2011年4月の日誌
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4 月 30 日 (土)  



昨日の参拝者約400人らしい。(非公式発表数値)
大震災で50日の休館 非公開で 参拝者の熱望が爆発したのかナ。

午後「伊達武将隊」の演舞があり、熱烈なファン オッカケ隊が参集したのが 真因らしいです。

本日は 出足は遅く、始発の「るーぷるバス」到着前に境内を一巡しました。善応殿前方の土木被災状況を直視出来ないようにシートか張られました。結構な事です。
感仙殿前広場のベンチに異常な風体の男女3人が屯していました。人通りの無い筈なのに 人が来た 驚いて の表情。ガイドと知って 安心した表情に戻りました。当方はボラガイドであって 「火付盗賊改方」ではありません。放火・略奪の恐れ無い様なので 「オハヨウ」と通過。

表裏 東西参道に至る 追分のベンチに 眼鏡の忘れ物。時間的に昨日 最終のお客様でしょうか。ホテルで不自由されているのでは。券売窓口に届けました。心当たりの方 022-262-6250迄 電話を。

ベンチを暖める余地なく ガイドのご依頼が連続しました。何故か 仙台市内に居住する方が連続しました。

涅槃門からのガイド 2回も聞いてくれた方おります。年齢的に あかとんぼ と同年配 仙台市内との返事に 「ガイド ご一緒にしませんか。お客様の質問をメモし 勉強すれば 出来ます」と誘いました。最後に お住まいを聞きましたら 大年寺の伊達家墓所に近いところでした。とガイド前に知っていれば ガイドの内容が多少異なったのに 跡の祭りでした。

名古屋からの中学生と小学生2人の男兄弟に父母の5人。政宗公は秀吉に小田原参陣以来 時の最高権力者4代に仕えた戦国武将です。さて 豊臣秀吉は 名古屋の生まれですネ と語りかけたら キョトン としていました。父親が 名古屋駅の隣 中村区・・・・と説明していました。
小中学生 対象に 用語・言葉を注意し ガイドしました。父親 詳しく 丁寧に説明して呉れ 又 ホテルが 瑞鳳寺の門前であった。伊達政宗にたっぷりハマッタ よかったな と息子達に話していました。喜んで頂き 嬉しい限りです。

12時 参拝者が途切れましたので 終了。仙台市博物館に。「仙台平野の歴史地震と津波」パネル展示を見学。浪分明神が現在の場所に東に500m 当初の場所から移動している事、古墳の発掘調査 地層で 古来からの津波被害の実態を知れる事 等 時節柄 勉強になる展示でした。
この展示 メモ 十分にとれません。 印刷物としての配布か 希望者にルール添付配信 を検討して頂ければ幸いです。 


今回の大震災は 長期の断水で 水の有り難み 再認識する機会になりました。
政宗公は 仙臺城下の給排水として 四ッ谷用水44kmを敷設し 今日の杜の都仙臺の基礎を作りました。この四ッ谷用水を市民と勉強する展示会を開催すべく 銘酒「天賞」醸造場跡 杜の館での 企画・準備会議に 午後参加しました。詳細は 後日 記載します。



4 月 29 日 (金)  



お待たせ致しました。50日

瑞鳳殿 参拝・公開 再開しました。
9時00分開門しました。(財)瑞鳳殿常務理事、S主任、KとWの両学芸員 券売・整備等の係員ほか 待機。 ソロリと正面 鉄扉が開かれ、横浜の青年 お二人 拍手で迎えられ 入場。記念品(瑞鳳殿オリジナル書簡セット)が贈られました。

 昨日 来仙され 大崎八幡宮と瑞厳寺を参拝。今朝一番に瑞鳳殿参拝に見えたとの事。政宗公フアンで 大変よく知っています。20分の約束が いろいろ ご質問があり資料館には 他にお客様が居ませんでしたので 解説 40分を経過。

話題になった事
1.文禄・慶長の役 以来 細川家との親しい交流。家紋「九曜紋」
2.浅野家との不通。伊豫吉田の伊達家と播州赤穂の浅野家とのカラミ。伊達家・浅野家の和解。
3.政宗公の灰塚の存在。
4.仙臺東照宮 備前産の石の大鳥居。

この後 仙臺城址に登るとの事で 三の丸はOK。本丸は 東北大学青葉山構内を経由すればOKと伝え、せんだい市史通信22号を あかとんぼ のお土産と 差し上げました。

配布用 市内地図 携行しておらず 本丸に至る道 灰塚のある 大願寺の所在と経路を十分に説明できなかった事。今日の心残りです。


東京の盛年4人 震災復旧要員でしょうか。新幹線の乗車券を確認しながら 10分でガイドしてくれ のご注文。本殿前で 政宗公御木像と被災時 の写真で説明しました。


三陸は大船渡からの母を  埼玉の娘様が案内して来ました。大津波の地獄を見られた 母上の慰安に娘様が案内している様子。瑞鳳殿の被災状況は モノノカズではないでしょう。説明終了後も お二人でゆっくり参拝・見学されていました。癒されたでしょうか。


11時大学三年生と東京のオフイスレデイの2人 涅槃門前のベンチに腰をかけ 動きません。ガイドしましょうと誘いましたら 「3回目です。目的は13時30分からの「伊達武将隊」の演舞を見るための席取りです。本殿参拝中に このベンチに誰かに座られると 黙阿弥になるから 動かれません」の返事。それではと Uさんがガイドブックを開き 伊達家の歴史の座学を始めました。

HP「伊達武将隊」で 日程を把握している。00時青葉神社 00時大崎八幡宮 13時30分瑞鳳殿と 教えてくれました。
11時また 一人現れました。お仲間です。追っかけ隊 と申すのでしょうか 親衛隊 と申すのでしょうか。
席確保出来れば 設営手伝いますと 宣言していましたが 設営が始まっても お仲間で ピイチクパーチク。


あかとんぼ と同年配の方 仙台市内にお住まいされ 山岡荘八著 伊達政宗に夢中 瑞鳳殿のガイドは不要との事。
「何巻の どんな場面まで 読まれましたか」に 「第5巻 関ヶ原です」 「小説はあくまで小説です。脚色があります。私は 小林清治著伊達政宗 を基本にしています」 メモされました。ガイド仲間に誘いたかった。


3月11日(金)から50日 ガイド仲間 5人集結しました。Uさん、NKさん、HNさん SIさん です。復旧状況 心配で 何回か 瑞鳳殿に足を運んだ そうです。

あかとんぼ 所用で12時で終了しました。記念品(瑞鳳殿オリジナル書簡セット)は 500セツト用意されたそうですが 明日昼前には 全て贈呈される 勢いです。明日 早めに お出でになられるを お勧め致します。


仙台市の施設の再開状況は http://www.city.sendai.jp/news/2011/d/1198508_2362.html

博物館 本日から開館 ただし 常設展は休場。ポンペイ展とパネル展示「仙台平野の歴史地震と津波」だけです。



4 月 27 日 (水)  



2日前

29日9時 瑞鳳殿は再開します。

瑞鳳殿に至る路線バス(緑ケ丘、八木山南、西の平の3路線)は、28日17時 通常ダイヤで運行を再開します。

循環観光バス「るーぷる仙台」は、29日9時の始発から、土.日.祝日は20分間隔で、大人1日乗車券600円で再開します。
瑞鳳殿 参拝後 博物館前で下車 三の丸。二の丸は見学出来ます。しかし 本丸・御裏林(俗な表現 仙臺城址・植物園・自然史標本館)は経由しません。ご注意下さい。

参拝者専用無料駐車場 開場します。

29日9時 ガイド仲間のUさん あかとんぼ お待ちしています。



4 月 24 日 (日)  



抜けるような青空 温暖です。日曜日です。

瑞鳳殿は 拝観停止中です。瑞鳳殿を中心に 鋭意復旧工事中です。

寶筐印塔は全15基の復元終わりました。参道の奉納供養灯は 右側(古内・津田・茂庭・亘理。石母田)5基は復元終わりました。

作業中は、拝殿の本殿向側溝改修、本殿右側透塀の基礎強化、本殿照明灯基礎補修、資料館外壁補修等です。

28日(木)迄に これらの工事が完了するそうです。
参拝者用駐車場は、現在不法駐車排除の為 閉鎖中です。職員駐車場は工事車専用です。これらは 29日から 駐車可能となります。

鹿落坂の市道閉鎖は 29日には開通の見込み、但し 市バスの運行は?。仙臺城の本丸付近の通行止の解除予測が立たず 、ループルバスを 瑞鳳殿迄の運行にするか 仙台市交通局が検討中?。 国がコース変更を許可するかが問題とか?
参拝の方々も 我々も 駐車 可能となります。 

29日(金) 9時 瑞鳳殿でお待ちしております。

29日参拝の方に 特典 特に一番の方には お祝いの品 贈呈等を考慮している様子でした。


事務所で歓談後 境内を一巡、参拝に見えた方々 残念の様子で 感仙殿前広場に屯していました。 語りました。
1.山梨から応援に駆けつけた 損保査定人。
  デジカメで 3.11地震災 復旧 4.7地震災の経過を披露しました。
  仙臺城に登りたいに、三の丸迄は歩いて行けるが 本丸は大手門から閉鎖しているので 東北大学青葉山構内を経由すれば 入れます。但し 徒歩では時間かかります。と伝えました。

  「図書館 何れが開館しているか」 の質問。「県立は閉館中 市立は8館の内 郊外の1館開館しています」と 回答しました。

2.大阪からの 復旧助っ人 2人。
  感仙殿閉鎖の告知は見ました。3時間で 見られる所は。
  普通は 瑞鳳殿 博物館 仙臺城 のコースが丁度 3時間コースですが。何れも復旧工事で 閉鎖中です。
  秋 紅葉の頃 ご家族等 ご一緒にお出でをお待ちしています。瑞鳳殿 たっぷり ガイド致しましょう。


感仙殿・善応殿の前 妙雲廟界 の櫻 ひっそりと咲いています。満開 爛漫 です。表紙をご覧下さい。



4 月 14 日 (木)  



瑞鳳殿 再開?

下記の通り 発表になりました。

○瑞鳳殿の一部再開(瑞鳳殿・付属資料館)につきまして(4/13)

東北地方太平洋沖地震の影響による臨時休館につきまして、皆様には大変ご迷惑をおかけしております。再開(一部)の時期と致しましてはゴールデンウィーク(4/29〜)を目処に現在安全確認と復旧作業を鋭意行っております。今しばらくお時間頂きたく、お願い申し上げます。また正式な再開の折には当ページにてご報告させていただきます。皆さまのご来館、職員一同心からお待ち申し上げております。

再開予定日:4月29日(金)  9:00−16:30(最終入館時間)

*当面は「瑞鳳殿」、「付属資料館」のみのご観覧となります。何卒ご了承くださいませ。 

なお、瑞鳳殿、感仙殿、善応殿の三霊屋に大きな被害はございませんでしたので、ご報告致します。                                    
財団法人 瑞鳳殿
瑞鳳殿 公式HP全文引用 本HP表紙「公式サイト」をクリックしてください。


4月29日(祝日・昭和天皇誕生日)から 参拝できるとは よかった。瑞鳳殿参拝と資料館見学出来れば お客様は満足されると思います。
バスも瑞鳳殿・仙台駅間 随時折り返し便の運行が始まりました。

29日 瑞鳳殿でお待ちしています。      

     







4 月 13 日 (水)  



瑞鳳殿 復旧費 6504萬円

仙台市は、2011年度一般会計補正予算案を公表した。
校舎等教育施設の災害復旧費89億1500万円、公共施設災害復旧費9億900万円>

小学校 津波被害の3校を除く122校で 42億2794万円
中学校63校                  32億3921万円
給食センター                   5億3000万円
高等学校                     2億3855万円
以下 続く 主な教育、公共施設災害復旧費 一覧に 瑞鳳殿の復旧費として6504万円が掲記されています。
以上 河北新報13日付けによりました。

瑞鳳殿は(財団法人)です。
この復旧費は 教育委員会文化財課が 文化財の復旧として 直営で施工することを示したのでしょうか。

その場合 石灯籠 石垣等は 文化財として 原型復旧が原則でしょう。しかし 度重なる震災 低い震度でも 寶筐印塔などは転倒・散乱しています。多少の震度では 転倒・散乱・崩壊しない 工法で施工出来ないものでしょうか。
例えば 石灯籠に 地中から通しの 太い鉄筋 芯柱を通す。石垣に裏込石を入れる 等です。
原型復旧では 砂上の楼閣と ならないか 心配です。

被災現場には ロープを張り 掲示をし 参拝者に立ち入らない様に、安全を確保し、被災現場は 被災遺跡として 見て頂く 方式で 瑞鳳殿 の 参拝が出来る 早期公開を切望します。



4 月 10 日 (日)  



快晴 温暖 春麗ら です。

世界各地からの 老若善男善女の参拝の方々が 列をなし ガイドも休む暇無し であったろうと 思う 天候です。
節電で消灯 暖房を止め 薄暗く寒い券売所に オネイサン 唯一人 留守を守り 「勿体ない天候 非公開 残念 ザンネン」と呟いていました。

臥龍梅 ひっそりと 咲いて います 満開です。

M副主任 K学芸員が 巡回中で 途中まで 一緒し 見・聞きしました。
 
1.瑞鳳殿本殿北東角の噴出痕は、湧水・陥没や噴出痕では無く、地盤調査痕との事。
  瑞鳳殿本殿を再建の際、広く コンクリートで固めた地盤を作った。それを確認した。
  11代齊義公が 瑞鳳殿の護岸工事の際 裏込したと推定される石材が復元工事の際に発見されている。それも併せて確認した。(K学芸員談) 

2.本殿の南 職員駐車場側 石垣 孕み脹れ 石組の遊離を確認しました。

3.表参道水路の流れは ありませんでした。 突然の湧水ではありませんでした。

4.鹿落坂の通行止の原因を、鹿落観音堂側から確認しました。隣の料亭の座敷が崖淵にあり、崖崩れ(座敷に異常ない)をし、崖下の旅館を直撃し 圧破壊された建物が 人車の往来を妨げているのでした。旅館は解体撤去工事中でした。

5.職員駐車場は入場禁止です。一般駐車場に駐車し 一巡しました。この間
@「晩翠草堂から歩いて来ました、拝観でませんか 仙臺城は 如何でしょう か?」と 盛年男性。
A仙臺城本丸で 眼下の街並みを撮影していたオジサン2人 とバツタリ。
B表坂道閉鎖の告知を見ている男女。
等 自己責任の交通手段で 訪れる方がいるのです。


ガイド仲間Uさんから頂いたアドバイスにより、仙臺城本丸に至りました。
惨状です。崖崩れ、石垣の崩落と 「落城寸前」?
1.西脇櫓から西門に至る 西方長屋下の石垣の孕み・崩落。道路の亀裂・御裏林方向にずれ。
2.巽櫓跡 庭園跡の 東崖の長大崩落。
3.昭忠碑の頂上に鎮座していた鵄(青銅製、翼巾7.6m 重量17.5屯)が、碑の根本に降りていました。
4.御裏林堀切を埋めたと推定される部分の道路に 陥没が感じれました。
5.大手門脇櫓の多聞塀の漆喰の落下10m位。



4 月 9 日 (土)  



非情

2011.04.07.宮城県沖地震 被災状況写真 表紙に掲載しました。拡大して ご覧下さい。

地割れ 地滑り 崩落 が拡大 伴い 石垣、土留 石造構造物 が倒壊 を拡大しました。
2年の時間を費やしての 環境整備 完成目前 全面的に否定する 今回の震災 誠に 非情 です。

1600年に仙臺の町を開いて 政宗公の御廟は 仙臺の町の精神的中心です。それ故に 3.11.災の復興の象徴として 寶筐印塔は 即 修復されました。参拝再開 可能でした。全面的に否定する 今回の震災 誠に 非情 です。


仙台青葉祭りの 由来は 政宗公を祀る 青葉神社の祭典でした。ご命日の5月24日に催されていました。いつの間にか 由来を忘れ 5月の第2土。日曜日に催される様になりました。何故か 雨に見舞われる率が可能性が高くなりました。人の噂では 政宗公の怒り と云われました。今年の青葉祭りは 全面的に中止に決定しました。やむ得ないと 思います。

大手旅行会社の瑞鳳殿・仙臺城へのツァー(連続10回程)は 催行中止 ガイド予約は解約になりました。予測された事ですが ガイドの機会を失し 残念です。新幹線の全面 運行再開も 延り模様です。今年の黄金週間 如何に相成るかです。

5月24日の政宗公の遠年忌法要は 中止される事は無いにしても 仙臺藩志会の裃での参拝は 如何なるでしょうか。



4 月 8 日 (金)  



4.7地震

11時32分 宮城県沖を震源とする M7,4 の地震に見舞われました。
3.11地震から まる4週間です。

瑞鳳殿の寶筐印塔の修復は終わり 歩行路の安全も確保されました。仙臺の復興のシンボリとして 7日は先勝 8日は友引 です。お日柄も良い様です。拝観 公開を再開すると 期待していた 所でした。

停電 瓦斯ストップ 水は濁り水  あかとんぼ は 再び 厳しい生活環境に戻りました。牛乳と非常食(ビスケット)の朝食ソコソコに 瑞鳳殿に。

嗚呼 無惨

寶筐印塔 また 転倒しました。倒れない 塔もありますが。修復したばかりです。左右とも です。
本殿前広場 左側 前回より大きい地割れ 右側にも 発生しました。
本殿 透塀の外側 5-7cm巾の太い地割れ線が新たに走りました。噴出痕もあります。

弔魂碑前の 供養塔上部 落下 門柱転倒 と被害が拡大しました。

善応殿前庭に唯一基 健在であった 田村誠顕奉納石灯籠の上部が落下しました。無傷はゼロになりました。

石垣の崩落に、 妙雲廟界と公子公女廟 の供養塔は 更に 転倒したと 見えました。

今ひとつ 不思議な現象として 東表参道左側の石組水路に 水が滔々と流れています。地殻変動での湧水か 事務所の貯水タンクの破裂か。

S主任 K学芸員 整理・確認に 懸命でした。
常務理事は この2年間 参拝者の安全を確保し 楽しく 良い思い出の残る 参拝環境の整備に努めてきました。ほぼ 完成寸前でした。それを否定し かつ 1ケ月に2度の地震 被災。 心中如何なるものか
お見舞い 申し上げましょうと思いましたが 遠慮しました。


被災写真は 表紙に 順次 掲載します。

仙臺城は 三の丸 博物館裏庭までは入れました。 清水門から 大手門から 何れも 通行止め 本丸には 登れませんでした。



4 月 6 日 (水)  



お殿様 走る配る  相馬救援隊

河北新報 夕刊の見出しです。

平将門に連なり、伊達家とも御親戚である 北海道大樹待ちで牧場経営の相馬家34代相馬行胤(ミチタネ)36歳と 福岡市で会社経営の弟 相馬陽胤(キヨタネ)35歳の兄弟が、東京からトラック数台で、既に4回 救援物資を 相馬中村神社に運び、旧領である相馬氏・新地町・南相馬市の避難所に配っています。

重要無形文化財「相馬野馬追」の総大将を務め、二人は「若殿」と呼ばれ 親しまれています。
相馬中村城 築城から 今年は400年 災害に負けられないと弟 相馬陽胤とかたっています。

以上が記事の要旨です。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110406t63054.htm 

今は領主ではありません。しかし、父祖400年以上 シガラミの地に於いて 「若殿」と親しまれ かつ 旧領民の緊急支援に駆けつけ 救援活動をする。
領主・殿様・リーダーとしての血が枯れることなく 脈々と流れ 発露されているを示しました。殿様の血とは斯くあるものと知りました。

新聞では 相馬中村城開城400年とありました。城を開くは 落城ではありませんか。日本語として違和感があります。



4 月 5 日 (火)  



田村誠顕 (タムラノブアキ)

善応殿前の奉納石灯籠群が全倒した中で、唯 1基 田村誠顕 奉納石灯籠のみ倒れず孤塁を守っています。
その御生涯と石灯籠の孤立には因果関係は無いと思いつつ 履歴を調べました。

寛文10年2月1日(1670.3.21) 父 旗本田村顕当 母 松平昌吉娘・富の5男として出生。
元禄9年2月(1696) 一関田村家初代建顕の養嗣子に
宝永5年(1708) 建顕 亡。封を継ぐ。
享保12年6月16日(1727.8.3) 亡 58歳。

正室は 養父建顕の長女・瑞光院(熊)
側室は 養父建顕の養女 竹内惟庸の娘・いよ 竹内惟庸は冷泉流歌人

あかとんぼ の疑問
殿様の娘と結婚し 養子関係に有りながら 側室を持つこと。

結婚は、誠顕何歳で 瑞光院(熊)何歳の時か。子供は 正室か側室の子供か。娘・百が3代村顕の正室になっている。連続 娘婿がが封を継いでいます。

仙臺伊達家11代齊義(ナリヨシ)公は、1826年 29歳(既に封を継いでいた)時、10代齊宗公の娘 芝姫10歳と婚姻した。翌年齊義公30歳で亡くなられた。年齢差から 名目の結婚であったでしょう。これと 同様にな事情であったのでしょうか。齊義公 には記録に残る 側室が2人おられ、 於美屋方が 13代慶邦公の生母です

殿様のお家の事情は 現在の我々の倫理で考えては ならないと知りつつ 疑問に思いました。



仙臺の象徴 瑞鳳殿の公開はいつでしょうか。

仙台の活力を内外に示すためにも 早い公開が待たれます。
この土・日を待たず 7日は先勝です。8日は友引です。参拝者を誘引する 初日として 最高の日と思います。

政宗公の菩提寺・瑞厳寺のある 松島観光協会の理事長は 20日友引 に 松島観光は全面的に再開すると宣言しています。
瑞鳳殿は 御霊屋です。ご本人が居ます。二回り 早い 友引 の公開を期待します。



4 月 3 日 (日)  



瑞鳳殿 ガイド 休みました。

活力と希望を から ガイドをしたかったが 臨時休館で 参拝者は お出でになりません。ガイドは聞いて頂ける方が居て 成り立ちます。ラジオではありません。一人咆哮する訳にはまいりません。休みました。

1日 あかとんぼ の確認で
瑞鳳殿に至る 道 バス停から 東参道と そして 券売所から涅槃門に至る 間は 被害皆無です。 安全です。
涅槃門から拝殿に至る石段に 崩落した奉納石灯籠の一部も 通行に支障無いように格納されました。

本殿に至る 石段も修復されました。寶筐印塔も20基全てが修復・復元しました。
本殿の外周塀の外には 地割れの痕跡が残っています。しかし、即 地滑りをする状態ではありません。ここは 普段でも 歩行される方は僅少です。当分閉鎖しても 苦情は無い筈です。

感仙殿・善応殿 は 涅槃門の扉を修復し、転倒した石灯籠群、崩落した石垣群 にはロープを張り 立入禁止にし 参道の安全を明示すれば 参拝は 安全にできます。

妙雲廟界・公子孝女廟は 石灯籠群が転倒 散乱していますから 当然 立入お断り 参拝は出来ません。

とにかく 此処まで 修復しました。早期に開館 参拝 再開に 決断して 頂きたいものです。

新幹線は運転再開していません。しかし 自動車道き開通しました。ホテル等も営業再開しました。仙臺に入る道筋と宿泊は 確保されました。

仙台市の博物館等 生涯学習施設 市民利用施設は 全て 当分の間 休館と 個別名称を列記 市広報誌で発表しました。
瑞鳳殿は 市の施設では ありません。宮城県と仙台市の出資からなる財団法人です。独立した組織です。監督官庁の規制・シガラミがあるでしょう。再開する事によって 参拝者が訪れれば 交通・飲食・宿泊で お金が使われます。人々に活気をもたらし 売り上げが上がります。税収が確保されます。震災復興資金が確保されます。すべて 良い方に回転します。

全国的に 自粛ムードですが、瑞鳳殿は 仙臺の城町を開いた 政宗公の廟所です。仙臺のシンボルです。

現場責任者である (財)瑞鳳殿 常務理事は 苦慮していると察しますが 英断を期待しています。

表紙に ビクともしなかった 瑞鳳殿本殿と 修復なった寶筐印塔の写真を掲載しました。
併せて 感仙殿・善応殿・妙雲廟界の転倒した石灯籠群、崩落した石垣、閉鎖表示の参道登り口の写真も掲載しました。

あかとんぼ は 転倒した石灯籠群は 「11.03.11.東日本震災の遺跡」 として 修復しないで 保存・公開するのも 一つの検討課題と思います。



4 月 1 日 (金)  



瑞鳳殿の今日


震災日(3月11日)の翌日に 修復の手伝いに参上すると約して以来です。ガソリン購入困難で約を守れなかったと詫び、常務理事、S主任等の皆様から 公開見込等について 伺いました。

瑞鳳殿は ほぼ修復が終わりました。4月1日公開を目途に努めたが、余震が続くなどの諸情勢から公開出来なかった。

御霊屋 本殿の再建工事を担当したM建設鰍ニ地質調査担当会社が本日 来訪する。その結果、又 諸情勢から 安全が確認され次第 早期に公開をしたい、日が確定したら メールで知らせます。ガイドをよろしく。
とのことでした。

大手旅行会社KTから、「東北五大城(仙臺・盛岡・根〔八戸〕・九戸・弘前)めぐり」のツァーで、瑞鳳殿のガイド依頼が来ています。
東北新幹線の復旧開通を待って お城と櫻花爛漫を鑑賞楽しみたい人々が 意欲満々であると感じています。
4月下旬と云わず  早い機会に ガイドが再開出来ますように よろしく と お願いしました。

あかとんぼ が心配した事柄について 常務理事から次の様に 回答がありました。
1.本殿内の御木像は 微動だにしなかった。
2.資料館内 展示品 板碑が多少 移動したのみで 他は移動・損傷はなかった。


お許しを得て、瑞鳳殿・感仙殿地区・妙雲廟界の現状をつぶさに拝見しました。

瑞鳳殿の修復状況 上数字欄は12日記事 下欄は本日の様子

02.涅槃門から拝殿に至る 奉納供養塔 全9塔 脚から倒壊 下草に埋没 亘理伯耆守献灯の傘部分 階段に転倒。
本日.修復未了。参拝に全く支障は無い。

04.拝殿後庭 右側に 太い地割れ線 多数。従前の地割線より 太くて 長くて 数が 多い。
本日 痕跡が残存。参拝に全く支障は無い。

07.寶筐印塔 右側 土台部から四方に転倒・散乱。左側 「茂庭兼綱」の塔のみ孤立、他は全て 転倒。
本日 寶筐印塔 全塔 修復済み。

05.本殿石段 左側に 崩れの異常が見られる。
12.右側 外回廊の石段上部 落下。
13.龍頭の台座の中間部 積み木落とし の如く 右に移動。
本日 全て修復済み 参拝に全く支障は無い。


感仙殿地区 被災状況

01.参道石段両脇 奉納石塔 全て 転倒
02.涅槃門 扉 外れる
03.石垣崩落 涅槃門ライン と 本殿ライン の2段とも
04.奉納石塔(中段に位置)は、1基 見性院御廟前 正徳第六丙申歳三月念日 田村下総守誠顕と刻された石塔を残して 他全て倒壊。
05.感仙殿 寶筐印塔 全て 倒壊

妙雲廟界 被災状況

01.3墓碑 一見異常見られず 静見 東に向きを6cm移動。


あかとんぼ の私見です。
1.転倒した石塔を如何に修復をするかです。数があります。重機の搬入が困難です。昔来の工法での修復 人力でしょう、職人が集まるか です。
2.崩落した石垣は 歯槽膿漏で歯が抜け ガダガタした様子と 全く同じです。歯肉に相当する部分 裏込等を するかです。現状変更で文化財担当が 如何なる判断するか。残って文化財 消失しては 紙に残るだけ 文化財の保存のあり方が 問われるのでは。


その他
1.感仙殿地区と妙雲廟界は 完全立入禁止 処置がされています。
鹿落坂の民有地落石の可能性から 人・車 一切通行禁止になっています。その迂回路として 自転車を西参道の石段を担ぎ上り下りしている人も おり 震災以前と比較にならない位 往来が多いです。万が一 この通行の人々が 紛れ込まないように 万全を期しての 完全立入禁止とみました。

2.瑞鳳殿 拝殿前の臥龍梅 が数輪 咲きました。 5輪に至らず 開花宣言は 未だです。










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