2015年9月の日誌
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9 月 28 日 (月)  



世間の認識

ガイドの付随業務で JTB東北の要人と面談する機会がありました。

19〜23日のシルバーウイークで 「嵐」のコンサート参加者21万人が来仙しました。
その1割近くのフアンが 瑞鳳殿を訪れました。有史以来の人出でした。

その経済効果 幾何であったか?
日銀の集計に 積算されているか?

日本最大の旅行会社の企画部門の評価は如何なものか お尋ねしました。

あかとんぼの期待は外れました。これが「世間の認識」でしょうか?




9 月 27 日 (日)  



爽やか

露西亜からのお客様

案内の方 手水舎の龍頭を「ドラゴン」と説明していました。
「僭越ですが 龍とドラゴンか 違います」 以下 いつもの内容を語りました。即 ご理解頂きました。

「これは龍です。水を吐きます。火伏です。ドラゴンは 火を噴きます」と 正確に伝えました。
伝えた案内人 「ハラショー」と 叫びました故 露西亜のお客様と知りました。


名古屋のお嬢さん

「飛行機で来ました」との事。 名古屋から飛行機とは???
ガイドを始めて 数分後 日本大手旅行会社の名札を下げたオジサン(敬称です)が 「一緒に聞かせてくれ」
「名古屋のお嬢さんが よろしければ。お嬢さん向け モードでいきますが よろしいでしょうか?」

オジサンは、企画担当で 下見調査です。これまで収集した資料フアイルを小脇に抱え 絶えずノートを取っています。
本殿50分終わった時点で 「これで御終いか?」

「お客様のご希望があれば 感仙殿地区までご案内します。通常は これで終り 資料館を見学頂いております」

「頼む。実は 30分位ガイドの説明を聞き その後 自由に長時間 見学するコースの設定を 考えている。
8時30分 瑞鳳寺を参拝 9時の開門と同時に入場 30分のガイド後 昼まで自由見学 と考えていた。

ガイド頼めるか?」

「ご期待有難いが 予約は受けていません。但し 無料です。お出での日時に ガイドが居たら ご依頼ください。誠意あるガイド致します」
「有料ガイド 幾らでしょう」 「わかりません」

名古屋のお嬢さんは、 感仙殿地区から資料館に戻りました。


JTB当番でしたが お見えになりませんでした。
大学の准教授の方、北上川の始点まで歩き確認してきた68歳の方々から 新鮮刺激を頂きました。




9 月 26 日 (土)  



米澤・館山城

仙台藩志会主催での 米沢市所在 伊達家史蹟を訪れる会に参加しました。

7月10日日誌記載の個所を巡りました。

ハプニング

米沢・安部三十郎市長が 表敬にお出でになった事です。
「なせばなる秋祭り」と「南奥羽城下町サミット」を開催中で ご多忙の中 上杉城址苑に見えられ、ご挨拶・名刺交換の上、上杉謙信銅像前で全員での記念写真を撮影しました。(表紙に掲載)

市長は 米織(米沢特産絹織物)の羽織・袴です。
正装で敬意を表すると同時に 地場産品の広報も行っています。

「南奥羽城下町サミット」には、米澤・仙臺・福島・会津若松・伊達の5市の市長等が出席しました。
奥山恵美子仙台市長とは 行き違いになり 米沢では お会い出来ませんでした。

「なせばなる秋祭り」には、政宗公の仮装行列があったそうです。

米沢市長の土産

政宗公は、米澤から会津若松に移り、秀吉の命で岩出山に そして1600年仙臺城を築城しました。
1614(慶長19)年 「政宗 故郷に帰る」と記した紙片を 米沢市長からの土産として下されました。

内容は 娘 五郎八姫の配偶者 松平忠輝の居城 築城の監督に高田を訪れ その帰途 米沢を 訪れ、和歌を詠まれた。

日付
仙臺を慶長19年3月16日発、3月21日江戸に着、4月1日に発、4月8日高田着、7月21日春日山発、7月26日米澤・小松の常念寺に宿泊、7月28日仙臺に帰着。

詠まれた和歌は、

故郷(ふるさと)は夢にだにさへ疎(うと)からず 現(うつつ)になどかめぐり来にけん

越方(こしかた)の思い旅寝(たびね)のふるさとに 露おきまさる草枕かな







9 月 24 日 (木)  



ブラタモリの四ツ谷用水

嵐は去っても 残り風は・・・

嵐のフアンと一目判然の方々 るーぷるバスで 大崎八幡宮に 1バス10余人が見えていました。
大崎八幡宮で この時刻(13-14)で この人数なら 瑞鳳殿では 4〜5倍の方が 参拝にされたのでは?

「嵐」の経済効果は 98億円と報じら 週刊誌でも話題になりました。
効果の計算に、瑞鳳殿・大崎八幡宮の参拝、るーぷるバスの乗車も入って入るのでしょうか?


郷土を愛する歴史の会(冨澤大學)主催
NHKブラタモリ仙台での案内人木村浩二宮城学院女子大講師の「御城下を歩く 四ツ谷用水・土橋・へくり澤」
に参加。

「四ツ谷の水を街並に市民の会」に参加し、案内を何回か努めていますが、視点が異なります故 新鮮でした。


今回の学習での あかとんぼ の宿題は

1.伊達兵部屋敷跡の変遷です。
 伊達兵部屋敷の外周を回りました。広大な敷地です。

 兵部屋敷は 分割 与えられていますが 幕末までの変遷です。

 明治政府に没収されていないのか?

2.伊達兵部は 仙臺城に登城の際のコースです。
 大橋と思いますが、澱橋か 支倉橋(現存しません)」かの 何れを 渡河しているか?

3.支倉坂(廣瀬町1番付近)と 支倉橋の関係?

4.元支倉町(川内に所在)の由来と 支倉坂・支倉通りの関係。



意外

大崎八幡宮から廣瀬町1番付近までの行程の途中に 「伊達」の表札のお屋敷がありました。
講師は 知ってか 知らないか  何も語りませんでした。

30有人の参加者で 興味を示した人は2人のみ。それも 軽いものでした。

1600年仙臺城築城し 仙臺だの町を開いたのは 伊達政宗公と知っていますが、現実の生活に 「伊達家」は結びつかない様です。


 



9 月 23 日 (水)  



嵐 最終日

昨日 参拝者2400人を記録したそうです。
今朝も 早くから タクシーで駆けつけています。
るーぷるバス運行後 怒涛の如く お出でになっています。

お昼には コンサート会場に移動を始めるでしょうから 午後は少なくなるのか?
昨日の記録を更新するか?

嵐七場面の案内が 主となりました。

ユニホーム 五色乱星陣羽織を着用ガイドしておりますが、「嵐」のカラーは 五色 赤・青・黄・紫・白とかで 「真似した?」の独り声が聞こえました。
こちらも 独り声「こちらが歴史が古いです」

龍頭の前で 櫻井君達の顔写真のお面を被り 撮影している方おりますた。
本人の個性を捨て 成り代わり 変身の極地の様です。


長崎からの2人組
大坂からの同級生3人組
東京からの母娘

何れの組も 撮影もしますが ガイドもきっり聞きたい との事。
50分ガイドになりました。

東京からの母娘の娘は 高校生の歴史好き で 政宗公の御生涯に、政宗公御木像の両眼の由来も 御存知でした。

政宗公副葬品の写真を開いたトタン 糸巻太刀が眼に入りました。キラリ輝きました。
「どなたの作です?」  

「ウン」  詰まりました。
「刀工の名前まで 調べていませんでした」とギブアップ。

「この娘 刀剣に 目がないの」 母親の言。

仙台藩志会会員に 刀剣に詳しい方がいます。会報に投稿しています。
対決? 対談させたら と思いました。

Mさんは共に5日間 K・U・Sさんは4日間と 会員の皆様 19.20.21.22.23.の5日間を 入れ代り 数勢 10,000人を越えるのオオアラシに立ち向かい ガイドをしてくださいました。
ありがとうございます。



9 月 22 日 (火)  



嵐は 峠を越えた

昨日の入場者(参拝者)は、3600人を越えました。
正に有史以来の記録です。



昨日 午後を総括したKさんのお話では 
15時現在 2500人と発表があった。

通常 15時を過ぎると参拝者は激減しますが 更に100人の参拝があった昨日は 特異日であった訳です。

Kさんは ガイドより 場内整理が重点になったそうです。
自発的に 並び 自分の機会を待っており 流石 「大和撫子」と 感心しておりましたら  夕方に割り込みがあったそうです。

Kさんが仕切られ 場が治まったそうです。
割り込した人も「大和撫子」なのか?

昨日の日誌に 大混雑と記載しました。読んだ仲間  それは大変と14人が続々 駆けつけてくれました。

昨日は 政宗公・歴史に関心のある人と 嵐の足跡探訪の方との 比率は1:9の感じでした。

今日は 敬老の日振替でしょうか 3世代が散見されまして、比率は 4:6の感じでした。
昨日 随所できた行列もなく 通常ガイドに専念出来ました。


JTBさんから 優先的・丁寧にガイドして欲しいとのご依頼は 土・日の10:30と13:30の2回です。
シルバーウイークも 土・日以外は対象外です。

10時30分に JTBパスポートを取り出し 「ガイド御願いします」
本来 契約外です。でも 御断りしません。

「ハイ よろしいです。40分頂けます。ところで、どちらから?」に
「福岡です、ココ期待して来ました。」とのこと。

福岡から シルバーウイーク5日間か 24・25日を有給休暇で9日間の行程での 東北旅行でしょう。
ガイド はご満足頂けたと 確信しております。


高齢の御婦人 ツカツカ 待機中に寄って来ました。
「政宗は 政 と覚えてきた。 文字を間違え 正 正宗 と記載して居る所がある 直させろ」 誠に 高齢のご婦人者は元気が良いです。

「お客様 中腹の お寺の山門の扁額を御覧になり でありませんか?
あれは 正宗山 瑞鳳寺 で ショウシュウザン ズイホウジ と読みます。 マサムネヤマではありません。

政宗公・瑞鳳殿と ご縁の深いお寺です。だから正宗山瑞鳳寺と漢字で書き ショウシュウザン ズイホウジ と読みます。

昔は 貴人等の偉い人の お名前の文字は 使わない・使えない 風習がありました事 御存知でしょう。それです。
寺暦 380年のお寺の山号を 直せと申されても」


本殿前で 「うん」 「うん」と聞いているお客様。ガイド すかさず 「ウン・ウンでありません アウン です」
に 爆笑が。

関西系のお客様なので 関西流 ツッコミを入れたら 分かってくれたと 満足ケ。



9 月 21 日 (月)  



驚愕 有史以来

あかとんぼ 瑞鳳殿でガイドを始めたのは2000年正月。
この15年9ケ月の歴史で、最高の参拝者(入場者)です。

昨日「雑踏世界一の池袋交差点並の混雑」と記載しました。2000人を超えた様です。
本日は 3000人を超えるか?

るーぷるバス停 待ち人でムンムンしています。交通局係員がアタフタと整理しています。長蛇です。
るーぷるバスに乗車を諦めて 路線バス利用の方、御霊屋橋袂から ヤヤ長距離を歩いています。

駐車場に入れない車 るーぷるバス停迄 溢れ 公道渋滞の基因になっていました。


参道入り口 銅板案内板を撮影する人で渋滞になっています。
62石段は 切れ間無く 登ってきます。

途中の紫陽花が咲いていた所は 表示が無い為 気が付かなく通過して来ます。
ガイドから 聞いて 引き換えして撮影される方います。

券売口 2窓口で懸命に発券しています。でも、行列が 62石段の60段目位に至った時もありました。
次長が 入場家を求める行列と入場される方 交差しないように 誘導していました。

次長に「紫陽花跡に (嵐撮影場所)と お客様サービスに 札をたてたら」と 進言しました。
「ウー 新たに 渋滞個所を作る事になるからな?」と申しておりました。

嵐の会報には 無い 入口の古木看板で撮影する方が 入場を阻害しています。
漸う 入場をしましたが、手水舎で 身を清める 禊される方の列が入口の古木看板迄。

涅槃門の菊紋の撮影は 広い故 行列はありませんが、横一線です。

珊瑚と真珠で色付された 「瑞鳳殿」の文字の扁額が掲げられた涅槃門を背景に、櫻井君達と同じポーズで撮影する人々の列。
3段1段の石段の下から3〜5段目までの行列。


本殿全景を 会報と同じ 青字の扁額を 見える様に撮影には コツが必要です。
大方の方は、直立で撮影 似て否なる 景の作品になって居ます。
ガイドを依頼されたお客様には コツ・要領を伝えました。

次は(龍頭)です。
鼻を撫で、此処も櫻井君達と 同じポーズで撮影です。1組当たり それなりの時間を要すます。
列は 本殿石段を登りました。

龍頭は、若い女性 何人にも 何回も 撫でられ 擽ったいのでは?
あまり 撫でられ 鼻が赤くなりました。「アカハナ(赤鼻)の龍」と 言われる様になるのでは?


「龍は 阿吽では無いのか? 阿吽の意味を知って居ますか? 並べなさい」と厳しい口調で詰め寄って来たオバサンがいました。
この方 吽の龍頭が 孤独と試練に耐えながら 居る譯 お分かりでしょうか

皆様 大和撫子です。禮を心得ています。割り込みする人、早くしなさいと叫ぶ人 居ません。粛々と列を自発的に作り待っています。


嵐のフアンは年齢制限が無いらしく、若くない人もいて 母親と娘のコンビそれなりにおります。


Tシャツからジャンバーまで、袋も各種色々 嵐 ARASIの文字入りです。何種類の商品があるのでしょう。
「スゴイー」と 洩らしたら サバケタオネイサン 「下着もあるよ」  これは完全にオチョコラレタ 様です。


ガイドは 午前はMさんと 2人。
Mさんは「歴史に興味ある方のみガイドします」とガイドしていました。
あかとんぼ は 総合的に対応しました。


初体験もあり 充実した時間でしたが、怒涛に破れ 12時お終いに。また オミョウニチ



宇和島市立伊達博物館館長H氏のfaccbokkに 「仙台伊達家と宇和島伊達家の両ご当主様の 秀宗公墓所 和霊神社参拝をご案内された」の記事と写真が掲載されています。

今朝 事務所で仙台伊達家ご当主様に お会い致しましたので、「宇和島から もうお帰りですか、写真と記事がfaccbokkにありました」とお伝え致しました。

 



9 月 20 日 (日)  



嵐はオオアラシ

8時30分 開門と同時に入場。あかとんぼ 50分に到着時には 痕跡撮影完了し 表参道を戻られていました。
経ケ峯を一順する 発想が無いのです。

「感仙殿地区に回りませんか?」に 「イイノ」と 足早に去られました。


9時30分 るーぷるバス到着時刻から 表参道登り口から長蛇の列です。
11時頃迄 雑踏世界一の池袋交差点並の混雑でした。

「参道口銅板案内」 そして参道中程の「紫陽花」を 撮影しながら登ってきます。

本殿を参拝される方、龍頭を(櫻井翔君と相場雅紀君)と同じポーズで撮影する方、自然に列を作り待っています。
外国の人が 驚嘆する 日本の若い女性の美徳 が示されました。


嵐のフアンは 若い女性と認識していました。
若くない女性2人から 依頼されまして 一般の方と思い語り始めましたら

分厚い胸を ドンと叩いて 「これ!」 正に水戸黄門の「これが見えないか? どなたと心得る」の場面です。
薄草色のTシャツ  嵐のユニホームでしょうか? 


昨日迄 会報を持参され辿られていました。
今日は スマホ等に入力され 片手操作で出力 「アッ これ!」が 多くなりました。

あかとんぼ 会報の頁をコピーし 携行。
 拝殿前・本殿・龍頭を案内 紫陽花・七夕短冊は 今は咲いていない・飾られていない と説明。

なぜ 紫陽花が咲いていないのか? 七夕が飾られていないのか ご質問を頂きました。


嵐のメンバーに 「紫色」のグループあるらしく こんな質問がありました。
「嵐に 準(なぞら)え ユニホームをつくったのか?」

我々のは 伊達家の五色乱星陣羽織を模したもので 時間的にも 先です。嵐に 準えたものでありませんが。


「御朱印があると書いてあったが どこに?」のお尋ねが 5指近くありました。
瑞鳳殿も瑞鳳寺も 「御朱印」は 扱っておりません。


面白い質問
「なぜ お佛様なのに お賽銭箱が あるのですか?
我家のお墓の前にお賽銭箱がありません」

日本史の名前が掲載されている政宗公と 日本国の今日を作られた事は間違いないにしても 歴史に記されない人と 同じ扱いは 無理ではないでしょうか? 自分でお賽銭箱を置く以外 解決策はないと思います。


天童から

本殿前で語っていたら 胸元の携帯がなりました 「団体30人 頼んでいます」 JTB当番のAさんからでした。

織田信長の末裔が領主であった天童市からの お客様。40分で。
腕時計を忘れましたので お客様に時計係をお願いしました。 終わりました 「ピタリ だ」の お声を頂きました。

お寺様の団体とか ご住職に寺族様等 おられました。 秋保温泉で昼食だそうです。

あかとんぼ の疑問
1.お彼岸の初日 ご住職等 お寺を留守されて良いのか?
2.天童は温泉地なのに 他所の温泉に お入りなされるのかな?


9時から12時まで 3時間 立ち続け 喋り続け は疲れました。
珍しく 昼寝しました。



9 月 19 日 (土)  



嵐  

8時30分開聞と同時 多数の参拝者?
8時40分 あかとんぼ 到着した時点 帰る人も。

10時30分頃迄 騒然としておりました。
「嵐がアラシを呼んだ」です。

楽団「嵐」の崇拝者が 会報の瑞鳳殿訪問記を持参し、その撮影痕跡を辿り 入れ替わり変身の気分で撮影をしているのです。

大方の方は どこでしょうか? と 探しています。
「ここです」と 瑞鳳殿・政宗公のガイドを しないで 撮影個所の紹介に追われました。


会報記載の撮影個所は、@参道入口 銅板案内 A 参道右 紫陽花 B拝殿扁額前 C瑞鳳殿本段全景 (忠宗公自筆の扁額 写し込。この位置はガイドに聞かないと撮影困難) D七夕 願い短冊 E龍頭(寛永14年作、戦災生き残り) F 加藤学芸員と善應殿前広場

の7ケ所です。
編集されています故 ガイド仲間も 「ウン?」と思わず唸る個所もあります。

予習しましたので 求められれば 探して居るな となれば お知らせ致しました。
大方の方は嬉々と されました。1組だけ「ワカットル」と叫んだ 若き男女がいました。なぜでしょう?


お客様は、
ホテルが取れない、倍額になった。
仙台駅東口は バスの駐車 ギッシリ。
と 話しておりました。


穴蔵神社

経ケ峯中腹に鎮座しております。
昨日 宵宮で 小学生ガイド終了後 仲間5人で「ガイドの無事」を祈願しました。本来は「安産祈願」と聞いていました。
学生の集団も参拝に 「合格祈願」です。

今の神様は 専門以外 総合的に願を聞くに迫られているようです。
お詣りをしたら 「御神酒をどうぞ」と。 車ですに 棒に付いた飴を下賜されました。

本日、11時 号砲3発 本宮です。12時30分麓を御神輿の行列。担ぎ手の子供 どの様に集めたのか。
普段 此の地区 子供の姿 見かけません。


貴方は見た(立ち会って)のか?

何回か問われました。
@ 嵐のメンバーが7月9日 撮影に来た時に。
A 瑞鳳殿発掘調査・再埋葬時に。 

貴方は見たのか(立あった)? 
立ち会っていません。何れも確たる資料・証言があります。それに基づいて 説明しています。
嘘出鱈目を申しておりません。

Aの方、盛岡の方でした。不思議な発想です。歴史と歴史学者の否定です。 



9 月 18 日 (金)  



小学6年生

本日 仙台市寺岡小学校6年生 総勢150名(含む先生・サポーター)を、瑞鳳寺山門前から駐車場迄、5人の仲間でガイドしました。

本日の行程は、@大崎八幡宮を参拝、徒歩でA仙台市博物館に、見学・昼食後、B仙台城址 三の丸址から清水門跡経由本丸址まで 徒歩・登坂し 見物、バスでC瑞鳳殿に。

3組に分かれ ガイドの説明を聞きました。メモを取る子もいました。石段を数段跳ね降りる子もいました。

元気で聡明な学童です。

が 若干ながら 
@からAまで と AからCえの登坂と 慣れない行軍と 
雨の予報が外れて 曇りで蒸した天候
で 些か 体調崩れ気味で 先生に励まされている学童もいました。


短時間の最後の行程故 記憶・印象に残ったでしょうか?
日をあらためて ご両親・兄弟で お出でを お待ちしております。


唐番所

昨日日誌末尾
「伊達家も 唐船監視番所を設置していますが、その連絡の為に 烽火台は設置していませんか?」
「その事例は ありません」 でした。
さて どうして連絡したものか? これも宿題。

に、郷土史家T様から 下記内容のご教示を頂きました。

仙台郷土史夜話(三原良吉)唐船番所の項 有事即応の体制完了 に、

代官、備頭(そなえがしら)への黒船発見の連絡通報は、
昼間は発煙信号、夜間は火光信号とし、早船、早馬で急報する
一方、村の半鐘、寺の梵鐘、太鼓をもってリレーすることに定められていた。

郷土史家T様 御教示ありがとうございます。

三原良吉 著 仙台郷土史夜話 を再読いたします。 





9 月 17 日 (木)  



金木犀が香ります。
先月末から 瑞鳳殿では香り 参拝者は 足を停め 「うん なんのかおり」と思案される方もいます。
「アッ あそこの香り」と叫ぶ人も います。

萩も咲いています。こちらは 萩=伊達家・宮城・仙台と 連想される方が少なく 話題になりません。ヒッソリ咲いている感じ。

宮城の萩通りと覚えていた宮城野通の施設で 明治青年大学史学部の講座がありました。

冒頭  幹事から「仙臺城は青葉城ではありません。青葉城と申すは観光客のみ。いやしくも 歴史を学ぶ、地元の人が 間違っては駄目です」
誠に 厳しいながら 極めて当然の内容の発言です。

確かに 某歌手が 川と城を唄って 一世を風靡して以来 混同が目立ちます。
瑞鳳殿のお客様にも 「この後 青葉城に行こうと思っていたら、ガイドは仙臺城と申すが お城が二つあるのか?」と語る方がいます。

ことの起こりは、10月15日 仙台市博物館市史普及室長 菅野正道先生の案内で三の丸から本丸迄 探索する企画の案内チラシが 「青葉城」になっており、怒りが爆発したものです。


本日の講義
講師は、東北歴史博物館の古川一朗先生(肩書不詳)
演題は、烽火(ノロシ)について

内容は、古代の中国と日本の 烽火について。

なぜ 烽火で狼煙でないのか?

講義後 お尋ね致しました。

「江戸時代 伊達家領内での狼煙が全く 話題になりませんでした。その訳はなんですか。
使われなかったのですか?」

「江戸時代の狼煙台は20例以上ある。主なものとして、
@ 長崎街道沿いに 幕府が設置した異国船監視。
A 密貿易取締 
B 参勤交代連絡
等があります。」


「伊達家も 唐船監視番所を設置していますが、その連絡の為に 烽火台は設置していませんか?」
「その事例は ありません」 でした。

さて どうして連絡したものか? これも宿題。



9 月 16 日 (水)  



師山城址と9.11洪水

災害復旧に ガイド仲間のAさんが参加しています。
日本赤十字宮城県支部派遣〇〇隊の隊長がAさんです。

本日夕方の地元局ニュースに、お名前と勇姿が映し出されていました。
Aさんの お人柄から 被災者は元気付けられたでしょう。



9 月 15 日 (火)  



爽やか です。

大学病院(北4番丁)に入る車、北5番丁から北6番丁に至る中程から 右折車が2車線を塞いでいます。大渋滞です。
大幅遅刻です。

お客様は 路線が異なります故 続々と。

手水舎の龍頭に関心を示された意客様に「上に寛永14年 1637年に造らた龍頭があります」
「こちらは昭和だろう。上は 長老か いや古老かな?」

北海道からのお客様で、案内の方は 瑞鳳寺住職とお友達と名乗られました。
さて、老僧か 壮僧侶と お友達なのか?

「ポイント 喋ってみさい」の調子でご依頼を頂き 40分 熱弁を奮いました。


本殿前に至って ガイドは山場にさしかかりました。
後から登ってきた高齢者がしきりに 「そのガイドを止めて自分にガイドをしろ」のサインを送ってきます。

「お客様 こちらのお客様は 涅槃門からご案内しております。3人と少ないからと 途中で 止めるわけにはまいりません。
こちらのお客様が 納得されれば ご一緒にどうぞ」

「それはイヤダ 待つ」


ここ瑞鳳殿は 政宗公の御霊屋 オタマヤです。 漢字 そのままオレイヤーと読まれる方います。俺 嫌 では 私も ガイド出来なくなります。

「どちらから」
「センダイシから」
「仙台のどちらですか?」
「老人クラブです」
何か 禅問答です。

1960年代に大開発された住宅団地の方々でした。
耳が悪い 難聴を訴える方 何人かおられ 大きい声で ガイドしました。

足腰 不自由を訴える方もいました。私には 介護出来ません。

涅槃門前ベンチで待機された方に 手元資料の政宗公像等を御覧頂きました。反応は芳しくありませんでした。どうしてでしょう。


11時11分 瑞鳳寺山門前に移動しようと、その刹那 2組10〜15人に 「ガイド頼む」のお声。
「申し訳ありません 私 約束があり ガイドできないんです」

本日に限り 平日専門の仲間の姿 見えない。あかとんぼ ただ一人。
お客様が お出でになっている。ガイドを希望されているのに 対応出来ない。誠に残念です。


涅槃門前で 電動車椅子に乗ったまま 介護タクシーのリフトから降りたばかりのお客様。お付の方々と相談されています。

「この先は 坂道と62石段プラス20段近くの石段です。電動車でも厳しいです。
この山沿いを回ると 職員駐車場があり ギリギリ近くなりますが 段差はあります。
涅槃門から本殿は急傾斜の石段です。車椅子では無理です」とアドバイス。

「そうか 折角 仙台に来たのに。伊達政宗公をお詣りしたかった」
「どちら おいでですか?」

「宇治です」
「宇治は 黄檗宗萬福寺ありますね」
「ハイ 私共 黄檗宗萬福寺の隣に住まいしております」

「伊達家4代綱村公は 黄檗宗に帰依し あちらの方向の大年寺山に 黄檗宗三大叢林と云われた大年寺を創建されました。
では この御佛縁で 上の 瑞鳳殿を写真でご覧ください」

「ありがとう 満足です。萬福寺の参詣の節はお立ち寄りください」
「ありがとうございます」

この後 北関東所在 ある団体の方と 質問に熱弁を交わしました。



9 月 14 日 (月)  



師(モロ)山城址

13日日誌記載 師山城址 について補足いたします。

「政宗の生涯に、敗戦として記録されているのは、「天正16年の大崎攻め」だ。

山岡荘八著「伊達政宗」 さんさ時雨 1 冒頭の書き出しが 上記です。


小林清治著「伊達政宗」
年表では、天正16年(1588) 22歳
〇 正月17日 大崎氏を攻めんとして兵を出す。
〇 2月2日 政宗の兵大崎氏を攻めて大敗す。

本文で、
「政宗は濱田景隆を陣代とし、留守政景(宮城郡高森城主9・泉田重光(名取郡岩沼城主)を両将とし、大崎境に近い諸士を率いて大崎氏を討たせた。(略)
しかし、、黒川郡の領主黒川晴氏の大崎氏への加勢と、政景・重光の不和のため、戦いは完全な敗軍に終わった。」
と記されています。


大和田哲男著「史伝伊達政宗」でも 小林清治著本文と同趣旨の記述です。


両先生は 雪国の生活体験がなく 書かれないのか? 実際は、敗軍に至った起因に 「積雪寒冷」にあったと 伝えられています。

「成實記」には詳しく記載されているか?


平凡社刊 「宮城県の地名」 465頁には、

天正16年(1588)の伊達と大崎の合戦に関し (略) 松山城(志田郡松山町)に集結した伊達軍は中新田城(加美郡中新田町)攻撃を目指すが、大崎軍の頑強な抵抗に遭い、いったん退却しようとしたが、桑折城(三本木町)の黒川月舟と師山城の古川弾正の待ち伏せにあって大敗した(成實記) とあります。


常勝の将と思われている 政宗公の生涯に 敗戦と記録される 地が この地で その史跡が 未曾有の冠水で 浮き上がりました。

多田川と緒絶川が鳴瀬川に合流する地点に師山村があると「宮城県の地名」に記載されています。
今回 決壊した渋井川と多田川と緒絶川が合流する鳴瀬川も 12日河北新報1頁筆頭写真に写っています。


政宗公は、黒木肥前宗元に1500石を与え師山城に居城させました。
元禄15(1702)年 黒木氏」4代万吉が 無断築堤工事の責を問われ 栗原郡一迫昭越村に追放されました 「宮城県の地名」


なお 本 師山城址と名生(ミョウ)城址に、中新田城址(加美郡中新田町)、桑折城址(三本木町)、宮崎城址(加美郡宮崎町)等を、2014年11月30日 郷土史家U氏のご案内で探索をしております。あらためて 郷土史家U氏に お礼申し上げます。



9 月 13 日 (日)  



有難い

お客様が 夏の入道雲がモクモク湧き上る様に お出で頂きました。

日本語以外の若い人 泰國から東北大学に留学中の10人位 参拝に見えました。
手水舎 異文化か 興味津々です。

泰国は 敬虔な仏教徒が多いと聞いていますが 瑞鳳殿は神仏混合の建築で構成されています。
神道の手水舎が 珍しい 体験の機会なのでしょう。

始め 手水舎に詳しいAさんが、涅槃門からは 英語の先生のBさんに 交替し 本殿まで イイトコトリのガイドしました。


山形・高畠からの御婦人 妹と千葉からのご夫妻を案内して来ました。
知った方です。語ります。ガイドの私にも 語らせて とお願いしました。

「伊達家は全て 根こそぎ持ち去った」と 語られたので
「秀吉の命で 岩出山に移動させらたもので 自己都合での移動ではなく、移動は兵力と僧侶で、お墓と民俗は残し、また 百姓は原則 移動して居ないでしょう。根こそぎ持ち去ったに ならないでしょう。

政宗公(義山公)のお墓、野手倉と資福寺跡の他 1ケ所あると聞いていますが?」
「それは 知らない」

米澤館山城跡も話題になりました。
千葉のお客様は 時々 別次元の話しに 戸惑いの様子でした。高畠のお客様は 当然 大満足の様子。


若い方々のお客様が 目立ちます。
有識者の方と分析しました。

仙台は 若い人々が訪れたいと思う 三大都市の一つ。
昨今日の「定禅寺ストリートジャズファステバルin仙台」以外に 質の高いコンサートが 数多く開催されている故に。

人は「楽都」と 呼ぶ所以は これですか?
そうだ。


シルバーウイーク(9/19〜23)  5日間

「あかとんぼ さんは連日 ガイドされますか?」
「ハイ 5日間するつもりです。お客様は シルバーウイーク故 高齢者が 多いでしょうかな?」に、

事務所のAさん
「あかとんぼさんの予想は 当たるでしょうか?

「嵐」のコンサートがあり、ホテルは予約で満杯 あぶれた人が鳴子温泉を予約しているとの 情報は御存知でしょう。
瑞鳳殿を参拝するのが目的の高齢者 宿泊の予約取れたか?

「嵐」のメンバーが 瑞鳳殿を参拝され、本殿右下の 1637年製の龍頭と共に記念写真を撮影、「嵐」の機関誌に掲載されました。
以後、フアンの方々から 照会の電話が殺到しました。

この方々が 公演の前後に 瑞鳳殿を参拝 1637年製の龍頭の在りかを問い 共に記念写真を撮影されるでしょう。」
との事でした。

シルバーウイーク が楽しみになりました。


本日

(公財)仙台観光国際協会ボランテイアガイド担当のS係長が 「観光ガイドと歩く伊達な名所巡り」事業で 瑞鳳殿ガイドの会は 誠心誠意・適格に行っているか の抜き打ち視察がありました。

仙台藩志会S総務部長の 仙台藩志会会員で ガイドの会会員のガイド活動状況の視察がありました。
本日は50%の稼働でした。



9 月 12 日 (土)  



雲一つない快晴 青空。

仙台秋のおまつり「定禅寺ストリートジャズファステバルin仙台」が 今日 市内至る所で開催されます。
昨日の豪雨で家屋・生産手段等の財産の全てを失った人がいます。涙もでないでしょう。
一方で ジャズを楽しむ人もいます。

あかとんぼが懸念したのは、観光バス るーぷるバスが運休にならないか?マラソン等は交通規制をします。同様な事がないか?
るーぷるバスが運休になれば、瑞鳳殿参拝のお客様 交通手段を奪われ ガクンと少なくなります。

幸い 運休なりませんでした。お客様お出でになりました。豪雨災害は話題になりませんでした。


東京からの母娘3人。
母親と上の娘は 撮影・質問します。楽しんでいます。
下の娘 中3位 難しい年頃なのか 話しかけても応えず、無反応です。
楽しんで頂きたい、聞いてよかったのガイドを目指し参加型ガイドをしております。3人中1人無反応では 自己採点70点です。


愛知からの壮年のご夫妻。
愛知から夜行バスで 今朝仙台に到着、レンタカーで一番に瑞鳳殿のお詣りに来たそうです。
元気溌剌です。
愛知(名古屋)から仙台に夜行バス あるとは知りませんでした。

愛知と伊達家の接点?
当初 豊臣秀吉しか浮かびませんでした。最後 資料館の案内で 思い出しました。
綱宗公の常滑焼の甕棺です。
常滑は近所ではないと 反応80点でした。


 仙台市史講座に午後参加しました。
演題は 江戸時代の松陵
講師は 堀田幸義(ユキトシ)氏 宮城教育大学准教授 仙台市史・地域誌・七北田執筆者
会場は 松陵市民センター

大学准教授で地域誌・七北田執筆者です。
さすがです。容易に理解出来ました。
忘れない内 仙台市史・地域誌・七北田を再読 知識の沈殿化を図ります。

市史講座は 例によって質問の機会がありません。

「野始」の項で、
1.配布資料に「12ケ所の御龍場を移動しながら」 と 「龍」の文字が使われていました。これまで「立」の文字が使われていたと記憶しています。
 誤転換印字なのか これが 正しのか 確認したかった です。
 政宗公の独眼龍にちなみ 御龍場と 称するのか?

2.幕末には「小荷駄」に乗る事を憚り参加しない藩士がいた との説明でしたが、
 藩主主催の軍事演習に家臣が この様な理由で不参加が認められたのでしょうか? 
 重大な軍事・規律違反でないでしょうか?

3.「野始」を描いた巨大な絵馬が青葉神社に奉納され拝殿に掲げられています。
 視覚から理解するのに 非常に有効だとおもいます。
 国立大学の先生 故 憲法上の問題を危惧され 語られなかったのでしょうか?



ここ松陵市民センターには、20年前 郷土史の勉強を始めた際、地元郷土史家で、宮城歴史研究会会長をされた島貫裕先生の講義を聞くに数年通いました。懐かしい会場です。

Aさんと 瑞鳳殿を同時出発し、東廻りと西回りで 目指しました。
西回りは、地下鉄泉駅前の渋滞に巻き込まれ、10分遅れでした。

携行食で昼食。隣の車中の方も昼食。


豪雨

10日日誌に
「この日誌を記載して居る15:45現在 茨城県で 堤防決壊で家屋が流失し 陸自のヘリが救出して模様がTVに映し出されています。
名取川の水位も上昇したそうです。付近にガイド仲間の家があります。心配です。無事を祈ります。」と記載しました。

名取川水系付近のAさん「皆様にご心配をお掛けしました。
ピーク時の様子です」と名取川・名取大橋から河口迄 右岸の要所の写真 5枚ほど持参されました。
Aさんのお屋敷付近は 余裕ありました。

本日 河北新報1頁筆頭写真 決壊した渋井川の水で冠水全景です。
渋井川・国道4号線・新幹線と下から順次に並び その先に島状があります。
Aさんから 「あれ 師山城跡だよ。築城される地は この様な災害でも被災しない土地だ」と。

始めは、大崎氏初代家兼が 貞和5(1349)年頃 師山城に拠りとあります。
詳しい事は 何れ記載します。
お急ぎの方は、平凡社刊 宮城県の地名 465頁を御覧ください。



9 月 11 日 (金)  



豪雨災害

昨日来の(2015.09.10.豪雨災)に、早速 伊予・武蔵・相模・下総・安房・出羽・蝦夷のお住まいのご支援者の皆様からお見舞いを頂きました。
ありがとうございます。お礼申し上げます。

瑞鳳殿も あかとんぼ屋敷も、ガイド仲間のお屋敷も ほとんど被害が有りませんでした。


2015年09月11日04時40分、仙台市からお知らせが発表されました。
▼発表内容
【土砂災害に関する避難勧告の発令 対象地域追加【4時現在】】
大雨により土砂災害発生の危険度がきわめて高まっているため、4時00分に下記の地域に避難勧告を発令しました。
対象地区の方は避難してください。

この対象地区に 瑞鳳殿の所在 「青葉区霊屋下」も入っており、また、仙台市民の約40%が対象となりました。

仙臺城下は別として 旧伊達領の各地で冠水が報じれらています。収穫期の雨です。被害額が如何程になるでしょう。

昨日 ガイドしましたお客様の地区は 今回破堤した河(吉田川)の下流で避難勧告対象地です。
政宗公墓を参拝されて居ますから その功徳で被害軽微と思いますが。 御無事を祈ります。



9 月 10 日 (木)  



無料ガイド

瑞鳳殿ガイドの会のガイドは、定点待機型無料ガイドで、予約は受けていません。

本日 東松島市小野市民センター主催 生涯学習歴史講座で 10時50分から12時迄、瑞鳳殿を主体とする経ケ峯を無料でガイドしました。

予約を受け無料でガイドする事に 些かの躊躇がありました。

予約を受け、有料でガイドをしている団体があり 予約を受ける事自体が 「営業妨害」との苦情申し立てされないかの懸念です。

今回は、「瑞鳳殿ガイドの会は定点待機型無料ガイドである」を調べ、公益財団法人瑞鳳殿経由で依頼のメールを頂きました。
条件の一つに「無料で」がありました。

また、仙台市立小学校からも 6年生の地域学習に 150人程にガイドをして欲しいと依頼を頂きました。
下見の際 真摯にガイドをされている 小学生にガイドは 大丈夫と確信した故 のお言葉もありました。

之までの瑞鳳殿ガイドの会の活動の原則外の活動になります。
定例役員会に付議しました。

無料で予約を受ける団体は
1.小・中・高校生の校外学習
2.生涯学習を目的とする団体
3.行政機関及び関係機関
4.役員会が特に認めた団体
に限ると 衆議一決しました。

その第一号です。

大雨の予報が出ています。無事 到着するか心配しながら待機。定刻到着。
幸い 雨が降らず 又 歩行に遅れをとる人もおらず 瑞鳳殿を主体に 感仙殿・善應殿までご案内しました。


東松島市からです、2011年3月11日の地震の被災者が居るかと思い 瑞鳳殿の寶筐印塔が倒壊した旨 話しましたが 反応は芳しくありません。被害皆無 自家の墓石の倒壊も無かったそうです。


感仙殿に移動の際 「狐・狸はいませんよネ? ここは・・・・」に
「ウチの方 狐・狸にムササビ・・・がいて 農作物食べられるの」

との返事から 山沿いの集落の人々でしょうか?

「此処は北向きの山だよネ」のご質問を頂きました。
次に控える質問は 何なのか? 頭脳はフル回転。

「はい 仙台七坂・七崎には入っていませんが 八木山に一部が舌状に伸び 三方が廣瀬川に囲まれた地形で名取郡分でした」と 地面に傘の先で地形を書きました。

「ウンわかった。地盤が悪い(弱い)土地なのか?」

「戦国武将が築城する 青葉山の一画です。頑健な地盤の土地と言えるでしょう。
瑞鳳殿寶筐印塔が倒壊した一因に 1945年頃の青葉山の亜炭採掘の影響があるかも知れません。真因は分かりません」 「そうか」


この方々が出発したら 予報の通り 大粒の雨です。
廣瀬川 水嵩が増え 濁流と化しています。13時29分に (御霊屋下・地番不詳)で自然災害が発生し 消防車が出動しています。
あかとんぼ 通過後 どんな自然災害が発生したのでしょうか?

この日誌を記載して居る15:45現在 茨城県で 堤防決壊で家屋が流失し 陸自のヘリが救出して模様がTVに映し出されています。
名取川の水位も上昇したそうです。付近にガイド仲間の家があります。心配です。無事を祈ります。



9 月 6 日 (日)  



朝一

札幌市からの乙女6人。
「白石区からの方います?」  「ハイ」 1人。
「ここ瑞鳳殿、政宗公と ご縁がありますね」に怪訝な表情。
白石開拓の歴史をサラリ。

歴史より 絢爛な色彩に 自撮と各自のスマホでの撮影に夢中。
本殿までガイドしましたが、「政宗公」 頭の片隅に残ったかな?


謹厳実直風な方、黒鞄からスマホを取り出し 涅槃門の菊紋を撮り始めました。
「モシー  お客様 菊紋 皇室の御紋と思い撮影されていませんか? これ 伊達家の家紋 八家紋のひとつです」

「ヒー 何処が違うのですか なぜ同じもの使えないのですか?」 矢継早の質問の連射。
皇室崇敬の念 高い日本人は、 菊紋イコール皇室 となり 撮影される方 多いです。
伊達八家紋と知り 伊達家の実力に 驚く方が多いです。


筑西市からのお客様。
例によって 「どちらから?」 「いばらき から」 
茨城県は イバラギではなく イバラキだそうです。濁点を使わいのが洗練された人なのか?そのうちイパラキになるのかな?

「茨城ですか? 筑西市では?」  「そうだよ どうして?」

「伊達家は 伊達家を名乗る前 伊佐とも称して居ました。伊達家発祥の地です。
伊佐城が根拠地 筑西市中館522番地です。観音寺があります。」

「ヒー知らなかった。町の名物は 大太鼓で 伊達組と名乗る連があるが 由来は これかな?」
(WEB調査では 確証は得られませんでした)


11時11分 突然の大雨です。
本殿前終わった時点で 拝殿に駆け込みました。15分位足止めです。


資料館蔵  「伊達政宗復元容貌像」と「瑞鳳殿副葬品糸巻太刀(複製)」が 宇和島市伊達博物館に出張しています。
この間 瑞鳳殿 政宗公墓室から発見された「金のブローチ」と「鉛筆」の レプリカ(模造品)が 展示されました。

ガイドが手持資料の写真でお見せしています 貴重な品が 立体品で ご覧出来ます。


ガイドの仲間の皆様
JTB当番終了後 プレートの返却 忘れないください



9 月 5 日 (土)  



爽やか

朝1番のお客様。9時10分、若い女性です。
るーぷるバス始発は、9時15分着で瑞鳳殿に到着の1番早い人で20分です。バス到着前です。

「此処までの交通手段は?」に、「歩いて来ました」
ガイド中で 仙台城が話題になりました。 「今 行って来ました」

ホテルから、仙台城跡本丸・三の丸経由瑞鳳殿と歩いて来ました と涼しい顔して居ました。
重そうな荷物を持っています。高齢者には 真似出来ない健脚 若人の特権でしょう。

ガイド終わったら10時過ぎていました。博物館 再度挑戦すのでしょうか?


埼玉からの男性。あかとんぼ に喋らせて 聴いていました。
ガイド後 3段1段石段迄 追いかけて来まして 「この拝殿は なぜこの様な 通り抜けスタイルにしたのか?」のご質問。

「再建当時 完全復元の発想が無かった。効率性が追及されたらしい、その結果 このスタイルです。
國寶時代 創建時 姿を語る際 舌を噛む ところです」

「日光は 頻繁に訪れています故ガイド出来ます。今日のガイドを聞いて 目から鱗の個所がありました。感謝します」
と言われ、ハテ 目から鱗の個所があったかな と思いつつ 有難いお言葉でした。


午後 仙台藩志会役員会に出席しました。

「県外のVIPを 瑞鳳殿に案内しています。毎度 ガイドを頼みます。各自 フアイルの内容と表現が異なる事がありますが、瑞鳳殿に惚れ込んだの情熱でガイドされるので VIPから 〇〇さん 大変良い所に案内して頂きありがとう と感謝されています。ありがとうございます」

と 〇〇会社の社長である 仙台藩志会役員から 感謝されました。
お褒めの言葉に ホットしました。 苦情でなくて。
来月の研修会で 報告します。



9 月 1 日 (火)  



仙臺伊達家と宇和島伊達家

1615年 伊達秀宗公は、騎馬57騎筆頭に家臣団1200名と共に板嶋丸串城(現・宇和島城)に入城しました。
400年目の今年、宇和島では、「宇和島伊達400年祭」を3月から11月まで 開催しています。

仙台と宇和島の両市は 歴史姉妹都市締結40周年になります。

これを記念し
仙台市博物館は、「宇和島伊達家の名宝 政宗長男・秀宗からはじまる西国の伊達」展を10月9日〜11月23日迄 開催します。
公益財団法人宇和島伊達文化保存会蔵の貴重な品々(重要文化財豊臣秀吉画像等)が 宇和島から運ばれ展示されます。
重要文化財豊臣秀吉画像は、宇和島でも 公開は期日限定です。

宇和島市立伊達博物館では、「仙台と宇和島 政宗からの遺風と両家の爛熟期」展が9月19日〜11月23日迄 開催されます。
仙台市博物館蔵の「紫羅背板地五色乱星模様陣羽織」ほか
公益財団法人瑞鳳殿蔵の「伊達政宗公復元容貌像」「瑞鳳殿副葬品糸巻太刀(複製)」ほか4点
が 仙台から運ばれ展示されます。

宇和島市立伊達博物館のチラシに「紫羅背板地五色乱星模様陣羽織」が大きく記載されています。

本HPの表紙に 瑞鳳殿ガイドの会の「紫羅背板地五色乱星模様陣羽織」風 ユニホームの写真を掲載しました。見比べてください。


3月の「宇和島伊達400年祭」開幕には、宇和島伊達家13代当主伊達宗信氏 仙台市長奥山恵美子氏等 お歴々が参列しています。

民間の交流の大所として
宮城第一信用金庫と宇和島信用金庫のお客草間の団体が 相互訪問したと聞いています。


この度、宇和島信用金庫刊の絵本「伊達秀宗公物語 政宗との親子の絆」全28頁を頂きました。

企画が「うわしん伊達文化NEXT100プロジェクト」で、物語原案が宇和島郷土史家宇神幸男(シリーズ藩物語「宇和島藩」著者)、
監修は宇和島市立伊達博物館 本田耕一館長 他2名 
参考図書に 伊達政宗の手紙(佐藤憲一著)・仙台市博物館館蔵名品図録等が用いられています。

本文は未就学児童でも読み・楽しめる構成です。
末尾6頁の(秀宗公ゆかりの資料)等は充実しており 高齢者でも参考になります。


本文で あかとんぼ が オヤと感じた個所は、太字の個所です。

「家康は政宗の必死の要求に折れたのです。将軍秀忠は(以後、東国の伊達西国の伊達と相並ぶよう)と秀宗をほめたたえ、家柄の高い国持並の大名格を与えました。
こうして宇和島伊達家が始まります。将軍家から十万石を与えられたので、宇和島藩は、仙台藩の分家ではありません

確かに 1749(寛延2)年から翌年迄、「本末争い」がありました。

宇和島5代村候の挑発行為に 仙台6代宗村が幕府老中堀田正亮に仲裁を訴え、仙臺伊達家を「家元」 宇和島伊達家を「家分れ(別家)」と調停しました。

この事は、仙台市史には 記述が見当たりません。シリーズ藩物語「宇和島藩」には2頁の記述があります。


仙臺伊達家の見解は?
伊達家史叢談(伊達家15代伊達邦宗著) 巻の六に「宇和島ノ伊達家、仙臺伊達家ト本末ヲ争ウ」の1項があります。

仙台我が家は嫡流の本家 宇和島家は庶流の末家なる事明らか。仙臺伊達家は本末を争う意ない。

維新史料編纂会編華族略譜(大正2年3月発行)には 仙臺の伊達家は、宇和島の伊達家の本家なりとあり

この様な内容が2頁に亘り記載されています。


宇和島伊達家は公爵家 仙臺伊達家は伯爵家 爵位で逆転しました。しかし 華族も無くなりました。
今更、 分家・別家の違い 申しても 時代錯誤 と感じます。

両家・両市 400年 40年を 共に 祝いましょう。





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