2018年1月の日誌
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1 月 31 日 (水)  



幻の政宗公賛歌 「御藩祖をどり」 


5月19日の青葉まつり開会式のオープニングで、男性合唱団( いずみオッチェンコール)が
幻の政宗公賛歌 「御藩祖をどり」公演する旨が、
本日の青葉まつり協賛会総会で決定したの 速報がありました。

仙台藩志会は 例年通り 裃姿で 神輿警備 に参加します。



1 月 30 日 (火)  



晴れると元気が出ます。

年末お客様感謝祭での売り出しで、285000枚の応募が 仙台商工会議所にありました。

仙台藩祖伊達政宗公生誕450年を記念した コースが設定され 瑞鳳殿観覧券など 450人が当選したそうです。

当選確率 0.16%です。 10000人に当り 16人です。
物凄く 幸運 ツイている人です。

券売口で 交換する際 券売嬢 「福の神」来訪を祝して 大きい鈴 じゃらんジャランと 鳴らしてくれないかな?
勇んで ガイドをします。



幻の政宗公賛歌 「御藩祖をどり」 

2月1日(木) 午前5時10分過ぎ〜5分程度「NHKマイあさラジオ」で全国放送されます。
仙台のリポーターが、東京のスタジオにいるアナウンサーに報告するスタイルです。

歌は 5番 
紋どころ
竹に雀は 四海を照らす
ここに生まれた男伊達


男性合唱団( いずみオッチェンコール)を 本日 収録しました。

明後日は 早起きしなくては。



1 月 29 日 (月)  



18代様

ある方から 電話がありました。

「ダテヤスムネさんは 伊達家何代ですか? 18代と云われているようですが 伊達氏を見るに計算が合いません」

「ハアー」

伊達家御当主を 紹介する場合

伊達家34世18代 御当主 伊達泰宗 様 とご紹介しています。

伊達家始祖朝宗公から数えて 34世
伊達家に 政宗公は 9世政宗公 と 17世政宗公がおられます。

17世政宗公から数えて 18世です。
その様な訳で 伊達家34世18代 とお客様に 紹介しております。

ご理解頂けたでしょうか?

斯様なご質問を 電話で頂いたのは 初めてです。勉強になりました。



仙台藩主は 何代か?

ある会合で 「仙台藩主は、29世13代慶邦公が 最後の藩主と言われるが 果たして そうか?」 と 投げかけられました。

正しくは、30世14代 宗基公が 最後の仙台藩主です。

13代慶邦公は、明治元年9月23日戦い敗れ、12月7日城地没収されました。

慶応2(1866)年7月15日仙臺城に生まれました宗基公が、明治元(1868)年12月13日 伊達の家名継承し、28万石を賜りました。
翌明治2(1869)年3月7日版籍を奉還しました。

激動の時代にあって 数え歳3歳で 藩主の座に就き 在位4ケ月でした。

尚、経ケ峯に所在する 戊辰の役殉難者弔魂碑の碑文は 伊達宗基公のものです。



1 月 28 日 (日)  



連日の寒波で 果たして お客様 参拝にお出で頂けるか?

この不安を抱き 時間調整をし 瑞鳳殿に。

お客様 続々。


中華民国からの 一族郎党でしょうか 三世代 20人近く団体で見えました。
Mさんが 本殿まで 丁寧に ガイドをしました。

本殿で終わった所で、再度 遭遇しました。「本日はお詣りありがとうございました」と挨拶をしたら、
「ありがとうございました」「楽しかった」と 何人から返って来ました。

孔子の國の方は 礼節に 優れています。


ガイドをしませんでしたが、シロクマの様な巨漢の御夫妻も 参拝に見えました。
薄着なに 驚きます。 何を 食べれば 寒さにに強い 巨漢に なれるでしょうか?


待機中 中年の御夫妻が 降りて来て Aさんに 尋ねて居ました。

「飛天 全て 足裏を見せているが その意実は?」 

「片足のみ 足裏を見せています。古代中国 紀元前2400年前の遺跡から 同じ様なものが発見されています。意味する所は伝わっていません」

あかとんぼは、仲間がガイドをしている際 口出しをしない事にしています。仲間に対する礼儀です。

お客様 なんか 期待した答えが 返ってこない と不満そうです。

「この世で 形に表現できない 喜びを 表している と 私は聞いて居ます。お客様なら おわかりでは?」と 云ってしましました。

お客様 何事を連想されたか 奥様に合図をして ソソクサと 62段を降りて行きました。


東京からの3人組、秋田県北部からの2人連れ 等 政宗公について 素養のある方を ガイドしました。
JTB当番は やはり ゼロでした。



1 月 27 日 (土)  



仙台藩志会 伊達学塾

演題 瑞巌寺と伊達家

講師 瑞巌寺僧侶・宝物課学芸員、葦航寺副住職  堀野真澄 様

講師は、東北学院大学文学部史学科で学芸員資格取得
臨済宗妙心寺派 新座市・平林寺、松島・瑞巌寺の専門道場で修行 瑞巌寺に奉職

2016年東京・三井記念美術館での「松島・瑞巌寺と伊達政宗」展にの展示・解説に関わる。
瑞鳳殿所蔵宝物についての 第一人者

講演内容は、前例倣い 記載致しません。
懇切丁寧 ユーモアを交え あっという間の100分でした。

真冬日の寒さに関わらず 80人の方の聴講を頂きました。感謝申し上げます。


講師紹介

あかとんぼは 講師から頂いて履歴を 只 読み上げるのでは 講師の人間性を十分に伝えられるかです。
あかとんぼは、何故 この方を 仙台藩志会・伊達学の講師に お願いしたい と思ったか 併せ伝えたいと 思い、加えて 紹介しております。

2016年東京・三井記念美術館での「松島・瑞巌寺と伊達政宗」展の図録を 読み返しました。
五大堂の秘仏五大明王像は 地元松島でも 容易に拝観出来ない佛様です。これらが 公開されたのです。

読者の松村様から 拝観を勧められながら 上京拝観出来ませんでした。その際 図録をご恵送頂きました。
ご厚意 改めて 感謝申し上げます。

図録を読み返した 講師紹介原稿をまとめ ご紹介いたしました。
講師に 一瞬 笑みが 走りました。



1 月 26 日 (金)  



青空

22日以来 寒冷・風雪の日々 5ケ日目 26日 あかとんぼ邑に 青空が出ました。但し 気温は氷点下です。

公益財団法人瑞鳳殿のFAECBOOKは、(亜細亜系外国人観光客の参拝がしきり)と伝えています。

雪景色が素晴らしいです。
撮影に行きたのですが。 城下と在を結北山隧道は 過日上下線とも 相次ぐスリップ事故で閉鎖されました。
白舗装から 黒舗装に変わるまで 移動は自重します。


白達記(全)登米伊達伝承録

登米藩史料第2集
反故紙の裏に 昔の人が書き残した白石家及びその子孫である登米伊達家に関する雑記です。

全文を 日野廣生氏・野村紘一郎氏によって翻刻出版され 翻刻文と適切な現代文が付されています。

内容が 公式記録・歴史書とは異なり、下級武士・百姓の動きに関わる事柄です。
拾い読みしていますが タイムスリップして 二流週刊誌を 読んでいる感じです。

菅野正道先生 からご推薦頂きました。



1 月 21 日 (日)  



大寒 です。
寒くて 当然です。


本殿前 玉砂利 薄くなりますと 滑ります。凍結しての滑りと異なり 大変危険です。
過日 営繕主任と 本殿前で一緒になった際、

トンボが欲しいです。足で 砂利を掻きよせるのは大変です。
小学校校庭で使用する程度のトンボがあれば、折々 砂利を掻きよせ 安全確保に務ます。
大は小を兼ねると 高校生仕様では大きすぎます」 

と お願いしました。 早速 用意してくださいました。

あかとんぼクラスでなく ヤンマー シオカラ クラスのガッチリしたものです。
早速 砂利を掻きよせ 安全確保に務ました。


朝一は、ループルバス運行前です。
「ホテルから徒歩で来ました」
さて ドチラのホテルを利用されたか? 1人密かに 考えます。麓のホテルか、仙台で一番の高層階のホテルか?

奥様が積極的です。
資料館からの帰り際 ソーと手を差し伸べて来ました。 さて?
飴玉 2ケ 下さいました。 ありがとうございました。 より 美声になりました。


涅槃門のみのお客様 3組 連続

1組目 兵庫県からと東京からの御夫妻
「涅槃門の特徴を語れ」のご依頼。語りました。何故か 夫君 2人 ブスーと不愛想。意欲を失しました。

2組目 泉区からの父親と小3女児
 「瑞鳳殿を調べなさい」の宿題とか、父親が懸命に語り 娘がメモをしています。
涅槃門前の敷石を指して 「この石?」の発言時で、「アツ これは 雄勝石です」
「ここだけ 違いますね」 「はいそうです。あちらは創建時からの敷石です。この敷石は、伊達家御当主自ら調達敷いた石です。なお、あの石段の石は 仙台城下で採れた 三滝安山岩です。仙台城本丸の石もそうです。

「この門の特徴は 10枚の彫刻が 全て見る面 異なります」 に 父親が 高さと位置で 視点が変わる その結果と 説明を娘に始めました。
もー メモする余地無くなりました。

本殿・政宗公木像を 語りかったのですが 容量一杯の様子 断念しました。



1 月 20 日 (土)  



瑞鳳殿ガイド

コチコチ 地味 にするのが 商いの成功する秘訣とか。

瑞鳳殿ガイドも 土・日・祝日 ガイドをしていますと 宣言したら 休んでは 信頼を裏切ります。

本日午前は体調不良で ガイドを休みました。

ら、「あかとんぼさん いませんか?」と 伊達家永代着座二番座〇〇家末裔の御夫妻が見えたそうです。
待機中であった仲間から 刻一刻 速報が 入りました。

ベテランの仲間が ガイドをしてくれたそうで 一安心。只々 会えなかった が残念です。

あかとんぼ をご指名頂ける時は 事前にメール下さい。万難を排し お待ちします。

〇〇様 のfacebookに 詳細なレポートが記載されています。

https://www.facebook.com/teruko.furuuchi.5/posts/2098205650466714?pnref=story



1 月 19 日 (金)  



せんだい豊齢学園 公開講座に参加

講師 仙台市博物館 長澤伸樹 学芸員
演題 仙台の戦国時代
内容 前例倣い 記載しません。


所感
歴史もの は人気があります。仙台市博物館学芸員であれば 信用があります。
公開講座の在校生以外の定員は50人。募集即時 満杯になったらしい。

瑞鳳殿ガイドの会会員5名、仙台藩志会会員4名の参加。
受付で、申し込んでいないが 「いれろ」のオジサン。「本日は満員です。予約の無い方はお引き取り下さい」と毅然と断って居ました。

「年寄は 予約なしで入れる」の癖をつけると 以後 「前回は入れた」とゴネル様になります。
年寄は 子供の手本に なりましよう。


戦国時代とは、いつから いつまでか?

あかとんぼは 1467年応仁の乱から 1615年大坂の夏の陣と覚えていたが、最近の研究では1493年 明応の政変(管領細川マサタテのクーデターからとするのが 通例と。

先生は 東北学院大学卒業。仙台市博物館は 東北大学卒業が 多いのに。

A4資料 90分で 纏められました。」



開会前 シルバーセンター館長 佐々木伸様に「御藩祖をどり」の件で 表敬訪問。

仙台の文化は 外圧に弱い。日経新聞全国版に掲載された事で 県外からの電話が殺到してる。

伊達家御当主に 拝謁の機会があれば、本件を奏上して欲しい と 新聞写しを預かりました。



1 月 18 日 (木)  



明治青年大学史学部
俗称 大泉学園

講師  仙台市博物館水野沙織学芸員
演題  幕末期仙台藩の動向

内容  前例倣い 記載しません。

自己紹介で (静岡県生まれ) 納得。 容姿端麗は 三保の松原・羽衣奪われて 極楽に帰れない飛天の末裔?

以下 あかとんぼの所感です。

1853年アメリカの軍艦4艘での 武力威圧に屈した。 
@時の政権担当者は、各お家に 開国か 否かを 問いました。

A1854年軍事威圧に屈し、日米和親条約を締結しました。
で、安政の大獄に至った。

これは歴史的事実です。

@について、意見を求めるのは筋違いと思います。内政担当の 都道府県知事に 意見を求めるは 幕閣の無能力を 赤裸々にした行為と思います。

Aについて、1603年徳川家康が征夷大将軍に 任じられた事は 政権の大権を委任されたこと。
幕府の判断と責任で 行えば宜しい事。朝廷の認可を得ないと 騒ぐ方が 勉強不足でしょう。


1864年4月 慶邦は幕府が(宰相)に推任したが固辞した。の説明がありました。
(宰相)なる用語の意味が分かりませんでした。

「宰相」とは「特に君主に任ぜられて宮廷で国政を補佐する者」とありました。
慶邦公は、なぜ 断ったか?

62万石の太守です。政宗公が果たせなかった 国政を牛耳る機会でした。
慶邦公は、それだけの器量人では無かったと 理解して宜しい でしょうか?


閉会の締めで 高校の歴史教師であったの噂がある、Kさんが 
「義務教育での 正しい歴史教育を しなければ 國が乱れる基となる。先生の見解は?」と 問いました。

博物館学芸員にする質問には 荷が重いと思います。国会議員に すべきでは?


志あん橋

東八番丁の名掛丁より 交差点 歩道に2基の石標があり 四ツ谷用水が流れていた時代、 下流に 遊郭があり 思案したので 「志あん橋」
ある と引率者の説明でした。

はてな?
伊達家時代 城下では 禁止で、その必要性がある人は 鹽竈神社を参拝し 精進落し が認められた例と聞いて居ます。

問いだしました。 帝国陸軍 第4連隊が あった当時と 返って来ました。
遊郭に詳しい Mさんは 宮町にあったが、首を傾けていました。

四ツ谷用水支流は 確かに付近を流れていました。
あかとんぼ 所蔵の仙台市地図には 遊郭の表示がありません。



新春の集い

16時から 新春の集い が 会員150人中 24人の参加で 寿司屋でありました。
「あかとんぼ瑞鳳殿ガイド日誌」の読者が居られ 中々 参考になる 会合でした。



1 月 17 日 (水)  



瑞鳳殿ガイドの会 新春の集い

本日昼 某料亭で、会員他37名中24名が参加し開催しました。

参加出来なかった会員は、高齢者介護、本人体調不良で 現役の人は仕事が休めなかったものです。
(会員の高齢化が 現実化しています)

ガイドの会は、自己管理の待機型で、 当番制ではありません。それ故、
昨秋の伊達家北端の要害跡(水澤・江刺・相去)等巡り 以来 再会の方もおり、

会費2000円ながら 実質4000円以上の宴であり、食べ・飲み・語り 肝胆相照らす 会合でした。

恒例の1分間スピーチ
通常は 1分以内ですが、本日は 1分以上でした。

特記事項は、

中華人民共和国の方を 英語でガイドし、仕上げを 中国語で話したら 豪く喜ばれ 20cm×25cm角の 赤色の美麗な箱を貰った。
中には、京劇風の孫悟空の人形が入って居た。
現物を 回覧・公開しました。
英語圏以外の外国人は、母国語に 飢えており 母国語に接すると 大変 喜びます。

伊太利国の人を ガイドしたの報告が 3人いました。
あかとんぼ の経験と当然異なりますが 記憶に残るガイドになった様です。

手話で ガイドをしたの 報告がありました。お客様も まさかのガイドを 喜ばれた様です。

全体での発言で 婉曲に 役員の若年化 が 求められました。
賛成です。総論賛成 各論反対に ならないで頂きたい。



涌谷伊達家

ある方から 「青葉神社に 涌谷伊達家の家紋が入った石塔がある」の報告がありました。

青葉神社の創建は、1874年7月です。
版籍奉還は1869年6月17日です。
涌谷伊達家は、旧姓 亘理を名乗り今日至っています。

これらからして 興味深い話題です。
近々 青葉神社に参ります。


涌谷藩志会

設立 半年で 会員が200人を超えた との事です。
慶賀

仙台藩志会は 全国を対象にして 約220名です。
人口 16.636人(2017.11.30現在)の町で、会員が200人を超えたは 慶賀

聞く所によると、
「これからの町の発展は 若い人の双肩にかかっている。その為には、
町の歴史を 正しく理解して 貰わなくてならない」

と、会の指導者の方針で 若年層・学童を対象に 勧誘しているそうです。
「町 百年の大計」です。



1 月 16 日 (火)  



仙台市史

全32巻を、2015年に完結しました。
仙台市制100周年記念事業として、1990年7月 市史編さん室が仙台市博物館に設置されました。

以来 25年の歳月を費やしました。
あかとんぼが ガイドを始めたのが2001年1月で、今年で19年目です。

ガイドをする為の勉強には 並行して発刊された 仙台市史が最高の教科書でした。

手元に
通史2 古代中世
通史3 近世1
通史4 近世2
通史5 近世3
通史6 近代1
年表・索引
特別編7 城館
特別編8 慶長遣欧使節
特別編9 地域誌

重宝しています。


「日本歴史」(日本歴史学会編集1月号)に、

「仙台市史」編さん事業の25年と題して 仙台市博物館主幹。学芸普及室長の菅野正道先生が、
構想から現在の史料の保存と活用に至る経過を詳細に記しています。
ご一読ください。


語られていませんが、
菅野正道先生は 東北大学文学部を卒業、仙台市職員に採用、仙台市博物館に配属になり 今日に至ります。
人生 花の時代を 仙台市史を 捧げたわけです。偉い です。



1 月 15 日 (月)  



挫折の繰り返し

瑞鳳殿でガイドをしていると お客様からのご質問が色々あります。
小林清治先生、菅野正道先生始め 諸先生の著書を 紐解きます。

ある時、ある方から 忠告されました。
「一次史料を 読み熟せなくては 正しい 知識が得られない」 と。 ごもっとも です。

仙台市博物館主催、東北大学主催の(古文書講座)に 2012年から通学しては挫折しています。
「3ケ月 真面目に学習して 読める人になった人が居ます」と励まされながら 挫折しています。


この度、仙台市博物館と東北大学東北アジア研究センター上廣歴史史料学研究部門から ご案内を頂きました。
雨蛙精神(何度でも挑戦する)で 参加しました。


テーマ はじめての「くずし字」
講師  東北大学助教 友田昌弘 先生
教材  戊辰の役 前後(1868年7月)を描いた風刺画

詳しい内容は、許可なく公開しない様に 司会から注意が ありましたので 記載しません。


友田先生 曰く
「日本人は 僅か150年前 先祖が書いたものを 読めない人が多い。憂慮すべき事態である」

確かに ご指摘の通りです。 
あかとんぼ自身 明治10年・明治12年の祖父の記録が 読めないでいます。


仙台市博物館の 古文書解読と伝統門松元締めの倉橋真紀先生が 後方支援をしていました。

瑞鳳殿の伝統門松 仙台藩志会会員と外国人を含む 見学者の状況と反応 を報告、お礼申し上げました。
今冬11ケ月後 宜しくお願い致します。 



1 月 14 日 (日)  



朝一番 ループルバス運行前 美女軍団

「どちらから」 「ハイ 雪の長崎からです」と ニッコリ
どこに行っても「長崎」と答えると 「アメの長崎ですか?」と 云われるので 
今回の大雪は 長崎にも降りましたので 分かる人向け 「雪の長崎」のフレーズで 返されたようです。

学会で仙台を訪れ 余暇の活用で 瑞鳳殿を参拝された と感ずる人々でした。


伊太利(イタリア)からの御夫妻。
ガイドを依頼されました。
「ご期待に沿いたいですが 日本語専門です」に お付の方 「私が 通訳します」

お付の方 只者ではありません。
あかとんぼの話を 消化してから 伝えています。質問に答えています。答えきれない質問には あかとんぼに問うて来ました。

涅槃門の「麒麟」は、「ビールの麒麟です」 で 動物園の麒麟ではありません が うまく伝わりました。

本殿屋根の龍をガイドした直後 「龍を 龍では無く ドラゴンと 翻訳されませんでしたか?」と 確かめました。
「そうだ」に
「ウオータードラゴン と説明してください。西欧のドラゴンは 火を吐きます 龍は 水を吐きます 火伏 火災防止です」
丁寧に 伝えた頂きました。

3段石段「段差が高い」 と云われました。
長脚でも 1段 25cmの段差は 厳しいらしいです。

本殿前で 拝礼 をお願いしましたら スーと頭を垂れてくれました。
涅槃門を潜る前
「1567年9月山形県米澤で生まれ、1636年江戸・櫻田屋敷 現・日比谷公園 (帝国ホテル付近)で70歳で亡くなられ、ここに祀られました。
政宗公は 将軍ではありません。この地方を統治した大名です。
その人の豪華絢爛な建物のお墓です」 
と 説明しましたので 偉大な人物と理解され 敬意を表してくれたと 理解しました。

「将軍ですか?」に、「将軍ではありません」と 答えました.。
「将軍 イコール 徳川家康を 頭に浮かびましたが、「この地方の将軍」と 答えても 良かったのではと反省しました。

政宗公 ご尊顔も、伝統門松も、紹介・ガイドをしました。満足です。
お客様も 満足された様で、「お礼を」と お付の人に。 「ボランティアガイドですから必要ありません」の答え。

御夫妻 手袋を外され 交互に 手 を。 固い握手をしました。

お客様も 只者ではありません。 素養があり 礼儀をわきまえています。 在日伊太利大使館高官かも?


この後、盛岡・相馬・??からの 御夫妻を 連続のガイド。


伝統門松 飾られているのは 今日まで。皆様に ご紹介しました。

それでは 大崎八幡宮を参拝し ドント祭に 奉じられるのを待ちましょう と申されるお客様も 居ました。


寒むくて 鈍感なられたか 政宗公自筆の和歌 記載の入場券・パンフレット落される方 多いです。
1日で最多拾得です。入場券5枚、パンフレット2枚 拾いました。

政宗公自筆の和歌の解説を聞かれたお客様は 落しませんでした。



1 月 13 日 (土)  



快晴・温暖です。

越國の一夜大雪は、夢のような陸奥國の快晴です。

本日は、仙台観光国際協会主催のガイド養成講座・現地視察日です。

全体工程は、
9時15分 仙台駅ループルバス乗車。9時30分下車 10時45分乗車で この間 瑞鳳殿を視察。
以後、仙台城跡・大崎八幡宮を視察し、14時55分解散。

定刻到着、K副会長 歓迎挨拶 以後 進行管理

H幹事  瑞鳳寺山門(9:35)から表示板(9:50)迄 
S副会長 涅槃門(9:50)から本殿(11:10)迄 
O幹事  弔魂碑(11:20)から妙運界廟(10:35)迄 

協会ご指定の時間内で 中身の濃い ご案内をしました。

協会主催の講座後、瑞鳳殿(経ケ峯)主体のガイド養成講座を計画している旨 申し上げました。
研修生15名の参加で、内2名の方が参加したい。10名の方が検討する。3名の方が瑞鳳殿のガイドは希望しないの意向でした。


JTBガイド当番日

広島からのお客様2名。JTBの指示は40分程ですが 時間無制限との事で その気でガイドをしました。

家紋 九曜紋が 何故 伊達家の家紋になったか 詳しく説明して欲しいのご要望がありました。
仙台市の市章は、伊達家家紋(三引両)を借用している。広島市の市章は、浅野家家紋を借用していると聞きましたが に、
「イエ 市内を流れる 3本の川を 単純に表現したものです」と返って来ました。



1 月 12 日 (金)  



外国人旅行者をおもてなし

世界各地から 瑞鳳殿を訪れるお客様は あかとんぼの目測で 20〜30%を占めて 且 増加傾向にあります。

公益財団法人瑞鳳殿では、パンフレットを言語・文字別 5種類 用意しています。案内板は2ケ国語、スマホは5言語に対応しています。


WEEKLY 2018.01.11号に、表紙の頁 「外国人目線で 仙台の楽しみ方を再発見」欄に

紹介しました
瑞鳳殿は 藩祖の御霊屋である歴史的価値と写真映えする本殿の豪華絢爛さが人気の理由。
「この下に政宗公のお骨が埋葬されている」と 加藤治子学芸員が説明すると 「とても驚かれます」

と 大きく報じています。

仙台には、1年前 「仙台ツーリストインフォメーションデスク」が開設され、英語・中国語・韓国語・タイ語・ポルトガル語に対応している。
とあります。

瑞鳳殿には、このデスクの対応以外の ドイツ語・フランス語・スペイン語・ロシア語のお客様も お出でになっています。


日本語と日本語以外の言語で 瑞鳳殿で ガイドを 楽しみたい方 メールください。 zuihoden@zau.att.ne.jp です。お待ちしております。



1 月 11 日 (木)  



仙台市は、南北で天候に 差があります。
バス・地下鉄乗り継ぎ60〜80分の距離で、 降雪・凍結と晴天・乾燥の違いです。

歴史講座  富澤大学(郷土を愛する歴史の会)
講師     仙台市博物館主幹・学芸普及室長 菅野正道 先生

演題     伊達政宗の戦い 米沢時代の苦闘
内容     前例に倣い略

東北福祉大学主催講座 2017年12月9日開催  講師 菅野正道 先生で、演題が 米沢時代の伊達政宗
米沢時代に限定されれば 時間幅が限定されます。内容が 全く同じになるかの 懸念。

天正13年から17年までの戦い これは 変わり様ありません。
が、その前後・・・は、先生の博識に 充実の2時間でした。

とくに、再考・人取橋の戦いについて
〇.「治家記録」に見る合戦の経緯
〇疑問だらけの合戦
〇人取橋の戦いの実像(仮説)
は、興味津々 研究成果の発表が たのしみです。

先生は疑問点 8点上げています。

天正13(1585)年11月17日 二本松城攻略で 伊達軍と佐竹連合軍が激突、日没 引分で 両軍が陣を引いた。
翌朝 佐竹軍が忽然と消えていた。結果 戦いは引き分けに終わった とありましたが、

3万の佐竹軍が 通信手段・照明設備・輸送手段が 現代に比較し 不備な時代に 果たして 粛々と撤退出来たか。
また、伊達軍が 察知出来なかったも 不思議と  あかとんぼは思っていました。

先生も 疑問点に上げられ、 鬼庭家や伊達成実の 戦功録に????と。
研究成果の発表を期待しています。


東北福祉大学主催講座で 10冊参考図書を上げられました。
仙台市史以外で 注目したのが 総合的に高く評価出来る内容と 推薦された 相川司著 伊達政宗 2007年 新紀元社 でした。

市図書館蔵書に在りました。成程と思いました。手元参考書にしたいと 古本市場を探しましたが 出品がありませんでした。

今回 3冊 推薦されました。
@登米藩史料第3集 白石家戦陣略記(6000円)  
A登米藩史料第2集 白達記(4000円)
B龍の右眼 吉川清著 (小説)
の ご推薦を頂きました。
読みたい 買いたいと思います。蔵書するスペースが無い故  悩みます。


会場での質問
@ 政宗公は 幹線から外れた 塩松、小手森を 二本松より 先に攻めたのか?その意図、目的は?
A 軍団の編成は? 領内からどの位 動員出来たか?

答え
@ 軍略的に ドウーデモ良い位置、面目 が先に立った。
A 1萬石当たり100人位、戦国時代と秀吉時代では 条件が異なる。実戦部隊は 6〜7割か。後方支援に割かれる。


講座は 講師で 参加者数が 大きく増減します。
仙台市博物館ガイド 三の丸会会員が集団で参加し、 また、一匹狼のオッカケタイ10人程 列をなし 挨拶しました。
本日も 友人・知人が 沢山 参加していました。(瑞鳳殿ガイドの会会員3名参加)
 



1 月 10 日 (水)  



高齢

大規模生涯学習に参加しました。
高齢・後期・末期の高齢者で構成され年齢幅が広いです。
求めるものが 各人各様です。
それ故か、講座内容は 森羅万象 講師も功を上げた方々です。

運営する役員は、ご苦労が多々あると思います。

同席した ある 中規模生涯学習講座の代表者が ポロリ

役員を 率先して引き受けてくれて 有難い。自分は安心して 引退出来る。
役員になられる方々は 発想が豊かであると同時に之までの人生経験が当然異なる故 頑迷固陋の場合もある。
新しい発想・改革の意見が 年功の否定と受取り 落胆される方がおられる。


講座 講師は82歳と自己紹介。風貌は70代前半。講演内容が あかとんぼの指向に合わない故か 話法に疑問を感じました。

あかとんぼ は、行く所がある、知人に会えるかもしれない、かつ、満足出来る講師・講演内容に当たれば 万歳 の気持ちで参加しています。

上記 ある代表のポロリと講演から あかとんぼ自身の在り方 を考え込んでしまいました。



1 月 9 日 (火)  



仙台藩祖をどり

日経新聞文化欄に 掲載されました。
瑞鳳殿ガイドの会 活動、本日誌読者様のご協力の結果として記載されています。 

図書館でも お読みいただければ幸いです。


ガイドの会定例役員会
主な議題は
1.会員同志の意志相通 (新春の集い)
2.新規ガイド養成講座の開催
でした。



1 月 8 日 (月)  



天気予報は最高気温11℃を報ました。
人によって11連休、通常3連休の最終日。

「温かく、沢山の参拝者が押し掛ける」の 予想は天気予報と同じく 破れました。
お客様が僅少、ガイド仲間も僅少。お陰様で11時迄 連続のガイド。


9時20分 中高年の男女ランナー20人近く、裏・駐車場から沸き上がり 弔魂碑前で 右に行くか? 左に行くか? 立往生。
右は有料です。左に行きましょうと 左折。
 政宗公に拝礼する気持 サラサラ無いようです。

次のポイント 感仙殿地区口の追分。
次、右に行けば感仙殿で、左・散策路を行けば 観音堂山山頂です。 

この一団は 「左折」が お好みの様です。左折を始めました。
山頂で 左折・直進すると 断崖絶壁 廣瀬川に ドボン。下手すると「土左衛門」と 名前が変わります。

弔魂碑前から叫びました「左 左と進むと 危ないですよ」
表参道上から見ていましたら 数分後 御子様御廟口から ゾロゾロ出てきました。無事で良かったです。

瑞鳳殿も、感仙殿も、善応殿も、妙運界廟も、御子様御廟も 参拝する事無く 経ケ峯を 南から北に 駆け抜けて行きました。


9時30分 亜細亜系のお客様4人。パンフレット見ています。「日本語以外 4種類あります」 交換していました。
「日本語です。ガイドします」

「3人は 日本語堪能です」と。

涅槃門の彫刻の説明。麒麟 分かりが早いです。 麒麟の生誕地は古代中国です。
拝殿扁額も、伝統門松も 国宝であった龍頭も ご理解が早い。

本殿前で 「ここが この地方を治めた殿様 政宗公のお墓です。この建物の地下にてお休みです」
に、
「1人ですか? 中国では 寶物と、寵愛をうけていた女性 生きたまま 埋葬します」
「ヘー 初めて知りました」  本当の話でしょうか?



本日最後のお客様。津軽からの小4と小6の男児に両親。
「男児二人 歴史(政宗公)に目覚めたので 来ました」との事。丁寧にガイドをしました。

政宗公写真と男児二人に 爺様との 写真をと言われ 収まりました。

涅槃門で、津軽からとの事で 「この柱は 津軽ヒバです」と 用いた経緯を語りました。
で、「津軽ヒバは 資源枯渇から 容易に手に入らない。俎板が 精々と聞いて居ます」に 即  「私ち プラスチックです」

資源枯渇か?衛生上の問題?


11時30分 曇って来ました。お客様が途絶えました。仲間が残留しています。

旅行会社のチラシ 「シルバーに優しい 遅い出発 早いお帰り」 なるほど と 連休最後のガイド 終わりました。





1 月 7 日 (日)  



真紅の朝焼け 雲ひとつ無い快晴

瑞鳳殿に。
Aさん 今日も来てくれました「休もうかなと思ったけど、あまりの快晴に出て来ました。ブルブル」

本殿前は、政宗公の偉風か? 身を切る 寒い風が走ります。
ループルバス利用のお客様 本殿前でガイドを聞いていると 汗がひいて 間もなく ブルブル 身を震わせます。

その様なお客様には 資料館見学をお勧めします。
録画を30分見ますと 凍みた体は解凍します。

あかとんぼは、券売口横の日向に。
3分経過 身がブルブルします。解凍です。


遅い出発ですが、早く着きました。
9時 資料館の展示を改めて見ていました。

綱宗公 極楽浄土に持参された品 展示替していました。
新規展示?
〇 寛永通宝 6枚  解説に「三途の川 渡船料 6文」と。
〇 携帯硯箱・筆 箱 6cmに2.5cmの極小・・・・・実用性に疑問
〇 懐中鏡  女子高生が車内で使用しているより 小さい・・・・・実用性に疑問

丹念に見れば 一大発見がありそうです。継続事案


お客様 入館。
綱宗公甕棺を説明。「常滑焼です」 
「私達 セントヒレナ空港から来ました。住まいは岐阜県です」

ヘー 岐阜県に カタカタ空港があるのか? 確認しました。
中部国際空港で、セントレア とフリガナがあり 常滑市街の沖合三河湾に所在しました。


21歳の男子大学生 単独をガイドしました。

ガイドを始めたら 日付、度量衡、出来事等 丹念にメモします。
それでは、メモして欲しい箇所 低速・ダブル で語りました。

結果的に 感仙殿地区までガイドしました。
「東京から 三陸久慈市に直行、盛岡から 角館町に。雪に埋もれた角館を堪能し仙台市に。
瑞鳳殿・仙臺城跡を見学後、松島に 瑞巌寺を参拝。明日 会津若松市で 戊辰の役遺跡を見学後 東京に戻る」と行程を明らかに。

観光学部の学生で 将来 東京のガイドを目指します と話され、あかとんぼの氏名を問われましたので 名刺を差し上げました。
卒論の資料集めでしょうか?お役に立ちましたか?


この後、京都からの成人親娘4人、オギクボからの3世代7人 感仙殿地区まで ガイドで おわり。


昨日 Oさんから 「あかとんぼさん よい論文発表しましたネ」と云われて ポカン

2017年9月に仙台藩志会会報(藩報きずね)に、記載した「生まれ変わり伝説・政宗公と満開上人 因縁の地 経ケ峯と黒沼」の事の様です。
会員に配布している会報が 4ケ月漂流 Oさんに 流れ着いた です。



1 月 6 日 (土)  



3連休のはじまりか?
11連休(12/29から1/8で、1/4・5年休取得)の後半?

年末年始の休みで 気力・体力・財力を使い果たした人々が多いのか?
9時半 朝一番は 中華民国台湾省からの家族連れ。 挨拶で終。

精鋭6人待機していますが、お客様自体僅少なうえ、ガイドを依頼して頂けません。

寒さ談義しきり

「待機していると 寒いと感ずるが、サムイーとは感じない、徐々に 骨まで凍結したをしており 歩行速度が遅くなり、口が回らくなり、運転が硬くなり 初めて「凍結した」を自覚する。高齢者の特有現象?

帰宅したら 首まで炬燵に潜り 解凍する。時間を要する」

体を動かすが肝要。涅槃門落雪をスコップを拝借。除雪作業。


千葉県からの技術者集団

涅槃門からの石段 「高いでしょう?」に 「ウン 〇寸〇分」と返って来ました。
長さに メートルで無く 尺 です。驚き 「尺 をお使いのお仕事ですか?」  「ウン」

一番高い階段を測って頂いました。親指と人さし指を広げ 「8寸6分 26cm」
 正解です。

「昔は 履物は 〇文〇分 と申しましたが 使いませんか?」
「うん 知っているよ でも それは使いません よ」

大香炉の緑青を見て 「今は 酸性の薬を用いて・・・・・」語りました。

何の技術者集団かは 明かされませんでした。


岡崎市からのお嬢さん二人看板から始まり 3段石段の途中で、
祖母の年齢の 二人が合流(年の功)。仙台は青葉区ながら 初めての参拝とか。

本殿 向かい揚羽蝶の彫刻を説明して、「職業により 色々 見えるものが違います。例えば・・・・・」に 笑い転げていました。

普段より 長い時間のガイドでした。


寄付芳名板を熱心に見ている御夫妻。

「いつの時代ですか?」 「1975年から95年です」 「ウンー」 「オイルショック、物価暴騰があった頃です」「生まれて いるかなあ」

函館からお出でだそうで、函館市の芳名を発見 喜んでいました。
寄付芳名録から 見学を始める方は 珍しいです。ガイドを希望されませんでした。 残念。


伝統門松

本日もせっせと ガイドをしました。他の仲間も ガイドをしています。
お客様の 反応は頗る 宜しいです。

河北新報によれば、名取市の那智が丘公民館に飾り付けた 報じています。
高さ2.7mの栗の木に松・竹を添え 幅2mの竹に 締め飾り、干し柿・昆布・炭を飾った(誤報では、締め飾りの中に入れた が正解と思う)

近隣の熊野神社の門松が伝統門松と知り、3年前から 仙台市博物館(倉橋真紀先生)の指導で始めた。
と、報じています。何故か (倉橋真紀先生)の名前が明記されていません。

この知らせで 伝統門松は 一関・根白石・経ケ峯・名取那智・大内邑の5ケ所の本物と 仙台市内博物館の模擬門松の存在が 明らかになりました。



1 月 2 日 (火)  



瑞鳳殿新年拝礼式

瑞鳳殿本殿で 午前11時前 厳かに催されました。

開会
読経
 正宗山瑞鳳寺鎌田住職様

焼香
 伊達政宗公18代当主 伊達泰宗様、
 殉死者後裔会会長 加藤孝様、
 仙台藩志会副会長 伊達宗尚 様、
 伊達家御廟大年寺会会長 阿部和子 様
 公益財団法人瑞鳳殿副理事長 相澤清志 様

挨拶
 伊達家18代当主 伊達泰宗 様
 仙台藩志会副会長 伊達宗尚 様
 公益財団法人瑞鳳殿副理事長 相澤清志  様
閉会

仙台藩志会副会長 伊達宗尚 挨拶全文

新年あけましておめでとうございます。
本日ここにご参集の皆様、どなた様も松の緑もこまやかに、新しい年をお迎えの事とお慶び申し上げます。

平成30年の年頭にあたり、仙台藩志会伊達宗行会長に代わりご挨拶申し上げます。

昨年は、仙台藩祖 伊達政宗公 が、現在の米沢市で誕生されたのが永禄10年8月3日 西暦で1567年9月5日であり、生誕450年の節目の年でありました。

私共はこれを記念して昨年9月9日特別記念講演会を開催いたしました。
伊達家18代御当主伊達泰宗様、仙台藩志会顧問の佐藤憲一(のりかず)にご講演を頂き、

又、祝賀会を催しました所、宇和島市、米沢市、高畠町、福島県、岩手県、北海道など 伊達家縁故の各地から、
合わせて関係者延べ1千余名のご参集を頂き、お祝いを致しました。

政宗公のご遺徳を深く感じた所であります。
当日ご参集になりました皆様にこの場をお借りして 厚く御礼申し上げます。

平成30年も、仙台藩志会は、仙台藩主歴代公の顕彰事業と伊達学塾や藩報「きずな」による歴史を学ぶ事業を続けてまいります。

今年は第4代藩主伊達綱村公遠忌300年の年に当たります。
これを記念して仙台藩志会は伊達家御廟大年寺会と協賛で6月に記念講演会を企画しております。
皆様にもご案内をいたしますので是非ご参加のほどをお願い申し上げます。

最後になりますが 今年1年 皆様のご多幸ご健勝をご祈念申し上げご挨拶といたします。

 
公益財団法人瑞鳳殿副理事長 相澤清志 挨拶要旨

昨年は、政宗公生誕450年の節目の年であり 諸行事が催されました事はご承知のとおりです。

政宗公のご遺跡を巡ろ方々を始め、仙台観光の要衝の地なり、震災前の年間20万人の最高記録を超える勢いであります。
ご承知のとおり外国からのお客様も 日々 多くお見えになっております。

多国語での案内システムの整備・充実に努めております。
本年も 皆様のご支援 宜しくお願い致します。


本日のご案内は、次の方々 連名 でありましt。

伊達政宗公18代当主 伊達泰宗
仙台藩志会副会長 伊達宗尚
公益財団法人瑞鳳殿理事長 伊藤敬幹

仙台藩志会会員 99名 一般参列者 101名(計測不可)


あかとんぼ 経ケ峯の半日

8時30分 到着
8時40分 公益財団法人瑞鳳殿 事務局局長 年頭挨拶 全職員 参加(事務室無人)
直後   お客様第1号 仙台空港から飛ばして来ましたと熟年の女性 「アレー 折角来たのに 休みかしら?」
直後   券売嬢 駆けつけてくれました。
      何か お祝い 記念品が 出るのか 見ていましたが 出ませんでした。

8時45分 天龍閣に。仙台藩志会 裃着用の面々に 年賀のご挨拶
9時    瑞鳳殿に。ガイドの会役員・仙台藩志会会員HKさん来る。年末の病 全快との事
      本殿に ご挨拶。お膳、供物 供えられる。供物は 数・盛方共 昨年と同じ。
      お膳の中身は 多少変化していると 家で調理して来た職員の話

9時30分 東京からの家族5名 本殿迄ガイド。本年ガイド始め。
       その最中 御当主様先導で と伊達武将一団 が政宗公に年頭のご挨拶。 
      東京からの家族は伊達武将一団と記念写真(幸運)

      涅槃門前で、多国籍の人々が伊達武将一団と記念写真。
      集まっているガイドの会仲間と 伊達武将一団と記念写真撮影。
      お屋形様は 政宗公気分で、あかとんぼ 現代語で今年の健闘を誓うエール交換。

10時   仙台藩志会名誉会長等 高齢で歩行速度が速くない方が 涅槃門前に。まだ30分余あり 寒気対策に売店にご案内。
      多賀城市の齋藤敦子様 御夫君・友人共々 到着。撮影ベストポジションにご案内。

      東京のK夫人と子息・令嬢が見えました。「夏休みにガイド頂いた。明日参拝します」写真賀状を頂いた方です。
      拝礼式行列から退場後まで それなりの配慮は致しましたが、思い出しません。

      一般のお客様には あかとんぼの住所を明かしていません。でありながら賀状を頂きました。
      あかとんぼの住所を知る人の関係者? 悩みました。

      (17時 思い出しました。2017年7月29日10時30分からガイドをした方。仙台藩志会高級幹部のご令嬢一家でした。
      高級幹部にお詫びの電話を入れました)

      中沢幸夫県会議員から 「参道入口 高橋是清揮毫の石碑を彫った高橋石材店「高嘉」の子孫が見つかった」との 情報。
      石碑の追跡者 佐々木伸氏に 連絡しなくては。

10時35分仙台藩志会一行の行進が始まりました。今年も予定より早いです。議員等 多忙の方は時間厳守で行動しています。X県会議員、Y市会議員が当着した時点では 開式していました。

11時15分 退場する仙台藩志会の皆様に、資料館前に展示している 復元・仙台城門松をご案内しました。

       2014年から 仙台市博物館倉橋真紀先生の指導で 地元産(経ケ峯の笹竹等)の生の材料で飾り付けしています。
       仙台博物館連合の各施設で飾られていますが、諸条件から 完全生材使用で屋外展示は 瑞鳳殿のみです。

       会報(藩報きずな2013年4月発行)に掲載しましたが 仙台藩志会会員の関心が期待程 盛り上がりません。
       今年は方針を変え 誘導しました。カメラ持参の方 撮影しておりました。

11時30分 仙台藩志会恒例の涅槃門前での集合写真撮影です。広報部写真部長は???で、僭越ながら 撮影を致しました。
       お客様も多数撮影されていました。

11時45分 仙台藩志会会員が退場し、伊達家御廟大年寺会の集合写真撮影後、瑞鳳殿ガイドの会の記念写真です。
        会員13名 1発収まるよう プロの伊達家伯会のAさんにシャッター押すをお願いしました。
       福々しお顔です。今年も賑賑しくガイドができるでしょう。本ホームページに掲載する様 要望がありました。

       政宗公殉死者(加藤十三郎安次 後裔者 〇〇遥人(はると9歳)さんが母親・妹と参拝に見えていましたので、一緒に記念撮影。
       何代目になるかは聞き漏らしました。

12時    感仙殿地区の御廟・お墓をお詣り、西参道下を下り その途中で「西討戦没之碑」前で 見入っている方がいました。
       「裏面に戦没者の氏名が刻まれています」と話したら 「知っている」と。 そうですか?

       「鹿児島県人七士の墓」保全の会の役員がガイド仲間です。また従軍日誌を所有している人がいます」に、
       俄然 「紹介して欲しい」となり名刺交換しました。仙台市議会自由民主党 わ さんでした。(名刺の氏が ひらがな です)

12時20分 詰所で Fさんから 菅野正道先生の講演会日程情報を貰い、SMさんから 本日行事の写真データーを借用し散会。 
       仙台藩志会新年祝賀会が 続いて 天龍閣で 開宴です。体調管理から欠席しました。

       本日 瑞鳳殿ガイドの会会員でガイド始めに参加したのは 今年 米寿を迎えるN先輩を筆頭に 13人でした。      

       




1 月 1 日 (月)  



あけましておめでとうございます

本年もよろしく ご指導ご鞭撻のほど お願い申し上げます。


昨年は,政宗公生誕450年の年であり、瑞鳳殿での111日回のガイド、仙台藩志会での祝賀行事、又、各祝賀関連行事等に積極的に参加致しました。

今 何か燃え尽きた症候 を感じます。

燃え尽きても まだ 残り火があります。残り火を燃します。


目標は

1. 平成天皇陛下 御在位 限り 瑞鳳殿ガイドを努める。

2.「御藩祖をどり」を政宗公御命日5月24日墓前で御披露の実現に努める。
 1935年政宗公没後300年祭に披露される筈であった政宗公賛歌です。(事情・経過は後日記載します)

 瑞鳳殿ガイドと(あかとんぼ瑞鳳殿ガイド日誌)のご縁で 日の目を見るものです。

 1月9日発行の 日経新聞文化欄で 報じられます。ご覧ください。仙台藩志会会報(藩報きずな)にも掲載します。

 
3.時代考証学会創立10周年記念「時代考証学論集」に寄稿をエントリーします。

 「歴史を正しく伝え、喜ばれる を目指して 伊達政宗公御霊屋(瑞鳳殿)でのボランテイアガイド20年から得たもの」
 と題して ガイド活動を総括したいと思います。

 大石学先生が主宰し 東北学院大学文学部菊池慶子教授、仙台市博物館菅野正道主幹等 一流の研究者の論文集に 
 巷の隠居の寝言が採用になるかは 大いに疑問です。あかとんぼ がこの世に生きた証が残ればと思い 挑戦します。





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