2008年8月の日誌
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8 月 31 日 (日)  



 今月毎日曜日 雨に見舞われています。豪雨でも、豪雨の如く参拝の方がに見えます。有難い事です。今日は、特段の雨、豪雨です。遂に 上下 雨合羽を着用し 傘を差しました。昔 ゴルフをした時の合羽ですから、真っ黄色で目立つ色です。それ故か、ガイド依頼が切れ間まく連続しました。
 お客様の中には、100円ショップの傘に、この機会ばかりと肩寄せ合っている方も居り、ノリのよい方ばかりで、ガイドも盛り上がりました。

 午後は、千葉県旭市のある団体30余人のご依頼ガイドです。全員 傘を持っていません。案ずるより産むがやす 雨がやみました。ホッとしました。
 昼食は、「仙臺名物 牛タン」 盛年の団体です。呑まない筈がありません。食後30分 最高に酔いが廻った状態です。ガイドの私より 喋ります。先に行きます。デモ、拝殿に到達した時点で3分の1が落伍。座ったきりになりました。

 続いて、仙台城本丸まで案内しました。添乗員が 「平です」との案内が功を奏し、酔いも覚めたか 全員ゾロゾロ。仙台城は珍しくないと云いつつ。修復された石垣の歴史を聞き、上下から眺め 感心しきり。
 昭忠碑を眺め なぜ約100年前の人々は こんな高いものを造ったのだろうと感心しきり。昔の煙草 ゴールデンバットまで 話題が飛び 若い人々目をシロクロ。
 青空となり 海が見えました。今朝出て来た九十九里におもいを馳せていました。

 昼 広瀬川の出水警報が放送とサイレンで繰り返し流されていました。平常より3m以上水位が上がり、濁流です。三方広瀬川に囲まれた経ケ峯 瑞鳳殿は 掘りに囲まれた城山に 対岸片平丁から見えました。

 本殿扁額「瑞鳳殿」の「地色」に用いられたと云われた「孔雀石」。文様が孔雀の羽の先端の飾りに似ていることからこの名がついたのだそうで、古来「緑青」と言われる色を取り出すのに用いられた物です。もろく砕け易いのだそうです。其の標本をH代表が持参されたとの事。是非見せて頂くつもりでしたが ガイドが輻輳し機会を失しました。又の機会に見せて頂きます。 



8 月 28 日 (木)  



御霊屋
御小人町に有。正宗山瑞鳳寺と号す。前太守政宗公。寛永十三年五月二十四日御他界に付。同十四年より越路山の尾さき。瑞鳳寺に御霊屋御普請初り。同十五年造畢。寺領は十二貫文。外に十八貫二百文。塔頭共に御寄付あり。

 「残月臺本荒萩巻の三」に以上の様に記載されています。

 「本書は何人の著作なりや明らかならされとも安永年間(1772年代)に成りしものなりおよそ仙臺の神社佛閣名所旧跡は悉く此を記して遺さず殊に他の類書に見ざる所を記せしもの一二に止まらさるなり・・・」と紹介される貴重な資料です。

 今般1922年に刊行された仙臺叢書第1巻に巻の1から3迄 収録されているを知り、およそ236年前の仙臺城下の神社佛閣名所旧跡を再認識でき、地誌・地名辞典として 有効と理解し読んでいます。



8 月 27 日 (水)  



 伊達・伊達政宗は味の素か。

 仙台・宮城デスティネーションキャンペーンの公式ガイドブックを貰った。
 美味(うま)し国伊達な旅 「ここにホントの伊達があります」と表紙にあります。当然 伊達政宗・瑞鳳殿となり、大きく紹介されているだろうと頁を開くも見当たらない。不思議。ようよう 天文台紹介記事の片隅に 小さく「特別ライトアップ」とある記事を発見しました。これ「羊頭狗肉」と云うのでは。

 東日本旅客鉄道会社の「びょう」なる商品のパンフには、トップに「伊達の真髄に出会う旅へ」と題して 黄金に輝く瑞鳳殿・本殿の写真が1頁全面にあります。記事は、瑞鳳殿を上段に 涅槃門・拝殿の写真と説明があり、「ボランティアガイドがご案内」と付記しています。このボラガイドは「ぐるーぷ・よっこより」なのか?いずれ 瑞鳳殿にボラガイドの紹介は好感を持ちます。

 ジパング倶楽部 9月号には、「風雅な国特集伊達な旅」DC協賛とあります。名所編の頁に「歴史建造物や自然に伊達を求める。仙台藩主・伊達氏による文化遺産や宮城が誇る自然の造型には、思わず見入ってしまうダイナミックなものが数多くあります。なかでも彩りの鮮やかな場所を厳選して紹介しましょう」と瑞鳳殿をトップに、半頁割いて紹介しています。紹介記事は詳細・丁寧です。
 「本殿の塗装には黒漆、金箔、顔料(緑青・郡青・紫・朱・黄土・朱土・墨)が用いられ」の記事と極彩色であると「軒下組物と獅子頭彫刻」の写真が掲載され好感が持てます。

 昔、「不味い料理には(味の素)を振りかければ 美味しくなる」と言われた如く、宮城・仙台を紹介する枕詞に「伊達・伊達政宗」が使われる。その割に、敬意を払っている様子も無く、公式ガイドブックの如く 瑞鳳殿を紹介しない。あかとんぼ は内心 不満です。

 昨日 宮城大学で港湾学会が開催され、梅原仙台市長が基調講演を行った。その際「仙台市民は二言目に 杜の都仙台と云う。世界にこの程度の杜がある都市は沢山ある。仙台市民は杜の都症候群である」と宣うった。その真意は「羊頭狗肉」と認めたのか。悔い改める気持ちがあるのかな。あるならば、「伊達政宗症候群」の治療もして欲しい。
 



8 月 25 日 (月)  



 戊辰の役140周年

☆仙臺
 10月10日10時から 仙臺・弔魂碑碑前祭  仙臺藩志會が執り行います。
 (財)瑞鳳殿・河北新報社から後援を得られ、河北新報は事前に 特集記事を掲載します。談・準備事務局長

☆会津
 9月20日13時30分から 「義に置いて忍ぶべからず」と題して、会津若松市東山温泉を会場に 「戊辰戦争奥羽越列藩同盟結成 140周年記念歴史シンポジウム」が開催されます。
 講師陣は、徳川宗家18代徳川恒孝(ツネナリ)氏の基調講演を筆頭に、仙臺・伊達家18代、会津・松平家14代、桑名・松平家17代、庄内・酒井家18代、長岡・牧野家17代、米沢・上杉家16代の6人の当主が「我が藩、斯く戦えり」と論ずます。 
 中村彰彦氏 石川忠久氏の講演もあります。豪華講師陣です。

 参加希望の方は、福島民有新聞社まで。
 尚、仙臺藩志會は団体日帰り参加で、席に余裕内で会員外の参加歓迎。詳細は事業部022-392-7729にどうぞ。談・事業部長



8 月 24 日 (日)  



 大雨です。警報が出たでしょう。
 「お客様は、盆・正月・天候には無関係、計画・日程で行動する。ボラガイドは自己都合で行動(休むナ)するな」がH代表の口癖 教えです。

 朝9時茨城県からの30人を皮切りに、11時45分迄、濁流の如く 参拝者が国内外から見えました。
 茨城県の団体 半数は傘ナシ ハンケチを頭に載せて居ます。涅槃門と拝殿でお話ししました。「真壁郡」付近の方か 政宗公に興味深々で、アルコール臭を発しながら聞いて、満足 マンゾクと肯いて居ました。

 伯父と父親に連れられた小学3年生。父親に「政宗公の尊像は独眼でないのか」と質問されると「コンプレックスに発する命令で」 等 誠に ボラガイド爺様 逃げたくなる回答の連発です。「JR青春18」切符で、昨日平泉・松島瑞厳寺 今日 瑞鳳殿と政宗関係史蹟を巡る旅だそうです。再会を期待します。

 前期高齢者の単独旅行のご婦人。数人から 色々質問をされ 日々の思いを語り聞かされました。語り終え 「アー お詣りしてサッパリした」と洩らして 降りて行きました。瑞鳳殿には癒しの効果もあるようです。

 飛天さんの如くのスタイル 肩と太股を露出して若い女性が、中高年数人を引き連れて参拝に見えました。目のやり場に困るスタイルで世人を楽しませて居ると、本人は意気揚々でしょう。爺様としては、楽しむ前に この10度程度の低温に 風邪等 体調崩さないか 心配でした。あかとんぼ は最近 寒さ・低温が身に凍み、本日は長袖シャツにパカーを着用してのガイドでした。

 足が途絶えた12時終了しました。本日のパートナーはOさんでした。野外イベントの救急スタッフを依頼されていたが中止になり、ガイドに駆けつけたそうです。



8 月 23 日 (土)  



鉛筆

 政宗公の副葬品の一つに鉛筆があります。
 図録を開いてガイドしても反応が鈍いです。鉛筆は小学生が使う物 昭和の遺物の感じで、「1630年代は筆の時代であって、鉛筆は使われませんでした」と解説すると初めて 珍しい物と納得してくれます。

 政宗公の鉛筆は、長さ62mm、経4mmの木の軸に、長さ13mm,経4mmの芯を嵌め込んだ物です。鉛筆の先端に長さ30mm,経6mmの木製のキャップが被せてありました。(この項、(財)瑞鳳殿発行図録)

 この鉛筆を、政宗公はいつ・どこで・どのように使ったか。又、何処の製品で、どのような経路で入手したか あかとんぼ には調べがついていません。

 日本で現存する最古の鉛筆は、久能山・東照宮所蔵の家康公の鉛筆(重要文化財)だそうです。長さ11.4cmの赤樫の軸木に長さ6cmのメキシコ産純黒鉛の芯が嵌め込まれて居る。渡来の経路は不明であるがオランダの献上品だろう。硯箱に筆などと一緒に納められていたから家康の愛用品らしい。(この項、08.08.28.発行週間新潮41頁大成建設広告)

 1566年 政宗公の没する71年前 英国で良質の石墨が発見され、鉛筆が発明されました。政宗公の鉛筆は 20年前の1616年に没してた家康公の形見か?支倉常長の羅馬土産か?オランダ商人から購入したか? 考え・想像するに 眠れなくなります。



8 月 21 日 (木)  



 大雨です。机上整理日です。
 朝一番、伊達家と松前家 ご縁。Uさんから「白石・片倉家中に深い交流事例がある。現地に急行すべし」の情報を頂きました。博学に驚嘆し、感謝します。

 おみやげ
 昨日 迫力ある珍しいお土産を頂きました。お土産とは、貰った人が喜ぶもので、珍しいものである。此が基本と思い起こしています。

 瑞鳳殿でガイド中 なにがよいか 尋ねられ事は有りませんが、仙台駅解散のガイド時 推薦を求められ 「笹かま」「ずんだ餅」「牛タン」を例示しています。

 「通」「粋」と感心したのは、「ホヤ 刺し」と「仙台地酒」の売場を求められた時でした。魚屋では 山葵と醤油と箸まで 添えて呉れました。車中 仙台についての印象、どのように語りながら賞味したでしょうか。

 
 数年前までお菓子では、「○○の月」なる洋風菓子が風靡しており、その前は「○○最中」。現在は「ずんだ餅」。変化の早いのを痛感します。

 さて、仙台土産の歴史
 1937年、鯛味噌・牡蠣・笹蒲鉾、埋木細工・仙台平・八橋織、九重・塩竃・政岡豆が名産品として「河北年鑑」に上げられてます。

 1829年、日本中に知られているものとして、宮城野萩軸・糒・仙台平が「仙臺領高名競」に記載されています。

 1788年、木萩を軸とした筆、浮ばりという煙管などに施した細工物が、仙臺名産として「東遊雑記」に記載されています。
 
 今から30〜40年前 ある高官が管区官庁を挨拶回りしたら 何処でも「九重」を出された。初めての飲み物?で 戸惑いと何故を感じ 随行者に 驚き 尋ねたそうです。今でも、日本茶より高級で簡便な飲み物として重宝されているのでしょうか。

 本項の歴史部分は「せんだい市史通信19号」によりました。



8 月 20 日 (水)  



 夏休み自由研究に旅立った?愛読者の小夜様から 貴重で迫力のある お土産を頂きました。 北海道唯一の殿様 松前家の墓所の全景写真です。
 本の写真とは異なり 迫力があります。松前家の特徴は、墓碑が石廟と称される 石組み屋形の中に墓碑がある事です。活き活きと撮影されています。

 北海道の大名の意識で、松前家につい不勉強でした。伊達家とは、色々御縁があるようです。近世・松前家 慶廣の八男安廣が伊達家に仕えています。1807年 伊達家の故郷でもある陸奥梁川に移封され14年後松前に還っています。これ以外未だ有るかも。今回 お土産を機会に松前家と伊達家の関係を勉強しましょう。

 当面の参考図書は「とうほく藩主の墓標」加藤貞仁著です。
 本書 発刊予告の際 題名が不適切では〔 題名の「藩主の墓」の表現は「藩主の御廟」とはならないものですか〕と04年に生意気にもメールをしたら 検討してくれ変更決定した標題です。故に 愛着ある図書で参考にしています。



8 月 19 日 (火)  



 8月3日帰りがけガイドしました父娘3人組。孝行心溢れる娘と仲良く旅行する父親を微笑ましく 羨ましいと感じました。色々ご質問も頂き 楽しいガイドでした。この娘さんから あかとんぼ との集合写真を今朝送信頂きました。
 モデルを頼まれても、当然の事として 写真を送付くださる方は僅少ですから、朝から嬉しくなりました。

 戊辰の役
 昨日 東一番丁角を曲がったら「戊辰の役 但木」の看板が目に入りました。狭い急な階段を5階まで登った所 ○○画廊が会場でした。
 秋田口合戦をテーマに興味深い写真等が展示してありました。ここで、但木土佐の肖像と初対面しました。
 「戊辰始末陳述書」但木土佐・坂英力受難両雄資料なる冊子に但木土佐の肖像画が貼り付けられていました。

 「興味あるか」と問われましたので、
 「瑞鳳殿でボラガイドをしており、弔魂碑前で戊辰の役についてガイドしています。HPに私なりにまとめたものを公開しています。今年10月10日10時から140年供養祭があり、非常に興味があのます」
 「そうか。先月開催された白河市の140年供養祭等に資料を貸し出している。戊辰歴史シリーズを全10冊刊行している。仙臺藩志會会員か。10,000円で会員なれるぞ」
 「金銭の問題でなく、家(殿様)が異なり 事情があり 会員に参加は自制しています。事務局長始め藩志會員からは 伊達塾等でご指導頂いており感謝しています」

 この外、「戊辰の役の殉難者1260人と50年祭の記録に記載されているのに、仙台市史は906人と記載した」に 「50年祭の記録に記載されない殉難者は居る。時の政府は遺体に触れる事を禁止し処罰した故に 腐敗し白骨化しても放置された。傷病死を含めて敗犠牲者の正確な数は不明だ。・・・・・」140年前の怨念の炎がフツフツと燃えていました。

 本業の画廊としの商売 セールスは 「シオカラトンボ」をご覧下さい。興味深い示唆がありました。

 午後所要があり、勉強会仲間から早々に離脱したのに、半時の道草を食いました。



8 月 18 日 (月)  



 「伊達氏の殉死者たち」と題するガイド仲間の勉強会が開かれました。講師のU氏は、現役時代 綿密な市場調査をする優秀な営業マンであったと風の噂でした。噂は本当のようです。
 政宗公・愛姫を始め重臣に至る31人について、法名・卒年・埋葬地を調査、此の人々に対する133人の殉死者の氏名・略歴・殉死月日を調査し発表されました。一部を除いて、現地(墓碑)を確認したそうです。
 参加した殉死者の末裔(後裔会員)の方、参考になったでしょうか。
本日の配布資料は、会費以上の価値あります。ご希望の方 代表に取り次ぎます。

 あかとんぼ5月29日の日誌に
「伊達家の殉死者数順位は
 1位. 20名 陸奥・伊達政宗  1636(寛永13)年5月24日  70歳
 2位. 16名 政宗公正室愛姫 1653(承応2)年1月24日   86歳
      16名 陸奥・伊達忠宗  1658(万治元)年7月12日   60歳
又、殉死は殿様・子供に限らず、正室も居たは 驚きでした
以上は、1958年10月発行 仙臺郷土研究18巻4号掲載 佐藤佐氏論文を基に編集しました」と記載しました。

 U氏は「正室も居たは 驚きでした」に反応されたか、愛姫の御霊屋「寶華殿」所在の陽徳院、瑞厳寺寶物館学芸員、治家記録を丹念に確認したが、「16人の殉死を確認できなかった。只、御霊屋「寶華殿」の前に石碑が2基あり墓守した女性ではの感触を得た」と 質問する前に先手を打ち 話されました。
 
 「布団の上で亡くなった 秀吉公や家康公に 殉死者が居ますか。居ないでしょう。これからして、伊達家の君臣の情が細やかである証拠」の記述しました。
 伊達政宗公研究第一人者小林清治氏も「豪放な政宗公が なぜ15人もの殉死を認めたのか?」と その心情を訝っています。
 これらについて、U氏の見解を尋ねたかったのですが「時間切」となりました。残念でした。



8 月 13 日 (水)  



 お盆の入りです。寺町は至る所渋滞です。
 盆の入りに 先祖諸精霊をお墓まで迎えに行き 盆中 祭祀継承者の基で過ごして貰うのがお盆とか。となると、瑞鳳山の政宗公等諸精霊は、34世18代様宅に帰り、霊廟は霊は不在となるわけです。17日のガイドは休みます。



8 月 12 日 (火)  



 昨日 仙台市主催ボラガイド研修がありました。
 400年の歴史を「昔」の一言で 一纏めにして解説していました。仙台市を初めて訪れた方々にその様なガイドする事は危険と思いました。同行の他団体の人も同感と肯いて居ました。

 「現在の西公園の場所に遊郭があって、仙臺城の人々を悩ました」です。
 伊達家治世仙臺城の時代 西公園は伊達家重臣の屋敷です。伊達家は城下に遊郭の設置は認めていませんでした。いわゆる健康都市でした。140年前 戊辰の乱で西軍が 設置を認め 且つ 仙台城に駐屯した占領軍等を悩ました。で、東部に移転させた。以上があかとんぼが学習して経緯です。

 ボラガイドは 歴史を語るには 年輪を考え 語るべきであり、遊郭等は語る必要のある内容とは思いません。これを独り言で申したら 同行の他団体の人に聞こえ 「同感」と反応されました。 

 10月からのJR・DC対応で 市内歴史勉強団体を集めて研修を実施しています。「お客様は 聞くボランティアではありません。ボラガイドの知識披露の場でもありません。反応を確かめつつ 喜ばれるガイド」が基本と思います。
 市職員は懸命に努力しています。どれほど伝わっているか。

 あかとんぼ は瑞鳳殿を主力に JR・DC対応します。乞御期待。



8 月 11 日 (月)  



ブログ新規開店
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8 月 10 日 (日)  



 「闘いすんで日が暮れて」の感じ。
 6.7.8日の仙臺七夕 あったのを知らないで参拝に見えた方、相当数おりました。拝殿に展示している七夕とYさんのカメラの動画で説明しました。ミナサマ「素晴らしい。見逃したのは残念。来年は必ず訪れゾ」と申されました。

 七夕期間中は、政宗公御尊顔に直々御対面が出来ました。本殿の扉が閉まりました。手持ちの写真を見て頂きましたが、内心は来年に闘志を燃したと思います。

 中一年生、母親と夏休み自由研究に見え、30分ばかりお話しをしました。御尊顔の写真を見て「撮影してよい?」と携帯を取り出しました。今時の中学生は「サスカ゛」と内心感心し、フゥイルから抜き 撮影して貰いました。「不足な事は本HPを見てくれれば参考になるでしょう」と。
 同行の母親、「発掘調査時 同じ中一年生であって、参観しましたが、子供には語れないのでヨロシク」と云いながら 記憶の揺り起こしをしていました。

 印象に残ったお客様は、台湾からの24歳と18歳の兄弟です。あかとんぼ語を理解してくれ 本殿までゆっくりガイドしました。
 拝殿扁額焼失前は緑青色の珊瑚であった旨ガイドすると、「台湾で売っています。赤珊瑚以上に高価です」なるほど。
 「台湾の人々は、歴史と文化を大切にする心の広い人々が多く 好きです」に 「同感です。日本の人々と同じです」
 Yさんと台湾旅行の想い出を語ったら、「仙台はよい町です。来年 七夕には、両親と彼女を連れてきます。又 台湾は台北・台南にお出で下さい」と記念写真撮影を求められました。若くしてタイジン(大人)です。



8 月 8 日 (金)  



 奇跡・天変地変?仙臺七夕期中 必ず雨に見舞われます。量と時間の多少は別問題として。3日間連日好天猛暑です。
 午後ゼロ体制では、遠来の参拝者に申し訳ない、夕方迄 頑張ろうと思いましたが、「年寄りの冷や水」になってはと思い ノビル前 13時で終わりしました。

 昨日 伊達家の歴史研究の第一人者土生慶子先生が、小学3年生のお孫さんを案内し見えたそうです。どの様に説明されたか聞きたかったです。



8 月 7 日 (木)  



 暦では「立秋」ですが 漸う夏になりました。33.6Cです。

 昨夕は500人弱の参拝があったそうです。ライトアップされた瑞鳳殿。幻想の世界満足されたでしょう。
 今朝9時前から金沢始め全国からお詣り頂きました。



8 月 6 日 (水)  



 仙臺七夕初日です。
 福井は若狭からバス2台。「ちりとてちん」ですと自己紹介。「ボラガイドですか。バスガイドがガイドしなかった事ガイドしてください」 エライ厳しい注文です。バスガイドは何を話したのでしょうか。聞いていませんから。
 「拝殿・扁額の紅白の色 絵の具はなんでしょう」とガイドしました。やはり バスガイド 話していませんでした。「アー そーなの」喜んで頂けました。

 今晩から七夕ナイトあります。職員懸命で準備していました。ご苦労様です。



8 月 3 日 (日)  




 今日は、政宗公生誕の日です。永禄10年 1567年 8月3日(時刻未確認)羽州・置賜郡米沢の城にて父輝宗(22歳)、母最上修理大夫源義守の娘義姫(20歳)の長子として生まれました。
 政宗公を懐妊される経緯に、湯殿山の修行僧満海上人の生まれ変わりでと伝えられています。故に、幼名「梵天丸」と名付けられました。

 寛永13年 最後の参勤に旅立つ前に 政宗公は、瑞鳳殿の所在する経ケ峯を訪れ、杖を立て ここに葬れと命じられました。杖の立てた場所が広瀬川岸に近かったので3・4間隔てた所に定め、普請のため掘ると大石に掘り当たり、更に掘ると石室になって石畳の上に錫杖・数珠・袈裟のような物が置いてあった。これが満海上人の墓でありました。

 満海上人の生まれ変わりと伝えられる人が、満海上人の墓の上に廟所を建てられた。不思議だと人々は言い伝えました。
 本項は伊達治家記録「輝宗公以前の伊達氏歴代の事跡。2性山公治家記録巻一、13頁 世子政宗誕生」によりました。

 「常陸國真壁郡伊佐庄の隣の隣から、ここ瑞鳳殿のお詣りを主目的に来ました。時間はいくらでも執ります。徹底してガイドして」 歓天喜地のお申し出。
 「ガイドして 時間はいくらでも」と申して 間もなく時計を見る方がいます。バス時間が心配と。要点・超特急でガイドします。が今回の此の方々は違いました。父親と20代の娘さんの組合せ。母と娘の組合せは数ありますが、父と娘の組合せは珍しいです。して、親子共々、伊達家発祥の地は「伊佐庄」を存知ていました。時折、鋭い質問を発します。本殿で60分。あとは資料館のポイントを申しあげ、記念撮影しお別れしました。
 これ程 聞いて下さるとは感激で、感仙殿までガイドしたかったですが、久々の晴天で脱水状態寸前となりましたので、涙呑惜別しました。 





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