2011年11月の日誌
| 前々月 | 前月 | 翌月 | 翌々月 |




11 月 28 日 (月)  



奥州水沢の瑞眼寺。住職様始め一行30人が研修で参拝に見えました。

同寺は、なにかと有名な正法寺の末寺。5代吉村公から多額の寄進を頂いていると引率の和尚様が語りました。
来春 正法寺を訪れた際、立ち寄る事を約束しました。

戦災で焼失し、再建にあたり 元伊達領の人々の 御寄附があり再建されましたと説明しましたら 芳名板の中央を指で押さえ「アッタ 母親の名前だ」の叫び。
金20万円 現在のいくらになるのでしょう。
この叫びには ?が着きます。

寺庭様 参加者に記念品として「集印牒」を 求めました。当初の希望は「御朱印」でした。「御廟ですから ありません」に エラクがっかりされましたので「集印牒」を紹介しました。



11 月 27 日 (日)  



紅葉 鮮やか 京都に負けません。

山形からの御婦人 ゆっくり参拝したくて 孫を置いて来ました。山茶花に紅葉を フイルムカメラで撮影していました。珍しいです。デジカメが完全に主流なのに。

埼玉からの団体、昼食のお茶が効いたのかベンチにゴロゴロと寝ています。仲間が「マグロ 1匹 2匹」と 囃しています。
数人 正気な人もいます。

「天高く 舞っている鳥は?」
はたして トンビか? 将又 鷹の一種であるチョウゲンボウなのか?
お客様は「あれ トビ だ めずらしい」



11 月 23 日 (水)  



驚いた。

ガイドしている最中 「煩い」と オバサンに怒鳴られた。
ガイド 満11年にして、初めての経験。

オバサンは、「天下人」である事は知っていますが、多数に説明している最中、ガイドに「煩い」と言った人「天下人」は このオバサンが初めて。
本殿前での 出来事。前田家家中の領民です。


大工風の若い人、涅槃門を採寸し メモしています。
「古建築に興味がある」の回答。
「ここは、1945年に戦災で焼失、再建しました。真に勉強するなら 仙台東照宮か大崎八幡宮を 拝観されたら」と アドバイスしました。



11 月 20 日 (日)  



落ち葉が舞って、オジサン「一回りすれば 元の木阿弥」と 呟きながら セッセと掃いています。

熊本からの御夫妻。「我が殿様、細川家の家紋が 何故 レイレイしく飾られて居るのか?」冒頭 御質問。
細川家と伊達家の 数々の交流を 伝えました。熊本と仙台の 縁に 驚き 感嘆。
最後に名刺をくださり、「水前公園前です。熊本にお出での節は お立ち寄りください」
ガイド冥利に尽きる 有難い おことば。



11 月 19 日 (土)  



杜の都潤した水の道 四ッ谷用水

1600年仙臺城築城に伴い、城下に対する給水の目的で掘られた四ッ谷用水44km。始点 廣瀬川での取水口から、城下を辿り 終点 梅田川に合流するまでの本流を探索する会が開催されました。

主催は 仙台市環境局環境対策課。共催が、仙台リバーズネット・梅田川、仙台水の文化史研究会、NPO環境ネット東北、「四ッ谷の水を街並みに!」市民の会の4団体です。
市民の会から S氏が技術的な面を、あかとんぼ が歴史的な面を語る役割で参加しました。

現場に大型車が入れないため、車が限定され 自動的に定員が決まります。市主催は 参加費が徴収されない利点があるためか 定員の2倍以上の応募があったそうです。其の難関を突破して、なぜか 有名郷土史家のご子息、郷土歴史の会会長等 郷土史には精通された面々が見られました。この方々に説明するのか 些か緊張しましたが あかとんぼ 説明担当とは 別のグループで 鋭い反撃の矢には遭遇しませんでした。

記憶に残った質問
1.郷六城には、城下町があったのか。
2.隧道「潜穴」建設の為の作業抗 現存しているか。
3.素掘であったとの事だが この石垣が作られた年代はいつか。

参加者からの要望
1.四ッ谷用水とは、 初めて知った。なぜ 積極的に市民に広報しないのか。
2.小学校教育現場に 副読本等で 歴史遺産 後世に伝える の目的で 導入を図るべきだ。
3.配布 地図は大変良くできています。市・区役所、市民センター、駅等で 廣く配布すべきだ。
4.所々に標柱が立っているが 目立つ箇所に 理解容易な 案内板を増設すべきである。
5.流水を見える状態にすべきである。

ゴモット な提言です。
3.の廣く配布の希望は 誤解が入っています。配布地図は 我々市民の会が 乏しい会計で作製したもので 仙台市予算で作られていまいません。
4.の侘びしい標柱が。 之も我々市民の会が 乏しい会計で作製したものです。

今回の提言を受けて仙台市予算で 作製・増設して頂ければ幸いです。

参加者から 地図は頂いたが 一人 個人で探索するには いろいろ不安があるので 現地を歩いて案内して欲しいの要望がありました。
数人まとまり 要望があれば 大崎八幡宮から支倉堀跡迄 歴史的面を加味して 90分程度で ご案内できます と返事しました。
NPO環境ネット東北から 楽しい雰囲気での散策を企画したいと ご提案も頂きました。

瑞鳳殿ガイドとは 直接ではありませんが 政宗公の偉業の一部でも なお理解して頂ける機会と思い 本日務めました。



11 月 18 日 (金)  



目撃者 証言

1945(昭和20)年7月10日以前  創建時の瑞鳳殿を参拝され その色彩等を鮮明に記憶されている方 ご近所にお出でになりませんか。
知りたいのは 拝殿扁額 下地の色 材質です。

昨日の参加者は 瑞鳳殿の麓に居住する方々でした。戦災で焼失する以前 20歳以上 現在85歳以上と見られる方 見あたりませんでした。

実は 拝殿扁額 下地の色 の記録が 大正10年(1921)の記述と昭和6年(1931)の記述と 10年間で全く異なるのです。
この謎を知りたいのです。

昭和6年12月14日文部省告示331号で國寶に指定になっています。告示文書には 基本的事項のみです。
昭和6月7月21日から10日間 仙臺高等工業学校の小倉強先生が建築科学生と 伊達伯爵家の好意で実査しています。其の感想を「仙臺郷土研究 昭和6年8月号」に発表しています。感想に留まり 実査の詳細は記載されていません。

この実査が國寶指定の申請に繋がったと理解しています。
実査報告書と國寶指定申請書迄 辿り着いて居ません。辿り着けば 謎が解決すると思います。
この2件の書類の保存先 閲覧可能箇所 ご存じの方 教えて下さい。



11 月 17 日 (木)  



「瑞鳳殿を知る」

瑞鳳殿麓に所在する 片平市民センター主催で「地域を学ぶ・地域の歴史を紐解く」の副題。 講師は、(財)瑞鳳殿 加藤寛学芸員で、講座が開かれました。

略称「瑞鳳殿ボランティアガイドの会」会員2名が 一般市民の資格で参加しました。


瑞鳳殿でのガイドの対外評価の一番は 34世18代御当主様の解説・ガイドです。2番目に信用あるのが 解説歴は 短いですが、(財)瑞鳳殿の学芸員の解説・ガイドです。
瑞鳳殿でボラガイド歴11年になります。日々研鑽に努めている積もりですが 対外的評価は 所詮 ボラガイド 自己満足のガイドです。

日々のガイドの反省 鏡にしたいと思い 講師の話 参加者の質問を聴き 記憶しました。
ハテナの事項、納得する事項 反省する事項 ありました。詳細は記載しませんが 今後のガイドに生かしたいと思います。



11 月 16 日 (水)  



泉ケ岳(1172m)に初冠雪。あかとんぼ邑 からも見えます。
ANAセールス蒲l 手配。九州宮崎県からの高齢のお客様、

初日、仙台空港から 津波被災地を通過 松島・瑞厳寺参拝、2日目 世界遺産平泉 中尊寺・毛越寺参拝 今日が3日目 前日までの歩行で疲労困憊 又 おりからの寒気で 寡黙の状態で ハイヤーから降り立ちました。

冒頭 「人工関節なので 坂道・階段を避け、平坦地の歩行も短くして案内して欲しい。結果として、案内時間が短縮され 自由時間が増えるのは宜しい」のご注文。

約束の時間より20分早く到着しています。時間に余裕はあります。歩行困難であれば 瑞鳳寺山門前から 職員駐車場に誘導する殊も思案しました。が、訴える程の障害に見られず 配慮すれば 逆に 怒られる雰囲気でした。

表参道62石段を登らず、側道を杖を使って貰いご案内しました。
瑞鳳殿・経ケ峯で 興味関心を示したのは 涅槃門の用材でした。涅槃門に辿り着く迄に 木材に関心があると感じました。それではと、涅槃門で透かし彫りを説明し 続いて 焼失前は 「白檀」を 現在は「橡」を用いています 説明しても フゥンー。

ではと 「立柱は 青森檜葉 です」 と説明。 「ヒバ ネー」 
用材調達の裏話 伊達家・津軽家・青森営林局・津軽の山々 を語りましたが 依然として フゥンー。青森檜葉 の特性をご存じ無い様子。同行者 「うちの方には 檜葉は無いの」


本ツアーは「感動案内人 伊達家ゆかりの地を訪ねて」です。
仙臺城(本丸・二の丸・三の丸)に、大崎八幡宮も 伊達家ゆかり をご説明しても 反応はイマイチ  感動は無い様子。
本丸では「伊達武将隊」のショーを見ても 関心を示しません。

淡々とガイドするのみです。


二泊三日の旅行 最後の見学箇所 仙臺・東照宮をご案内し、石鳥居前に停車 なぜ ここに 仙臺東照宮が創建されたか、石鳥居含めた由来を語りました。従来は ここから登壇していましたが、真っ直ぐ 本殿裏に 車を乗り付け ご案内しました。

本殿裏、本殿横、斜め前、拝殿正面ですから 通常と正反対のコースです。
本殿・唐門・本殿と 拝観し、手水舎でストップ。

小屋組を見上げています。「この柱 欅だね 丸く削られている細工が素晴らしい。この傾き よく計算されています。小屋組 ここまでの組み物 組み方 細工 スバラシイ。建築した年月は?」

一目 用材を 欅 と断言しました。手持ち資料には 欅 と あります。正解です。

手水舎の建築は 1654年です。357年経過しています。 国宝ではなく、宮城県指定有形文化財 です。手水舎と単純な形の建築で 用途が手水舎故に 識見の違いで 国宝に指定されないのでしょうか。

続いて 國指定重要文化財である 随身門を 見て頂きました。石段を数段 降りなければならず 躊躇されましたが。是非と ご案内しました。
見上げ、各所に唐様、和洋の手法。複雑な斗組で構成に、驚き 同行者に 解説を始めました。

そして あかとんぼ にも 語りました。

現職時代 船大工の棟梁で 20余の配下を束ね 「貴方の舟 無ければ」と 言われました。今でも 漁師が魚を持ってきて呉れます。 山に入り 木を切り 板にし 運んだ。この重量物の運搬等で 足腰に障害を持ち 何回も手術をした。 

旅行社から 「東照宮を案内する」と言われ 「日光は何度も 参拝している」と 断ったら 「仙臺・東照宮です」との返事。期待していませんでした。
規模は 日光に負けるのは当然として 用材 細工 日光に負けない 素晴らしい 建築です。歩行に配慮して この様な素晴らしいもの 案内してくれて 感謝します。

朝の意気消沈から 喜び 快活になりました。


瑞鳳殿の様に 昭和の技術で復元しました と申しても 「木を生かす」匠の目からは 所詮 模造品で 興味を示さなかったのでしょう。

仙臺・東照宮を 之まで 何回もご案内していますが 今日のお客様 程 感動してくれた方は居ませんでした。歴史の先生と異なる視点、手水舎に対する 解説と あかとんぼ 勉強になりました。旅の終わり 大満足して頂き 嬉しい限りです。



11 月 14 日 (月)  



仙台五山

10日北山の五山をガイドしました。その日誌に 北山五山についての あかとんぼ なりの定義を記載しました。

1として 京都五山に由来する 鎌倉五山・伊達五山の流れ 臨済宗の5ケ寺 満勝寺に資福寺・覚範寺・東昌寺・光明寺の5ケ寺。
2として 今 北山に所在する 5ケ寺 輪王寺と資福寺・覚範寺・東昌寺・光明寺の5ケ寺。

1が 「北山五山」で、 2が 「北山の五山」と 定義し 使い分けていました。


「江戸時代には「北山五山」の語や制度は存在せず、明治以降に作られた言葉のようようだ。仙台城下にある寺社の名鑑「仙府神社仏閣案内記」では、東昌寺・覚範寺・資福寺・光明寺・満勝寺の五ケ寺について「五山」の注を伏しているが、これは仙台城下全体の中での「五山」という意味であり、強いて言えば「仙台五山」であろう。

私見では、「北山五山」と称するなら、今も北山にある輪王寺を加えるのが自然であり、満勝寺を加えるのであれば、「仙台五山」とでも言うのが妥当と思われる」

以上が「せんだい歴史の窓」(菅野正道仙台市博物館市史編纂室長 著)123頁 北山五山の項の一節です。

本書 再読し 納得しました。
ガイドの際 「の」文字 1文字挿入して 語っても 理解されるのは容易でありません。所詮 自己満足です。
世情に 自然に 従うべきです。

京都五山・鎌倉五山・伊達五山と 流れれば 自然に 仙臺五山 になるべきでしょう。
今後、「北山五山」 と 「仙台五山」 と 使い分けます。 「北山の五山」の表現は止めます。菅野先生ありがとうございました。



11 月 13 日 (日)  



雨が降る寸前の曇りの天候。
紅葉 涅槃門門前の森は素敵です。例年 見事で 年2回も紅葉するモミジは 遅々として変化せず 青々しています。

山形からのお客様 「山形 今日が最終日です」 今晩にも霙になり 風雨で紅葉したハッパ 飛散するのでしょう。
山形蔵王は積雪と伝えられています。あかとんぼ邑でも朝晩 ストーブを燃すます。冬 間近です。

仙臺城のガイドは11月から 来春3月迄 冬休みだそうです。
我々 瑞鳳殿ガイドには 冬休みは ありません。お客様 唯一人でも ガイドします。

9時 観光バス1台 ガイド嬢付きで 入りました。
東京・藤沢・長野・山形・茨城・仙台・津軽・神奈川からのお客様 続々 連続休み無しに12時迄 ガイドしました。

藤沢は 何処の県に所在するかご存知です。ネ 神奈川県は 湘南 高級住宅所在都市とは 聞いていますが、ズバリ 都市名で 言われたのは初めてです。98%は県名か 東京と答えます。

本日 特段 特記すべきご質問はありませんでした。
お客様の途絶えた12時 ガイド4人 情報交換 散会しました。



11 月 10 日 (木)  



北山の五山

あるOB会から 瑞鳳殿ガイドのご縁で 北山五山を丁寧に ガイドして欲しいとのご依頼がありました。
昼食を挟み10時30分から15時20分まで 5時間を要して、輪王寺と資福寺・覚範寺・東昌寺・光明寺をご案内しました。

OB会の歴史探索部です故 北山五山を丁寧にガイド と幹事から再三確認電話を頂きました。丁寧には 精神的に縛られました。
北山五山 の定義は最近 2つあります。

1として 京都五山に由来する 鎌倉五山・伊達五山の流れ 臨済宗の5ケ寺 満勝寺に資福寺・覚範寺・東昌寺・光明寺の5ケ寺。
2として 今 北山に所在する 5ケ寺 輪王寺と資福寺・覚範寺・東昌寺・光明寺の5ケ寺。

幹事に確認したところ 1の臨済宗5ケ寺ではなく 2の現所在の5ケ寺でした。
御案内した箇所・順番は コース単位で次の通りです。

T.輪王寺コース
@本堂 A庭園 B愛姫生母田村清顕正室墓・政宗公八男竹松丸 C今村均陸軍大将墓 D志賀潔(赤痢菌発見・文化勲章受章者)墓 E飯沼貞吉(戊辰の役白虎隊唯一生存者)墓 F参道 G山門

U.資福寺・覚範寺コース
@参道・紫陽花 A石段33段登る B千葉卓三郎記念碑 C観音堂(慈覚大師刻・藤原秀衡三男和泉三郎忠平護持佛) D平和観音(土井晩翠筆・志賀潔賛) E本堂・ステンドグラス(釈迦誕生から涅槃まで) F阪神大震災供養碑

覚範寺境内に移行
@政宗公生母義姫墓・五輪塔、政宗公三男宗清と殉死者7人供養碑 A本堂 B六地蔵 C仁王門 E参道 石段101段 降る

市道移動 青葉神社 鳥居前説明

V.東昌寺・光明寺コース
@石地蔵様 A参道 106石段登る B山門扁額(山岡鉄舟書) C茶の木(政宗公宇治より種子を、大規模栽培の末裔) D哈爾哈河畔戦没兵士弔魂碑 E本堂・地震倒壊石塔 Eまるみや榧(仙臺城鬼門よけ・政宗公お手植え・國指定天然記念物)

光明寺境内に移行
@本堂 A支倉常長・ソロテの両墓 

67石段を降り 市道に出て 輪王寺駐車場移動は 想定外事故防止から 中止。北山丘陵の尾根伝い 森・墓地の中を移動。

幹事とコース概要を協議の上 出発前に参加者全員に 説明の上でしたが、70歳前後の若い人々の割に、石段の昇降に 些か疲れたの表情がみられました。 

OB会の歴史探索部として 来春5月下旬 開催するが 瑞鳳殿・瑞願寺以外の史蹟を案内して欲しい。いずこを推薦されますか の問い。
仙臺城は 如何でしょうか。ループルバスを利用 大橋袂、本丸、政宗公が歩いた道、三の丸、二の丸、御裏林とまわり 、県美術館に佐藤忠良彫刻、大崎八幡宮を経由 仙台駅解散では と提案しました。

仙臺城を何度訪れているが 本丸のみで 今日の様に 丁寧に 全てを案内して貰えるなら 最高です。是非 お願いします。参加者全員からお声を頂きました。

有り難いことです。仙臺城については、11月3日仙台市文化財課員(氏名・官職名不詳)の三の丸・本丸を、11月9日仙台市博物館金森福館長の二の丸の現地説明を頂きました。「眼から鱗」が沢山ありました。

これらを基にして、短時間で 疲れないで 仙臺城の全貌を 知り 楽しむ コース案をまとめ 幹事様と打ち合わせします。楽しみです。

尚 本日の歴史探索は OB会のHPに公開されました。URLはhttp://esukai.com/grp/1111tohoku/s.htm

「ガイドさんの説明を聴くことにより、これまで知らなかった仙台の歴史の奥深い部分を多く学びました。また、静かで綺麗な庭園や文化財を視ることにより心が安らぐ佳い一日となりました」の感想を頂きました。

写真の最後に あかとんぼ が写っています。


本日 記憶に残った質問

1.輪王寺・青葉神社の池の水 標高100m地点にあって 天然水・自然湧水との説明だが 墓石ばかりで保水能力は低いのでは、地質はどうなっているか。

  北山隧道工事でも 地震でも 影響がなかった。地質までは勉強してきませんでした。

2.鳥居の色 赤・白・黒と 3色あるの ご存じか。

  大崎八幡宮の大鳥居は赤 青葉神社に 仙台東照宮の石の鳥居は 白です。尚 仙台東照宮の石材は 備前岡山の産です。黒は記憶ありません。お客様教えてください。

  関西に黒御影石 の立派な鳥居があると聞いています。後は自分で調べなさい。

  HP検索の結果、「諏訪市所在諏訪大社上社本宮の鳥居が2003年7月中国産黒御影石で再建」の項がありました。外に あるの ご存じの方 教えて下さい。



11 月 7 日 (月)  



快晴・温暖・里紅葉です。

仙台には、郷土史研究に2大団体があります。「仙臺郷土研究会」と「宮城県歴史研究会」です。

「仙臺郷土研究会」の設立は古く1930年代と記憶しており、阿刀田令造先生達が活躍され、國寶瑞鳳殿等の宮城県史蹟名勝天然記念物を調査され、報告書に、又、論文を会報「仙臺郷土研究に発表されています。

 焼失した瑞鳳殿拝殿扁額の色・材質等を調べた際 詳しく記載されておりました。故に、瑞鳳殿ガイドの際 創建時、焼失前の瑞鳳殿を語る緒話題の根拠になっています。
 会報の論文は、貴重な資料であり 宮城県図書館郷土資料室にて全巻閲覧出来ます。利用しております。

 近年刊行された「仙台藩歴史用語辞典」は、歴代の仙台市史編纂室長が的確で揺るぎない指摘で編集されたそうで、重宝しています。

「宮城県歴史研究会」は、1983年に歴史研究会宮城県支部」として創立されました。あかとんぼ は2000年頃 当時役員をされていたS氏から 泉区所在 史蹟・歴史を詳細にご教授を頂きました。

両団体とも あかとんぼ には師匠であります。謦咳に接するのみで 浅学非才から 会員にして欲しいと言える身ではなく 現在に至っています。


本日 瑞鳳殿ガイド仲間でもあり、「宮城県歴史研究会」の理事でもある S様のお誘いを頂き、会内部研修「片平丁界隈散策」に参加しました。
通常は、何故 片平丁なのか と伊達家重臣の屋敷に、東北帝国大学の建物が主要な話題になります。

 今日は、調理が異なりました。
何故 片平丁なのかは語られました。主題は 伊達時代の牢獄、評定所、宮城県監獄署にまつわる隧道、特異な収容者(陸奥宗光)でした。
同一 食材でも 調理の仕方で 異なる料理になる。史蹟案内でも 同様と示されました。有意義でした。


質問を一つしました。
 松山屋敷(現仙台大神宮)は、幕末まで 家格一族 松山・茂庭家の屋敷であった。初期は迎賓館の用に供された。幕府の使者等が下仙した時、仙臺城ではなく、本屋敷に泊めた。との解説。

 さて、寛永13年6月23日(太陽暦1636年7月15日)の葬礼の際、宇和島・秀宗公と その次男 宗時公が参列をしている。
政宗公の長男と孫です。このお二人と随行の宿泊先は いずこですか。仙臺城ですか ここですか。教えてください。

渡邊会長から「わかりません」と言われました。
宇和島伊達家 に照会しないと 判らないのでしょうか。


帰路 瑞鳳殿に所用で立ち寄りました。期待している券売所付近は 変化しませんが 別が一段と紅葉していました。
平日 晴天 時の参拝をお勧めします。 



11 月 6 日 (日)  



霧 です。
ライト点灯 しなくては 危険です。城下も瑞鳳殿も霧の中とは 幻想的と 言い切って良いのか。

9時早々 続々と 参拝の方が見え ガイドを依頼されます。この天候では 参拝に見える方が少なく ガイドを依頼される方 居ないの予測は完全に 外れました。嬉しいこことです。11時30分迄 休む事なくガイドしました。

気づいたこと

0.懐中電灯 LSDライト 最大限に使用しました。涅槃門正面の麒麟彫刻等 天候の具合で 暗く見えません。
  スポットライト方式で 対象部を照らし 説明しました。非常に効果的です。 お客様 一発で捉え 理解して頂きました。

1.券売所よりのモミジは 色変化しません 進みません。でも 拝殿前 瞬発的に紅葉しました。 表紙に掲載しました。

2.観光の回復の兆しでしょうか。外国少年の集団参拝がありました。
  拝殿前で ウルトラマンの様なポーズで記念写真を撮影していました。
  先週の露西亜の親子様ように 大人・夫婦・若い人々と 続々 参拝が回復して欲しいです。

3.「毎日見て 親しんでいる 九曜紋 なぜ ここに飾られているの。なんか不思議」 奥様が語られました。
  九州・熊本から お出でになったそうで、「これ 細川様の家紋でしょう それがなぜ」でした。
  豊臣政権下以来 伊達家 政宗公と 細川家の親しい関係 家紋使用の由来を 説明しました。


本日のお客様 20-30分で 要点のみの方が多く 昨日講座での「極楽は東方に」の話しには至りませんでした。


午後 「四ッ谷用水を街並みに 市民の会」会合に参加。
BS歴史館 シリーズ 激論!戦国の真実(2)「華麗なる独眼竜・伊達政宗」が話題になりました。
見た人から 政宗公の生涯を簡潔にまとめていると 好評で 見ていない人からの要望で、再々放送の日程を 伝えました。

[チャンネル] BSプレミアム
[ 放送日時 ] 2011年11月10日(木)午前2:00〜午前2:58 [9日(水)深夜](58分)



11 月 5 日 (土)  



「佛のかたち 人のかたち 仙臺ゆかりの佛像と肖像彫刻」

標記が仙台博物館開館50周年記念特別展として開催されています。
関連し 午後 「仙臺 像と風景」と題して東北大学大学院 長岡龍作 教授が講演されました。
テーマは3本  趣旨とあかとんぼ の感想です。

1.十八夜観世音堂菩薩像と茂ケ崎山
 本仏像は、廣瀬川河畔長町の観音堂で、2007年に奈良時代末期に造られた東北地方でとりわけ古い木彫仏像であると確認された。
佛様の特徴を縷々語られ、何故 仙臺に伝来し ここに安置されたのか。

 像は承和2(835)年慈覚大師の作で、900年前「百代の里」に安置された。郡山が陸奥国府として機能していた時代  茂ケ崎山が宗教的に重要な意味を持っていた。飛鳥・石神遺跡における多武峯との関係に類似性が見られる
 十八夜観世音堂菩薩は 古代仙臺の人々が大事にした風景の中の像であったと想像される。

 数年前 ガイド仲間の勉強会で本観音堂をお参りしています。高層ビルの谷間に 見窄らしい観音堂があり、講師であったUさんが、「奈良時代末期に造られた東北地方でとりわけ古い木彫仏像である」と説明されました。当時の感想は 立派でない観音堂に 国宝クラスの佛像が あるのかな。半信半疑でした。

 展示室正面に 安置されていました。四方から お姿を拝めます。
慈覚大師が造られてから 既に1176年を経過しています。像に 加齢を感じました。


2.龍寶寺釈迦如来と栗駒山
  三国伝来の釈迦として著名な清涼寺釈迦如来像の模像である。金売り吉次が奉納したものを、綱村が龍寶寺に寄進したものである。
山形伝来寺、喜多方太田寺と東北には複数の清涼寺式釈迦如来像が伝わり、中世以降 生身の釈迦への信仰が広まった 。
生身佛の居場所 安置場所が大事な意味を持つ。
この間、須川温泉の大日岩、世界遺産指定から外れた骨寺村について 語られましたが、睡魔に襲われ 聞こえましたが理解できませんでした。

 龍寶寺で 特別に拝観を許された記憶はあります。今回 この重文指定の佛像が 本体と向背と分離し 展示されていました。お寺でお参りするのと 感じ・気分が 異なります。有り難味は どちら でしょうか。


3.瑞鳳殿伊達政宗公像と経ケ峯
 創建時の瑞鳳殿主要建物 [涅槃門・拝殿・本殿]の写真を壁面に映写、本経ケ峯に創建された経緯を説明。
「両眼を具えた肖像を安置し忌日に供養すべし」の政宗公の遺志の通り五回忌あたる寛永17(1640)年5月24日 両眼を具えた木造が瑞鳳殿に安置された。このように、肖像の姿、礼拝の日、安置場所という死後に肖像を巡って為される全てを生前に定めていた。
政宗公には 徳川家康の意識と共通するものがあった。

 瑞鳳殿の両眼を具えた肖像は、子孫を護る役割が期待され西向き〔仙臺城〕を向かれ安置された。では、墓室のご遺体はいずこを向いているか。東を向いています。

 あかとんぼ はガイドの際 「伊達家子孫の行く末を心配され 護る為 仙臺城 西の方向を向いています。 ご遺体は 仙臺城下 領民の安寧を護るため 東を向いているのでは」 と語っておりました。

 先生の見解は「瑞鳳殿の東方は仙台平野の向こうに広がるのは海・太平洋であり、その遙か東に金華山がある。政宗公の往くべき極楽は、朝日の昇る海の彼方にあると言う意識に基づいて 東向きに安置されたのでは」というものでした。

 極楽は 西方浄土 西の方角と理解していましたが、初日の出、旭日は 確かに希望を抱かせます。未来の希望の地 極楽は 東方にあるも 頷けます。明日からのガイド 変えたらよいのか 素直なオジイサンは 悩むのです。


 講座は パワーポイントを用い 語られました。
最後 締めの景は 青葉山 仙臺城から 瑞鳳殿・経ケ峯の先 太平洋から登る巨大な朝日でした。ヨイ写真です。撮りたい景です。 


 講座修了後、仙臺ゆかりの佛像と肖像彫刻 拝見しました。普段 容易に拝めない佛様 数々あります。
博物館ですから 祈りの場ではありません。 明るい照明の元 お賽銭箱は 当然ありません。佛像に接すると お祈りしなければ者には ・・・・の雰囲気です。

 講座90分、展示90分 高齢者の心身には 限界です。夕闇迫ります。復習用に図録を購入しました。
勉強会仲間の Uさん、Kさま KYさん に バッタリ会いました。みなさま 寸暇を惜しみ 勉強されます。敬服します。 



11 月 2 日 (水)  



雲一つ見えない秋晴れ

山梨県・長野県からの団体・個人のお客様が激増している。独占しているように 先月末から感じられます。 

仲間NKさんがガイドしている団体を誘導していたガイド嬢が降りてきました。

「どちらからのお客様ですか?」 「ハイ 山梨です」 「最近 山梨からのお客様 連続し 沢山 お見えなります。どうしてでしょう」

「山梨では 被災した宮城県民が 頑張っている様子に 〔応援しよう。観光の先は宮城に〕の声があるのです。我が社のバス 昨日・今日・明日と3日連続 この時間に 瑞鳳殿を参拝するコースを組んでいます。明日も あのガイドさんいるかしら」
誠に有り難い お話です。

ここに 夫婦・娘の3人。バスガイド嬢を向いて「ガイドお願いします」に 「ハイ 20分程度時間頂けますか?」 と返事したら、怪訝な顔をしています。

ガイド無料の看板を見て、制服から バスガイドがガイドと誤認したようです。熟女のガイドを希望したのに 爺様が返事したので 内心のシマッタ が表情に表れたのでしょう。

本殿でガイドが終わった頃は ご満足の様子。
「先月末 仙台に転勤になり 泉区に住まいが。両親が手伝いに来てくれました。今度 夫と来ます。その節は もつと詳しくお願いします」と 個人情報を交えて 娘さんからの挨拶。

「日曜日午前なら 私が居ます。何れ この陣羽織を着用しているガイドは 全て 私以上のベテランです。気軽 お声かけください」


瑞鳳殿でボラガイドをしている仲間は、会を作っています。 政党ではありませんから 綱領 はありませんが 会則はあります。
正式名称は 「藩祖伊達政宗公瑞鳳殿ボランティアの会」です。

会則では、11月の第3木曜日に 定例会を開催することになっています。開催について (財)瑞鳳殿の主任と 開催日時・内容等の打ち合わせを致しました。何れ 早い機会に (財)瑞鳳殿のご都合が知らされるでしょう。

打ち合わせ 終わった所で 携帯電話が。残念ながら ガイド中止 帰巣の途に。

なお 昨日 記載しました 「KAHOKUひまわりクラブなる小新聞」 どこで 入手出来るかの問い合わせがありました。
あかとんぼ 邑では 毎月末に近い日曜日 河北新報と一緒に配達になります。邑の専売所に尋ねたら 「好評につき昨日完売 しました」の返事でした。

(財)瑞鳳殿にも 配達されていない。初見 との返事でした。(財)瑞鳳殿には コピーして頂きました。
本紙については 「河北仙販 022-227-7121 又は http://www.senpan.co.jp/ 」まで





11 月 1 日 (火)  



政宗公

KAHOKUひまわりクラブなる小新聞が発行されています。ここに「ひまわり歴史講座 仙台万華鏡」なる頁があります。
今月NO307号に、興味深い記事がありました。

政宗公は秀吉、家康からも一目置かれた戦国武将、新田開発を奨励し、治水、築港にエネルギーを注いだ開発者、はたまた花鳥風月を愛でる文人、グルメ好きでもあった。いろいろな顔を持つこの人に魅力を感ずる信奉者は少なくない。
いつか、政宗 と書いたら 呼び捨てはいただけないと 手紙を頂戴した。

の要旨がありました。
あかとんぼ は このお手紙派です。ガイドの際も 本日誌も 政宗公と 公と敬称を付けています。ガイドするからには 最低限の礼儀ではと 思っています。


今 仙台に、宮城に 伊達 の文字が乱舞しています。 

旅行会社の企画 「伊達な旅」「政宗の遺跡をたずねて」 行政も同様 仙台市直営「伊達武将隊」 宮城県警「伊達な警察プロジェクト」「みちのくの伊達なマナーはゆずりあい」交通安全標語 NHKは 番組タイトル「てれまさむね」 

はてはて 何でもかんでも 政宗 伊達 は 如何なみのか。
伊達家御当主は お怒りにならないのか あかとんぼ はひそかに懸念しています。

本万華鏡の記事 締めで 「早稲田大学創立者大隈重信をほめればほめるほど、人材がいないことを証明している と発言し物議を醸したことがあった 大学と宮城県を入れ替えた」の記事があります。

本記事を書かれた 石澤友隆 先生は 元新聞記者と承っています。目線・切り所 流石です。共感します。





inserted by FC2 system