に 交流しようと思いましたが 本日も成立しませんでした。
 先日は、日月潭をニチゲツタンと日本読みし 理解を得ませんでした。ズーユェータンに四声を加えなくての、現地読みしなくては駄目でした。
 
 日本人5人、欧米人5人。説明がナンカずれている感じがします。僭越ながら口を出し、妙雲廟界までお供しました。日本人は、東北大学工学部等の教授、通訳はフランスの大学で日本語を教えている方で、欧米の方は フランスの大学の教授とか。通訳された方は、あかとんぼのガイドで フランス向きでない部分はカットして 丁寧に説明していました。皆様 瑞鳳殿を訪れたのは 初めてとかで、最後に日本語・ランス語で礼を言われました。ホッ。

  質問・聴き方が通常の観光客と異なる方。静岡からとの事で、基本的に久能山・東照宮と同じですと控えめなガイドをしました。
 「政宗公は何歳で亡くなりましたか」
 「行年70歳です」
 「家康公は75歳です。偉くなった人は長生きしました。健康に気をつけていましからネ」
 「ハイそうですネ。油断もあるのですネ。天麩羅にあたるとは」
 「イヤ 死因は天麩羅ではありません。胃癌です。右脇腹内に塊があったそうです。生前から気付いていましたが、若年時 真田虫を駆除しており 再発と誤認していたのが原因です」
 と言う会話になり、この方 浜松城でボラガイドされていると。名刺交換しました。

 最後に「仙臺に歴史好きを案内するが 必見は何処か」に、
 「まずは、瑞鳳殿・仙臺城址・大崎八幡・仙臺東照宮・瑞厳寺・松島でしょう。」

 「仙臺城はどの程度残っていますか。昔日との対照できますか」
 「仙臺城址です。天守閣等の建築は残っていません。と申すより 天守閣は建築されていません。昔日との対照は、現代との複合図が仙台市役所(情報センター)で販売しています。よくできています」

  「松島の島々 景観は、上から見ない事には。眺望の優れているのは」
 「ハイ、松島海岸駅から至近の西行戻の松展望台とホテル○○荘でしょう」

 H代表から ボラガイドの全国大会が11月金沢で開催されます。参加しませんかと資料を渡されました。資料によれば、浜松観光ボラガイドは会員103名の大組織です。今日 どんな感想を持たれたでしょう。 

 1620(元和6)年8月26日 遣欧使節支倉六右衛門常長が、帰国した日です。出発以来7年です。「政宗公の副葬品の中に 常長の土産と思われる ペンダントがあります」のガイドに留まりました。果たして 之でよかったのか。悩みます。



8 月 19 日 (日)  



 連日 猛暑です。15日は37.2度 この日 日本の最高気温は、40.9度と日本記録を更新しました。之は公式気温です。街中の直射日光のもとでは、これ以上の暑さです。

 「道路脇の電光気温計が37度を示してた。思わず車の窓を開けてみた(←ばか)。お風呂に潜ってるみたいよ(^o^;)」という 読者のブログレポートもありました。

 12日 あかとんぼ 休みました。Yさんは 暑さの中で孤軍奮闘のガイドされました。トンボの大群に遭遇したとブログレポートがありましたから熱中症に倒れなかった様です。良かった。

 涅槃門前で、マラソンの小出監督如くの男性と ツーショット撮影を繰り返している女子大生風一団がいました。会話に外国語が混じります。ハテナと確かめると、台湾(中華民国台湾省)からで、「仙台は暑い」との事。北回帰線直下から北緯38度15分の仙台に来て、この感想。南国の人も暑いと感ずるからには 今年は 本当に猛暑です。

 本日は最低気温20度 最高気温28度と報じています。凌ぎやすくなりました。瑞鳳殿を参拝者される方、途中で閉め忘れた水道栓の如くの流れです。孤軍奮闘。

 寶筺印塔でのガイド。殉死者の最年少者と同年配に見える三嬢に、流れから年齢を尋ねてしまいました。「2?歳」「2?歳」「2?歳」とサラサラと答えました。その歳はクリスマスを過ぎています。予想外の転回に慌てました。「殉死者の最年少者は行年22歳です。同年配に見えましたので」と謝りました。

 「朝一番のお嬢さんに、箒を手に10分ガイドしてしまった。資料館を出てきて、〔所で 政宗の墓はどこにあります〕と質問されましてネ。お墓は石と思っていたのが。豪華絢爛な御廟なので驚いていました」と清掃担当の○○さん。

 ガイドで信頼・喜ばれる順位。あかとんぼ私見。
1位 伊達家34世18代御当主。
2位 資料館学芸員。
3位 ユニホーム着用職員。
4位 美人ボラガイド。
5位 爺さんボラガイド。
 で、5位のあかとんぼは、清潔・明朗・正確に心掛けて、押売りガイドしません。声をかけてください。

 「七夕ナイト好評でしたネ」に、担当者の裏話として、「竹灯籠の竹の入手に苦労しています。境内の竹林の竹では不足です。どこか竹を入手するルート等を知りませんか」から、竹の入手、加工するボラティア活動 又は 竹灯籠に記名・祈願して貰う こんな企画・実行するプロジェクト 作られないかな迄の話になりました。



8 月 12 日 (日)  



 本日も猛暑です。

 明日から、民俗行事「盂蘭盆」です。政宗公はじめ皆殿様は、御当主宅に帰られたと思います。又、あかとんぼ は 城下北部の寺町を通り抜け瑞鳳殿に向かいますが、例年 その前日から先祖出迎いの車で通り抜け困難となります。よって、本日のガイドは休みました。

 過8日 仙台との姉妹都市 大韓民国 光州広域市の高校生をガイドしました。
 その後、読者の方から、@何時・何故 姉妹都市になったのか。A政宗公の渡海で、この地を訪れているかの質問がありました。

 @について、仙台市のHPによれば「平成4年の光州市からの姉妹都市提携希望あり、(中略)両市の共通性、2002年FIFAワールドカップの成功に向けた気運の高まりを受けて、2002年(平成14年)4月20日に仙台市で協定書に調印し、締結するに至った」とあります。

 Aについて、秀吉の命により1592年4月13日、釜山に上陸、梁山・蔚山・金海・晋州を転じ、同年9月1日釜山より帰国しています。光州に行ったとの記録には接していません。地図から判断して訪れていないと推定します。何れ 冶家記録等で確認します。



8 月 8 日 (水)  



 暑さは峠を越えたようです。夜来の雨も上がり、マゴタイフウ対策一段落した所で瑞鳳殿に。涅槃門前の七夕飾。雨の心配無くなり、再度飾り付けしていました。

 七夕は仙台和紙で作られています。雨が最大の敵です。極端な表現、溶けて流れます。昨日の午後も雷雨がありました。濡れないように仕舞った所にお出でになった参拝者。この事情を知っていてか、「楽しみに来たのに なぜ 飾っておかないのか」と立腹。城下の七夕も 天蓋の無いところは、雨 パラで大急ぎでビニール袋に納ます。

 涅槃門前で、○○バスガイド嬢 「この菊の紋は皇室の紋です。伊達家は江戸・京都で皇室と親しい関係にありました御縁で飾っています。門は皇室がお出でになれば開かれます。ですか脇から入ります。政宗公の身長は159.6センチですから、高さを政宗公の身長に合わせてあります。頭 ご注意ください」

 私らのテキストに無い事ばかりです。この○○会社の他のガイド嬢は、この様な話しは申しません。

 観光タクシー氏 政宗公の官職を説明していました。詳細は聞こえませんでした。しかし、官職まで ガイドしたことありませんから「 ヒヘー」と聞きました。

  女子職員が地面を注視し巡回していました。「ダイヤモンドのイヤリングを落とした。届いていませんかの電話がありまして」との事でした。拝殿扁額は珊瑚と真珠です。それ以上の価値です。あかとんぼ の徘徊範囲では見当たりませんでした。
 ハンカチ・入場券は、日に何枚も拾います。バス券も拾いますが、宝石・装飾品はまだ拾った事ありません。

 夕方、仙台国際交流協会のご依頼で「 姉妹都市 大韓民国 光州広域市」の高校生を中心とする40余名をガイドしました。「伊達政宗公の廟所(お墓)で、政宗公は仙台の町を開いた殿様で、桃山様式の廟所で、建築美術上からも価値あるものです」の要旨でガイドしました。
 通訳は、東北大学講師で、同時通訳できる位堪能な女性の方です。宝石には強いカナと予想しましたが、拝殿扁額の珊瑚 咄嗟でハングルに通訳出来なかったとのことでした。珊瑚は、英語通訳でも咄嗟には戸惑っています。

 16時30分 涅槃門が開かれ、竹灯籠に蝋燭が置かれ、七夕ナイトの準備が完了しました。点灯を待つばかりです。幻想的な情景が演出されます。西広場でのコンサート 今晩は津軽三味線の演奏もあります。音合わせも終わったようです。
 撮影したい。聴きたい。でも 全身 汗でシャツは絞れる程ビシャビシャしています。又夜の城下はパレードで 交通規制が実施され 渋滞が予想されます。せっかくのお誘いです。残念ですが、お先失礼しました。

参考
 政宗公の官職等
 1608年正月40歳時、松平の姓を与えられ 陸奥守に任じています。以後「松平陸奥守」と名乗る様になり、形式的に徳川一門につながりました。 
 1626年8月19日60歳時 従三位権中納言に昇進しています。1918年に従二位が追贈されています。権中納言の唐名は、黄門です。仙臺中納言または陸奥黄門と書状に記しています。
 伊達家では、政宗公のみ権中納言に昇進しています。ほかは「左近衛権中将」(サコノエノゴンノチュウジョウ)が最高位でした。
 本稿は、仙台市史近世1によりました。 



8 月 6 日 (月)  



 暑い。灼熱の夏です。昨日 公式には34度で、日当たりではそれ以上です。本日も公式予報33度で、昨日より暑いと感じます。

 9時。涅槃門前に仙台七夕(元祖型)がアーチで、事務所職員一同勢揃いし飾りました。続いて、本殿扉が開かれ、政宗公 御木像と直々の御対面が許されました。いよいよ瑞鳳殿仙臺七夕の始まりです。

 9時15分。始発1番のループルバス利用の参拝者が続々登ってきまして、鎮座する政宗公 御木像と直々の御対面に感慨無量の方もおりました。
 「撮影してもヨロシイか」 のお尋ねがありました。「よろしいですよ 政宗公にも肖像権あるでしょうから 撮影します ヨロシク とお断りください」と申すと 皆様ニッコリ 会釈され カメラを向けていました。ご尊顔撮影出来るとヨロシイですネ。

 5人ほどの手話での会話をする集団。拝殿から本殿とガイドしました。折角参拝されたのです。何か御縁が無いかと「どちらからお出でですか?」「信州長野です」 伊達家との直接の御縁は浮かびません。アッ NHK風林火山・武田信玄 戦ったのは上杉謙信 上杉家 上杉家となれば 竹に雀の家紋 そうです。1542年政宗公曾祖父植宗の三男実元が上杉定実と養子を約した時贈られたもの。迂回路利用で、薄いながら御縁がつながりました。このとおりガイドしました。

 3日大会が仙台であり、宮城路を観光をして、最終日の今日の観光が最高と、交互に気持ちを伝えてくれました。喜んで頂けて あかとんぼ も嬉しいです。

 マゴタイフウ接近の報で、本日早めで終わりました。

 日誌記載始めたら、雷鳴です。落雷が怖いです。中止です。雷鳴が無くなり、記載を再開したら 大粒の雨です。直径3センチ位ありそうです。
 仙台七夕に雨はセットですが。瑞鳳殿初め豪華絢爛な七夕飾を濡らさずに格納出来たか心配です。瑞鳳殿では七夕ナイトがあります。どうなるのか。
 



8 月 5 日 (日)  



 灼熱の夏。予想気温33度。3時間30分のガイド 12時30分 汗は胸元を滝の様に流れます。ミイラになる前に本日のガイドは終了しました。御城下は、今晩花火大会です。その為の交通規制の準備が完了していました。

 9時 早々からの参拝者。一見学者風の団体、先生の解説を傍聴しました。褒めているのか、貶しているのか、悩む解説でした。本殿を一瞥し、資料館を見ないで降りていきました。

 夏休みです。3世代で訪れた集団が何組かありました。第三世代が幼児の場合、安全確保が、児童の場合は、博識の披露に懸命。これが第一世代 祖父母の共通した姿です。第二世代のご夫妻は二人の青春を久々に楽しんでいる様子です。

 若い女性が、菊紋等を熱心に懸命に撮影していました。「どちらから」「大阪から」の返事の割に、大阪弁がしっくりしません。はてな?に「中華民国台湾から、大阪大学に留学して、来春3月卒業帰国する。日本の東北を初めて旅行したが、山紫水明 とても良い所です。日本の武将では織田信長が好きです・・・」
 単純なあかとんぼ は感激し、「伊達政宗公も好きになってください」と 涅槃門から本殿と 一切私見を交えないで 史実資料に忠実にガイドしました。

 以前、瑞鳳殿の命名の由来を尋ねられた際、「わかりません」と答えながら、私見を求められ、国語解釈を延べました事があります。その旨を本HPに記録したところ、「私見が前段を抜きにして一人歩き始めています」のご注意をH代表からありました。以後、求められても私見(誤り無いと思われるものを含め)は、慎んでいます。

 7月29日「参道の坂道は、いつ 現在の石畳にしたのか。石段であった」と質問に、「いや 石段はありませんでした」とEさんの答えでした。腑に落ちない表情の あかとんぼ の様子に H代表が、「1856年代の安政補正改革仙府絵図」と「1912年仙台市街地図」の瑞鳳殿地区の拡大コピーを持参して。「石段・石垣のある所は、その様に表示しています」。
 H代表の研究熱心に惟 敬服し、古地図を集めていながら、ここまで精査しなかった己の甘さに、グーの音がでない上に 汗が又 ドット流れました。

 「土日。又は 金・土・日の行程で訪れた。訪れる先々 素晴らしい景観で、美味しいものが沢山あって楽しい。仙台七夕は明日からで、仙台駅のデモしか見られないのが、残念の極み」 と嘆く方 何組も居ました。「予定変更 更に一泊追加されたら」に 「それは出来ません。残念だわ」

 5日から3日間の七夕。前日が日曜日の場合、1日プラスの日曜日開催の4日間に出来なかったのでしょうか。祝日は 本来の由来に関係なく月曜日に移動しています。国の祝日が簡単に変更なる時代です。地方のお祭りが1日増えて困る人はいないでしょう。

 本日 地元片平児童館の児童が七夕短冊を瑞鳳殿に奉納しました。この際、本殿扉が開かれました。偶々 参拝に訪れた方々、千載一遇の機会に 欣喜雀躍していました。
 善應殿前広場で、篠笛・詩吟・日舞・雀踊りの奉納がありました。「なぜ 政宗公の瑞鳳殿前で奉納しないのか」のお尋ねがありました。どうしてでしょう。
 瑞鳳殿前の香炉で、線香の代金を箱に収めないで、線香を点し、瑞鳳殿に尻を向けて、お祈りしている方がいます。それと同じないでしょうか と答えたましたが。 





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