2008年10月の日誌
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10 月 30 日 (木)  



 本日は陸奥国分寺です。9時から9時30分迄、移動を含めての30分です。JR貨物駅前で下車、移動、薬師堂に、外陣入室参拝、仁王門、牛石、國分寺跡礎石を直見、白山神社参拝、准胝観音堂、芭蕉句碑は望見に留め、乗車して30分。
 要所は全てご案内しました。

 此の後の行程が、松島瑞厳寺を参拝、岩出山・有備館見学。18時24分東京駅解散の忙しい日程です。惜しむらく、松島・観瀾亭、岩出山城址・政宗公像の見学が無い事です。昨日は仙臺城址、灰塚が抜けました。やはり2泊3日あれば ほぼ完全に、みちのくの覇者伊達政宗公の魅力を探れたでしょうに。

 古川から石巻に抜け、レンタカーで慶長使節船サン・ファン・バウティスタ、月の浦、鮎川を巡ると洩らしていた方おりました。不足は自分で加える。これが本当かも。

 豪華絢爛な瑞鳳殿・大崎八幡宮。素木造の薬師堂。何れも豪壮な桃山様式で有りながら色彩的に対照的です。瑞厳寺では如何に感じられのでしょうか。この様にまとめ、2日間のガイドを終わりました。

おまけ
 昨日 輪王寺からホテルまでの車中、築城時の町割り、戦災復興都市計画、そして七夕・光のページェントの催事に至り、モナカ屋さん前で一時停止ことから お土産・名産品に話題が転換しました。
 海鞘の刺身を駅地下魚屋で調理させ 仙台銘酒で東京まで楽しむからと 案内させた方がおります。海鞘の干物 有名ではありませんが 麦酒のツマミには 最高です等 紹介しました。
 今朝 ロビーで 「ガイドさん紹介の海鞘の干物 試食したら なるほどでした。買ってきました」と言われました。同好者 増えました。 



10 月 29 日 (水)  



 寒むい日です。
 東日本鉄道会社本社主催「みちのくの覇者の魅力を探る伊達政宗歴史講座」で戦国武将・文化人・仙臺城・瑞巌寺等にいて、仙台市博物館の学芸員の出張講座を受講された方々の修了旅行で仙台に見えました。

 仙台市博物館で「伊達政宗展」をご覧なられてから、瑞鳳殿・大崎八幡宮・輪王寺を参拝するのでガイドして欲しいとのご要望でした。一瞬 荷が重いなと思いましたが、機会が無ければ勉強は進みません。挑戦致しました。

 時間配分、瑞鳳殿40分の予定を75分に、大崎八幡宮50分を30分に、輪王寺45分を35分に、それぞれ変更して頂きガイドしました。
 
 この修了旅行は 政宗公とタイトルは拘っている割に、仙臺城の見学・実査に、覺範寺のお墓のお詣り、大願寺の政宗公の灰塚の見学等が有りません。これらを独り言に洩らしたら、仙台が初めての只一人から「2泊3日あれば ほぼ完全でしょうか」か問われ、「そうですね」と応えました。

 大崎八幡宮で予想された発言に「石の間の格天井画、拝殿のにらみ猫を昇殿して見られないのか」でした。当然です。東京でスライド、仙台で印刷画では、ご馳走の前で おあづけ された気分でしょう。

 バスは、「ガイドの要望通りのコースをとります」で、瑞鳳殿から大橋・川内・亀岡・牛越橋と経由し、車窓から重臣の屋敷・三の丸・大手門・唯一の遺産壁塀・二の丸・築城の石の運搬経路を語り、大崎八幡宮R45側 正面で下車、参道石段・長床(割拝殿)・本殿とガイドしました。

 指定登録文化財の石段を登り切った所で 振り返って頂きました。仙臺城址が望見出来ました。「アッ」と歓声が上がりました。城は社の位置関係も素直に理解頂けました。
 このコースでの案内がバスの都合で、此まで出来なく残念でした。本日は 欣快の一言でした。





10 月 28 日 (火)  



 南相馬市のNPO豊かな緑を育てる会からのご依頼で瑞鳳殿をガイドしました。約束の20分前に予告電話もなく到着しました。集団指導体制でしょうか、誰が統率者か不明、バラバラに注文が出ます。結論として「終了時刻を厳守してくれ」でした。

 伊達8家紋に「九曜紋」があります。お客さまの殿様は相馬様6万石。1189年に領主になって以来、一度も転封しなかった珍しい家です。この相馬家の家紋は「九曜紋」です。
 伊達8家紋の説明の際、真っ先に説明しました。「細川家の承諾を得て使用しています。相馬家ではありません。相馬家と伊達家の関係は色々ありまたネ」 で みなさまニヤリとされました。血縁も有るけど戦争をした中でもある歴史事実を当然ご承知でした。

 ガイド中でも 今ガイドした内容でも ミサイルの如く 質問がありました。
★政宗公はなぜ 片目なのか。
★政宗公乗った馬の遺骨が岩沼竹駒神社境内で発掘されたそうだが。
★篤姫と伊達家とは親しい関係に有るそうだが、詳しく説明してくれ。
★森の手入れが不良であるが何故か。
★瑞鳳殿全体(歴史公園地域?)の面積は幾らか。管理責任者は誰か。
★瑞鳳殿と瑞鳳寺の関係を今一度。

 「さすが62万石の伊達様の御廟だ。わが相馬家は6万石。我が殿に敬意を表しつつ、ガイドしてくれて嬉しかった」と感謝されました。そして「来年の野馬追いには来てくれ」と案内されました。社交辞令かもしれない、でも嬉しいです。

 事務所で帰り際、お茶を馳走になりました。激烈80分ガイドで口中砂漠状態でしたので誠に 干天慈雨 で美味しかったです。ようよう会話出来ました。
 ◆「仙台宮城DCの効果」 土日の拝観者数に現れていますヨ。 
 ◆「DC効果か 人出は増えた。でも乗車はしない」と入り口で待機中のタクシーがボヤイテいました。
 ◆五色水玉模様の陣羽織 「現代的センス」との評に、「政宗公の陣羽織をデザインしたものです。本物 博物館で展示しています」と応えたら驚いて居ました。
 ◆あるガイドさん 「写真撮らせて」の声に「ハイ」と答え 襟と頭を整えたら 「前は宜しいです。背を撮らせて」と云われ ショゲてましたヨ。


 待機中 駐車場での出来事。
 欧米系の盛年年代のご婦人2人。車を運転してきました。駐車管理のオジサン日本語で「券売所で確認印を貰ってネ」と話していました。通じた様です。ニコニコし登っていきました。通行区分が反対の国で、且つ、英語表記の交通標識の少ない仙台で、よくぞ運転し、瑞鳳殿までお詣りに来てくれたものと 感心しました。ガイドしたい思いましたが、英語喋れない、時間無いで 挑戦は断念しました。



10 月 27 日 (月)  



 瑞鳳殿を主体に、最近は仙臺城址、大崎八幡宮、輪王寺、仙臺東照宮、陸奥国分寺と政宗公・忠宗公が創建した桃山様式の建造物を、「伊達時代」とか「政宗公を偲ぶ」のタイトルで巡る生涯学習にガイド依頼があります。

 過日、「仙臺の武家屋敷を人力車で廻りたいが、どこで依頼すれば良いか」と瑞鳳殿駐車場で問われた事があります。「仙台は戦災で 伊達時代の町並みは焼失しました。伊達時代を偲ぶ桃山様式の建物等は ここ瑞鳳殿が代表です」と返事しましたが、腑に落ちない 不満な様子でした。

 この方は、角館と混同しているのでは。奥州仙臺と出羽角館と一緒されるとは、白河以北一山百文の発想か。地理感覚ゼロなのか。この方盛年日本人でした

 「仙臺藩志会50年史を語る」で、事業の数々を列記していましたが、最大の功績は「瑞鳳殿の復元」があります。仙臺城址、大崎八幡宮、輪王寺、仙臺東照宮、陸奥国分寺をガイドする際、中心 臍は瑞鳳殿です。瑞鳳殿が復元されていなければ臍なしで 市内観光が成り立たなかったと思います。

 仙台で、これら史蹟を通しでガイドできるのは、我々の「ぐるーぷ・よっこより」のみです。先般 評価しご依頼された方から 明言・感謝され恐縮しました。
 ご期待に応える為の勉強が必要です。これが老化防止に有効です。感謝しております。
 明日28日から3日連続「政宗公を偲ぶ」のタイトルで2団体をガイドします。どんな質問・反応があるか、不安と期待があります。本日誌をお楽しみに。 



10 月 26 日 (日)  



 昨日のバスが駐車場に入れなかった程の熱気は何であったのか。今日は比較的静かです。

 兵庫・神戸・姫路からの夫婦、夫婦2組と、連続し「時間の心配無用」でガイドのご依頼がありました。
 何故か、本殿が開扉。「政宗公」御木像を親しくお詣りして頂きました。手持ち写真を見て頂くより、遙かに親近感を持って頂き、喜んで頂けます。
 「時間の心配無用」のガイドは、お客様が満足されるよう 丁寧にガイド出来ます。

 若い男性、表示板の英語説明を撮影していました。英文パンフを渡し、where you from taiwaw? china? korea? 返ってきたのはsingaporeでした。

 英会話堪能なYさん chinaのお嬢さんに続いて americaの盛年女性に熱烈ガイドしていました。日本語専門としては羨ましい限りです。
 「americでは政宗公は有名で〔バナナマン〕と云えばOKよ」と教えてくれました。
兜の前立ての黄金の半月を指しているらしいです。

 「ガイド用政宗五色玉模様陣羽織」各自専用着用・洗濯 OKの指示が出ました。10着プラス5着作成した聞いていましたが、合計6着しかありませんでした。「アレー」に 管理の職員から「2着使用している○○さんがいます」 それなーに?



10 月 25 日 (土)  



 本日は閑な筈の老人にしては多忙でした。

午前、輪王寺・大崎八幡宮・瑞鳳殿等を移動・見物全て込みで2時間30分でガイドして欲しいのご依頼があり、H代表から「出来るでしょう」と云われました。8年の実績から決して「出来ません」とは、男のミエから云えません。「おまかせください」と引き受けました。

 さて、金剛寶山輪王寺は曹同宗です。京都・鎌倉・伊達等にならった北山五山ではありません。北山の五山ではありますが。又、1876年の山火事で伊達時代に創建された佛堂等は全て焼失して、現存するものは1691年に創建された山門のみです。お墓は正室愛姫の生母・田村清顕正室から今村均陸軍大将に至る数々の知名人のお墓があります。
 如何に、盛年男女から3歳児に至る構成です。如何にご案内するか、些か躊躇しました。幹事から「政宗公関連と庭園に集約し30分でガイドしてくれ」の指示。

 山門とお墓(愛姫のご生母と三男竹松丸)をガイド、庭園を回遊し、本堂前の菩提樹を案内しました。
 菩提樹に対するイメージ。各人各様です。お釈迦様に繋がるイメージ。外国唱歌に繋がるイメージ。「さわってよいですか」と若い女性からのお尋ね。「どうぞ、幸いをもたらすかも」と。
 あかとんぼ の独り言「若い女性は意外とさわりたがるな。さわって幸福なるなら不幸な人は居ない筈。なぜ男はさわらないのか。オマワリサンに捕まると思っているのかな。生身は駄目でも生木は安全なのに」

 大崎八幡宮。45号線、鳥居を潜り、四ッ谷用水を渡り 本殿に至るコースでガイドしたかったのですが、駐停車の都合で 裏参道から国指定重要文化財の長床から社殿と至り、七・五・三のお詣りの集団の切れ目を通りガイドしました。
 社殿の眩しさに目を細め、昇殿しない故に拝見出来ない本殿・内陣内の豪華精細な画・彫刻等。目前にして直接拝見出来ない欲求不満が爆発しないように手持ち資料で説明しました。ここ専門のガイドが居ましたが、顧客の要望に如何に対応しているのか、お聞きしたかった。

 瑞鳳殿。瑞鳳寺前下車から駐車場乗車まで、当初 昼食の予約の都合から(当初到着から30分遅延しており回復出来なかった)30分でガイドして欲しいと言われましたが、移動15分から20分必要とします。50分は確保しないと お客様もガイドも中途半端な気分になりますと申しあげた所「45分で」「わかりました」 本殿前で、長大巻看板を拡げての記念写真撮影を含めて45分で納めました。昼食会場仙臺城本丸に発車して行きました。

 いそがしい 参拝でした。お客様は、片倉小十郎景綱の白石を中心とする職域団体の生涯学習でした。地元を勉強しようと白石の次に仙台を選定したそうです。98%の方々は、全て初めての場所との事でした。「灯台もと暗し」でしょうか。回転燈が足元を照らしてくれたのです。感謝です。次回は時間に余裕を持つように企画して欲しいです。

 2%の中に、瑞鳳殿の発掘調査の時、大学生として参加された方がいました。ゆっくり話しは伺えませんでした。名刺を頂きましたので 機会を作り お話を聞きたいと思ってます。

 午後、仙臺藩志会の勉強会に2分遅刻して駆けつけました。

 第1話は、「仙臺藩志会50年を振り返って」
 藩志会の活動の数々の成果が披露されました。瑞鳳殿の再建があります。お陰様でボラガイドが出来ています。感謝です。目から鱗の話 「戊辰の役の敗退での減封」62万石から28万石になりました。何れも表高と理解して居ました。内高・実高が正解との事でした。62万石に新田開発で33万石 実質100万石から4分の1です。酷いです。

 第2話は、「川村孫兵衛重吉、その人と実績」
 講師は、戊辰の役白河口で戦死した曾孫で、且つ重吉の二女の系統で、途中改姓している等、先祖について詳しく語りました。納得しました。
 仙臺城下の利水「四ッ谷用水」のくだり。総奉行川村孫兵衛重吉で作事奉行は宇津志惣兵衛と語りながら、宇津志惣兵衛の末裔の方が参加しているのご存じ無い様子。講話後 確認しましたら やはりご存じ無かったとのこと。お引会せしましょうと振り返った時、既に遅し。宇津志さんは退席されていました。
 宇津志さんが「私 宇津志の末裔です」と名乗らず 帰ったのは なにかアッタのでしょうか。

 戊辰史研究の木村さまから、また貴重な資料を頂きました。
 伊達氏系図研究の土生さまと事業部長Yさんから、また貴重な提言を頂きました。故あって会員にならないのに拘わらず、会長を初めとする会員の皆様から 常に貴重な提言等を頂き感謝しております。



10 月 22 日 (水)  



 寝ても覚めても政宗公が大好きな山梨のお嬢さんから、「瑞鳳殿が経ヶ峯という場所に建てられたことについては、政宗公御自身が奥山大学に・・ 中略・・・命じたと、大河ドラマで見たのを覚えているのですが、あれは史実でしょうか? それとも私の妄想でしょうか(笑)? 山梨では、参考図書が容易に入手出来ないので 教えて欲しい」のメールを頂きました。

 「史実です」と回答すると共に、政宗公ファン倶楽部を結成されたらとお勧めしました。
 
 貞山公治家記録 巻之三十九上 に 次のように記載されています。

十八日壬辰。朝、保春院清岳和尚ヘ御饗応トシテ御出、去年方方丈御造営仰付ラレシ、此●成就ニ因テ祝儀ナリ。昼過ギ保春院ヨリ御出、直ニ杜鵈(ホトトギス)ヲ聞セラルヘシトテ、北山へ御出アリ。西ノ山ニ傍テ御廻リ、経峯ヘ御出、此所に暫時立セラレ、御心細キ御様子ナリ。御薨去ノ後ハ、此遍ニ御座シテ然ルベキ所柄ナリト、奥山大學ニ向テ仰セラレ、御杖●卓テ玉フ。五百八十年ノ後ハ然ルヘキ所柄ノ由、大學答へ奉ル。茂箇崎山ヘ御出アリ、何方ニテモ杜鵈啼カス空ク皈リ玉ヘリ。●は判読出来なかった文字

編者の平重道先生の解説では、「重病を自覚し、死後の用意を命じたのであり、翌十九日は茂庭石見綱元入道了庵宅で饗応があったが〔此節御顔色衰ヘサセラレ御膳モ進ミ玉ハス〕と記されている」とあります。

重病を自覚について、「食事がむせて咽喉を下らぬ病気で、胃癌とか食道癌とかいうような難病で、その徴候が一両年前から現れていた様子が推察される。昨今になり重感が明らかとなり、政宗自身も死期を悟ったのである。」とあります。

杜鵈(ホトトギス)は、時鳥・不如帰ではなくて 郭公です。それ故 仙台市の「鳥」がカッコウです。

杜鵈(ホトトギス)の啼きについて、「増田ノ少シ此方ヨリ、所々ニ於テ御駕ノ先キニ杜鵈啼渡。或ハ路傍ノ木ナトニ止ル。杜鵈ノ初音ヲ聞ク事、所ニヨリ、時ニヨリ吉凶アル由、古来ヨリ云ヒ習ス故ニ、毎年所ヘト御出、初音ヲ聞セラル。今年ニモ所トヘ御出アリトイヘトモ聞得玉ハス、今朝御首途ノ先キニ於テ、如此啼渡ルト云云」とあります。
 
 あかとんぼ のガイドの基礎資料は、@平重道先生の解説「貞山公治家記録」A小林清治著「伊達政宗」B伊達泰宗「瑞鳳殿ガイドマニアル」C瑞鳳殿HP「瑞鳳殿質問箱」DH代表配布資料等です。

「五百八十年ノ後ハ然ルヘキ所柄ノ由、」については解説が無く、理解できないでいます。
 
 
 



10 月 20 日 (月)  



陣羽織 効果でしょうか。事務所のお話しでは、ガイド希望者が殺到?し、10着用意したが15人になった。どうしよう。一応 先輩優先かな と洩らしていました。

Yさんの 拝領式のスナップには 見知らぬ顔が何人もいました。
日曜日 ガイドしていて無視しされている方います。そのな状況の中で、昨日羽織を着用しないて「ガイド希望の○○です。ガイドに同行し メモさせて下さい」と挨拶された方がいました。驚きながら快諾しました。途切れた処で 感想と質問がありました。単純な あかとんぼ は、乏しい知識と拙い経験を披露しました。ガイド仲間として 知識と情報を共有し 喜ばれるガイドしたいの気持ちからです。

昨日 着物姿のそれ相当の年齢とお見受けするご婦人5人が見えました。気持ちにもゆとりがあるようで、ゆっくりガイドして下さいのご要望でした。
本殿前で、伊達家の家紋をガイト始めたら、突然として仲間内の会話になりました。ハテナと思いましたら「昨日 松島で お茶会がありした。銘菓としてシオガマが出されました。美味しいと夢中で食べてしまったが、あの模様は「三っ引両」だった。知っていたら 亭主側にもっと気が利いた挨拶が出来たのに 残念。先にお詣りすればよかった」と云うことでした。

 昨日の補足です。



10 月 19 日 (日)  



 個人参拝は幾分落ち着いた様です。
 法人・団体の一回パス3台 4台が連続しました。1〜2台にガイドが付いても、不公平、紛争の源と理解したか 添乗員から 全く相手にされませんでした。バスガイドも付きません。パンフを渡して「ハイ ご自由に」
 なんか気の毒と云うか モッタイナイと感じました。

 手水鉢で女性が「みなさん お清めしなサーイ」に すぐさま 「貴女は穢れているでしょう。でも私はきれいです」と返答した男性がいましたか。アレッと思いました。
 手水鉢で呑んで「ウー 冷たくない」と怒っています。冷たい湧水を期待したらしいです。「仙台の水道水です。健康に心配ありません」と一言。冷たい水はおかねを出して下さい。自販機あります。+アルハ、サービスは有料の時代です。

 「ガイドして 10分間で、この後 博物館に行くので」とのご依頼。厳しい注文です。涅槃門、石段・灯籠、拝殿扁額、阿吽の竜等 全て省いて、本殿のみのガイド。歩行が迅速でないのです。ガイドする時間益々減ります。博物館前の予習なら20分とり、迅速な移動して頂ければ、モット語れたのに 心残りのガイドでした。

 蒲田の町工場(技術的に最高で職人気質)の感じの団体、4/3の人は酔っぱらっています。残る4/1は正気です。酔っぱらいは聞きながらチャチャを入れ、自己解説を始めます。でも正気の人は真面目に聞いています。酔っぱらいのヤジに対応しながら 正確なガイドに務めました。酔いが覚めてからの瑞鳳殿の印象はどんなものでしょうか。
 ガイドをしたいとメモを取りながら張り付いたSさん 終わったら 「凄い−」の一言。お褒めの言葉と理解しました。

 涅槃門の扉 開かれています。菊の家紋に容易に触る事が出来ます。「これ 本物の金かな」 「まさか」と云いつつ触る人がそれなりにいます。薄くなり 輝きが無くなってきた様に感じます。保護の立場からの対応が必要と感じます。ガイドの立場からは閉門・前柵があった方が 保護になり 有難味が増し ガイドが容易です。現在 単なる門 ゲートと見なして 透かし彫りに関心を持たずに通過する人も数います。締めれば 菊紋を見ます。触りません。

 2日のガイドの際「林の下草 珍しい草であるが名前は?」の質問に答えられませんでした。Eさんが「山菜のミズです」と植物図鑑のコピーを持参教えてくれました。山菜のミズなら 好物です。食べる人で、採る能力のない人である証明されました。赤面のいたり。

 待機中 生け垣の外で「ココなんだ」 と失礼な質問のオサン。でも にこやかに「ココは伊達政宗公の御霊屋 お墓です」 「ヘー。お墓 こんな墓あるもんか。骨 入っているのか」 ニヤニヤしています。不敬の極みです。
 城下 大町の角等で スピーカーを用いて「・・・・・信ずる者は救われます。・・・」と叫んでいます。 あかとんぼ は「私を信ずない者は 救われません。アナタは不幸です・・・」と叫びたい心境でした。



10 月 15 日 (水)  



 仙台市博物館に「最後の戦国武将 伊達政宗」展を、貸し切り状態で楽しんできました。
 戦乱から太平へと 大きな転換期に生涯を送った政宗公の戦国武将としての鎧兜。 当然 黒漆五枚胴具足の数々に 前立の違い。又、文化人としての書・和歌に多様の側面を再認識しました。

 書簡の発信は 殿様ではNO1ではの噂を実感しました。数多く展示されていました。
 例えば 1593(文禄2)年7月21日 家臣の富塚近江宗綱に異国より発信した書状 その内容はあかとんぼ は重要とも思いませんが その気配り 人心の掌握に長けていると感心しました。
 只、所蔵が貰った人の末裔でない 伊達家寄贈になっていたことが不思議です。
 又、「明日 鉄砲撃ちをするから銃の準備し、兵を集めろ」の書状もありました。之は、殉死者菅野勝左衛門重成に宛てた書状で、現在であればメールか携帯電話ではと思いました。意図が確実に伝達される様に書状にする、リダーとしての当然の素質でしょうか。
  
 国宝の「支倉常長土産とも云われる金のブローチ」も展示されています。未だの方 お勧めです。仙台市豊麗手帳持参者は無料です



10 月 14 日 (火)  



八 八幡
 仙臺城下には、
両八幡として大崎と亀岡の八幡宮、。
八八幡として、大崎、亀岡、躑躅岡、宮城野、木ノ下、若林、新弓ノ町、小田原。
以上があるそうです。

 以上は、大崎八幡宮と瑞鳳殿弔魂碑(関連はありません)を調査していたら 東北大学大学院文学研究科教学研究室発行「軍都仙台」に記載ありました。

 亀岡八幡宮を多角的に調査しており、市内の戦没犠牲者の弔魂碑にも至っています。但し、瑞鳳殿弔魂碑の記述はありません。
 なにかの参考になりますので ご紹介します。仙台市の図書館では若林図書館に蔵されています。



10 月 13 日 (月)  



 快晴。三連休(人によっては)今日も8時50分から、ペンチに座する余裕無いほど、人出と依頼がありました。

 「気のせいか若い女性が多い」と洩らしたら 券売の若い女性「あかとんぼ さん気のせいでありません」と即答。最新ファションの young womenは政宗ファン?華やかで賑やかで 誠に結構です。

 一番は大阪のご夫妻。仲睦ましく、原田甲斐の遺跡・標示が目に入らないな等 寛文事件の知識を持っている様子で、ガイドの波長が合います。20分の約束が30分 40分になりました。ループルバスの始発が到着する以前の参拝です。「お早いですネ」 「この麓に泊まったの」 御子様廟の隣のラドン温泉が売りの旅館にお泊まりでした。「市の中心部はホテルのみで 旅館を探したここになりました。昨晩は美味いご馳走でした」と満足様子。誠に結構です。
 
 秋保・作並の両温泉に、団体で参拝されてから向かう方はママいますが、両温泉から参拝に見える個人客は極めて少ない様です。どうしてでしょう。
 価格と時間を計算した場合 それを越える魅力に欠けているのでしょうか。

 涅槃門前から、20分でと 依頼され ガイド中に 強引に自己主張し割り込みをかけて来た婦人客がおりました。「こちらの方からのご依頼でガイド中です。お待ちください」 仲間に助っ人を頼もうと見回しましたがおりません。困りました。
 電話には割り込み機能付きがあり、その気分でか、普段 家でのお山の大将であるからでしょうか。割り込み勝手に困りました。先に依頼された方が優先です。

 ガイド中 胸で音が。滅多に鳴らない携帯電話で、E代表から「照会はあったが、予約の無かった人から10時に行くと連絡があった。よろしく」です。
 通常 約束は瑞鳳寺山門です。4人○○姓のみが頼りです。9時50分から待機に入り10時になってもそれらしい人が見えません。ガイド依頼が入りました。拝殿に至ったところで、券売の若い女性が 「あかとんぼ さん ○○と名乗る人が来ました。・・・・」10時15分です。 ガイド中のお客様には一応本殿に至り 概略ガイド 続きは後ほどと 事情を了解して頂きました。この方と再会し残りガイドしました。

 「お時間はどのくらい頂けますか。事前依頼の方々は、通常2時間を費やしていますが」 高齢者と小学生の孫で、「親は車で待機しているからサラット」
 政宗公についての知識も興味も最新ファションの youngwomenとは異なる感じ。20分ガイドしました。資料館も入ったら出て来ました。 
 「ガイド料は?」 E代表での何かの応接等で事務費を要したでしょう。こちらも待機で 相当数のガイドの機会を失いました。代表から会の運営経費の事からも・・・と言われるのを覚悟に 「よろしいです」と。
 胸の名札をみて「無料ですか あかとんぼ とは珍しい姓ですネ」と。・・・・・

 北山市民センター生涯学習の同級生が友人と 登ってきました。ベンチでしばらく休息し、参拝に。なかなかユニークな質問の連発の友人です。同級生より高齢で80歳代です。女性に年齢を問うのは失礼とばかり 返事しません。その点 若い女性は問われないのに 年齢を言います。なんでしょう。この現象は。

 昨日の補足です
 添乗員らしき男性を含め 数名から「アレナンダ」の質問がありました。どちらを向いて 何を指しての質問が戸惑いました。結論は「弔魂碑」でした。

 150年前の戊辰の役で 郷土防衛の為 亡くなった伊達家の家臣等1260人の供養碑で140年前に建てられたもので、10日10時から供養祭が催されました・・・・・の回答に 「戊辰の役って なんですか」
 若い者ならいざ知らず 全国名所旧跡を案内していて そんなことも知らないのか と思いました。が 最近 少々大人になりましたから 戊辰の役とはと語りました」

 処で NHKTV「天祥院篤姫」は、戊辰の役の薩摩軍の行為まで放送するのでしょうか。篤姫は1883(明治16)年に亡くなっています。戊辰の役は十分ご存じです。



10 月 12 日 (日)  



朝9時前から参拝者が殺到しています。昼1時まで大波が途切れませんでした。

 若い男女に、若くない女性の混成団体。ガイドの口火を切る前から質問です。誠に活発な集団で、会社の慰安旅行でもない不思議な集団です。おもわず「なんの団体ですか」と。「富山県から仙台YOSAKOIに来ました。昨晩 精一杯踊りました」
瑞鳳殿は政宗公の御霊屋(お墓)とは知らずに訪れたらしいですが、ガイド付き参拝で満足の様子でした。
 
 埼玉からの団体。添乗嬢「お客様 無料のガイド見つかりました。どうぞー」 「何分頂けます」 「30分でも 50分でも。後は牛タンの昼食ですから」  「それでは20分で」  資料館前で「45分にバス発車します」と連呼し 暗に急がせていました。時計を見間違いしたようです。「売店でお土産買わないといけないから」と抵抗しているオバサンがいました。

 観光タクシー「神戸からのお客様です。得意でないので」と振って来ました。人生の先輩ご夫妻と見受けましたので、階段の登りユルリと配慮しました。
 本殿の向かい揚羽蝶のデザインは斬新で現在も十分通用しているのガイドでの「神戸生田神社神前結婚式・女優藤原紀香打ち掛け」にはご満悦。佐々木文山扁額に話題が飛び「男の平均寿命78歳と言ったが79歳が正しい。僕78歳だ。後1年」とニコリ。 「平均寿命ですから後1年と言わずに、頑張り長生きして頂かなければ平均寿命79歳になりません」再びニコリ。 78歳と思わず平均寿命を語り 危機一髪でした。

 「若い女性のハート射止めた政宗さま若い女性が目立っている」の8日地元紙記事について 「20代前半の2〜3人連れがその人達。パワーグッズを求める。増加している」と併せて人気グッズをS主任から紹介されました。ゴム印から銀行印その他 発想の珍しいもの数ありました。

 単独の若い女性から ガイドのユニホーム 伊達模様の陣羽織姿 後前撮影させて欲しいの要望。「ハイ どうぞ 顔は撮影しないて」と応じました。
 政宗公ファンで、「昨昼 覺範寺をお詣りして来ました」と。江戸から7泊8日かけて6月3日仙臺に帰りながら仙臺城に入城しないで覺範寺に入った事実を承知してのお詣りでした。徹底した政宗ファンです。

 「6月23日葬儀が現在の大願寺で行われ、葬祭用具を焼却し「灰塚」が築かれています。この寺には4代綱村公正室仙姫の御霊屋の豪華華麗な唐門が復元されています。近所ですがお詣りされましたか」に 「それは知りませんでした。どこですか」に事務所に戻り 市内地図を頂き 説明しました。「11月 出直します」との返事。ライトアップしていると聞き昨晩訪れたら 金曜日のみの催事で駄目でガッカリしたが 今日は最高とニコニコ。結構でした。

 伊達模様の陣羽織ユニホーム お客さまに 好評です。モデル依頼、上記の方以外3件 後前姿で10枚ほど撮影されました。
 また 目立のか ガイドのお声がけ 多くなった様です。あかとんぼ は原則として ガイドしましょうかとの声かけはしていません。他観光地訪問経験からです。

 Yさんと香炉の家紋を見ていた若者4人 本殿での家紋の説明を聞いています。1189年の由来を語り、伊達家発祥地は現在の茨城県筑西市(旧下館市)中舘522ですと地図を見せたら、「アレー 僕の家はここです。観音寺知っています」と。伊達家発祥の地とは知らなかった様子。中村の庄・中村城跡も地図をみて「アレー」僕はここですと指を。
 伊達家・仙臺と現在の住まい、約1000年前からの繋がりに感慨深いものを感じたらしく 本殿に今一度深々と拝礼しました。
 11月15日、伊達家の源流の地訪問団の一員として訪れます。会えたら会おうにニッコリ応諾してくれました。



10 月 11 日 (土)  



昨10日の日誌は補足修正しました。再度ご覧いたたければ幸いです。文字並不良は技術未熟が原因です。

1260人
 昨日の慰霊祭で式辞・挨拶で語られた殉難者の人数です。仙台市長の代理、副市長も他の人と同様に「戊辰の役での仙台藩の殉難者1260人の御霊」と述べていました。

 08年 5 月 17 日の日誌に「弔魂碑 殉難者数の相違」として、
 「戊辰の役における 伊達家等の殉難者は1260名として 瑞鳳殿の弔魂碑に祀られています。
 何故か、仙台市史 通史編6 近代1(08.03.31.発行)によれば、906人と記載されています。この数値は「復古記」を根拠としています。復古記は1889年12月に16年8月の年月を費やし298巻を持って完成した明治政府の「戊辰の役」の総括です。1930年5月全15巻に集約し 東京大学史料編纂所から発行されました。

 仙台市史の本編を記述した先生は 現在 第一人者の先生です。なぜ 先生は、地元犠牲者の資料(1917年10月10日仙臺藩戊辰殉難者50年弔祭會刊行「仙臺藩戊辰殉難小史」)によらないかです。「仙臺藩戊辰殉難小史」には、戦況、戦死者の場所・身分・氏名も記載されています。

 殉難者1260名から幕臣・上杉家臣の27名を差引した1233名(含一関田村家臣84名)が伊達家臣です。327名が過小に計算されています。軍夫等がどれだけ記録されたか疑問の残るところで 犠牲者数は増えても減る筈は無いと思います。

 著者は、「仙台藩の全死傷者数はわかっていない」記述しています。戦後、特に敗者の犠牲者の確認は困難であったは当然です。しかし、50年祭になれば全て落ち着いた筈です。ほぼ正確に集約されたと推測します。このような殉難者側の資料を無視した様な記述は 誠に不可解であります。史跡である瑞鳳殿の弔魂碑を訪れる事なく 助手に撮影させ 記述されたのではと 疑問に思っています」と記載しました。

この記事が発端で、戊辰の役七が宿シンポでのU誌の爆弾質問となり、木村氏から仙台市議に引き継がれ6月市議会本会議での質問となりました。行政は非を認め無い立場です。押し切りました。

 しかし、内心は失敗したと思ったでしょうが、今回の市長挨拶は1260人となりました。正確には仙台藩(伊達家家臣)の殉難者は1260人ではありません。悔い改めたのであれば良しとします。

  小夜氏のHP「田毎の月」によれば昨日の直会の席で「隣に座ったオジサマがいきなり、「ウチのご先祖は白河戦で戦死したんです」とか話し出してびっくりした。火縄銃で従軍したので雨で戦えなかったとか。長男は家督を相続してたので弔魂碑の犠牲者名簿の中に名前があるが、次男は部屋住みだったのでどこにも名前が無い、」の記述があります。
 この様な方が相当数いる事は確実です。幕臣・上杉家臣を含めて1260名以上の殉難者いると確信しています。

 昨日 宮城県も岩手県の知事・知事代理も見えませんでした。仙台市長は仙台城下が管轄です。伊達領はもっと広いです。一関田村家も伊達領です。現在は岩手県ですが。両知事に出席権があります。なぜ 欠席したのか。案内しなかったのでしょうか。

 他・白河等の遺跡で慰霊祭を催している人々の参列は記憶ありません。ご案内しなかったのでしょうか。当初は案内する計画もあった様ですが。150年祭迄保留でしょうか。

 仙臺藩志会は任意団体です。少ない実働人数と裕福と思われない資金の中で、短期間でよく開催されたと驚嘆致します。

 本頁で寝言の如き発言が、木村氏等諸先輩の動きで 慰霊祭が催されたは喜ばして事です。感謝です。



10 月 10 日 (金)  



本日下記の通り催されました。

 戊辰の役殉難者140年慰霊祭
日時 平成20年10月10日午前10時
会場 経ケ峯「瑞鳳殿」戊辰の役殉難者弔魂碑前
主催 仙臺藩志会
後援 仙台市・河北新報・(財)瑞鳳殿
次第
 ☆司会 仙臺藩志会参与   鈴木繁雄
 ☆開式 仙臺藩志会副会長 伊達洋司
 ☆式辞 仙臺藩志会会長   古内重義
    大きな犠牲があったことを胸に刻み、薄れがちになる先人の働きと宮城の歴史、文化を後世に伝えたい。
 ☆黙祷
 ☆朗読 近代日本夜明けの礎を築いた先人の霊安らかに
 ☆拝礼 全員起立拝礼 
     拝礼中演奏  フルート・千葉由梨 オルガン・白津守康
    代表拝礼
  ○仙臺藩志会総裁 伊達泰宗  献花
  ○仙台副市長    笠原周二  献花
  ○仙台商工会議所 佐藤     献花
  ○河北新報社長  一力雅彦  献花
  ○殉死者後裔会長 石田常夫  献花
  ○(財)瑞鳳殿常務 鹿野正利  献花
  ○仙臺東照宮宮司 高崎恒利  神道拝礼 2拝2拍1拝
  ○県図書館長    伊達宗弘  献花 登米伊達家当主
  ○瑞鳳殿住職    鎌田文恵  読経 般若経
 ☆挨拶
  ○仙臺藩志会総裁 伊達泰宗
   1260余名の霊の供養が行われます。参列者始め関係者の尽力に感謝します。戊辰の役時 13代慶邦公は49歳9ケ月であった。領国・領民を如何に守るか、苦渋の決断に迫られたと推察しています。自分はこの12月で慶邦公と同じ49歳9ケ月になるが、及ばない。現在を生まんがために血と肉と心をささげた。仙臺の繁栄・発展の礎を築いた先祖に感謝し、恩に報いるためにも、先祖に負けないよう努力をしないといけない。
  ○仙台副市長    笠原周二
   各地に於いて戊辰の役殉難者供養が行われていた。今日、仙臺藩志会の尽力で催す事に敬意を表する。(本来は仙台市当局が主催すべきでないか) この歴史的遺産の保護の為、市民の声を聞きつつ補修に努めたい。
  ○仙台商工会議所 佐藤   会頭丸森伸吾挨拶代読 
    記すべき内容が無い通り一辺片の挨拶 誠意を疑う 
  ○河北新報社長  一力雅彦
   役から29年後に発刊した。白河以北一山百文と馬鹿にされた。これで良いかと発憤「河北新報」とし111年になる。
   郷土の為 命を捧げた霊に感謝し、その意義を問い直し進みたい。
 ☆寄付
  戊辰の役殉難者弔魂碑の補修工事費として仙臺藩志会から仙台市に金一封を贈呈。
 ☆一般拝礼・献花
  殉難者後裔、市民、仙臺藩志会員

 参列者は、100余人でテントに入りきれず。マスコミ4社取材。広報に「戊辰の役」とはなんぞや質問し、資料を求めていた社もあった。

直会
日時 平成20年10月10日午前11時30分
会場 對橋楼 春風亭
挨拶 
 ○戊辰の役殉難者140年慰霊祭実行委員長 煤孫晴夫
  何故 この会場に拘ったか。戊辰の役の際、25藩の代表者が会合し、同盟書、建白書を協定した「松の井屋敷」跡だからです。
 ○仙台市議会議員 鈴木繁雄
  現市長は8月15日靖国神社に参拝したと得々と語った。150年前郷土防衛に 散って、護国神社にも祀られない先人をお詣りもしないでは、人は全て佛になるとしてもらずに順序が逆では無いか。
  教育の場で 今だ「官軍」「賊軍」の言葉使用されるのは可笑しい。50年祭の 原敬の発言を知らないとは。
  150年祭の準備に入ろう。
献杯
 ○(財)瑞鳳殿常務 鹿野正利
閉会
 殉難者の後裔者4名を紹介
 ☆石川氏 曾祖父志茂又左衛門 伊達家の正使として秋田に派遣されるも、1867年7月4日 秋田城下で襲撃され、39歳で卒。詳細資料の送付を約してくれた。
 ☆飯沢氏 曾祖父 5月1日白河の戦闘で。飯澤左久馬20歳遺髪を東九番丁竜泉院に葬るはこの方か? 
 ☆中村氏 曾祖父 5月1日白河の戦闘で。中村嘉右衛門はこの方か?
 ☆煤孫氏 曾祖父煤孫蜂之助 旗巻峠で戦死。
 ☆和田氏 奉行和田織部の末裔。
 小文字文は「仙臺藩戊辰殉難者50年弔祭誌」による。

 参列者約40人。一般では、我々(Uさんと小夜さん)と地元町内会長のみ。
 会津若松市で開催された「戊辰戦争奥羽越列藩同盟140周年シンポ」に参加した人々に、記録である「福島民友」10月4日号が配布された。
 煤孫晴夫慰霊祭実行委員長に、今回の記録文書(調査報告書)の配布を要望しました。
 イキイキレポは「田毎の月」をご覧下さい。マスコミは河北をご覧下さい



10 月 9 日 (木)  



 朝刊(8日)に、「若い女性のハート射止める 『政宗さま』サイコー」の見出しで、年輩の観光客に混じって若い女性が目立っている。人気ケームソフトが火つけ」の記事がありました。
 市博物館水野学芸員談に「どんな形であれ、政宗に心をときめかせ、歴史に興味を持って貰う嬉しい」がありました。同感です。

 昨晩も「寝ても醒めても(笑)政宗公が大好きな私たち」の別の私から写真とメールを頂きました。「政宗公の前立てがかっこよくて好きです。もちろん前立て以外も好きです。私は仙台は3度目」 熱烈なファンです。
:ゲームの世界から好きになったとは申してはいませんでした。いずれにせよ、次世代を背負ったお嬢さん達の声援は有難い極みです。

 「瑞鳳殿は四季折々の景観に恵まれています。私達仲間12人稼働しています。それぞれ得意があり持ち味が異なります。別の発見があるかも。仲間のガイドも聞いて下さい。又のお出でを期待しております」と返事しました。

 通常20件程度の閲覧が、8日は3倍の64を記録しました。お嬢さん達の声援でしょうか。感謝します。



10 月 8 日 (水)  



戊辰の役140周年・弔魂碑前祭 いよいよです。
10日10時です。晴天です。
あかとんぼ の仲間では、Uさんと戊辰史研究の小夜さんの出席が確定しています。
殉難者の後裔者をお誘いしましたら、80余の高齢と骨折通院中で欠席します、残念です。の葉書を頂きました。
3世代目が高齢となり、4・5世代目に我が家の歴史が伝わっているか。伝わっていても日々の生活(勤務・学校)から、出席がままならない人も数居るでしょう。
 この後裔者は、「祖父は若くして戦死した。幼少の父は貧困と苦労を味わい、私達姉妹を育ててくれた」と戦乱によって人々が味わう様々と親の愛を語っていました。
 今回の140年供養祭 先人に感謝し、平和の有難を味わう 祭と理解しています。県・市を初めとする各界の指導者が 率先して参加し 献花されるでしょう。

 主催者の仙臺藩志会は、この日10月10日10時に拘ったのは、
@弔魂碑が1878(明治10)年10月に建立された。
A1917(大正6)年10月10日に50年祭が行われた。
B10月10日は晴れの特異日である。
と推察されます。
 関係者の直会が「春風亭」で催されます。此処は戊辰の役の際、25藩の代表者が会合し、同盟書、建白書を協定した「松の井屋敷」跡です。拘っています。
 全て 拘り イヤ 歴史に殉じているようです。

 



10 月 7 日 (火)  



  陣羽織 政宗模様 400年前のデザインながら 現在でも斬新です。ボラガイドのユニホームに採用されました。ガイドとしても責任をあらためて自覚しました。信用第一、自信を持ってガイドしています。
 お客様からの反応も好評です。これを着用してからは 一緒に写真に収まる機会が増えたと感じます。

 5日ガイドしたお嬢さんから「本や資料を読むだけでは気づかない、新しい政宗公のひととなりに触れることができた気がして、大変嬉しい、貴重な時間となりました。寝ても醒めても(笑)政宗公が大好きな私たちですので、これからも何度も瑞鳳殿へ伺うと思います。添付の写真は私との2ショットです(^^;)」のメールを頂きました。

 モデルになっても 写真を頂ける事はありません。今回の様に 喜んでいただき、写真まで送信して頂き 嬉しい限りです。ご本人の了解を得られれば2ショットプラス政宗公で公開したいです。
 お嬢さんから「寝ても醒めても(笑)政宗公が大好き」に 政宗公は苦笑いしているかも。この人徳にあやかり たいものです。



10 月 5 日 (日)  



 今日も出合いがありました。

◆今 最新のファッションのお嬢様 続々参拝に見えました。足の先から頭のテッペンまで毛ブクブクのエスモースタイル。編み目タイツに股下5cmの超ミニスカート。このお嬢さんの後ろからは3段1段の石段は登れないです。キケンです。

◆後期から末期高齢者のお爺さん 62段登ってきました。「これ ドコダ?」御朱印帳です。記名・朱印が欲しくて 杖をつき 息を整えつつ 登り辿り着いたのです。同行者に貰ってこいと指図していました。「ここでは御朱印は行っていません。頼めば 下の瑞鳳寺さんでしてくれるかも」
 本来、御朱印帳はスタンプラリーではなく、納経帳と申して御経を納めた印として頂くものです。故に、日光・輪王寺では取り違えて渡した御朱印帳を350万円の費用を費やして捜索しています。
 果たして、お爺さんは 納経帳としてか、スタンプラリーとしての御朱印帳かは 確かめられませんでした。

◆麦酒用プラカップを手にした盛年男子 手洗鉢前で 「オイ この水の源はどこか?」 誠に横柄な態度での質問です。 「わかりません たぶん定義山の山奥では」 「フン 湧き水でないのか」 「お客様 この頭の山で水源ありそうに見えますか。ここは墓地ですヨ」 「イヤ カマワナイ。儂の村では 裏山が墓地で 墓地からの澤水を飲んでいた。最近は麓に井戸を掘りポンプアップしている。先祖と一帯の生活をしている。でも 病人が多い」 「水質検査したのですか」「そんなものするか、一発不合格だ」 「ウー 水道水でもうまいナー」 政宗公のご加護がありますように。

◆山梨からの若い女性2人 涅槃門でシャツターを頼まれ 「こちらから どうです」
「アッ 素晴らしい。引き続きポイント教えて」 結構 政宗公について知っています。感仙殿まで 一緒しました。「史学科の学生さんですか」 「 政宗公が好きで それだけ。ここに6回はお詣りしています」 「ガイド余分でしたネ」 「イイエ 見た・眺めただけではわからない 新発見がありました」  ホッしました。 



10 月 4 日 (土)  



 DC ここにホントの伊達があります。
 1日に記載した「街中ガイド」の当番日。9時30分集合。

 指配のコんベション協会幹部から初日1号のガイドについて「非常に喜んで『とてもよいガイドさんに恵まれて大変よかった。』と横浜のご夫人たちから丁寧なお礼の電話がありました」と言われる。
 昨日、連絡会議の際、同様発言があったと、H代表からメールがありました。
 誠に嬉しい。ガイドしたからに満足して頂くが本質故に。

 待機しましたが、依頼者1人。出番なし。Eさんと瑞鳳殿に向かいました。

 「街中ガイド」をループルバス利用と誤認し キャンセルされた方が参拝に見えていました。既にお詣りを終えていましてガイドに至らず残念でした。

 「政宗の墓はどこか?」涅槃門前で 突然質問されました。「ここが政宗公の御霊屋 御墓です」 納得しない表情。 プレートまで戻って 図で説明しました。続いて「ガイドしましょうか」に 「いや イラナイ」 と62石段を下りていきました。
 なんとも 不可解な方です。

 連日活動しているSさん 声がかすれています。「40人ほど 御子様廟までガイドしたの。突然の依頼で、ガイドしてたら故郷の邑の人々でした。知らないこと無いネと云われた」 とニコニコ語っていました。ヨカッタ。

 Oさん 左右に二老女と共にベンチに座してファイルを拡げ 丁寧に説明していました。お客様を理解したやさしいガイド。この気配りに 感心しました。

 陣羽織7着乱舞しました。
 着用自由は はや崩れたようです。一度着用したものに名札が掛けられていました。当然でしょうネ。爺様の着たもの 姉様は控えるでしょう。反対もあるでしょう。固定化に至るでしょう。12人に10着 あぶれるのは誰か。陣取り合戦か。

 



10 月 3 日 (金)  



菊紋
 皇室の紋章で、太政官布告で、現在の模様が確定し、皇室以外の何人も 同一のものは使用出来ない事になっています。之は、観光業者以外にも広く理解されている処です。

 16弁八重です。所謂 複花です。ガイドの際「ダブル」と説明しています。が、これ16弁のみ数え 単か復か区別せず 16弁のみ記憶したガイド嬢が 涅槃門前で トクトクと語っています。「これは皇室の紋です」 と。私はガイド嬢には逆らいません。無言で聞いています。

 先般 比叡山延暦寺、三井寺を参拝しました。寺印と菊紋が朱で捺印された袋を頂きました。菊紋の花弁を数えました。16弁八重です。・・・・・ムム 皇室の御紋ではないか・・・太政官布告は 寺には及ばないのか 治外法権??

 良く見ましたら花芯が圓ではありません。別のものになっています。これで太政官布告を避けたようです。議員バッチも之に習ったのでしょうか。菊紋がありますが。どちらが鶏で、卵でしょうか。お寺と先生は偉いとあらためて認識しました。



10 月 2 日 (木)  



 DC関連、某航空会社募集「伊達家ゆかりの地を訪ねて」感動案内人プラン。オプショナルツアーの感動案内人の指名をいただきまして 終日ガイドしました。

ご参考までコースを。
★瑞鳳寺・瑞鳳殿・資料館・弔魂碑・感仙殿・善應殿。妙雲廟界・御子様廟。
★御霊屋橋・片平丁・大橋
★仙臺城本丸・政宗登城路下る・清水門・三の丸。
★川内・亀岡・牛越橋・大崎八幡宮45号線下車。
★大崎八幡宮裏駐車場・北四番丁・宮町・仙臺東照宮
★北六番丁・愛宕上杉通・定禅寺通・晩翠通・青葉通

お客様は、山林と畑を経営されているらしく植物に関する質問と見解披露が数ありました。
@瑞鳳殿の林の下草 珍しい草であるが名前は?
A杉林 間伐 手入れ不足であるが なぜしないのか?
B杉以外の大木の蔦は、採らないと大木自体枯れますよ。
C案内された個所、全て 杉が多く 松が少ないが 社寺の樹木として種類が偏在していないか。
D金木犀が盛りであるが、遅くは無いか。全国的に20日程遅れの傾向がある。
E御霊屋橋で、メタセコイヤ類化石林をガイドしました。食後に、植林したが失敗した。生木が見られないか。(東北大片平校内に樹高15mの仙台市指定保存樹があります、ご案内経路から外れました。残念ですと回答)
社寺関係では
@仙臺東照宮の石灯籠の半月と三丸の模様穴の意味、配置の目的は?
A大崎八幡宮で、石段登り初めの左側の石柱は何を意味して居るのか。珍しい形状である。右側の石灯籠は変形しているが何を意味して居るのか。
答えれなかったものばかり。「良い勉強になる質問ありがとうございました。またお出でなるときまで勉強します。仙台に再来をお待ちしています」

瑞鳳殿では、陣羽織を早速着用させて頂きました。




10 月 1 日 (水)  



 ここにホントの伊達があります
 このタイトルで仙台・宮城デスティネーションキャンペーンが始まりました。

 10時から陣羽織拝領・出陣式が瑞鳳殿でありました。過日 拝見しました。伊達模様の素敵なものでした。あかとんぼ 先約があり 欠席しました。

 仙台市が主体で、仙台駅から名掛丁・東一番丁・定禅寺通・図書館迄のコースでの「街中ガイド」の依頼が先行しました。

 商業地区を2時間で案内をする。なにをガイドするか 一瞬悩みました。結果として1600年政宗公が 如何なる地形に城下を開き、利水は如何にしたか、如何に繁栄したか。そして103萬人の日本で12番目の都会となり、山形・福島からも買物客が訪れる商業都市でもあるとガイドしました。

 お客様は「佐藤宗之コンサート」を昨晩聞き、今日市内を散策し「唄で仙台に惚れ ガイド付きで散策 またまた 仙台に惚れた」と 感想を述べてくれました。

 瑞鳳殿や仙臺城は 素晴らしい 一見の価値ありますと チラチラ申しあげましたが 時間の都合か ガイド依頼に至りませんでした。現役主婦らしく、仙台味噌・笹蒲鉾・九重等に興味を示され、最後 「仙台朝市」を見学したいとの要望で 仙台駅まで折り返し案内しました。

  ここにホントの伊達があります。「街中ガイド」で伝わったでしょうか。
 本日18時から東日本放送で ガイドの様子が放映されました。お客様の「ガイドは歴史その他博識で おかげで仙台を見直しました」のコメントがあり、ホッとしました。





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