2012年12月の日誌
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12 月 30 日 (日)  



邑の門松

昨日 「伝統の邑の門松 見たいもの」 と書いた途端、邑人の親族(Uさん)の方から 「案内しましょう」と電話を頂きました。
年末の予定 全面変更し、お願い致しました。

アカトンボ邑 日の出前、薄暗い中 駕籠先に点灯 出達。U屋敷で駕籠を乗換え、大河を渡り、山々を越え 現場(いきいき交流センター大内)到着。センター前 芝の広場 中央に 瑞鳳殿の仙臺城門松 ソックリ があります。

設置者のSO様、地元史家SZ様から 数々 御教示頂きました。

○ ご覧頂いた門松が 古来・伝統のものです。但し、真ん中の注連飾り は若干 現代風です。
○ 真柱は、栗です。
○ 真柱を結ぶ 木。略式で竹を用いましたが、本来は橡(クヌギ)です。

○ 縄の結び目は、福結び です。 輪 が出来ています。
○ 鬼打木も 橡(クヌギ)です。
○ 苦を抜く・・・・・クヌキ です。
○ 3分割します。邑によって 6本 12本となります。閏年には13本になります。
○ 鬼打木の長さは、2尺5寸です。 炭焼き釜に入れる規格です。当地は炭焼きが盛んでした。

○ 注連縄の中央に飾るもの 当地では「ゲンダイ」とは申しません。
○ スルメ・昆布・炭等の縁起物も注連縄には 飾りません。
○ サンゴンと申して、鬼打木の3脚で作られた三角形に 旬の目出度産物を 供えます。人参・大根も供えます。
○ サンゴンとは、標準語の「三献」 です。

○ 此処の門松飾りは 特別で、早く飾られています。
○ 邑邑では、大晦日(31日)に門松を飾ります。御承知でしょうが 旧暦には31日はありません。
○ 門松は、神様を迎える為のものです。
○ 昔は松は、何処の山から採っても 咎められませんでした。神様を迎える物でしたから。今は山林の所有権が神様以上です。 
○ 旧家(400-500年に入植した家)では、門松を飾らない家もあります。それは 忙しくて飾れなかった故で、床の間に 松枝を飾ります。

最期に、「お宅の歳徳神様は、男ですか?女ですか?」の質問に、目 白黒。
アカトンボは、末子で 伝統を受け継いでいません、歳徳神様を祀る習慣もありません。男か女か 考えた事ありませんでした。

伊達領内で、男と女の神様の 支配地が分かれています。「北上の歴史 小野寺マサト著」を 御覧下さい。
伊達領内の門松については、仙台市歴史民俗資料館に詳しい先生がいました。
と御教示頂きました。

門松設置者のSO様、地元史家SZ様 年末ご多用の中 御教示頂きまして ありがとうございました。


この後、四ツ足門(丸森町指定建造物)・冥護山館跡・小斎鹿島神社等を Uさんに案内して頂きました。
Uさん 煤払い を後回しにして 巷の老人の願を叶えてくださり 唯々 恐縮です。感謝致します。




12 月 29 日 (土)  



門松

河北新報に5段で「仙台の伝統門松 復元」の記事が 企画した市史編纂室の倉橋さんと思われる美人と門松の写真 とともに掲載されています。
WEBでは、http://www.kahoku.co.jp/news/2012/12/20121229t15024.htm です。

朝1発 「儂の邑では、廃れずに この通り 飾っています。写真みてけさいん。

URLは、http://ikiikiouchi.web.fc2.com/

名称は、いきいき交流センター大内
所在は、宮城県伊具郡丸森町大内字町西7
電話は、0224−79−3151 

儂の屋敷にも 今年も飾った。見にけさいん」

と、本人の親族を介して連絡がありました。

瑞鳳殿と同じです。(写真 拡大できません が、玉に傷)

仙臺城から ○○里離れた山郷(?)に、伊達家の文化が連綿として 続いているのです。感慨ひとしお です。


見に行きたい。
明日以降の天候は? 
明日午前は ガイド納め。それから行けるか?
年末年始4日迄 遠出は不可。何時まで飾っているかな?



12 月 28 日 (金)  



ガイド募集

仙台市政だより 2013年1月号 14頁に

募集
瑞鳳殿ボランテイアガイド募集

活動内容=観覧者への展示解説など
対象=2月に行はれる養成講座(全4回)に参加し、修了後にボランテイアガイドとして活動ができる方20人程度[抽選]
申込=電話またはファクスで(応募内容・住所・氏名フリガナ・電話番号記載) 1月20日(必着)までに
(公財)瑞鳳殿 電話 262・6250 FAX262・6251
問合=観光交流課 電話214・8259

以上の様に掲載されています。

座学は、(公財)瑞鳳殿学芸員です。
実技は、ガイドの会 会員です。

4月からの デスネーションには、共に 瑞鳳殿でガイドする絶好の機会です。応募 お待ちしております。



12 月 26 日 (水)  



門松

門松は、門の前に立てられるから 門松。

瑞鳳殿であれば、順番で、
1番は 昔に門があった 東西参道登り口、
2番は、瑞鳳殿境内の門があった 現62石段登り切った所、
3番が、涅槃門前。
4番が 本殿唐門前 現西海波門前。現在 参拝者に 一番アピールする場所です。
5番が、感仙殿の登り口です。

アカトンボは かように考えます。

今回、資料館前に設置したのは、「仙台市内の歴史文化施設が参加する「仙台歴史ミュージアムネットワーク(歴ネット)」の企画で、年が明けると仙台市博物館、仙台文学館、仙台市歴史民俗資料館に 移動すると聞いています。

これらから、アカトンボの単純思考でない、関係者の「余人には 計り知れない考え・事情」があってでしょう。


仙臺城の門

何処の門に飾られたか。倉橋真紀さんの「仙台城の門松」によれば、
両御丸所々御門19門が通例の設置場所と考える。

本丸外郭と内部。
@大手門 A本丸詰門 B酉門 C中門 D埋門 E切通門 F御成門 G塀重門 H巽門 I清水門 J沢門 K子門

二の丸外郭。
@二の丸詰門 A台所門 B切手門

計15門となります。 さて 残4門については記述がありません。
尚、2月にも 根白石の門松上人から お城に 納められた記録があると記述しています。


政宗公と根白石

寛文10(1670)年には 47組分が献上されている。何故かはまだわからない。
政宗公は、秀吉により 岩出山に転封になった際 敬愛する祖母栽松院を根白石に住まわせている。
約30年後 母保春院を山形から引き取って、まず移した先が根白石。
川狩りに根白石にしばしば訪れている。
根白石の萬興寺に旅宿「御仮屋」を設けている。

政宗公にとって根白石は、城からほどよい距離にある慰安の地の認識があったのでは。
たびたび訪れ地元民と親しむ機会が増え、門松献上につながったのかもしれない。

以上の様に、菅野正道さんは、著書 「せんだい歴史の窓・216頁 門松を飾る 歳コ神招く独自の形」に記述されています。

22日日誌に記載した 菅野さんから 所感

「仙台の伝統的な門松に出会って10年以上、ようやく実物を見ることができたことを大変にうれしく思っています。
また、最初の門松を、伊達政宗が眠る瑞鳳殿に立てることができたこと、何よりでした。
そして根白石の旧家の方が手作りされた飾りをつけた門松を見て、根白石が好きだったに違いない泉下の政宗も、きっと喜んでいると思います。」


「根白石が好きだったに違いない泉下の政宗」と、著書にずばり書かれていました。なっとく。



12 月 25 日 (火)  



門松

URL http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20121224-OYT8T00983.htm
で、昨日 取材の 門松の記事が読めます。
写真入りです。



12 月 24 日 (月)  



夜来の雪 凍結しています。
路面は凸凹でアラスカ雪原?状態。

瑞鳳殿 参道の中央部に融雪剤が たっぷり散布されました。
なぜ、中央部に限定し散布するか?  融雪剤による塩害から 花木を守る為です。

11時頃 融け始めました。氷の下に融けた水が 膜を張っています。下り階段は特に滑り易いです。
降雪のない、凍結しない 地方からの御客様は 無知・無頓着です。
滑り落ち 腰を打ってからでは 遅いです。ひたすら 注意を喚起しました。


若い時 麓に住まいしていた3世代、6月以来福岡からのリピータ、静岡に住まいして久能山東照宮を参拝した事のない方と 参拝者 続々。


本日も 復元 門松 重点ガイド。

皆様 「初めて見ました」 「150余年前 殿様の時代のものですか、流石 仙臺ですね」 の 感想が聞かれました。


仲間の言
「門松製作指導された 根白石の熊谷さん 私の先生です。根白石付近の中世の城 探検隊の先生です。門松の先生とは知らなかった。見事です」

仲間の言 その2
「ケンダイ との呼称 初めて知りました。仙台固有の呼び方ですか。中身の炭は 縁起物ですか?」

仲間の言 その3
「根白石邑から 態態 門松を見に見え、解説版を見逃して残念と申しており 案内した。
どうして、目に入る 読み易い位置に設置しないのでしょうか? こらから 進言してきます」

「どうぞ」
設置者には、余人には 計り知れない考え・事情があるようです。

マスコミ
某中央紙仙台支社の取材があり、ケンダイの袋が 特別外され 撮影されました。
静岡・石巻からの美しい方が モデルに 位置を変えながら 様になるカットを求め 連写し コメントを求めていました。

宮城県版に掲載されても 見れない パソコンで見れるか 静岡の方 再三 尋ねていました。


結果的 4日連続ガイドになりました。週末のガイド納まで ガイドは休みます。日誌は書きます。



12 月 23 日 (日)  



天皇誕生日・日曜日・温暖

参拝者は、家族から団体迄、 小から多人数迄 続々。

静岡から20人の引率の若い女性。10月中旬頃 3.11被災地慰問の帰路 参拝された方です。ガイドした記憶あります。
「先日はドーモ。仲間を連れて来ました。今日は私が ガイドします」
「ありがとうございます。また、引率お願いします」


「ガイド御願いします」 本殿前で 終わった途端の声かけ。
どこか 外れた日本語。アカトンボの発音も時々外れます。 外れ同志?

「私の日本語 わかるでしょうか?」 「ゆっくり・簡潔に 話して下されば」  では。

「所で 中国の方ですか」  「そうです」  「どの辺から?」  「南の方」  「福建省ですか」  「ハイ どうしてわかりました」
4人連 若い女性が 男性3人に 解説・伝えたいました。

女性は 徳川家康・豊臣秀吉・徳川幕府 知っていました。中国人は日本史を学習してから訪日するのかな?
タネあかし 東北大学大学院生で、故郷からの男性旅行者を案内している途中との事。
瑞鳳殿(殿様の御墓、絢爛な色彩等)についての感想は聞けませんでした。


9時から12時迄 休時間なしのガイド。やはり3連休の中日です。仲間3人も同様。


仙臺城 150年前にタイムスリップ 門松
本日 は 目玉として 積極的に説明。

鎌倉・静岡・宇都宮・白河・横浜・大阪に中国福建省からの 老若男女 皆様 「初めて見ました」異口同音でした。

質問がひとつ。

「なぜ、資料館前に 飾ったのですか?」

ご尤もな質問です。本殿 青海波門前と拝殿との間の参道に 設置されれば 否応なしに 目に入ります。
何か 故事があり 拘れたのか?

瑞鳳殿担当学芸員 不在で、明日確認致します。



12 月 22 日 (土)  



御城下は雪降りです。
仲間4人揃いましたが、異口同音 「我が屋敷出達の際 降っていなかった。ご城下は 悪天候だのう。各々方」でした。

御客様の出足も 今一歩。今日はガイド実績 ゼロを覚悟しましたが、「一人でよいですか?」に救われ 5人でした。


本日 目玉を 仙臺城門松に置きました。

姫路からのご婦人
「ケンダイ 私どもでは、干し柿 8個吊るします。柑橘類は飾りません」

現在の門松に 柑橘類が飾られるのは 彩が良く 長持ちするからで 物量が発達し 低価格になった近年からでは ないでしょうか?
干し柿は、容易に手に入ります。でも、干し柿を吊るす はアカトンボは初めて聞きました。御客様にお礼申し上げました。

寒河江からの高齢者
「慈恩寺境内で遊び、五重塔の法輪迄登った。でも この門松は記憶に無い。伊達家特有では?」

八戸からの高齢者
「初めてみました。 昆布・スルメ・炭は用いていました」

仙臺市内のご婦人
「私の先祖は、小牛田・五島家の家臣でしたが、我が家での記憶はありません。1955年頃、小田原(仙台)で見た記憶あります」

読者の男性
「我が古里の、伊具郡金山 中島家2000石の領地 大内邑(天保5(1834)年幕府に報告した陸奥國郡邑高調拝領高1205石77升)の旧家では、写真の通りで 1952年頃迄 飾られていました。

笹は 豊富にあり、.鬼打木は 炭焼きの原料の板でなかったかな。いすれ 容易に手に入るもので作っていました」

当然 屋敷の門前に飾られていたのか と ケンダイ 何々であったか? は聞き洩らしました。


明日以降もガイドの際 御客様に 聞き取りをします。


「TVで門松を知ったので来た。でも、入場料は払いたくない」と 帰られた 御客様がいたと 事後 仲間から聞きました。

このお客様。元日に お出でください。
元日は 無料開放になります。また、ケンダイは 風雪で汚れ無い様に 透明な袋に入っていますが 元日からは 直視出来ます。



瑞鳳殿では、ブログ「瑞鳳殿 四季折々」( http://bonten-maru.blog.ocn.ne.jp/zuihoden/2012/12/post_6ae2.html)に、「仙台藩で飾られていた門松」として 記載しております。ご一読下されば幸いです。

「仙台市内の歴史文化施設が参加する「仙台歴史ミュージアムネットワーク(歴ネット)」では、今回、この仙台の伝統的な門松の復活と飾り付けを行います。

年内は瑞鳳殿だけですが、年が明けると仙台市博物館、仙台文学館、仙台市歴史民俗資料館などで同様の門松を見ることができます
藩政時代の門松を見に、瑞鳳殿に来ませんか??」の1文が記載されています。



博物館の 菅野さんから 所感を 頂きました。感謝です。

「仙台の伝統的な門松に出会って10年以上、ようやく実物を見ることができたことを大変にうれしく思っています。
また、最初の門松を、伊達政宗が眠る瑞鳳殿に立てることができたこと、何よりでした。
そして根白石の旧家の方が手作りされた飾りをつけた門松を見て、根白石が好きだったに違いない泉下の政宗も、きっと喜んでいると思います。」


政宗公フアンの皆様 是非 瑞鳳殿にお出でください。御覧下さい。23.24日の午前アカトンボ お待ちしております。




12 月 21 日 (金)  



仙臺城の門松  150年タイムスリップ

仙臺城で飾られた門松が、瑞鳳殿に再現されました。
瑞鳳殿資料館玄関に、仙台市史編纂室室員 倉橋真紀先生と 根白石の熊谷さん の指導で、再現されました。
この企画は「仙台歴史ミュージアムネットワーク」(通称:歴ネット)の活動として実現したもので、15日の講座で予告されていました。

誠に 立派なものです。表紙に写真を掲載いたしました。

一目に値します。
幼少の砌 我が家でも この様に 飾っていたと 思い起す機会になると思います。
思い起しましたら ドコソコで 最期に見たのは 何年頃と お知らせください。


市史編纂室員の倉橋真紀先生は、市史の地域史で根白石の担当され 数年前から 根白石に入込 民俗 を調査していました。

其の成果の一部として、(市史せんだい 2010年9月発行 20号)に「仙台城の門松」と題する17頁に渉る 論文を発表されました。
現象化されました。

詳しい事(仙臺城内の門松の位置。型。門松上人。門松の御用を始めた時期。材料調達。)は論文をお読み頂ければ幸いです。
要旨は、門松説明版にも記載されています。


門松について 写真が一目で 全て御理解頂けるでしょうが、念為 解説文の1部を。

1.真柱(しんばしら)
 飾りをくくり付けるための支柱で 主に栗の木だ用いられる。
 ◎ アカトンボ 目測 3m高

2.三階松(さんかいまつ)
 3層に枝分かれしたまつで、現在は基本となっている。まれに五階・七階の松が使われる。
 ◎ 三階松です。

3.笹竹
 三階の松の上に取り付けられたり、松と松をつなぐように横に渡される例がある。
 ◎ 松の上に取り付けられています。

4.鬼打木(おにうちぎ)
 真柱の根元を、数枚から10枚前後の板や割木で巻き付けるものです。また、巻き付けずに数枚の板を横向きに縄で結んで真柱の下の方に垂らす事例のあります。
 ◎ 割木で巻き付けられています。

5.ケンダイ
 松と松の間に注連縄(しめなわ)が張られ、その中央には「ケンダイ」と呼ばれる飾りをつけます。
 ケンダイには、スルメや昆布、柑橘類、炭などの縁起物が取り付けられます。
 ◎ 炭・スルメ・昆布は紙で包まれ 見えませんでした。
 ● 柑橘類・海老は 今回採用されていないそうです。





12 月 20 日 (木)  



仙臺城の門松

仙臺城で飾られた門松が、瑞鳳殿に 本日 再現されました。
仙台市史編纂室長菅野正道先生と同室員倉橋真紀先生の指導で、瑞鳳殿資料館玄関に設置作業している様子がNHKTVが 伝えています。

明日確認の上 続きを。



12 月 19 日 (水)  



綱宗公の画

ご承知のとおり 綱宗公は万治3(1660)年 故あり逼塞を命じられ、若狭守と称し 終生 広大な品川屋敷で、莫大な隠居料で 終生を優雅に過ごされました。

画においては、師匠 狩野探幽を越えたとも言われたそうです。

公益財団法人瑞鳳殿では、「芸術家のお殿様 伊達綱宗と その師狩野探幽」のタイトルで企画展を 今年10月20日から11月25日迄 資料館で開催しました。

展示したのは、綱宗公の弁財天・牡丹図の三幅対 と 探幽の白衣観音龍虎図です。 
四幅を並列展示し、師匠と弟子と 其の作品の相似性、出来映を 見比べさせる 心憎い展示でした。

アカトンボが ガイドした際 お客様は 「ウーン」と唸っていました。

この四幅を所蔵するのは、社会福祉法人共生福祉会 福島美術館です。
昨年の3.11災で 被災し 広く寄附を募り 再建し 本日再開館しました。お招き頂き 拝見して参りました。

綱宗公の弁財天・牡丹図の三幅対 と 探幽の白衣観音龍虎図は、別室に展示され 師匠と弟子の関係の説明はありませんでした。
美術館です、照明の具合も良く、鑑賞の感想は なるほど でした。

伊達家 関係では
1.伊達政宗公書状   喝食丸宛
2.伊達政宗公書状   茶の湯の稽古のこと
3.伊達吉村賛      安倍貞任/宗任図
4.伊達重村       和歌手鑑短冊帖
5.歓心院(重村正室) 和歌(江月) 

が展示されていました。 

小林学芸員に、展示替されても 綱宗公の作品は 弁財天・牡丹図に限らず 展示して頂きたいとお願いしました。
なぜ の反問に 「善應殿でガイドした際 綱宗公の作品に ガイドが及んだ際 福島美術館では 必ず 展示しています。ぜひ」と申せるからです。理解した様です。


福島美術館の所在は、仙台市若林区土樋288-2 電話022-266-1535 地下鉄 愛宕橋下車3分 駐車場は裏にあります。
70歳以上 入場無料です。


余禄
再建寄附は 600人から 700万円 寄せられたそうで、その1部の方のみ 名前が貼り出されています。
広大な品川屋敷の面積は、仙台市史近世2.546頁に 1717年 33.780坪 と記載されています。 
莫大な隠居料は、 善應殿伊達綱宗の墓とその遺品20頁に 10万石 と記載されています。
宇和島伊達家と 同額はあり得ない とアカトンボは思っています。



12 月 18 日 (火)  



ガイド希望 募集

瑞鳳殿ガイドの会では 常に仲間を求めています。

来春2月に ガイド養成講座を 仙台市観光交流課と公益財団法人瑞鳳殿の主催に 瑞鳳殿ガイドの会も参加 開催いたします。

瑞鳳殿学芸員が伊達家の歴史等の座学を、 ガイドの実技は ガイドの会会員が担当致します。

4月からの デスネーションキャンペーンでは 仙台市の主戦場は 瑞鳳殿の経ケ峯です。
講座終了後、即 ガイドとして活躍して頂きます。

ガイド終わった時 御客様から「ガイドさん見所を教えて頂き、得した気分。楽しかった」と 言われると 嬉しいです。
社会の一齣として 役に立っているの自信と健康管理になります。

その様なガイド活動出来る様に 懇切にお手伝い致します。

応募の詳しい内容は、元日配布の仙台市「市政だより 1月号」を御覧ください。

なお、他の団体に参加している方でも 参加出来ます。門戸は広く 開かれています。
講座に参加する事は 瑞鳳殿で 常にガイド活動出来る方と 理解しています。 



12 月 17 日 (月)  



曇りで寒気厳しい日

大崎八幡宮で 有料ガイド団体の勉強会が、瑞鳳殿ガイドの会副会長Uさんが講師となり 開催されました。
毎年開催しているため 新鮮味を出せないと 当初指名された方が突然辞退、保険会社調査人並の調査能力があるとの評判のUさんに 御鉢が回ったとのうわさ。

噂に違わず 調理人が変われば 同じ素材でも 見事な料理になるを 実証する説明と資料でした。

楽しい勉強会でしたが、残念な事

1.資料の彫刻図 (日光東照宮眠り猫、大崎八幡宮にらみ猫。鳳凰・日光東照宮、瑞巖寺、大崎八幡宮) カラーでなく白黒であった事。

2.社殿前に巨大お賽銭箱設置工事中で、長床で停止線が設置され 豪華華麗な彫刻が見られなかった事。


二の鳥居前 太鼓橋の下を流れる 「四ツ谷用水」について、(四ツ谷の水を街並に 市民の会)幹事のアカトンボが 概要を説明致しました。

大崎八幡宮と四ツ谷用水の関係は、伊勢神宮と五十鈴川の組合せ と同じと 「清めてから参拝する」と アカトンボはみています。


菅野先生のフアンながら 昨日の講演を 所要で拝聴出来なかった Uさん と Nさんに資料写を差し上げました。

ら。

「いまに生きるまつり文化 仙台三大まつりと藩祖伊達政宗」と題する 仙台市歴史民俗資料館佐藤雅也先生の講演資料を瑞鳳殿ガイドの会副会長Nさん から頂きました。

興味深い内容です。

以下 アカトンボの当座のメモ

1676年綱宗公は 儒教思想に基ずく祖先祭祀を確立
1683年綱宗公は 佛教(禅宗)に基ずく祖先祭祀に転換 

1685年50回忌、1735年100回忌、1785年150回忌、1835年200回忌 の法要は江戸・東禅寺、瑞巖寺、瑞鳳寺で催された。
1935年 没後300年祭 青葉神社、瑞鳳殿、瑞鳳寺で催された。
1985年 没後350年祭は 第1回青葉まつり として開催された。(仙台藩志会会員 各家家紋の裃着用、提灯持参し瑞鳳殿参拝)
2035年 没後400年祭は 23年後である。



12 月 16 日 (日)  



快晴温暖

瑞鳳殿の涅槃門に門松と幔幕(紫地に伊達家家紋)、拝殿に幔幕が張られ お正月を迎える用意がととのいました。
門松は、1対 時価15万円 と噂されています。 

御客様の出足は遅遅。
その中での1番。2世代2夫婦とみましたが?

「お時間は?」 「幾らでも、駅伝始まるまで」 「どちらから?」 「群馬県から」
禅問答のようです。

全日本実業団対抗女子駅伝が12時15分 松島町をスタート 42.195kmを 6区間を繋ぎます。身内がホクレンのアンカーとして力走するので応援に仙台にきた。それまで時間あります。が正解でした。余暇の活用での参拝でも歓迎です。

瑞鳳殿・弔魂碑・感仙殿・善應殿・妙雲廟界迄 ご案内。
瑞鳳殿本殿では、お賽銭に 硬い硬貨 ジャラジャラと納め 善戦を祈願されていました。

「駅伝6区は 仙台2高が中継点です。仙台2高こ到る道路が13時45分から14時25分迄、 交通規制され ループルバスの運行ストップです。
仙台城址 見学して間に合います。本丸から三の丸まで 歩いて降りると バスより早い可能性あります。
お身内(選手)の善戦を期待しています」 

速報では、政宗公に善戦を祈願されましたが、ホクレンは29チーム中24位でした。
政宗公の加護が無ければ 果たして・・・・・・・


この後 2組6人ガイド。かろうじて2桁10人でした。(量より質です)

Y嬢 先日 1日に1人 を記録したそうです。
相性が合致 妙雲廟界に続いて 麓の伊達の郷土料理店にて オクズカケとズンダ餅を 共に食した と語っていました。


交通規制前 仙台市博物館に移動し昼食。
仙台歴史ミュージアムネットワーク主催講演会に。

受付が「江戸の旅」を担当された坂田美咲学芸員。手隙の様子

{企画展「江戸の旅」 莫大に 展示資料集められました。見るのに疲れましたが勉強になりました。

講演・図録で 江戸時代 瑞鳳殿を一般人が参拝していた事実を知り、驚き 仲間に  伝えたら 漣(サザナミ)が置きました。

瑞鳳殿拝観のお礼に 20銭 72銭を払った記述には、 銭は明治以降の貨幣単位であり、幼少のみぎり 「1銭店」と称される店 父は「1文店」と称しました。此処で「銭」で買い物しており 違和感がありました。これは 菅野先生から「銭20文」と御教示頂きました。}と。

坂田先生から「アレー。(誤記されたか 気づいていない様子)。御客様 何年生まれですか? 「銭」をお使いとは? 私 その様な店 経験ありません。来春 素晴らしい内容の特別展 開催します。お楽しみに」と。

20代の若さで、年寄りと嫌わずに 爽やかに応接してくれる愛嬌に、数々の特別展を担当し成功させる能力の坂田嬢と 若手に担当させる管理職の肝に 敬意を表します。

特別展は、「若冲(ジャクチュウ)が来たくれました プライスコレクション・江戸絵画の美と生命 2013年3月1日―5月6日」です。


講演は、
「器のあれこれと移り変わり・食卓の風景」市文化財課木村浩二先生。
「住まいの移り変わり」市史編纂室長菅野正道先生。

木村先生は 自称発掘屋 旧石器時代から現代に至る調理器具から食器の変遷から文化の推移を。

菅野先生は、普段と視点を変えて、江戸時代から現代に至る 城に武家・百姓・商家。明治以降の住宅の変化から歴史の理解の仕方を語られました。

身近な・思い至る事柄があり、アカトンボの体験した事柄が 歴史として語られるようになったと 実感しました。
伝統的と考えられていた行事等が そうではない、明治期に始まる例が少なくない。年賀状・門松・・・
昔の門松 博物館と瑞鳳殿に 飾る予定 お楽しみに。

多くの方々に聴いて欲しかった内容でした。日が悪かった。



12 月 15 日 (土)  



アカトンボ屋敷を出陣しようとしたら大雨です。
傘をさしてのガイドは、御客様もガイドも 双方満足が得られません。急遽中止しました。

午後 宮城県図書館に。3階図書室までの階段の途中 2階展示室にて小憩。

館所蔵 貴重資料(レプリカ)展。
禽譜・金蟲譜 堀田正敦編を見ていたら ガイドがスーと寄って来て語り始めました。
朝から 初めての観覧者だったのでは。適宜なカモが来たと 話かけたと思われました。

県図書館は伊達宗弘館長時代から 堀田正敦を売り出しており、下野佐野の領主で幕府若年寄42年務めたと説明されていますが、伊達家6代宗村の8男(1説に17男)とは あまり説明されませんが どうしてでしょう。
伊達領内の図書館です、政宗公の末裔と 大声で語るべきと思います。

国指定重要文化財「坤興萬國全図」 館所蔵原図は6幅の軸装を屏装されたは理解しました。レプリカは どの様にして作成したのですか?
写真撮影ですか?

以上を眠気覚ましのガム代わりにお尋ねしました。
「日誌記載します」と 軽く往なされました。

御客様からの 質問・提言には この様に答える方法があるを発見しました。



12 月 14 日 (金)  



恒例の煤払い

瑞鳳殿では、毎年12月14日 伊達家御当主陣頭指揮で煤払いが行なわれます。
今年も 伊達武将隊(道化師)が参加し 行われました。

恒例行事 故 昨日の打合会では アナンウスはありませんでした。仲間のどなたか参加されたか?テレビには 映っていませんでした。アカトンボは所要の為不参加です。


届出

仙台市長・観光コンベション協会に 会の名称変更届を持参提出しました。
来春のデスネションキャンペーンの広報に 間に合うとの事。

情報として
観光コンベション協会。 制作中の ガイド団体紹介ホームページは 1月14日公開予定。
確定次第 URLを 連絡するとの事。あり次第 お知らせいたします。

市観光交流課。 瑞鳳殿を主題にした 観光情報の取材申し込みが続々入っているとの事。
ガイドのユニホーム 「五色乱星模様陣羽織 襟に瑞鳳殿ガイドと明記」を着用 背モデル努めますと、売り込みして参りました。


情報
昨日の会議は、13時30分から15時迄と90分限定の中で 2会議です。短期集中型です。各自バンバン発言します、でも 時間内に纏りましたのは参加者が高素質である証拠でしょうか。

会間に貴重な資料・情報を頂きました。有難い事です。

@ 靖国神社の成立。
  東京招魂社に明治2年6月官軍戦没者2588名が祀られたを記載した靖国大全の関係部。
  戊辰の役弔魂碑 前で説明しても 戊辰の役を知らない世代が多くなってきたので、念の為と。(U翁)

A 仙台城址石垣復旧工事・片倉家仙台屋敷跡 の発掘調査 12月9日仙台市文化財課主催 現地説明会資料。(U翁)

B. 住吉大社手水舎に卯。
   瑞鳳殿の手水舎に 龍 吐龍がいます。全国同じではなく、大阪・住吉大社の手水舎には 卯が。吐卯 の写真付き。
   由来は 神功皇后が祭典された日が卯の日であった故。(Y嬢)

C. 政宗公叔父国分盛重 佐竹家横手城代物語。
   ミニコミ誌掲載で 以後 発行の都度 持参します。有難い。(S嬢)

   、





12 月 13 日 (木)  



「瑞鳳殿ガイドの会」と なりました。

瑞鳳殿 無料ガイドの団体 名称変更。

本日、公益財団法人瑞鳳殿会議室にて 臨時総会を開催。
「藩祖伊達政宗公瑞鳳殿ボランテイアの会」の名称から 端的ズバリの名称に、併せて「会則」の改正を行いました。

明日 仙台市長(観光交流課)と仙台観光コンベション協会に 届け出します。


本日午後、公益財団法人瑞鳳殿役職員(6人)と瑞鳳殿ガイドの会会員(14人)との打ち合わせ会が公益財団法人瑞鳳殿事務局長室で開催されました。 

報告として

1.事業実績(4-11月)。
  催事開催状況・参拝者数の動向。
  興味のある参拝者数は、11月末12万人と平年の70%迄回復した。

2.ボランテイアガイドの養成。
  来春2月 「瑞鳳殿ガイドの会」と共催で開催する。
  講師は 瑞鳳殿学芸員と貴会会員で、20名程 市政たより1月号で 公開募集する。


懇談として 次の様な要望・意見が 会員から出された。

1.3.11災で脱落し地中に垂直に刺さった避雷針の先端部分 避雷針修復しても 震災記念として 存置して頂きたい。
 尚、早期修復しなくとも 本殿等に落雷・火災の危険はありませんか?御客様から質問を頂いております。


2.涅槃門の菊紋 破損していますが原因はなんでしょう。
 施行不良では? 保証期間内では?


3.仙台駅に従前 瑞鳳殿の大ポスター があった。最近見かけない。掲示を検討してください。


4.瑞鳳殿とは 何か知らないで ループルバスに乗車されている観光客が います。
 「瑞鳳殿は政宗公の豪華な廟です。拝観料100円割引になります」 運転手のアナンウスは 効果あると思います。
 関係機関に申し出られたら如何ですか。


5.本殿寶筐印塔の殉死者説明板 消えかかっています。書直しを検討中とおもいますが、殉死について と 墓では無くて供養碑である旨 明記して頂ければ。


6.入り口 高橋是清翁筆の石標の文字が 植栽に隠されています。見える様にして頂きたい。
 伊達家家臣の末裔であり、日本の近代化の偉人であり、新聞小説として伝記が掲載されています。これらから関心が高いので。


7.経ケ峯歴史公園は、市街地にあって 貴重な動植物の宝庫です。その表示が資料館と御子様御廟にあります。
 御子様御廟の掲示が 現在マスクされています。折角の表示です。御客様が見える様に 検討してください。


以上について 予算的制約のあるものは 別として 貴重な提言として 検討させて頂きますと 前向き回答を頂きました。



12 月 11 日 (火)  



「伊達男」と「イケ面」はイコールか?

巷間では、よい男を「伊達男」と言い、語源は政宗公にあると。近年 面相のヨイ男を「イケ面」と称するらしい。
さすれば、「イケ面」と称される男は「伊達男」か?

政宗公は、「イケ面」なのか?

先般、有料ガイド団体の寄合で、これを話題にしました。
実は、同年配の日本人以上に日本史に精通している 外国嬢から 問われ 往生していました。

参加者には、瑞鳳殿に仙臺城本丸でガイドして居る人も居て、喧々諤々となりました。

結論として、政宗公は、「伊達男」であっても「イケ面」では 無いとなりました。

その理由として、
イケ面の定義は、各人各様でしたが、共通認識として 顔の造りは良い、しかし、知性・教養が軽薄である。
伊達男とは、顔の造りでは無い。知性・教養があり、内面がから湧出する熱気を持つ輝く男、政宗公の様な男を指す。

「伊達男」と「イケ面」とは、似て非なる者 となりました。

有識者の言

「伊達政宗」小林清治著92頁

文禄元(1592)年3月17日秀吉の命で、名護屋に向け京都から出陣した。
1番隊前田利家 2番徳川家康 3番伊達政宗 4番佐竹義宣。
伊達勢は、紺地に金の日の丸の幟30本、鉄砲100挺、弓50張、鑓100本が列を連ね、馬上30騎。雑兵交えて3000余人。

幟持および鉄砲・弓・鑓の各足軽の具足は、黒漆で前後に金星をつけ、刀・脇差の鞘は、櫂棒形に作って銀と朱に塗り、笠は長さ2尺におよぶ金のとがり傘である。
馬上侍の具足は全て政宗から拝領した毛色華麗なもの、母衣は黒色で金の半月印をつけ、馬にはそれぞれ豹・虎・熊の皮あるいは孔雀の尾などの馬鎧をかけ、いずれも黄金装の太刀大小を帯びた。

このいでたちに 他家の行列に驚かなかった都びとが口々に?声を惜しまなかった。

派手な振る舞いに対して「伊達をする」といい、またその人を「伊達者」と呼ぶことは、この時から京童の間に始まった。


「要説宮城の郷土史続」仙台市民図書館編313頁

伊達男と伊達政宗とは、全く関係ありません。如何にも尤もらしいこじつけです。世間にはかなり流布されているが、何ら根拠はない。

wikipedia
イケメンは、日本語で美男子を指す俗語である。広辞苑第6版では「いけ面」という表記もある。一般的に美形で、顔が格好いい男性のことである。「イケてる」+「面」または英語「men」の意味。定義や基準は、人それぞれである(年齢、清潔感など)



12 月 9 日 (日)  



終日 雪降りです。
瑞鳳殿は雪景色。銀世界です。

静岡県(久能山東照宮)・栃木県(日光東照宮)と 瑞鳳殿(桃山様式の御霊屋)所縁の地からの御客様が相続いて参拝に見えられました。
国外からも 何故か 何組10人以上もの参拝客がありました。中には 手水舎で古来の作法で清めている方もおりました。驚きです。

手水舎の吐水龍 今朝 凍結・断水に。S整美員 薬缶の熱湯で 龍頭を温めました。シバシヨ待つ事。暫くして 「ポッン」 龍が 長くて 透明で チュウブ状の氷塊を吐きました。 手氷舎 です。

今晩から 凍結防止に 垂れ流し かな? 手氷舎は今朝限の限定版でした。

中峯に紅葉が1本 残紅です。周囲の樹木には雪が積もり 真っ白です。
白地の真ん中に朱紅 日本國の国旗に見えます。「白地に赤く日の丸」

某外国の方が 「アッ 日本国旗 みたい」と叫ばれました。国家・国旗意識の高い方です。
日本人は 写真を撮っていますから 気づいているでしょうが、 慎み深いのか 無言です。 


米国陸軍将兵をガイドした際、寶筐印塔の説明で 殉死 を通訳が難儀していて アカトンボ 思わず 手刀を切りましたら 「オー切腹」と一瞬で理解されました。
本日は、かような難しい ご質問はありませんでした。思い出すまま。

◎ 政宗公は ナンデ亡くなったか。
  質問の趣旨に迷いました。自然死・病死・事故死・戦死 それを聞いているのか?・・・・

  「噴門癌です。腹膜炎を併発しています。 行年70歳 満68歳9ケ月です。」


◎ 癌は 昔からあったのか?最近の病気でないのか?

  「癌と 言ったかは知りませんが昔からあったようです。胃癌は 触診で診断し 告知している様子 学術書か小説か 定かではありませんが 読んだ記憶があります。

  政宗公の日々の食事・体型の変化等の記録があったそうで、その記録を分析すれば 専門のお医者様は 病名を着けられでしょう。


◎ 瑞鳳殿で描かれているのは 現世に存在しない 動物園に居ない 御目出度い動物(麒麟・瑞鳥・飛天・亀甲・唐獅子)と説明されたが、向揚羽蝶は なぜ 描かれたのか? 日本では 御目出度い動物ですか? 

 「ウーン わかりません。勉強します。おわかりなら教えてください」



仙臺城本丸北西石垣は、3.11災で崩落した個所があります。
現在、仙台市文化財課で修復工事が進行中です。本日10時から 現地で市民対象の説明会が開催されました。
10時 Uさんから「見えないがドーシタ」と電話頂きました。

7日夕の大地震、8日の爆弾低気圧 での交通機関の乱れ と今朝の大雪に ナンノソノ と 大挙の参拝客です。なぜか 仲間 見えません。孤軍奮闘です。仙台城跡に駆けつける状態ではありません。

270年前の石 どんな状態であったか 市の報告内容を10日 教えて下さい と頼みました。



12 月 8 日 (土)  



積雪2cm。駕籠の雪下ろしの為、遅刻。
アカトンボ邑から 隧道を抜け御城下に入ると 初冬から 晩秋の世界。

瑞鳳殿の雪景色撮影を期待したが裏切られた。雪は皆無。
ブツブツ 言っていたら 南の在からの仲間 「アカトンボさんは北国ですナ」  反論できない。

午後 ある歴史勉強会に参加。
身近な歴史を纏める手法を習得が目的で。当初20人の参加が 目的違いで脱落続出。本日 3人が参加、内1人が講師と喧嘩・退席し 2人のみ。
参った。

追記(12/09)
本日誌を読まれた方から、「アカトンボさん あなたの人生 永遠ではありません。限りある日々を大切にしましょう。迷うな」と勇ましい激励を頂きました。
感謝の意 で ここに 披露致します。



12 月 5 日 (水)  



温暖・快晴 紅葉 まだまだ 綺麗です。

境内で常務理事と紅葉談義中、御客様からガイド依頼。
ありがたいです。予約の待機時刻に15分前。事情を説明し、 涅槃門・本殿 ガイドからお客様に絶対見て頂きたいポイントを確実にガイドしました。

有料ガイドご依頼の御客様 約束の5分前に到着。
ガイド箇所とガイド終了時刻を確認しました。瑞鳳殿と仙台城址の2ケ所で仙台城址を12時出発で。了解。

結果 約束時刻は守りました。
でも、反省点があります。


御客様は 鉄関係の有識者でした。貴重なお話。

◎ 涅槃門に麒麟の彫刻 見事だが、西本願寺の素晴らしい見事な唐門 ここの麒麟は また素晴らしい。麒麟麦酒創業時の商標の麒麟は 西本願寺の麒麟と聞いています。

◎ この弔魂碑 135年前に建立された・・・・・・・に、
  「素材はなにか?」 「綺麗であるが?」
  鉄です。
1880年日本初の製鉄所が岩手県釜石市で創業していますが、その3年前埼玉県川口市で作らたものです。
3.11災前に解体し、東北大学金属材料研究所で 材質を分析調査し、心柱を設置 化粧し・・・・・」・経過を説明

  「銅版と思った。鉄なら140余年保たない」 (でも 保ったですが)

◎ 多賀城に国府が設置された理由は、鉄の世界では、ヤマトの鐡が 蝦夷に流失しない様に、鉄止 として設置されたとされています。


ご一行様は、鉄関係の大会社のOBで 博士の集団です。との事。
アカトンボは信用しました。


余談
仙台城本丸址を出発と同時に 仙台で1番の弁当会社の弁当をパクついていました。
「仙台は牛タンだろ。入っていないな」「これが この小さいのが牛タンか」

他都市の方 老若男女関係なく 仙台 イコール 牛タン でしょうか。
大橋袂で アカトンボ下車 後部座席振返り 挨拶したら 全員 弁当 終わっていました。
食べるに早いのか? バスがノロマなのか?



12 月 2 日 (日)  



紅葉 一段と 輝いています。
楓は完全におわり。モミジ 朱と黄と 競っています。
昨日の降雪が 輝きを 齎したのでしょうか?

朝1番 米国陸軍将兵約40名。
仙台は何度か訪れているが 瑞鳳殿は初めてとの事。

先般 TVで「 昨年の3.11災の際 トモダチ作戦で 救援に駆け付けた部隊が 女性中尉に引率され、閖上の慰霊の岡で弔意を表した。日米共同軍事演習が始まる」と報じていました。その1隊らしい。

実戦では無く 演習だから 休みも観光も ある訳。


冒頭「1600年代 仙台の町を作った 殿様 伊達政宗公の御墓」に 同行の通訳嬢 「殿様」 が手持ちの辞書で見当てらないらしい。頁をめくる。めくる。見当たらない。
日常用語の通訳は 容易でも 歴史的なものは 素養がないと 無理なのかも。
アカトンボ 「Local Lord」とすべきところ ままよと「Local King」。全員 理解してくれた。

本殿前で 通常の通り 拝礼を求めたら 拝礼し 何人かは お賽銭を数枚 投じてから 合掌をされた。
お賽銭は 白色の堅い音の大きい硬貨。円が弗かは 判別出来なかった。

出た 質問
1.身長は? 
1m60cm に 理解出来なの反応。彼らはメートルではなくフイートなのか。フイートに換算して無かったので答えらず。
1m60cm相当の方を指し 「この位」と示したら 理解された。

2.体重は?
計測出来ない、わからない。 血液型は B です。 オー

3.政宗公は神道か?
通訳を介しての質問に「政宗公は仏教です。瑞巖寺が菩提寺 ここは御墓」と。 正確に通訳してくれたか 些か 心配。
何故 神道?の質問に至ったか、我思案するところ。
青葉神社の祭神ではあるが政宗公は神道と 応えられるか? 

4.オジサンは何歳か?
76歳だが?
この高い石段を軽々 登るとは素晴らしい。
(仙人と 思ったのかな。現役の将兵に褒められるとは 嬉しい限り) 



お嬢さん 口径10cm位のレンズ付き土方弁当型 ロールフイルム のカメラ で 友人を撮影されていました。
昔々 プロ 土門拳クラスが使用していたと記憶します。
珍しく 聞きました。 現像等は依頼するそうです。それにしても ロールフイルム 良くぞ 買えたものです。



午後 仙台市博物館に。

「伊達家三代 政宗・忠宗・綱宗それぞれの御墓の副葬品にみるライフスタイル」と題する 瑞鳳殿 加藤寛学芸員の講演。

発掘調査報告書「伊達政宗の墓とその遺品」等に記載の写真等を 映し出し 丁寧に説明されました。

日々のガイドで 逸脱して説明をしていない事 認識しました。安心です。

講演内容は 瑞鳳殿資料館で全て見れず 理解出来ないもの を紹介しており 有意義な内容でした。その割に 来聴者が少なかった。もったいない。

この企画(仙台歴史ミューゾアムネットワーク リレートーク)は、12月16日 
13時30分から 仙台市文化財課の木村浩二氏が(遺跡出土資料から食器の変遷から暮らしを見る) 
14時30分から仙台市市史編纂室長の菅野正道氏が(住まいの変遷 和風建築が明治以降洋風建築を取り入れながらの変化)
を講演されます


三の丸会員A氏が参加されていた。瑞鳳殿来訪を誘ったら、午前は 蔵王町ふるさとの歴史講演会
「 −郷土に伝えられた真田幸村公の血脈−・講師:真田幸村公14世・仙台真田氏現当主 真田徹氏」に参加参加したとの事。

仙台真田氏の前当主は 現役時代の上司であった故 現当主の謦咳に接したい、また 仙台真田史研究1人者K氏が来訪されれば これまでの御教示のお礼を申し上げたい と思っていましたので 絶好の機会でした。

しかし 情報収集不足から 事後に知りました。残念の極みです。



12 月 1 日 (土)  



仙臺 初積雪です。

午後、仙台藩志会の役員が開催されました。
特記すべきは、

@ 新年拝礼式の時刻決定
  1月2日開催。
  10時40分 瑞鳳寺山門前 出発
  11時00分 瑞鳳殿本殿 拝礼式
  男性 裃 女性 五色乱星陣羽織 を着用されたい。

A 総会日時決定
  4月14日 14時から。
  講演会 15時から 演題「検証・仙台藩の草創期」 講師 仙台市史編纂室長 菅野正道氏

B 戊辰の役弔魂祭開催日時決定
  10月10日10時から。
  碑前催事の他、殉難者末裔による講演会の開催。

なお、@は 見学自由です。
    Aは 会員限定です。
    Bは 参加自由です。講演会は事前予約必要です。詳細未定。





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